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3・8分裂とは何だったのか?(下)

とにかく2つの「反対同盟」が存在することになり、両者とも支援も含め、「わがほうを支持して欲しい。」と思うし、そう行動するのは当然である。様々な宣伝や対抗もなされるであろう。ここではっきりさせておきたいのは、中核派はそのやり方を、「おおいに誤った!」ということだ。
「大地をうてば響きあり・・・」の中で、戸村澄江さん(戸村一作さんのつれあい)は
私はね、いろいろの考えの人が集まって、いろいろの闘争のやり方で、いろいろやった方が三里塚闘争はいいんじゃないかと思うんだけど。ところが私、反対同盟を離れていった人に聞いたんですよ、青行の人に。そうしたらね、そうじゃないって。再共有化なんてのはなんでもないんだって。ただ中核が出て行きさえばいいんだって言うんですよね。だから私、なんでって聞いたら、「そうだよ戸村さん、わかんねぇのか、なにかやれば、すぐどうのこうのと激しい勢いでやらかすべぇ、あれがいやなんだ」って言うの。結局、石橋さんのこととか、同盟のことについて、中核があまり厳しくやりすぎるってことでしょ。
この、「中核が激しい勢いでやらかす」の中に、石橋などの「裏切った」者に対する激しい怒りも含め、それを糾弾したことなのであろう、しかし四トロ2次会掲示板の中にあったように(今、レッドモール党になぜかアクセスできないので、引用等不能)一坪再共有に賛同した者に対して、家に押しかけ夜遅くまで「イデオロギー論争」を挑むようなやり方をもさしているのであれば、その戦術はどうか?相手は正しい路線を「誤解している」人たちなのであり(確信犯的な人間もいたかもしれないが・・・)もう少し「やり方」というものがあったのではないか?正しい方針・路線であるのならなおさら、正々堂々と支持を訴えればいいのだ。
そしてその「やり方」は、3・8分裂後、学園をはじめ全国の様々な戦線に持ち込まれる。草加さんのブログにこんな記事がある。
「某大学」としておきますが、中核派のいわゆる外人部隊が情宣にやってきました。分裂直後のことです。で、その大学に在籍していた私達と行動を共にする仲間の一人が、ビラをまいていた中核派の学生の一人に「三里塚が分裂するのは良くないのではないか」と話しかけたわけです。すると中核派の学生達はどうしたと思います?
彼らは討論することも話し合うこともなく、いきなり校舎内の廊下に大勢でこの仲間を拉致し、防火扉を閉めて監禁した上、数名で数時間にわたる暴行を加えました。密室で大勢から暴行を加えられて怪我をし、正常な判断能力がなくなったところで、解放の条件として「熱田派が裏切り者だとは知らなかった。今後いっさい学内で活動しない」という「自己批判文」を書かせて署名させたのです。
彼は「自己批判」を書いて(書かされて)しまったという負い目と恐怖から、このことをしばらく黙っていましたが、顔にいくつも殴られたとおぼしき怪我をしていることを強く問いただしたところ、やっと事実を話してくれました。それほどの恐怖だったわけです。
はっきり言って「たかがこの程度のこと」、分裂当時の学生戦線では、さして珍しいことではなかったです。それはインターと同じ大学で活動していた、当時の学生なら知っているはずです。とりわけインターへのテロが「解禁」されてからは、インターの活動家が学内を歩いている所を発見されるだけで、徹底的にマークし、暴行を加えられ、学内ではいっさい活動ができないように暴力をもって排除され、中核派系以外のいっさいの運動はパージされました。うちの大学に来た外人部隊は、同じ北原派系の解放派(狭間)とさえ、「お前らは学内から出て行け」とつかみ合いの喧嘩をしていました。こんなんで、運動が発展するとも思えませんし、そんな運動に人民が自己の未来を託するとも思えません。

このとおりの惨状である。もう何も言うまい。きちんとオルグすれば北原派を支持し、いっしょに活動してくれたかもしれない人に、とんでもない酷いことをしてしまっている。もう革命理論も運動方針の正しさもへったくれもない。誰もが>こんなんで、運動が発展するとも思えませんし、そんな運動に人民が自己の未来を託するとも思え なかったのではないだろうか?これが「第4インターへの反革命規定」の内実である。何でこんなムチャクチャが通ってしまったのか?
大衆人民との関係の中で、あるいは運動や革命が進展する中で、裏切りや日和見など、様々な分岐が生まれるのは、長い闘いの歴史を見ても明らかである。じゃあ、どうすればいいのか?暴力(ゲバルト)を一切封じてしまうという「方法論」もあるかもしれない。だが階級闘争というのは、どのように動くか分らないもので、それが爆発する過程で暴力をあらかじめ封じておくことなぞ、できはしない。
先日紹介した「展望」第4号の塩川論文「革共同の再生・奪還のために」の中に、3全総でいう「交通形態」すなわち党と階級(大衆・人民)との生き生きとした結びつき、「階級・大衆との生きた交通(展望第四号p67)」のことが書かれている。党内外からの批判・批評の自由・・・すなわち徹底した民主主義・・・まあDemocracyを○○主義と訳したところはすごく問題で、ブルジョワ思想で乗り越えられるべきもののように感じてしまった日本の左翼運動の弱点かもしれない。「民主的やり方・作風」という意味が通じるような訳語はないのだろうか・・・が必要であったのだ。
「階級・大衆との生きた交通」があれば、運動・方針・路線に誤りが発生したとしても、それを正すことが出来たのではないだろうか。三里塚の分裂に際して言えば「熱田派を支持する人たちを、反革命よばわりしていいのだろうか?」「第4インターの活動家をテロっていいのだろうか?」「大学から我が党派に批判的な者を恫喝してたたき出していいのだろうか?」これらの党の方針や行動が、常に「階級・大衆」から試される。誤れば批判をうける、それを謙虚に受け止め、それでも断固として、進むところは進む・・・この「生きた交通」を遮断してよしという姿勢・思想が、反スターリン主義を掲げる党自らの、「スターリン主義」を生み出したのではないだろうか。
ずいぶん「ありきたり」の結論になってしまった。草加さんのブログには運動内の矛盾をゲバルトで解決する、いわゆる「内ゲバ」についての深い考察をした記事なんかがあって(しかも2006年、3年も前のお話である)私なんぞがいくら考えても、こんなもんしか書けない・・・あ~いやだ、書いていて恥ずかしくなる・・・でも、恥をしのんで、いや恥かきながら、進むのじゃ~前進!

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コメント

>いや~恥をしのんで書くのじゃ、前進…

それがあなたの良い所です。


投稿: KW | 2009年3月17日 (火) 02時09分

訂正

恥をしのんで前進するのだ…でしたっけ?

大変失礼致しました。

投稿: KW | 2009年3月17日 (火) 02時12分

いや、どちらでもいいんですよ。
間違いは間違い、あかんことはあかん・・・
それが私の「恥」であっても、かっこ悪いことであっても、エエんですわ・・・
そんなこと言っている場合では、ないんでしょ!

投稿: GO | 2009年3月18日 (水) 00時24分

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とりあえず報告(紹介)だけで申し訳ない・・・。3/23(月)夜7時から、古川橋のルミエールホール3階で「最高裁の戸田議員クビ切り決定糾弾、緊急報告集会」(仮題)をやります。 ... [続きを読む]

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