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2009年5月

扇風機を出す闘争

風呂上り、汗が引かないと、寝られません(^^)
ということで、扇風機出動typhoon
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押入れから箱を取り出し、おもむろに組み立てます。
ちなみに、この扇風機は二代目、一代目はなぜか羽を押さえるネジの部分がぶっ壊れて、オシャカに・・・
昔は独身寮の部屋に、エアコンなぞ、無かった、だが、日本の夏は、暑いんじゃ~sunsunsun扇風機は、必需品でしたね。
エアコンは、寮の食堂にのみ、完備・・・寝苦しい夜は部屋を抜け出し、みんなで食堂で「ぐてぇ~」となっていたもんだ(^^)(^^);;;
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完成sign03
涼し~いhappy01

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何か疲れた~

最近、お休みの日はお昼まで寝ていることが多いのだが、今週は特に、朝起きるのがしんどい、会社行きたくね~coldsweats01
天気も悪いし、仕事ヒマだし~なんか疲れた~

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サンクトペテルブルク、センナヤ広場付近で見かけた、ジャパニーメーションチックな看板・・・
KИНOとは、映画のこと、CD・DVDショップのようです(^^)(^^)//

早く寝ようdownsleepy

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法大弾圧救援会よりお手紙

法大弾圧救援会より封筒が届いていた。中を確認し、法政大学文化連盟ブログ更新が止まっていることをかんがみ、中身の一部を転載・・・

各位  救援活動への日頃よりのカンパおよび暖かいご支援に、心より感謝申し上げます。 2009年5月24日 法大弾圧救援会 東京都港区新橋2-8-16 石田ビル4階 救援連絡センター気付 電話・FAX 050-3036-6464(呼) Eメール houdaikyuenkaiあっとyahoo.co.jp

日頃からご支援。カンパのご協力をいただいております皆様方には深く感謝を申し上げます。

先日獄中20学生の奪還の報告をさせていただきましたが、この奪還も、法大当局・公安警察の妨害、そして、保釈金について学生一人あたり200万円を要求するなど、裁判官も一体となっての大弾圧に対して、全国からの皆様からの集会参加・署名・カンパなどさまざまな形での支援で勝ちとったものです。このご支援に対して、言葉にならないほどの感激をいたしております。

先日4・24法大解放集会は、1500人の成功で、みなさまからのご支援にお答えすることができました。この集会の成功、法大生の決起に対して恐怖した法大当局・警察権力は、当日、文化連盟の恩田君・倉岡さん含む6名を逮捕、続く5月15~16日に「暴力行為等処罰法(暴処法)」で文化連盟委員長・斉藤君や、5月12日に麹町署への抗議デモで不当逮捕されていた全学連・織田委員長をはじめ、計12名を逮捕しました。この戦前型の新たな大弾圧への踏み込みを絶対に許すことができません。5月22日には緊急抗議集会を開催し、420人の結集でもって反撃を開始しました。

現在、獄中の12人の仲間は全員が完全黙秘のもと、公安警察に対して闘っております。「暴処法」なんかでは1ミリもひるまない。それどころか、さらに一段と闘いへの熱意を燃やし、意気軒昂と闘っております。

あらためてお願い申しあげます。この「暴処法」弾圧による12人の仲間の一斉逮捕をともにはね返そうではありませんか!この弾圧をはね返した先に、もはや敵にできることはありません。全力で勝利しましょう!あらためまして、御礼申し上げるとともに、今後とも多大なご協力をよろしくお願い申し上げます。

もひとつ・・・

「暴力行為等処罰法」で文化連盟つぶし!12人の仲間の即時釈放を求めます!
警視庁・公安部は5月15日に「暴力行為等処罰に関する法律」で文化連盟委員長・斉藤郁真君(法2)ら7人を不当逮捕した。また、4月24日の法大解放集会で「東京都公安条例違反」で逮捕されていた文化連盟副委員長の恩田亮君(文3)、全学連副委員長の倉岡雅美さん(人環3)を、罪名を「威力業務妨害」「建造物侵入」に切り替えて起訴し、「暴処法」で再逮捕した。さらに、5月12日の麹町署抗議デモで不当逮捕されていた全学連・織田陽介委員長も、同法で逮捕した。
16日には、沖縄現地闘争に参加していた文化連盟・洞口朋子さん(経済1)を、逮捕令状すら示さず「暴処法」で、18日には全学連書記長・冨山小太郎君(京都大)を4・24法大集会の件ででっち上げ逮捕した。
12人の学友は100%無実だ。ビラまき、集会、立て看板などあらゆる学生の表現の自由を奪い、逮捕と処分で団結と誇りを踏みにじってきた監獄大学=法政に対する抗議の闘いこそ正義だ。
しかも警察権力は、「暴処法」という労働運動弾圧のための組織破壊法を学生運動に初めて適用してきた。4・24法大集会が、法大当局の暴力支配をうち破って1500人の法大生の決起でもって大爆発したことに、支配階級は、新自由主義大学を粉砕し、資本の支配の鎖を引きちぎる革命の火柱を見たのだ。
今こそ、法大生、全国学生・労働者の怒りを叩きつける時だ!12人の仲間の即時釈放を求めます。

で、氏名・住所・電話・メールという形で、署名覧がある。
呼びかけ:法政大学文化連盟 3・14法大弾圧を許さない法大生の会 5・28~29法大弾圧救援会
署名集約先:郵送 東京都港区新橋2-8-16石田ビル4階 救援連絡センター気付
 FAX 050-3036-6464 メール houdaikyuenkaiあっとyahoo.co.jp
となっている・・・

オマケ・・・6月14日(日)に「国鉄1047名解雇撤回!改憲阻止!麻生政権打倒!6・14全国労働者総決起集会」が東京・代々木公園B地区(けやき並木)で13時開会
15日(月)には「法大学生弾圧粉砕!6・15反弾圧全国労学総決起集会」が法大・市ヶ谷キャンパス正門前であるそうな・・・

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ロシアのメトロ

モスクワにもピーテルにも、地下鉄(メトロ)があります。どちらも地下深~い位置を走っており、延々と長~いエスカレーターに乗車しないと、乗れません。エスカレーターで急ぐ人は、ほとんどいません。中にはキスしたり抱きあったりしている連中もheart02います。それはさておき・・・
まず、運賃ですが、基本的に均一運賃です。モスクワでは22ルーブル(70円)ピーテルでは18ルーブル(57円)です。大阪市営地下鉄の「初乗り」200円に比べたら、なんと安いことかsign01
ロシアの街中で昼飯を食べる場合、まあ店にもよりますが、1食300~400ルーブル(960~1280円)程度・・・安くしようとすると、もっと安くできます・・・、これだと大阪ではそこそこのもんが食べられます。昼食の物価水準が、ロシアで少し高いとしても、公共交通機関の安いこと・・・やっぱ都市交通って、こうでないといかんでしょ(^^)/
窓口に行って運賃を払い、ジェトン(コイン)をもらって、それを自動改札に投入、緑のサインが付いたら、そのまま進みます。モスクワでは改札のバーはありませんが、ピーテルではバーを「よっこらしょ」と押して中に入ります。
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回数券もあります。これがモスクワのもの。10回券で7日有効、200ルーブル(640円)なんかかっこいいデザインです。
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ピーテルのメトロの回数券、モスクワは磁気カードなのに対し、ICカードです。JRのSuicaやICOKAのように、別途チャージが出来ます。10回券で170ルーブル(540円)

まあ、安いんですが、時々改札機をさっそうとsign02飛び越えて不正乗車をするフトドキ者もおります。
光量不足のため、写真でお見せすることができないのですが、駅内部はなかなか頑丈なつくりで、装飾も立派です(^^)(^^)//
エレベーターの下にはブースがあって、地下鉄職員(だと思う)がモニターを見て監視しています。また、運賃も自動券売機ではなく、人が直接窓口でジェトン・回数券を売っていること、さらには駅の建物内には、バス停と同じように、小さなキオスクがいっぱいあって人の目が行き届いていることもあり、治安も良く、安心して使えます(^^)(^^)(^^)///
日本の地下鉄にも劣らないくらい、大勢の人をさばいていて、それでも「人がいっぱいかかわっている」感があるというのがいいですね。日本じゃ「合理化、合理化」で鉄道システムも極限まで人を切り詰め、夜行列車のような、人手ばかり食う鉄道は、すたれるばかり。じゃ~合理化しつくした大阪地下鉄システムが万々歳かというと、さにあらず・・・
安全という点では、ピーテルの一部の駅には、ホームドアもありましたよ。鉄製の頑丈なヤツがsubway駅に着いてもホームは見えず、扉が開いて、ホームドアがガラガラと開いて、やっとホームとご対面!

あと、注意・・・進行方向どちらに向かっているのか迷うことがありますので、やはりロシア語は読めたほうがよいでしょう。駅の看板は小さくて、読みづらいです。ただ、乗り換えは東京や大阪と同様、ラインカラーを目印に案内どおり歩いてゆけばOK
地下鉄の駅は、日本のように通りのあちこちから侵入するのではなく、それ専用の建物があります。
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これはモスクワ、パルチザンスカヤ駅の建物内にある(多分)パルチザンの像・・・です。

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憲法第9条改定を許さない6・14全国集会

「9条改憲阻止の会」から、憲法9条改憲を許さない6・14全国集会が呼びかけられた。全力を挙げて、結集しようsign01

◆6月14日(日曜)午後1時~午後4時
 午後4時半 デモ出発
◆東京・社会文化会館 三宅坂ホール
◆主な講演・発言
 ○憲法9条改定と国民投票への問題提起
  伊藤成彦(中央大学名誉教授)
 ○沖縄から
  知花昌一読谷村議員
 ○派遣村から
  安倍誠 全国ユニオン事務局長
 ○日の丸・君が代強制と闘う教育現場から
  根津君子・増田都子
◆主催・連絡先:集会実行委員会
  東京都新宿区四谷4-23
  第1富士川ビル302気付

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北緯68度58分の塔

一転してトロリーバスで南下し、北緯68度58分の塔まで行くことにしました。
中心街まで出て、6系統のトロリーバスに乗り換えます。「歩き方」では「駅から106、106K番のバスかマルシュルートカでファデーエフ・ルチェイ下車」とあるのですが、6系統のトロリーバスでもそこに行けます。
メインストリートを南下し、小さな湖の横(なんとなく釧路の春採湖を思わせますが、春採湖よりもずっと規模は小さい)を通って、市街地の中をアップダウンし、南へ・・・メインストリートの三叉路を左に曲がってすぐに、ファデーエフ・ルチェイのトロリーバスのバス停があります。三叉路を右に行くと、路線バス・マルシュルートカの停留所です。
バス停から来た道を三叉路の所までバックし、スーパーの横を歩くこと10分程
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見えてきました(^^)
この塔、公園のようなところにあるのかな?と思っていたら、道の真ん中のロータリーのところにありました。信号も横断歩道も無い所を、横断しなければなりません。車に気をつけましょうcar
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道路横には、こ~んなモノもあります(^^)(^^)
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記念撮影heart01
塔の南側から、コーリャ市になります。
あまり面白いところではないので、退却~
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ムールマンスクの生コン屋さんです(^^)

おまけ・・・
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ムールマンスクの、レーニンたん

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さらに北へ向かう闘争(訂正あり)

日本の鉄道事業法では、トロリーバスも鉄道扱いなので、「鉄道」で行ける最北を目指しますtrain
ムールマンスクの地図を250ルーブル(800円)で購入、バス・トロリーバスの路線図が入っていましたので、それに従うと・・・
アリョーシャ君の居るガガーリン通りバス停から、4もしくは2系統のトロリーバスに乗車すれば、最北の地に行けます。(^^)
4系統のトロリーバスは、けっこう便利な頻度でやって来ます。いつもどおり、おばちゃんに11ルーブル(35円)を払って乗車、しばらく走ると、交差点をぐるっと回って折り返す形で、終点sign01イベチェンコ通り(訂正・・・終点はイベチェンコ通りではなく、ラボバ(лабова)でした。)
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なんの変哲も無いバス停ですが・・・
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こんな感じで、ロータリーがあります。ただ、しばらく見ていたのですが、このロータリーに入ってくるトロリーバスはほとんどありません(^^;;
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カシャカシャと写真を撮りまして・・・
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バス停のところのキオスクで、記念撮影です。「我々は最北に到達し、勝利したぞ~sign02
なお、路線バスはさらに北にのびてますので、公共交通最北を目指す人は、さらにがんばって下さいeye

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アリョーシャ君のようにでっかく生きる闘争

ムールマンスク市の北側に、緑の岬というところがあり、そこに高さ42.5m(ウルトラマンよりでかいhappy01)の兵士の像がある。
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街の中からも、こ~んな感じで見ることができます。「歩き方」によると、第二次世界大戦で戦死した兵士の功績をたたえるべく、1972年に作られたもので、市民が愛情をこめて(?)アリョーシャと呼んでいるそうだ。
この、アリョーシャ君のところに行きました(^^)/
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トロリーバスに乗車して、ガガーリン通りで下車。バス停にはお店があります。公園のほうに歩いてゆきます。
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看板がありまして・・・
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アリョーシャ君が間近に見えてきました。
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記念碑や高射砲なんかがあります。
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ムールマンスクの港・・・細長い海にそって広がった街は、どこか長崎に似ています。ただ、街の雰囲気は、北にあることもあり、釧路に近いかな。
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とにかく、でっかいですわ(^^)(^^)//
独ソ戦の英雄をたたえるようなものも見られますが、アリョーシャ君の前には、鎮魂のためでしょうか、火が燃えています。
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ソ連兵のみ!なんてけちな考えはおこさず、第二次世界大戦で犠牲になった、アジア太平洋地域も含む全ての人々に対して、しばし黙祷・・・・・・・・・・・・・・・
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で、記念撮影です・・・あるみさんも、大きくなりたいなheart04
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実際の大きさ比は、こんなんです(^^)(^^)(^^;;;
天気も良くなかったので、公園にはほとんど人は来ませんでした。ジョギングをするおじさんがいました。
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では、ダスビダーニヤenter

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法大弾圧は新たな段階を迎えた!(追記あり)

アッテンボローさんのブログに行ったら、こんな記事が・・・
転載 法大学生活動家 根こそぎ逮捕!だそうだ。

★ 4月24日に恩田さん・倉岡さんら6名の学生が逮捕されたと思ったら、
★ 5月12日には全学連の織田陽介委員長、
★ 5月15日には「法政大学文化連盟」の斉藤委員長ら数名、
★ 5月16日には同じく文連の洞口さんが逮捕されてしまった。
一体何人逮捕すれば気が済むんだ??

文化連盟のブログ
【速報】斉藤委員長逮捕!!そんなバナナ・・・
罪状は暴力行為等処罰法とのこと・・・
続報 洞口逮捕!
手短に続報

ひぇ~なりふりかまわぬ、弾圧だsign03許せん!
とりあえず我がブログにメモ・・・

アッテンボローさんとこについてるコメントを保存・・・

中央派は、学生運動の(労働運動も!)確固たる戦略を持ち合わせていない。他大学から活動家を入学させたり、労働者を通信教育部に入学させたりしてはいるが、正門外で騒ぎを起こしては、学生を逮捕されるパターンの繰り返し!大学の奥深く潜入させて、同調者を獲得しようと言う発想がそもそもない。かと言って最後の拠点校である法大を放棄するつもりもサラサラない。これからも貴重な労働者と学生をつぎ込んで、ダラダラと犠牲者を生み出して、中央派学生運動を自然死させようとしている。その時の言い訳の為に数少ない労働者と学生を法大につぎ込んでいる。中央派に何の展望もない。対カクマル戦の当初、東は法大、西は大阪市大として、他大学を総て放棄して東西の拠点校を死守した本多書記長がこんにちの中央派の学生運動の惨状を目の当たりにしたら、何と言うだろうその意味でも中央派は本多書記長を裏切っている。かつて大学戦争に参加したものとしても、法大学生運動の終焉は残念であり、悔しい。法大学生運動を文字通り命懸けでカクマルから守り抜いた前迫同志……。

投稿: 革共同反中央派 | 2009年5月19日 (火) 19時32分


私のコメント
いつの間にか権力も一線を越えてつぶしにかかってきたようですね。革共同反中央派さんの訴える、中央派の指導のいい加減さにはホント、何を考えているのかといわざるを得ないのですが、それでも文化連盟を初めとする学生達を支持しないわけにはいきますまい。彼らと最後まで連帯したいと思います。

投稿: GO@あるみさん | 2009年5月20日 (水) 00時02分

とりあえずpunch

20日23時ごろ、コメント欄より追記・・・
>学生達を支持しないわけにはいきますまい。彼らと最後まで連帯したい。

これはおかしい。
弾圧反対は、わかる。だけど、右翼と共闘する学生支持!連帯!は、だめだ。そこまでは、当然だろう。
「右翼との共闘」は、ますます進むだろう。あちこちで、問題になるだろう。キチンとしないとだめだ。右翼とは、権力の手先でもあるからだ。弾圧を引き込んでおいて、弾圧反対!は、茶番になる。ウソになる。

投稿: 労組員 | 2009年5月20日 (水) 08時24分

社民主要打撃論紛いの「体制内労働運動粉砕」に、のめり込む一方で、右翼と名前を並べて賛同ですか!?中央派は、30年代血の教訓を、忘れてしまったのでしょうか?!

投稿: α | 2009年5月20日 (水) 21時44分

労組員さん、拙ブログをマル共連に紹介いただきありがとうございます。その上で、「右翼」との共闘問題についてですが、はっきりいいますと対弾圧、あるいは言論や表現の自由に対してかけられている攻撃に対して、どこまで真面目な「右翼」と共闘できるか?ということですね。ここで鈴木邦夫氏などは、10年以上も前からむしろ「リベラル」です。で、過去に右翼活動そのもので彼も「弾圧」を受けたりしている。権力の手先かどうか、「弾圧」を引き込むのかは、個々のケースで判断しなくてはならない。また、「外山恒一」なんてシャレ・ネタで「ファシスト」を名乗っている人でしょう。選挙で「政府転覆」を呼びかけるぐらいですからね。大衆組織としての文化連盟がこのぐらいのおおらかさで「共闘」を進めていくこと・・・コメント欄に来た「やばっている人」も「国粋系のブログ(おそらく過去に私も見ていたと思うぞ)」からこのことを知って、憤っているわけですから、「真面目な右翼」や鈴木邦夫ぐらいの人ならば、全然OKでしょ。

投稿: GO@あるみさん | 2009年5月20日 (水) 22時45分

で、鈴木邦夫について追記すると、教育基本法改悪反対闘争の時に、前進紙上で日教組の森越委員長が鈴木邦夫と対談したことを「批判」してましたよね。「右翼に頭を下げた」だなんて、オイオイさっきも書いたとおり、鈴木邦夫なんてちゃんとした教師から見たら、ほとんどリベラル言論人なんだから、自ら虚像を作ってそれを叩く、わら人形叩きにしかならなかったでしょ。私も「なんじゃこりゃ(笑)」って思ったもん。
まあ、あの当時も「森越はクビ」論などを展開した、いかに教基法闘争を盛り上げるのに役に立たなかった「前進」でしたがね(^^)
法大の学生達に対する批判は「右翼と共闘」なんぞよりも、大学内の労働者と共闘できないところのほうがより本質的かつ現在の「世界恐慌」情勢では致命的な欠陥でしょう。だがそんな欠陥だらけの学生たちであるからこそ「最後まで連帯」を掲げていたいものです。個人的にね。
投稿: GO@あるみさん | 2009年5月20日 (水) 22時57分


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これでいいでしょ

新型インフルエンザの感染者が、兵庫や大阪で発生したということを受けて、会社においてもマスク着用のお達しが来た。
あちこちで売り切れているらしい(^^)
ちょっとコンビ二によってみたが、マスクは無かった・・・

マスクが手に入らない場合は、総務と相談せよ・・・とのこと。
その他、外から帰ってきたら手を消毒しろとか・・・消毒液が用意されました。

しかし・・・通常のインフルエンザでしょsign02、映画「感染列島」に出てきた、謎の「死の病」が流行しているわけではない。いまんところ、抗体をもっている人間がいないというだけ、タミフルも効くそうだし・・・
それよりも、かかったら安心して休養できる世の中にすることが大切(^^)(^^)(^^)///
ブレカリアートさんのブログから引用

このマスク着用命令の例一つとっても、「頭隠して尻隠さず」なのが、もうミエミエなのです。これも以前から何度も書いてきた事ですが、「マスク」にしろ「うがい」「手洗い」にしろ、所詮は対症療法にしか過ぎません。どうあがいても、病気に罹る時は罹るのです。そうであるならば、感染を避けるよりも、感染しても発症しない様に、発症しても出来るだけ早期に回復出来る様に、普段から身体の抵抗力を高めておくのが、一番の予防策ではないですか。暴飲暴食や不規則な生活を避け、無理をしないのが。
 しかし、それを言い出すと「労働者をこき使えなくなる」から、会社はそういう事は一切言わず、ひたすら「マスク・うがい・手洗い」と、労働者の自己責任で済ませられる範囲の事しか言わないのです。

 しかし、それが如何に「頭隠して尻隠さず」であるのかは、少し考えれば誰でも直ぐに分かります。そもそも、今回のインフルエンザが、一説には「NAFTAインフルエンザ」と言われている如く、メキシコの劣悪な労働・衛生環境に端を発している事を、挙げるまでもなく。
 仮に、そういう問題はとりあえず脇に置いて考えたとしても、派遣村やネットカフェ難民、お産・介護難民の問題を放置したままで、幾ら水際チェックを強めた所で、ザルにしかならない事ぐらい、直ぐに分かりそうなものを。住む家もなく三度の食事にも事欠く人や、病院から追い出されて国保料も滞納している人を放っておいて、何が「感染予防」かと思いますね。自民党政治の廃絶こそ、最大のインフルエンザ対策でしょう。


全面同意・・・
インフルエンザにかかってしまっても、明日の仕事をやらないと食っていけない、あるいはいつ仕事をやめさせられるか分らないような人、あるいは年休なんかの制度が保証されていない人は、無理して仕事に出てこなければいけない。それが本人の病状も悪化させるし、インフルエンザの流行をかえって促進させてしまうでしょbleah

おまけに、マスクが無い(いちおうロシア旅行前に買い置きしておいたものはあるが・・・^^;;
よーするに、口と鼻を布で覆ってしまえば、いいわけだ。
よし、メットにタオルflair
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こんなのとか・・・
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こんなの・・・『実録・連合赤軍』制作委員会のブログより・・・
今の若いモンは、メットの紐にタオルを引っ掛けるスタイルなぞ、知るまい・・・
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マスクの無い方は、このスタイルで街を歩こうsign02
インフルエンザに対抗すると見せかけて、人民の健康の敵、日帝・自民党政府を打倒しようrock


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入管問題を考える09関西集会

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入管問題を考える09関西集会が17日14:00~京都大学法経4番教室にて開催された。写真は撮ってはいけないのだが、開始前に撮っちゃったヤツm(- -)m・・・なぜかスズメさんが教室に入ってきていた。この集会は例年盛りだくさん・・・
まず連帯のあいさつとして、在日研究フォーラム 李相泰(イ・サンテ)さんから、新型インフルエンザの上陸について少しさわぎすぎではないか、神戸マダンも開かれる予定だが、公共の場を使うのでやりにくくなるのではと懸念を示された後、昨今の政治情勢から、入管法の改悪は日本の人達にもかかわる問題、自治体の窓口職員が法務省が調査すべきことを調査させる条項が入っている。また、在日無年金問題について、国は救済に全くかかわらない中で、自治体が独自に支給を行っているケースを紹介された。
在日朝鮮人弾圧の糾弾と民族教育のアピールと題して、日本朝鮮留学生同盟の方から、入管特別法の改正により「有効な旅券を持つ人(日・韓のパスポートを有さない人)」の再入国が全く認められなくなるのではないか、だれもが祖国往来の権利が無くなるのでは考えているが、在日にとっても状況が良くなるのではないか考えている人もおり、このことの問題意識は低い。また同志社大学における日朝関係史講座の紹介がなされた。
民族差別の撤廃にむけてと題して、在日外国人障害年金訴訟元原告団長の金洙榮(キム・スヨン)さんは、手話通訳でこれまでの取り組みを紹介するともに、国際人権規約26条を裁判所は全く無視した、国連機関に行こうとしたが、カンパをいただいたにも係らず、お金が足りなかった。人権規約委員長と副委員長が大阪に来た際に訴えに行ったと語った。
ウトロを守る会の斉藤さんから、ウトロ問題の歴史、強制立ち退きに対する訴訟の敗訴確定から、国際世論に闘う根拠を求めるとともに、さらに別の解決策の提示・・・立ち退くのではなく、新たなウトロまちづくり、コミュニティーを守る運動として成功したことの報告がなされた。ウトロは今や戦後保障問題の運動の中で希望の星になっており、韓国から修学旅行生が来たり(突然やって来る。しかも広島→ウトロ→靖国神社(笑)というコースで来るそうな)すること、ウトロ問題の解決には、前国土交通大臣・・・公明党ですな、コレは褒めたる・・・も尽力したことが紹介された。
第二次不二越強制連行・強制労働訴訟を支援する北陸連絡会から、日本の戦後責任について、当該の少女たちが勤労挺身隊という名前から、軍隊慰安婦と誤解され、差別と排除の対象となったこと、しかしその根源は日本にあり、不信と怒りをもって裁判を闘ってきたことが報告された。彼女たちが生きているうちに決着をつけたい。64年前の過去の問題ではなく、今の問題であること、日本の労働者・市民の力で一刻も早く責任者を処罰し、謝罪させなければならないと訴えた。
日本の軍隊慰安婦の問題について、まず3月8日にソウルで行われた「戦争と女性人権博物館」の建設起工式の様子がビデオで紹介された後、旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委員会の浅井桐子さんの報告と、「尊厳の復活の回復のために―「慰安婦」問題の立法解決をめざして」と題して、龍谷大学教授の戸塚悦郎さんの講演があった。「戦争と女性人権博物館」の建設ははじまったばかりで、まだ資金を集めているところでもあり、いつ完成するか分からないとのこと。
浅井さんの報告で「全国同時企画」とはピースロードに参加して韓国のナヌムの家に行った若者たちが、自分達の地域で実行委員会をつくって活動されている。京都でも2004年から継続して韓国、フィリピン、台湾のハルモ二、ロラ(フィリピンの「おばあさん」)、アマ(台湾の「おばあさん」)を呼んで証言集会をしたり、交流集会や訪問を活発に行っていることが紹介されるとともに、どのおばあさんも尊厳あふれる人たちであり、ひとりひとりに出会って欲しい、また私たちの気持ちを伝えたい、日本政府はこころのこもった謝罪と補償をすべきであると結ばれた。
戸塚先生の講演では、まず国連の世界人権宣言の意義の説明・・・「人権」が国際文書で始めて具体化されたこと、女性が人権の主体とされたこと、外国人も人権の主体とされたこと・・・の後に、日本軍「慰安婦」問題の真の解決のための立法措置について、これがほとんど知られていない、新聞も書かないし、タブー化して口コミでも伝わらないことから、情報冊子を手渡すために・・・ということで、「国際人権法政策研究」第3巻第4巻合併号2008年12月 特集「慰安婦」問題立法解決のために、が資料代1000円のうちの500円を費やして、封筒の中に入っていた。う~この冊子、むちゃくちゃ難しそう・・・講演をするとのこと。
慰安婦問題の立法解決について、自社さきがけ政権時代には「不可能」説が流布されていたものの、野中官房長官答弁(憲法にも条約にも違反しない)以降、戸塚私案(立法の提案)から本岡法案へ、戸塚私案は韓国挺対協から拒否されたが、本岡法案は歓迎された。これは戸塚案が補償のための法案であったのに対し、本岡案は謝罪のための法案であったこと。民主党の「次の内閣」で3度開いても決まらないものを、鳩山代表の決断によって、やっと出させたことなどが紹介された。そして日本政府は結局、謝罪ができないのではなく、謝罪がいやだからできない、憲法98条2項(国際法遵守)が大切。「政権交代」が実現すれば解決するが、結局それを決めるのは市民ということでまとめられた。(戸塚先生がおススメの資料サイトはこちら
カンパのお願いとともに、10分休憩後、後半へ。
入管収容所と難民と題して、ビルマ難民のミョウ・シンスゥエさんが去年に引き続き2回目の講演を行った。日本政府は国際難民条約に基づき、難民認定数が世界の先進国と比べて異様に低い(2007年でアメリカ17,979人、フランス12,928人、イギリス7,866人、ドイツ7,197人に対し、オランダが700人、日本は41人、2008年に日本政府に難民申請を行った1599人のうち、認定されたのが57人)ことは多くの人が知っていると思うが、難民認定までの手続きに問題が多くあることが報告された。例えば、難民としての立証責任が本人にあり、資料をそろえて申請するわけであるが、入管とかの収容施設に収容されていればそれができない、通訳や資料の翻訳の問題、審査官の資質・・・難民発生国の歴史や政治、背景を把握していないケースもある・・・や認定基準そのものが不透明であること、さらに難民として認定されるまで日本での就労が不可能で、それまでの生活支援をいかに行うかという問題などがある。また、皆ができる難民支援として、大阪を中心にRAFIQという市民団体が活動していること、西日本入国管理センター<大阪府茨木市)に収容されている難民の面会を行うことで、入管への圧力となり、中の人への対応が変わるかも知れない、実際抗議することで、何人かの難民はそこから出ることができたことも紹介された。
次に、アフリカ、ウガンダから難民として来られた方が2名、慣れない日本語でウガンダの政治状況・・・20年も同じ大統領の独裁政治が続いていること、反政府勢力に無理やり拉致され、兵士にさせられたり、またそこから逃げ出しても、政府によって反逆者として命を狙われることなど・・・そして自らは大学2年の時、選挙監視の組織に属していたら武装した兵士に捕らえられ、車で連行されたこと、大統領を支持する団体に入るよう強制され、殺されることになるだろうと外国に逃げ、日本にやってきたこと、外国に逃げたら親と弟が捕らえられ、弟は拷問で歩くことができなくなってしまったことが語られた。そしてNPOに手助けしてもらいたい、私たちはこのような人たちに支えられていることを心から感謝すると述べられた。その後、2009年世界難民の日・全国リレー集会のチラシが入っていることが主催者から紹介された。
続いて、辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動からの発言、グアム協定締結は沖縄への基地の押し付けであり、今年は薩摩の琉球侵略から400年、明治政府の琉球処分から第二次大戦後の沖縄うり渡し、、基地をそのままにした「返還」を含め、何回琉球処分を行うのかと述べ、また環境アセスメント準備書に対する意見書が、デタラメな準備書5千400ページを超える、5千825も集まった(ここで拍手)ことが報告され、やぐらにみんなが取り付いて、一度計画を白紙撤回させたたたかいを、みんなの創意工夫で、みんなのできる場で繰り広げていこうと訴えた。
最後に反「入管法」運動関西交流会からの問題提起ということで、3点ほど
① 民族差別と戦争責任を果たしていないということは、一体のものであること、謝罪も補償も行わず
教科書にも載せないことが、アジア人への蔑視と差別を生み出し、無年金問題における民族差別は合法であるという判決が出ている。
② 戦争と貧困の問題について、派遣切りに見られるような新自由主義攻撃が厖大な移民(外国人労働
者・在日)を生み出している。ひとつひとつの問題に取り組むだけでなく、戦争と新自由主義に反対していくことも大切である。
③入管法改悪により、外国人登録カードを発行し、常時携帯させる攻撃がもくろまれている。②と関連するが、少子高齢化で労働人口が減少することに対し、50年後に1千万人の移民を受け入れる構想があるが、そもそも少子化、人口減少は食べていけないから起こっているのであり、そうした状態を改めるのではなく、外国人を劣悪な条件で使おうとすることが問題で、だから外国人を管理する体制を再構築するために登録カードがある。現在の外登法はガタガタで、指紋押捺拒否闘争で自治体への交渉や闘争が行われ、その中から告発するな、外登証を自治体で預かることを勝ち取り、法務省も法律違反を認めざるを得なくなった経緯がある。もはや外国人管理を自治体に任せられないと、カードを入管局が発行するようになる。そうなると、オーバーステイでもこれまで就学や医療を受けるために出してきた外国人登録証が発行されなくなる。国会審議でぜひ廃案に追い込もう。ということである。また、憲法改正情勢について、来年5月以降いつでも改憲の国民投票が出来る。基本的人権を破棄し戦争のできる国にすることは、外国人の排斥、管理がより進むということだ。また若い学生のたくさんの参加がある。本集会を今後の人生に生かしてもらいたい、主体的に取り組んでいただければとあいさつされて、集会は終わった。参加は、200名とのこと。
手に入れたもの・・・全国同時企画・京都実行委さんの慰安婦証言冊子2冊と、排外主義克服のための朝鮮史 梶村秀樹 青年アジア研究会が梶村氏の死後、90年4月に発行したもので、90年から20年前・・・すなわち40年も前の講演録だそうな。

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辺野古新基地粉砕宣言!

辺野古浜通信photoによれば、基地建設のための環境影響評価準備書に対する意見書が、5825通も出されているという。すごいsign03
一部では、「目標は準備書5400ページを上回る意見書を出そう!」という意気込みもあったから、目標を大きく上回る数が達成できたわけだ。ちなみに、アセス実施前の「方法書」の段階で、意見書は1000通ほどだったそうだから、いかに関心が高まってきたかということもうかがえるし、何よりも「辺野古に騒音はない」「ジュゴンやサンゴには影響が無い」はては、埋立て土砂2100万㎥のうち、1800万㎥をどこから持ってくるのか不明のまま、事業全体の環境影響を評価していること、オスプレイという新鋭の垂直離陸機を2012年に導入するにもかかわらず、その影響評価をしていないなど、ナンセンス極まりない「準備書」だったから、これに怒りが集中するのも当然のことだpout
これから沖縄現地では、準備書に対する意見書への回答という攻防になる。もちろん、本土側においても、対防衛省追及行動が行われるだろう。5800の怒りを、たたきつけようpunch
しかし、厚顔無恥な日本政府・防衛省は、このような道理を無視して、基地建設を強行してくることも間違いない。政権交代などで、政策の変更・見直しまでゆけばいいのだが、今それを期待するわけにもいくまい。現地攻防を支える体制の再構築も、求められる。
さしあたって、着工阻止・あるいは土質調査阻止(ボーリング調査は全く行われていないから、詳細な海中の地形や地質がわかんないと、護岸基礎の設計なんてできないもんね^^)の闘いに備えよう。座り込みや、現地に応援に行ける人は、ぜひ辺野古に行こう(うわ~ロシア旅行で金つかうんじゃなかったmoneybag)現地に行けない人は、カンパを送ろう!とりあえずは、以下・・・
カンパ振込口座 郵便局 01700-7-66142(名義「ヘリ基地反対協議会」)

うむ、がむばりましょう。では私は京都の入管集会に、行くからね(^^)//

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ムールマンスクのツンデレ博物館

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ムールマンスクでは、なにやらフェスティバルが行われているようで(^^)
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消防自動車が入ってきました、何だ何だsign02
ロシアではホテルにチェックインした時、パスポートを一時フロントに預け、ホテルが滞在登録手続きを行います。その間役1時間ぐらい、パスポートは手元にありません。また、ロシアでは外国人が出歩く場合、パスポートは必携です。よって1時間程、街歩きはせず、部屋でシャワーを浴びたりしました。
パスポートを受け取り、いよいよムールマンスクの街を、お散歩・・・とは言っても、小雨が降ってきました。
フェスティバルをやっているところに出かけ、屋台でパンと紅茶の、遅い昼食。
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ロシアの信号機は、青になる前に、黄色と赤が点灯します。
とりあえす、郷土博物館に出かけました。少し遠そう?だったので、トロリーバスに乗ることにしました。バス停のところのキオスク・・・ロシアではバス停や地下鉄の駅などにキオスクがいっぱいあって、コンビ二のごとくいろんなものを売っています。ただ日本のコンビ二と違い、窓口で自分の欲しいものを告げてモノを買わないといけないので、慣れていないと使いづらいかと思います・・・で「歴史博物館に行きたいんだけど、トロリーバスの切符ない?」って聞くと「ここでは切符は売っていない。」とのこと。近くにいた若い女性2人連れに「トロリーバスの運賃はいつ払うの?」と聞けば、「乗ってからジェンシナ(女性・・・この場合あ女性車掌)に払えばよい。」ということで、やってきたトロリーバスに乗り込みます。
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乗車して、おばちゃんに料金11ルーブル(35円)を払う。すぐに「博物館だったら、ここで降りないとsign01」とさっきの女性2人連れに言われます。次のバス停で下車・・・雨に濡れながら、博物館に到着(^^)入場料は、25ルーブル(80円)
博物館には、とりあえずコラ半島の自然・・・動物から海洋、地質まで様々なものを含む・・・から、文化、歴史ひととおりを見ることができます。琥珀や紫水晶といった、鉱物標本がなぜかキレイです。北極熊のコーナーにさしかかると、学芸員さんがわざわざ電気を消して「オーロラ」が流れる様を見せてくれるのですが、それをやると自然のコーナーのある部屋全部の電気が消えてしまいます。
ロシア文字を拾い読みしていると、「ツンデレ」とありました。「ツンデレsign02」・・・もしかしてこーゆーのだろうか・・・と考えてみると、そう「тундра・・・ツンドラ(地理の時間、習いましたねheart01)」の格変化で、аがeになったものでした(^^;;;
歴史のコーナーでは、遺跡から発掘された人骨から、北方民族(サーミ族)の毛皮の衣類、教会建築の模型から、ムールマンスク市の建設、鉄道の建設・・・そして革命・赤軍の勝利から、第二次大戦・ドイツ軍との闘いに続きます。このあたりは、ミリオタさんでも十分楽しめる施設でしょう。第二次大戦後、50年代の「安定」の時代が少し展示されたかと思うと、「停滞」と「混乱」の時代がなぜかすっ飛ばされて、現代までの「輝かしい歴史」が綴られているようです。(わずかにソ連時代の「行列」の写真があった)
ひととおり見終わって、入り口付近まで戻ると企画展のようなことをやっていました。消防の歴史を展示しているようです。どうも今日あたりが、コラ半島地方の「消防記念日」のような位置づけらしいのですね。
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博物館の近くの、パルチザン戦士の像

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北に向かう3

翌朝の6時半ごろ、カンダラクシャ到着。北極圏に入り、コラ半島の南の付け根までやってきました。モスクワを離れること、1800㎞あまりです。二キータ君は、ここで下車します「パカ」
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やっぱり先頭までは、行けません。

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列車のつなぎ目を、撮ってみる・・・

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昨日の宴のあと・・・列車の窓は、木のぬくもりがします(^^)
朝は晴れていたのですが、だんだんと曇ってきました。木々の周りには黒ずんだ雪がたまっています。
なんか立派な山が見えてきました。ちょっとした”名物”なんでしょうか、オレーグさんが写真を撮っています。
11時を過ぎると、終点が近づいてきたからでしょうか、なにやら宗谷本線の南稚内から先を思わせるような雰囲気をかもしだしてきました。12時前に、コーリャ着、そしていよいよ、12:14分、ムールマンスクに到着です。
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オレーグ夫妻に「ダスビダーニヤ」を言って、ホームに降り立つ、出迎えの人が、沢山います。

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ホームの上に屋根があることはまれです。こ線橋の上もしかり。電光掲示板があります。

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テラスのところで、あるみさんの記念撮影(^^)(^^)/

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駅は、緑色のこ~んな建物です。
う~ん、稚内駅より、立派です。とりあえずホテルへ行って、チェックインです。

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翌日、改めて駅をまたぐこ線橋に行き、モスクワからの16列車の先頭を撮影成功camera

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今回の旅行の大目的は、達成され、我々は勝利したぞsign02

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北に向かう2

8時44分に、サンクトペテルブルクのラドガ駅に到着。あの9号室の若者たちもここで下車したんだろうな。ピーテルからムールマンスクには、ここから乗車することになります。
お昼までほとんど駅に停車することなく、14時ごろにスヴィル駅というところに到着、ここで30分ぐらい停車します。
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ということで、撮影タイムsign01機関車をここで付け替えるようです。
ホームがここまでしかないので、列車の先頭を撮影することができません(^^;;;

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長距離列車の長時間停車駅は、商売の場でもあります。

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貨物列車の隙間から、青い列車の先頭をGET

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蒸気機関車ががざられています。木々はまだ、葉っぱが出ていませんが、天気も良く、少し暑いくらいです。

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客車は、長~いです。

ここで買い込んだ食糧やビールでもって、3号室の室内で宴が催されました(^^)(^^)(^^)///
ご夫妻がテーブルに、肉や野菜、ホームで買ってきた魚の燻製を広げます。兄ちゃんがビール瓶を持ってやってきましたので、アルコールモードONsign03ということで、私は荷物の中から、モスクワで購入したウォッカを出しますhappy01
お互いに自己紹介をば・・・兄ちゃんは二キータ君、ご夫妻はオレーグさん(夫)とツベタさん(妻)です。二キータ君はムールマンスクの学校で4年間勉強し、モスクワでエンジニアをしているとか・・・Iフォンを持っていて「日本ではIフォンを何ぼぐらいで売っているのか?」と聞かれました。私のケータイ(海外では電話として使用できず、写真撮影用)を見てオレーグさんは「サムソンではないのか?」とも(京セラはやっぱマイナー、日本ブランドだと、パナソニックかソニーかというところか)

ここで、ロシア人の正しいウオッカの飲み方について(^^)(^^)
ウオッカは、カクテルにしたり、炭酸水でわって飲むものではありません。ズバリ、ストレートsign01
ただし、小さな杯に入れて、一気にグイッっと行きます。ストレートアルコールが胃を心地よく刺激した後、つまみ(食べ物)を楽しむのです。杯は自分ひとりで空けてはいけません。必ずおさそい合わせのうえ、「○○に乾杯!」と言いながら、楽しく飲むものです。オレーグ夫妻が、ウオッカ用の小さい杯を持ってきてくれました。
「健康に乾杯!」「出会いに乾杯!」「天気に乾杯!」・・・てなことで、あっと言う間に、1本750mlは、無くなってしまいました(^^)/

休日の話題・・・日本は5月の始めごろは休みが続いて、ゴールデンウィークと言う。前のテンノーエンペラーの誕生日(ウエッ)、憲法記念日(憲法をロシア語でkонституция・・・コンシスツーチヤと言う、「憲法広場」というのが「歩き方」に載っていたのでなんとか通じた)、子どもの日・・・ロシアでは、1日のメーデー、9日の「勝利の日」とかがある、5月は「ゴールデンマンス」であるとのこと。

二キータ君「なんでお前は結婚しないんだ?」「いやー日本では私ぐらいの年で結婚してないのも多いから(説明になっとらん)」
「なんでお前はロシアに来たのか?」「いやーその・・・(個人の単なる嗜好を説明するのはムズカシイ)・・・うん、ロシア人は、こころがボーリシェ(でっかい!という感じを表したかったのですが、わかっていただけたでしょうか?)だからかな」

そのうち宴も済んで夕方に、世界遺産の木造教会なんかがある、キジ島への観光拠点、ペトロザヴォーツクには16時半ごろ到着、どうもここでムールマンスクからモスクワに向かう列車と行き違いになるようだ。列車はさらに、北に向かう・・・カップスープとかで軽く夕食の後、しばし景色を眺める。
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カーブにおいて撮影。これで19:30ごろ・・・
見えてきた湖が、凍っています。メドヴェージャヤゴーラに到着、20時ごろ。木材の集積場のようです。
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「お日様が沈まねぇ~sun」と思いながら車窓を眺める・・・10時ごろなり・・・

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北に向かう1

おまたせしました。いよいよロシアの鉄ネタです。まずはムールマンスクまで行ってみようtrain
深夜0:50に発車する№16列車に乗るべく、モスクワのレニングラード駅へ。深夜の時間帯にサンクトペテルブルク等に行く列車もけっこうあり、駅には大勢の人が、大きな荷物を持って集まっています。国土の広大さもありますが、ロシアではまだまだ夜行列車は健在です。うらやまし~(^^)//メトロも午後9時を過ぎると、長距離列車に乗るためか、大きな荷物を持った人が増えます。駅の中には、レーニンたんの白くてでっかい胸像がありました。
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これが日本で手配し、ロシアの旅行会社からいただいた切符、何号車のどこそこに乗れという肝心なことが、どこに書いてあるのか分りません(^^;;; 10号車・・・というのは分ったのですが・・・
 改札が始まり、10号車まで行く。各号車の担当乗務員に切符とパスポートをチェックしたもらい、「デービャッ」といわれたので、9号コンパートメントを目指します。中に入ると若い青年2人が、すでにビールで酒盛りをしていました。
 「まあ、飲め」「ありがとう、コップ持ってるから」トクトクぐびぐびbeer「どこまで行くんだ」「ムールマンスクまで」「そうか、俺はペテルブルクまでだ。ところで何をしている?」「シビルエンジニアだ。」「そうか、私もエンジニアだ。」「私はアルピニスト・・・」「おーちょっと切符見せてくれ・・・」
「君、ここちゃうよ!3号室だ」「えっそうなの!」「連れてったるよ!・・・おーいこのツーリスト、ここの部屋だよ」ということで、3号室に・・・そこには夫婦二人と、若いお兄ちゃんがいました。
「君はこのベッド」ということで、4つある寝台の下段進行方向向きという、ありがたいところで寝ることになりました。良く見ると枕元に「9」の番号が・・・そうか、「1,2,3,4」「5,6,7,8」「9,10・・・」ということで、3号室なのですね、納得sign01夜も遅いので、このままお休み・・・
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翌朝、コンパートメントはこーんな感じです。「おはようございます」と挨拶をして、朝食タイム・・・ここでお茶セットが配られました。
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コーヒー、紅茶、ミルク、砂糖、レモンエキス、ジャムそしてなぜかバターまで(ロシアンティーで紅茶にジャムだが、なぜバターがあるのか不明sign02)チョコパイと、持ってきた「カロリーメイト」にて朝食としました。
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お手拭きと、シュガースティックのデザインが、新幹線(しかも0系)しています(^^)(^^)(^^)///

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ペトログラードの駅前で革命を叫ぶ!

ピーテルのフィンランド駅にて
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なお、これを撮影したのは、夜9時20分ごろ・・・日がなかなか沈みません(^^)緯度が高いと、夜遅くても素直に写真が撮れるため、ついつい夜歩きをしてしまいます。博物館なんかは夕方18:00ごろ閉館しますから、博物館詣では昼にしておき、景色を見たり写真を撮るのは夜sign01に行うのがセオリーかと・・・

1917年4月3日(ロシア暦、西暦は+13日することの、4月16日)、2月革命の勃発を受け、レーニンが亡命先から帰ってきたのが、このフィンランド駅です。ちなみにレーニンの歓迎会は、夜十時ごろだったそうだから、明るさはこの写真よりもう少し薄暗かったのかな。
あとは引用・・・
トロツキーの「ロシア革命史」より(岩波文庫、藤井一行訳、第二巻p95より)

しかし、レーニンは、そのすべてにいかに対処すべきかよくわかっていたようである。かれは、起きていることのすべてが自分には少しも関わりがないといった面もちで立っていた。花束(それは彼の姿全体とまるで調和していなかった)をかかえなおし、あたりをうかがい、まわりの人々を、そして「ツァーリ」の間の天井を眺めまわしさえした。それから、もう執行委員会の代表団から完全に目をそらし、こう「答えた」。「親愛なる同志諸君、兵士、水兵、労働者諸君。私は、諸君を通してロシアの勝利した革命をたたえ、全世界のプロレタリア軍の前衛たる諸君をたたえることができて幸せである・・・・・・われわれの同志カール・リープクネヒトの呼びかけに応じて、各国人民が自国の搾取者=資本家に武器を向けることは遠くない・・・・・諸君が成しとげたロシア革命は、新しい時代を切り開いた。全世界の社会主義革命万歳!」

残念ながら、
当時、ボリシェヴィズムには速記技術がまだなかった。だれもメモをとっていなかった。
(同p98)ので、本記述ははスハーノフの回想記からの引用だそうな。
もうひとつ、引用、1998年に革共同が発行した「学習講座 ロシア革命とレーニン主義 二月革命から十月革命まで 反スターリン主義・革命的共産主義の闘いのために(藤沢明彦)」より
レーニンは、出迎えのためにペトログラードのすぐ前のベロオーストロフ駅で列車に乗り込んだシリャープニコフに、党内の状態、『プラウダ』の祖国防衛主義への転向の原因などについて質問を浴びせた。ペトログラードのフィンランド駅に到着すると、出迎えたボリシェヴィキ指導部の中からカーメネフを見つけ、しかりつけた。「君が『プラウダ』に書いていることは何だ。われわれは君の論文をいくつか見て、こっぴどく悪。口を言った」(ラスコーリニコフ『同志レーニンの到着』、1923年)。p76
 四月四日、レーニンは自らの見解を簡潔な文書にまとめて党に提出した。これが「四月テーゼ」(「現在の革命におけるプロレタリアートの任務について」全集第24巻3-9ページ)である。レーニンは同日午後、タヴリーダ宮殿で開かれたボリシェヴィキ、メンシェヴィキ、無党派などの社会民主主義者の合同会議で、夕方にはボリシェヴィキ指導部の集会で、これを読み上げた。
 この革命的なテーゼは、ひとまず以下のようにまとめることができるだろう。
①戦争と平和の問題について。戦争は、臨時政府のものとでもいまなお無条件に帝国主義的強盗戦争であるから、「革命的祖国防衛主義」にいささかでも譲歩することは許されない。資本を倒さなければ、真に民主的な講和で戦争を終わらせることはできない。
②国家権力の問題について。ブルジョワジーからプロレタリアートと貧農層の手中に権力を渡さなければならない。労働者代表ソヴェトは、ただひとつ可能な革命政府の形態であるから全国家権力を労働者代表ソヴェトへ移す必要がある。コミューン型国家としてのソヴェト共和国を建設する。
③「土地、パン」の課題について。土地国有化と雇農・農民代表ソヴェトによる土地の処理、統合された全国的銀行と社会的生産と生産物の分配への労働者代表ソヴェトによる統制によって解決する。
 ひとことで言えば、「すべての国家権力をソヴェトへ!」のスローガンに集約される。一切はソヴェトのヘゲモニーをボリシェヴィキが握ることにかけられた。p78-9

では、あるみさんも叫ぼう「7月テーゼを粉砕して、革共同を奪還するぞ~ぃsign02

おまけ・・・
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四月に何者かによって爆破されたレーニンたんの像は、修復のため木の枠で覆われておりました(^^)(^^)//

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Дeн ПобДа!

この季節にロシアを旅した人は、次のようなスローガンを書いたポスターとかをよく見かけたに違いない。
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モスクワの街角にて・・・

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ピーテルの、ペトロパブロフスク要塞の近くにて・・・第二次世界大戦・・・ロシアでは対独戦は「大祖国戦争」というんですが、今日、5月9日が「対独勝利の日」。ロシアでは祝日です。

てなわけで、対独戦の記録を見るため、ピーテルの「レニングラード防衛とバリケード博物館」に行きました。
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公園の前にある博物館、高射砲が並んでいます。入場料は150ルーブル(480円)

対独戦において、レニングラードのナチスドイツの包囲は、900日以上に及び、「歩き方」によれば、電気、水道、交通などの公共サービスが全て止まり、60万~80万もの人びとが寒さや飢えで死亡したという。
その「偉大な」闘い、独軍やソ連軍の兵器やプロパガンダのためのビラ、ポスターや、市民の当時の労苦を示す資料・・・食料だとか、配給切符だとか、暮らしていた部屋を再現したものとかが展示されています。

ちょうど、小学校低学年ぐらいの子どもたちが20人ばかり、引率の先生に連れられて見学に来ていました。学芸員らしきおばさんが、おどろおどろしい声で、当時の様子を説明していたようです。泣き出しちゃった子どもが、出ました(ウェ~ン)。

戦争体験を伝えるのは、よろしいのですが・・・博物館の入り口に入ると、いきなり「アフガニスタンで戦うソ連兵」の紹介があったりします。こらこら・・・

ナチスドイツという帝国主義の最悪の形態を、民衆をも動員して勝利した事実は大きいのだが、そもそも第二次世界大戦というのは、「民主主義とファシズム」との戦いではなく、余裕のある帝国主義に対して、持たざる帝国主義国家ドイツや日本が世界の再分割をかけて行った帝国主義戦争だ。ソ連というのは、それらを民衆の立場で打倒するのではなく、どちらか一方の立場に立ちつつ世界を荒らしまわった当事者に他ならない。
「社民ファシズム論」を展開して、ナチスと闘うドイツプロレタリアートの背後から襲いかかり、またスペインの人民戦線にセクト的に介入して、ファシストの跳梁を許し、世界のプロレタリアートの闘いを裏切ったスターリン主義の結果が、レニングラードの包囲なのであるが・・・てなことも考えながら、博物館を後にしました。

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雀が丘はあまり風景良くない

レーニンたん詣での後に、モスクワの市内にして自然が残り、また市街地が見渡せるという定番観光地「雀が丘」(ヴァラビョーヴィーゴールィ)に行きました。
モスクワ川にかかる橋の上に地下鉄駅があり、そこからすぐです。展望台まで、歩きます。まあ、都市近郊にあるちょっとしたハイキングコースを、もう少し歩きやすくしたものと思っていただければよろしいです。
あずま屋とかで、カップルさんが抱き合ったり、キスしたりしていますheart02
池ではカモがネギしょって(るわけないだろsign03)泳いでいます(^^)

登っていって、展望台に出ました。Pict0019

えっこんな感じなのsign02
もっとクレムリンとか金色の屋根が光ったまばゆい景色がおがめると思っていたのが、拍子抜けです。もっとも、天気あまり良くなかったからですかねぇ~(^^)(^^)
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ルージニキ大アリーナです。こんなでっかいものが眼の前にあると、ちょっと興ざめです。

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これまたでっかい、リフト。下から上がってくることができますが、誰も乗っていませんcoldsweats01

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展望台といっても、道路横の駐車場みたいなところです。いろんなお土産屋さんが店出してます。Tシャツ、マグカップ、マトリョーシュカから、ソ連時代の骨董品のような”ガラクタ”(ここではいい意味で使っています)のような怪しさでワクワクするようなものも多いです。レーニンたんがマクドナルドマークといっしょになった、”マックレーニン”や、中指立てた”ファックレーニン”のようなTシャツ、なぜかゲバラのTシャツやマグカップまで・・・
冬になると、これをかぶっているロシア人の映像がおなじみになる、黒いシャップカを購入!1000ルーブル(3200円)を600ルーブル(1920円)にまけてもらう(原価はいくらやねんsign02
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道を隔ててモスクワ大学があります。


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レーニンたんと、ご対面

日本を留守にしている間、忌野清志郎さんが亡くなったり、豚インフルエンザがパンデミックの手前まで流行したり(病原性は季節性インフルエンザ程度だそうで)、法大弾圧救援会からお手紙がきたり、高速道路が1000円乗り放題で大渋滞したり、いろいろありましたが・・・時系列は無視して、ロシア旅行のみやげ話を(^^)/ (でも時々別のネタもやるからね)

モスクワ行ったら、クレムリン、赤の広場、そしてレーニン廟・・・この3点セットは外せません。ただし、入館料の必要なクレムリンは、外から見るだけ。金を払うのは、レーニン廟のみに搾りました。
「地球の歩き方08~09ロシア(ダイヤモンド社)」(以下本ブログでは「歩き方」と略す)によれば、ソ連崩壊後のロシアでも、レーニン廟は人気スポットで、多くの人がお参りにくるそうな。月・金以外の10:00~13:00が拝観時間。
「歩き方」によれば、カメラや大きな荷物は持ち込み不可で、歩いて10分ぐらい離れたクタフィヤ塔の入り口の荷物預かり場所で預けなければならない・・・とのことだったので、クタフィヤ塔まで行くと、窓口(カッサ)はしまっており、荷物預かり場もない模様。
仕方がないので、人が並んでいるところまで行き「ここ、レーニン?」と聞いてみて列に並ぶ、「カメラとか荷物はどうすんの?」と聞いてみても「とにかく並べ」みたいな感じでした。なるようにしか、ならないと思っている間に、列は進みます。
ニコリスカヤ塔付近に検問所があり、そこまで行くと、皆さん、道を隔てた国立歴史博物館の建物に、荷物やカメラを預けに行っています。どうやら荷物預け場所が近くなって、より便利になったようです(^^)(^^)//荷物預け料70ルーブル(1ルーブル3.2円・・・以下、このブログではこのレートを使用)として、224円。
検問所では、兵士らしきお方が、空港にある金属探知機等でチェック、カメラと携帯電話の持ち込みのチェックが主なお仕事。女性兵士はなぜか、普通のシューズを履いていました。
無事に検問を通過して、おもむろにレーニン廟のほうへ、一旦敷地内に入ると、並ぶこともなくゆったり進みます。バックの赤い壁に、いろんな人の名前と、死んだ年が刻まれています。花も供えられていたりしました。どうやら革命に貢献した方を”顕彰”しているみたいです。後で思い出しましたが、「世界をゆるがせた10日間」のジョン・リードの名前もここに刻まれているのではなかったでしょうか?
で、レーニン廟の中に入り、レーニンたんと、ご対面happy01
・・・静かに眠る、黒いスーツを着た、レーニン・・・

実は2000年にベトナム・ハノイのホーチミン廟に行ったことがあります。
あの時はもっと沢山の人が列をなし・・・中国か台湾かの団体さんもいました・・・暑い中やっとの思いでホーチミンを見た時の”感動”がありましたが(中も涼しかったし)、今回はホント、あっけないものでした。
「偶像」なんてしょせん、こんなもんなんでしょうね。
で、外に出て荷物を受け取り、改めて赤の広場で、撮影開始!
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クレムリンは大きな建物、エジプトのツタンカーメン発掘の影響も受けたのか、ピラミッド型のレーニン廟

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あるみさんも、ご満足heart04


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後ろには、歴代ソ連共産党書記長の胸像があります。矢印付近に、スターリン君がいます。

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後は適当に撮影、ソ連時代からある百貨店「グム」

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いかにもモスクワ・・・という感じの、ポグロフスキー聖堂

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きちんと撮ると、こんなんです(^^)(^^)(^^)

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ヴァスクレセンスキー門、スターリン時代に破壊されたものを、1995年に再建したものだそうな。

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ロシア語能力ガタ落ちだい!

留守中、コメントやTBをくださった方(除くエロサイト)どうもありがとうございますm(_ _)m
今日はもう遅いのですが、
日本(関西空港) → 北京 → モスクワ ・・・列車・・・ムールマンスク → サンクトペテルブルク → モスクワ → 北京 → 関西空港
という行程でした。

モスクワでレーニンたんに「ご対面」したり、サンクトペテルブルクで空港までのタクシーが4000ルーブル(12800円)でスッテンテンになったりmoneybagトロリーバス最北の地に行ったり(^^)//
天気は、モスクワは曇り、ムールマンスクは小雨・曇り(出発時は小雪snow)、サンクトペテルブルクは日本晴れsign02、まあ、大荒れにならず、早春~初夏のロシアを堪能してまいりました。

主義者Yさんがコメントされていた、ロシアへの入国審査について、う~ん他の外国に行ったことがないから、比較はできませんが、まあ「こんなもんちゃうか~」という感じ、11年前のウラジオストックでは、狭~い建物で延々と並んで待たされたことを思うと、早くなっているように思いましたよ。

おお、そうじゃ、ロシア語の能力が、やっぱり落ちてるsign02
ロシア語でしゃべっているうちに、単語を忘れ、そこだけ英単語
逆に、英語でしゃべって、一部分がロシア語sign01
なんじゃ、こりゃcoldsweats01

あと、お金が何ルーブルか、聞き取れない。まあ、相手は商人だから、なんとかコミュニケーションをとって(といっても、電卓で数字を示すだけ^^);; なんとか気合で、のりきったぞ~rock

それでも、ムールマンスクのお店でビールを買うとき「あんたはロシア語よく話すね、エライよ(молодец)とほめられた時は、うれしかったですね(この単純野郎sign01
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とりあえず、クレムリン

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帰ってきた

帰ってきた
帰ってきた
最北端まで行ってきたからね

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