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3・8分裂とは何だったのか?(上)

三里塚の反対同盟(北原派)の出した本は3冊あって
「増補版 大地をうてば響きあり 十八年目の三里塚 三里塚芝山連合空港反対同盟編著 社会評論社(1984年9月15日初版第一刷発行)」「大地の乱成田闘争 三里塚反対同盟事務局長の30年 
北原鉱治著 御茶の水書房(1996年5月26日第一刷発行)」そして「農地収奪を阻む 三里塚農民怒りの43年 萩原進著 編集工房朔(2008年10月30日第一版第一刷発行)」である。四トロ二次会に投稿したり、まっぺんさんや草加さんからお返事をいただいたりしたので、もう一度これらの本を読み返してみた。特に一番最初の「大地をうてば・・・」は3・8分裂の直後ということで、北原派が「中核に踊らされている。」だとか様々な中傷をはね返すべく、同盟員から原稿や肉声のテープを集め、同盟事務局三名の編集委員の手によって作られたものであり、分裂当時の同盟の考え方がよく分る。この本を読んで「北原派支持」を考えた人も少なくないのではないだろうか。
 分裂は「一坪再共有」をめぐる路線対立という形で噴出したが、一期工事完成・開港後の二期工事地着工をめぐる、政府の切り崩し・「話し合い攻撃」とそれにどう対抗するのか?ということが問題になっていたのであり、同盟幹部の様々な裏切り行為や、話し合い策動なんかがあった。特に敷地内と敷地外を分断する「成田用水」攻撃・・・反対同盟の最強の拠点であった菱田地区に、二期完成後は騒音直下で廃村になるだろうからと最初は計画されていなかった用水事業を取り込み、国庫補助75%を20%も増額するという、買収攻撃・・・に対してどう対応するのかということだ。同盟員の中にも、3・26管制塔占拠をはじめとする激しい闘争をやったにもかかわらず、開港され二期工事も始まるかもしれない。東峰十字路の裁判もある。闘争が長期化して、これから農業をどうやっていくのか、生活をどうやっていくのか様々な不安があって、動揺が生じていた。
そこに同盟の幹部が、まだまだ闘うぞ~の旗を降ろしていないにも係らず、政府の話し合い策動に乗る、成田用水に乗る・・・などとやっていては、同盟員も支援もたまったもんではない。79年の青年行動隊幹部島寛征らの政府要人たちとの会談、81年夏以降の反対同盟委員長代行の石橋政次への工作、82年夏を頂点とする成田用水問題と石井英裕による策動が繰り広げられた。しかも同盟幹部の中には、これらの「裏切り行為」を完全に処分することをためらう部分も存在した。これでは二期着工を前に、「農地死守・空港絶対反対」を掲げて闘い続けることはできない。これらの部分の中に、青年行動隊幹部の石井新二らがいて、彼らが進めたのが「一坪再共有化」だった。しかもこれを行うことで闘争資金を集めよう!ということにしていたようだ。「大地をうてば・・・」で三浦五郎さん(残念なことに三浦さんは今年の1月14日に逝去された。合掌)の証言の中で
ところが学区の集会なんかで秋葉哲なんかの話を聞いていると、闘争資金がなければ闘えないって言うんですよ。「そのために一坪共有者の人数をふやすとともに、一口一万円、一坪10口で買ってもらう、そして現在ある二十三ヶ所の土地を処分すれば一億五千万円ぐらいになる、登記料や一切の経費をだいたい三千万とふんでも、1億二千万円ぐらいになる、それによって裁判闘争から一切の闘いをやっていくんだ」と言うんです。なるほど、莫大な金額だ。用地の名義を複雑にして収用を難しくするとともに、闘争資金も集まる、いいじゃないか・・・と皆さんも思うだろう。ただ、土地収用法下の強制代執行では、用地の名義を複雑にしてもあまり意味はないらしい。71年の代執行でも真っ先に取られたのが一坪共有地だったそうだ。鉄塔の共有化というのもあったらしいが、「そんなの関係ねぇ」と倒されてしまった・・・
そうすると「土地を売って金を得る」ということだけが残ってしまう。それも反対同盟の路線を変えようとしている石井新二らによってだ。「大地をうてば・・・」p175より引用
空港反対と農地死守の否定、用地内農民の切り捨て、ここに一坪再共有化運動の核心がある。
しかし、一坪再共有化の運動そのものは、反対同盟の正式な方針にはならなかった。
一坪再共有化運動そのものは、82年11月30日の実役でも、12月16日の実役でも、用地内農民らの激しい反対の中で同盟決定を得るに至らなかった。ところが、石井新二らは同盟内民主主義を完全に踏みにじって、83年1月9日の同盟旗開きで『一坪再共有化運動取り組みのお願い』なる文書を一方的に配布、これが1・27実役で再度厳しく批判されるや、2月12日、突如として「反対同盟大地共有委員会」なるものをデッチ上げ、全国にむけて、一坪共有地の再共有化募集なるものを開始した。
上記文章がどこまで「中核派の主張そのまま」(草加さん)かどうかは、今となっては不明だし、私にも分らん。
3・8分裂で出て行った反対同盟(熱田派)が、本当に真っ向から政府・権力に向かって立ち向かうことができるのか?闘うことをあいまいにし続けた上、路線を転換した人達・・・特に幹部と呼ばれる人たちは、真っ向から闘うぞ!と主張している反対同盟(北原派)から「運動から脱落した」と決め付けられてもしかたがなかったのではないだろうか。たとえ彼らを支援する人達が、まだまだ「反対同盟ガンバレ、我々も闘うぞ!」と言っていても・・・(続く)

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コメント

暇ですなぁ、ホントに。日本で生活できるありがたみを痛感しますねw

投稿: 核武装論者 | 2009年3月12日 (木) 08時42分

断固北原派支持!!

投稿: KW | 2009年3月12日 (木) 09時05分

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