またまた歌ネタ
歌ネタを書いたら、コメントが3つもついたので、もういっちょいくか(^^)(^^)/
「戦争反対」さんが紹介してくれた、「お山の杉の子」ですが、実は私のオカンが3番までよく歌っていたのを覚えている。オカンは国民学校1年・・・小学校1年生ですね・・・で敗戦を迎えたので、おそらく4番以降は「戦後民主主義」の中で教えられなかったのだろう。しかし、省略してそれでよし・・・というのもいかがなものか?
問題のある歌詞を歌わなくなった・・・というのは、卒業式では「君が代」以上にふさわしい「蛍の光」
もともと「蛍」の表題で、以下のような歌詞であった(北村さんの資料より)
1.ほたるのひかり、まどのゆき
書(ふみ)よむつき日、かさねつつ
いつしか年も、すぎのとを
あけてぞけさは、わかれゆく
2.とまるもゆくも、かぎりとて
かたみにおもう、ちよろずの
こころのはしを、ひとことに
さきくとばかり、うたうなり
3.つくしのきわみ、みちのおく
うみやまとおく、へだつとも
そのまごごろは、へだてなく
ひとつにつくせ、くにのため
4.千島のおくも、おきなわも
やしまのうちの、まもりなり
いたらんくにに、いさおしく
つとめよわがせ、つつがなく
だそうである。もちろん現在は2番までしか歌われていない。ちなみにこの歌は戦前、国定教科書にのったこともなければ、文部省唱歌でもない。そういう意味で「無批判」に使われているのが一番問題だろう。
ちなみに、4番の「千島のおくも、おきなわも~」の歌詞はどこかで読んだことがあるのだが、北村さんはここを「樺太も台湾も~」と歌った、さらに彼女よりも後輩の人で「アリューシャンとサイパン~」の組み合わせで歌った世代もあるそうだ。どっひゃ~「大東亜共栄圏万歳歌」じゃん!
元々中核派さんが指摘された「戦争犯罪について、日本人は余りにも鈍感で、徹底追及していないことが戦争責任が子孫に継承されていると思っております。」ということも、むべなるかな・・・
「汽車ポッポ」の作詞者「富原薫」氏についても、ちょっと調べてみますね。
あと、「言葉遊びできるのも、日本が平和で安全な証拠ですネ。」などとのたまう核武装論者さんへ、
2点でマチガイ・・・1.日本の平和と安全は、核武装なんぞすれば吹っ飛ぶこと(もしくはすご~く高い代償が必要、だから日帝は米の核の傘の下にありつづけざるをえない)2.平和で安全であろうがなかろうが、たくましい民衆は言葉遊びもつかって、権力者を批判するのじゃ~
以 上
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コメント
はじめまして。おもしろいのは文部省唱歌の「村の鍛冶屋」。これは大正元年に作られたときには、3番の歌詞が、
♪刀はうたねど、大鎌(おおがま)・小鎌(こがま)、
馬鍬(まぐわ)に作鍬(さくぐわ)、鋤(すき)よ、鉈(なた)よ。
平和のうち物休まずうちて
日毎に戦ふ、懶惰の敵と。
※懶惰(らんだ)というのは、自分のなまけ心のこと
という、農具のみを作る平和な村の鍛冶屋さんだったのが、戦時体制下になって、この3番が削られる。「刀をうたない」などという戦争協力拒否宣言は、抹殺されてしまったのだ。
ここに歌詞があります↓
http://www.d-score.com/ar/A02011423.html
投稿: かめ | 2009年2月 4日 (水) 22時51分
>たくましい民衆は
自身を評価しすぎ。なんにも、どこもたくましくないw
投稿: 核武装論者 | 2009年2月 5日 (木) 09時53分
かめさん、紹介ありがとうございます。「村の鍛冶屋」は平和のシンボルだったのですね。戦後も3番、4番は復活してませんね。
核武装論者さん、民衆の力を、なめてはいけません。そーゆーものが信じられないからこそ、ソ連や中国は核武装した・・・アメリカや日本の労働者階級の「反戦」を信じられない、彼らは核で死んで当然だ!という腐敗した態度がそうです。
民衆の蔑視と核兵器は、どっか宇宙の彼方にでも捨ててください。
投稿: GO | 2009年2月 5日 (木) 21時48分