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余部鉄橋のトレッスル橋脚が残るぞ~

会社で日経コンストラクションなんぞ読んでいたら、現在架け替えのための工事が進められている、余部鉄橋のトレッスル橋脚が3基、現地で保存・活用されるような記事が載っていたので、調べてみた。
ケンプラッツ・土木より兵庫・余部鉄橋の橋脚3基を現地に保存、展望台などを加えて観光エリアに
兵庫県は、2010年秋に架け替えを終える同県香美町の余部(あまるべ)鉄橋について、一部を土木遺産として保存しつつ、観光資源としても活用していく基本計画案をまとめた。2008年9月30日から10月31日までの期間で、同計画案に対する意見や提案を募集している。
 基本計画案は地元住民や学識者、JR西日本の職員などからなる余部鉄橋利活用検討会(座長:京都大学大学院の川崎雅史教授)がまとめた提言を県が具体化したもの。11基の橋脚のうちの3基を撤去せずに保存し、その周囲に新たな施設などを加え、記念・観光エリアとして整備する。(中略)
一方、県は撤去する8基の橋脚も有効に活用していく方針だ。橋脚に使用された鋼材の撤去後の活用方法について、具体的な方法を一般公募するアイデアコンペを実施している。応募期間は2008年9月16日から10月24日までだ。
 余部鉄橋は、JR山陰本線の一部で長谷川に架かる鋼トレッスル構造の鉄道橋。1912年に完成した。橋長は約310m、長谷川の河床からレール面までの高さは約41.5mある。
 余部鉄橋では1986年、走行中の列車が突風にあおられて転落。死亡者を出す事故が発生した。以来、強風時の運行規制が強化されて列車の定時性も低下した。安全性と定時性の回復のために、防風壁を備えた新橋への架け替え工事を2007年3月から始めている。施工は清水建設・銭高組JV(共同企業体)が担当している。
奥野 慶四郎=フリーライター[日経コンストラクション])

で、兵庫県のこのHPにいくと、こんなPDFファイルで計画の概要も分る。
ケンプラッツの記事に掲載されたイラスト(県の基本計画のPDFと同じ)を引用すると・・・
Figa
こ~んな感じなのだ。
Figb
完成予想イラスト(^^)(^^)
Figd
餘部駅(ちなみに地名は余部なのだが、駅名がなぜか餘部なのだ。よって餘部鉄橋とも記載されることも多い。)側から展望施設に行くことができる。ちなみに新しい橋梁は現鉄橋の奥に建設されるので、海の景色がコンクリート橋でさえぎられることはないhappy01

86年に起こった事故は、お座敷列車の客車が墜落したのだが、突風に加えて乗客がいない回送列車で客車の重量が軽かったために起こった。2005年には羽越線特急が突風であおられて脱線事故を起こしているが、両者とも旧国鉄タイプの車両・・・すなわち今あっちこっちで走っているJRや私鉄の軽~いステンレス車両よりも「重たい」車両だったのだ。それでも突風が吹けば、列車はこける。突風が吹くとき、安全のためには「止まる」しかないわけだ。(よって、羽越線事故というのは、86年の余部事故の教訓を忘れたJR東に大きな責任がある!)
それはともかく、安全のために86年の事故以来、風速20m以上の風が吹けば止める規則を設けたのだが、今度は冬季の運休・バス代行が多くなってしまい、橋梁に防風さくを設けて規制を緩和しようとしたのだが、直接さくを設けると橋梁自体が構造的に持たないことが分り、やむなく新しく架け替えることになったのだ。

で、昨年の夏の終わりに、撮影に行ってきました(^^)/
Img002
手前に夏草がかかってあまり出来のいい写真ではないのだが、特急「はまかぜ」です。
たくさんの「にわかテツ」?がケータイカメラも含めて、写真を撮っていました。なお、餘部駅には特急は止まりません。
このあたりは、山陰本線京都―出雲今市間の山陰本線ではもっとも遅い1912年に開通した区間であり、列車本数も少なく、行きにくいところであります。
Img001
海岸まで行って、普通列車が来るのを待つこと1時間(ぐらいだったカナ?)パシャcamera

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コメント

GOさん、ホントに鉄道だいすきですね。
動労千葉いこうかって選択はなかったのでしょうか、なんておもったりして。

HNの由来はもしかして、電車で”GO”かしらなんてさまざま憶測が頭をめぐるめぐるの山手線(^o^)

投稿: 薩摩長州 | 2008年12月10日 (水) 20時11分

動労千葉はともかく、土木屋さんでも鉄道会社trainという選択もあったとは思いますが(友人に鉄道会社や車両メーカーさん有り)なんとなく大学に残りたくて院試を受けたものの通らず(笑)急いで就職する必要から今の会社を急遽受けたら、受かっちゃった!のが真相です。いやーバブルの時代だったから、私のような者でも取ってくれまして、おかげでやりたいことと現実の仕事のギャップ?から、精神をちょっと病んでしまい、ずいぶん長く投薬を続けております。就職氷河期から今の学生まで、就職は本当に大変なことですね。内定取り消しなんという反労働者的な行為がまかりとおっているのですから。

投稿: GO | 2008年12月11日 (木) 00時38分

実は、86年の事故の2日くらい前、餘部鉄橋に某寮生とともに訪問していました。時折晴れ間が覗く風の強い日で、冗談で「落ちるんちゃうか」と言っていたら、あんな事故が置き、一同背中がぞぞっ、と。洒落にならない冗談になってしまいました。

あの頃は、旧型客車がまだまだ現役でしたね。

投稿: TAMO2 | 2008年12月14日 (日) 23時13分

はじめまして。
展望台の行方がきになりますね。
「余部橋りょう」が正式名称で、駅は「餘部」駅になります。
余部駅が既に存在するため、地名と異なる駅名になったそうですよ。

投稿: eden | 2010年11月16日 (火) 09時41分

edenさん、ご訪問およびコメントありがとうございます。
新しい橋梁も完成し、キハ181も引退してしまいました。キハ189が新しい橋を通過するのを、「展望台」からも見てみたいと思います。

投稿: あるみさん | 2010年11月17日 (水) 19時51分

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