北原派反対同盟のことをどう思っている(た)のか?
四トロ同窓会二次会に投稿したものです。
運動情報を何度か投稿させていただきましたが、まじめな投稿は今回が初めてです。私の立ち位置は、拙ブログhttp://tatakauarumi.cocolog-nifty.com/blog/cat32698269/index.htmlにもありますが、ここでの議論や草加さんの提起もふまえて、件の自己批判は不十分なもの、特に「第四インターへのテロ」だけを問題にして、そこに至るまでの党派のあり方・・・党と大衆の関係や恫喝政治も含め・・・が成されていないことについて、またこれが「少なからぬ影響」どころか、「多大な影響」を日本の左翼運動総体に与え、80年代の「敗北」を導き出してしまったのか?という視点が無いことは、全くそのとおりだと思っております。またこの「自己批判」は、なぜ現在の革共同中央派のようなものを生み出してしまったのか?という総括にも繋がるものですから、今後も大いに議論される必要があるし、されなければならないと考えております。
以上を踏まえたうえで、もう1ヶ月以上も前の投稿のことで誠に申し訳けないことなのですが、革共同再建準備協議会の皆様へと題する、影清さんの投稿について2点ほど質問があります。よろしくお願いします。
ここでの議論や新時代社の批評を読み、「一坪再共有化」の意義やどのように行われたかという点については理解いたしました。しかし、影清さんのおっしゃられる「反対同盟」の中で、この「一坪再共有化」に反対する人達もまた、存在したわけです。特にそれが、来る二期着工攻撃に真正面からさらされ、それゆえ二期着工攻撃の主体として立つ敷地内の同盟員にです。その部分が3・8分裂後の「北原派」反対同盟として立ち、現在も「農地死守」の闘いを続けております。当時の「一坪再共有化」および「熱田派」反対同盟のことを、現在の北原派反対同盟事務局次長の萩原進さんは昨年出版された「農地収奪を阻む」の中でも「しかも敷地内反対同盟がその方針に強く反対していたのに、強引に大地共有化委員会なるものをつくった。重大な反対が同盟内にあるにもかかわらず、一方的に強行した。事実上の分裂の強行だ。」(p92)と記述し、「脱落派」と規定しております。
そこで質問ですが
>「反対同盟の会議」の中で「反対同盟の農民」がこのように北原氏を批判し、そして解任したことは明らかです。反対同盟の役職を解任できるのは反対同盟の会議に決まっていますし、解任されたということは、反対同盟の多数の意志がそれを決定したということに他なりません。
と「反対同盟」の内部の民主的な手続きをもって「解任」されたハズの北原氏が、現在も「(北原派)反対同盟」を名乗っていること・・・は「僭称」ということになると思いますが、当時の「熱田派反対同盟」と支援はこのこと・・・ニセの「反対同盟」が存在すること・・・をどのように考えていたのでしょうか?
>また、同盟と支援との関係は、なんでも同盟の指令によって闘争方針が決められるのではなく、同盟の力が及ばない範囲ではむしろ支援側が積極的にそれをおぎなって独自の運動を展開することもあります。
とありますが、先に引用した萩原さんの言葉を見るまでも無く、敷地内に強固に「この方針はやめて欲しい」という人達が居る中、「反対運動のために良かれ」と思って推進したとしても、それは「多数の横暴(再共有化がいいという同盟員が多数いたとしてもです)」であり、結局は同盟の分裂に繋がるのではなかったのか、この2点です。
私は特に後者について、インター系の人達がどのように考えていたのかが知りたいと思います。もちろん、「一坪再共有化」に強い反対があるからと言って、中核派の行った恫喝政治やテロが許されるわけでは決してありません。しかし第四インターを「反革命規定」してせん滅戦の対象としたことは誤りであったが、彼らの行ったことは「反革命的行為」で許されない!という一線は、再建協議会が現在も北原派反対同盟を支援し、共闘していく立場を取っていることも含め、認められないことだと思います。
本当はもっと早く議論に参加すべきであったのでしょうが、雑文ばかり書くことをしたりしてこのような離れたところでの質問となってしまい、申し訳けありません。また、長文をお許し下さい。
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コメント
二次会において、草加さんとまっぺんさんから、丁寧な回答を頂いております。
http://6305.teacup.com/mappen/bbs/5952
http://6305.teacup.com/mappen/bbs/5954
http://6305.teacup.com/mappen/bbs/5958
この問題に関心のある方、心を痛めておられる方、何なんだコノヤローと思っておられる方、どうぞ2次会に行ってみてきてください。
投稿: GO | 2009年3月 1日 (日) 21時45分
関西派は、第4インターを反革命だと規定しています。それは替えていないと思います。問題は、革命軍が、殲滅すると言うやり方に、問題があると言っていると思います。
一斉武装蜂起に向かっての考え方で、革命軍だけで蜂起するわけではないと言う考えでしょう。革命軍は核ではあるが、全部ではない。労働者人民が、武装蜂起することを考えている。
だから、第4インターのような反革命については、誰もが粉砕する殲滅する闘いを巻き起こすことが必要だった。それを、革命軍が代行した。これは、結局は、一斉武装蜂起への道を阻害したと言うことでしょう。
投稿: 一斉武装蜂起 | 2009年3月 2日 (月) 19時51分
一斉武装蜂起さん>
> 関西派は、第4インターを反革命だと規定しています。
> それは替えていないと思います
実はそのへん、かなり曖昧ではないでしょうか。読む人の先入観でどちらにも読めてしまう感じです。そのあたりのニュアンスで中核(本部派)、インター(かけはし派)のどちらからも突っ込まれてしまう。
で、それはわざと曖昧にしている(せざるを得ない)ような気が。実際には関西派内部で温度差があって、「とりあえずテロったことだけ謝っておこう」というのが、現実的な落としどころだったんではないでしょうか。
当時の革命軍の主張の「引用」と、「意見の違いを反革命とまで規定してしまった」とか「それはスターリン的な粛清政治だった」という総括は、実際にはかなり矛盾しています。インターへの反革命規定を撤回すれば論理的にはすっきりするのですが、それは明言まではしていない。しかし事実上撤回したという読み方もできますし、実際にはそう読むほうが素直な気がします。
もし、反革命規定を撤回していないと読むとすれば、これがカクマル戦争の総括であれば、私は100点満点だと思うのですが。
投稿: 草加耕助 | 2009年3月 3日 (火) 10時26分