汽車ポッポの歌
昨日の北村小夜さんの講演資料から・・・
みなさんもご存知の「汽車ポッポ」そう、「汽車汽車ポッポポッポ・・・ぼくらをのせて、シュッポシュッポシュッポッポ」ってヤツ。最近は汽車そのものが無くなって、あまり歌われることもないとか。
で、この歌、1943年制作時は、次のような歌詞、題名も「兵隊さんの汽車」というものだったそうだ。
きしゃきしゃポッポポッポ シュッポシュッポシュッポッポ
兵隊さんをのせて シュッポシュッポシュッポッポ
僕らも手に手に日の丸の 旗を振って送りましょう
万歳 万歳 万歳 兵隊さん 兵隊さん 万々歳
きしゃきしゃ来る来る シュッポシュッポシュッポッポ
兵隊さんをのせて シュッポシュッポシュッポッポ
窓からひらひら日の丸の 旗を振ってく兵隊さん
万歳 万歳 万歳 兵隊さん 兵隊さん 万々歳
きしゃきしゃ行く行く シュッポシュッポシュッポッポ
兵隊さんをのせて シュッポシュッポシュッポッポ
またまたひらひら日の丸の 旗が見えるよ汽車の窓
万歳 万歳 万歳 兵隊さん 兵隊さん 万々歳
なんだか書いている内に、なんてセンスのない歌詞なんだとあきれてしまったが(今の「鉄橋だ鉄橋だ・・・あるいはトンネルだトンネルだ楽しいな」のほうがず~っといいぞ)、この歌、1945年の12月に作詞者が歌詞を変えて、そのまま歌い継がれてきたものだそうだ。
しかしなぁ~この作詞者、詩を変える過程で、どのくらい自己の表現の重さ・・・表現活動をする者は、必ず持っているハズだ・・・について悩んだのであろうか?なにも考えず、時局にあわせてコウモリのように変えたのかもしれない。軽いぞ、悲しいぞ・・・
それはさておき・・・軍事輸送といえば、鉄道が効力を示した時代が長いこと続いたわけで、日本帝国主義もそのために朝鮮半島に鉄道を敷き、南満州鉄道から中国侵略を進めていったわけだ。もちろん、革命の側もそれを有効に利用した、そう、トロツキーの装甲列車だ。
まっぺんさんとこのトロツキーの赤軍歌で紹介されている文章から
赤軍装甲列車は戦闘部隊だけでなく映画設備、印刷機なども備えた革命宣伝部隊でもあった。トロツキーは軍事革命委員会議長として列車に乗り前線を駆けめぐり内戦を勝利にみちびいた。(柘植書房「トロツキー写真集」より)
う~む「日本革命」が起こっていたら、兵隊さんも「赤軍さん」になるのだろうか
あと革命と列車といえば、キューバ革命のときに、ゲバラらに破壊されたバチスタ側の装甲列車というのがある。サンタクララにその当時の列車がモニュメントとなって残っているそうな。今話題の映画「チェ28歳の革命」でも、装甲列車襲撃・焼き討ちのシーンがある。
では皆様、「汽車ポッポ赤軍バージョン」を作って、広めよう
一例・・・
きしゃきしゃポッポポッポ シュッポシュッポシュッポッポ
赤軍さんをのせて シュッポシュッポシュッポッポ
集会 暴動 ストライキ 赤旗振り振りやりましょう
デモ隊 前へ 進め 革命だ 革命だ 楽しいな~
↑
マル共連フォーラムへ転載可(笑)
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コメント
古いですが、これも有名ですね。考えさせられます。
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お山の杉の子
作詞:吉田 テフ子
補作詞:サトウ ハチロー
作曲:佐々木 すぐる
一、
むかしむかし そのむかし
椎の木林の すぐそばに
小さなお山が あったとさ あったとさ
丸々坊主の 禿山は
いつでもみんなの 笑いもの
これこれ杉の子 起きなさい
お日さまニコニコ 声かけた 声かけた
二、
一ィ二ゥ三ィ四ォ 五ィ六ゥ七ァ
八日九日 十日たち
ニョッキリ芽が出る 山の上 山の上
小さな杉の子 顔出して
はいはいお日さま 今日は
これを眺めた 椎の木は
アッハハのアッハハと 大笑い 大笑い
三、
こんなちび助 何になる
びっくり仰天 杉の子は
おもわずお首を ひっこめた ひっこめた
ひっこめながらも 考えた
なんの負けるか今に見ろ
大きくなって 国のため
お役に立って みせまする みせまする
四、
ラジオ体操 一二三
子どもは元気で 伸びてゆく
昔々の 禿山は 禿山は
今では立派な 杉山だ
誉れの家の 子のように
強く 大きく 逞ましく
椎の木見おろす 大杉だ 大杉だ
五、
大きな杉は 何になる
兵隊さんを 運ぶ船
傷痍の勇士の 寝るお家 寝るお家
本箱 お机 下駄 足駄
おいしいお弁当 食べる箸
鉛筆 筆入れ そのほかに
嬉しや まだまだ 役に立つ 役に立つ
六、
さあさ 負けるな 杉の木に
勇士の遺児なら なお強い
体を鍛え 頑張って 頑張って
今に立派な 兵隊さん
忠義孝行 ひとすじに
お日さま出る国 神の国
この日本を 守りましょう 守りましょう
昭和十九年十一月制定 国民合唱曲
投稿: 戦争反対 | 2009年2月 3日 (火) 09時34分
古関裕而って知ってはりますか。軍歌を盛りだくさん作って、戦後も早慶や巨人阪神の歌を作って、という人です(だから、「六甲おろし」は苦手です)。また吉本興業も、戦争協力の為に確か「笑わし隊」を派遣したと記憶しています(難波花月に看板あり)。戦争犯罪について、日本人は余りにも鈍感で、徹底追及していないことが戦争責任が子孫に継承されていると思っております。何も変わっていない事大主義ということでしょうか。
投稿: 元々中核派 | 2009年2月 3日 (火) 18時23分
言葉遊びできるのも、日本が平和で安全な証拠ですネ。
投稿: 核武装論者 | 2009年2月 4日 (水) 11時39分