金融資本は万能ではない(その2)
世の中には預貯金から株式、さらにはFXやらなんらやと様々な「金融商品」があふれているが、金融というのは文字通り「金を融通する」必要なお金・・・貨幣を用意することだ。貨幣が何のために使われるのか?流通過程で貨幣は交換を媒介し、商品取引の決済に使用される。この商品取引そのものは資本主義以前からあったので、金融業というのも資本主義以前から存在した。大量の商品を買い付けるのに、貨幣を直接やりとりするのは不便であるので、手形のようなものも存在したし、事業を始めるには、そのための資金・・・生産手段や原料を買い付ける、交易なら、その場所まで商品をかついで移動するための貨幣が、取引以前に必要になったであろう。農作物の収穫はできるだろうが豊作か不作かわからない、でも前もって貨幣が必要な場合には先物取引のようなものもあったであろう。そして視債権者は取りっぱぐれのないように担保をとり、また債権者に別途貨幣が必要になった場合は、自分の持っている債権を売買し・・・というようなことは連綿と続けられてきたわけだ。これが、生産力の向上・資本主義の成立→さらに生産力の向上→・・・ということで、商品取引の規模が拡大すると同時に、複雑化することで、金融業の比重も増す。一方、工業的な資本主義の発展は生産手段の高度化をおしすすめ、あらたに生産を開始するための設備投資…これも設備を提供する企業者から商品を購入するという形をとるので、これまた莫大な貨幣を短い期間に調達しなければならなくなる。よって金融業の役割は益々大きくなるわけだ。銀行などの金融業が業として成り立つためには、当然利潤すなわち儲けることができないといかんわけだが、銀行は利子という形でそれを受け取ることになっている。利子とは剰余価値から、貸し付けた貨幣量に応じて適当な率だけ受け取る、貨幣を貸し出すときに銀行は借主とそのような契約を交わすのである。
設備投資をするために必要な貨幣を調達するにあたり、多くの貨幣を持っているものから調達する方法の他に、小口で貨幣を持っているものをたくさん募り、そこから調達する方法がある。前者の代表例が銀行(ただし、多くの貨幣を預金という形で集積しているにすぎない)であり、後者の代表が株券である。株券のようなものも、資本主義以前からあったのであるが、やはり資本主義の登場・発展とともに発達してゆき、大量の貨幣を調達する有効なこの方法をとる株式会社ができる。レーニンの「帝国主義論」でも展開されているが、生産手段をそろえるのに必要な設備が巨大化し、沢山の貨幣は必要になる帝国主義段階において、株式会社は代表的な資本のあり方になったわけだ。株式の所有者がず~っと固定的であるならば、株式は単なる属人的な、配当(剰余価値)を受け取る権利でしかないのだが、この権利を市場で大々的に売買すれば、より多くの人から貨幣を集めることができるであろう。よって株式・証券の取引市場が成立する。市場だから、その株式がより多くの配当が期待される、すなわちより剰余価値を搾り取る能力があると見なされると、欲しがる人が多くなるのでその株式の値段が上がり、逆だと値段は下がる。このような市場が成り立つと、それを売買することで手数料をかせぐ証券業というのが現れる。証券業は金融業とはもともと違うのであるが、貨幣を融通するためになくてはならないものとなって私たちの目の前に現れる。
| 固定リンク
「かくめいのための理論」カテゴリの記事
- 設計変更を許すな!奥間政則さんの学習会(2020.06.29)
- けんじと太郎でタヌキを追い出せ!(2020.06.18)
- BLACK LIVES MATTER”よりも”大切なこと(2020.06.14)
- コロナ禍での社会ヘゲモニーを握ろう!(2020.05.15)
- 憲法1条を守れば天皇制はなくなる?(2020.05.05)
コメント