映画「蟹工船」みたぞ~
テアトル梅田でSABU監督の映画「蟹工船」を見てきたぞ~
原作あるいは原作をほぼ忠実になぞった旧作(監督:山村聡)は、「集団」が主人公で、一種の群衆劇として作られているのに対し、本作では主人公として、漁夫「新庄」(松田龍平)が設定されている。旧作では函館の出港時から描かれているが、本作はオール、蟹工船の中。冒頭、つらい労働の後で仲間たちが「貧乏自慢」をしている中、「金持ちの家に生まれ変わろう!」と集団自決…首吊りですな…を企画し、実行してしまう。もちろんここでみんな死んじゃったら話しは終わってしまうので、笑いを含んだ終わり方になる。
労働者に対峙する「浅川監督」は西島秀俊。なまじ「暴力」を連想させるような面構え、体格のキャラでなく、白いコート、しかも血みたいな汚れがついたヤツを着ていて、棒で労働者を殴っていくところが、こえ~。「悪の貴公子」(パンフ中の森直人の評論)という表現がぴったり来る。そんな中、昔寺で見た地獄絵図をモウロウと思い出しながら、「ここは地獄だ」と労働者が気づく。寺の和尚さんは、極楽も地獄も心の中にある(要は心の持ちようだ!ということ)と言ったのに・・・。
労働者の居住空間「糞壷」は、鉄のパイプがむき出しのまま、カプセルホテルの部屋のように並べられた、いかにも船の一部という雰囲気を出している。ネットカフェで泊まり歩かざるを得ない若者の感覚、こんなところは寝るところではない!と交差するようだ。
「新庄」は遭難し、ロシア船に助けられる。原作では中国人からつたない「オルグ」を受けることになるが、本作ではロシア船員が現場監督も含め楽しそうにコサックダンスを踊っているのを見ているだけ、中国人通訳から「自分で考えること」「行動すること」を教わり、やがて一緒にコサックダンスを楽しく踊りだす。
厳しい労働は続く、海軍士官を招いての宴会も描写される。激しい労働の中、ある者が仕事を放棄して座り込む。彼のラインだけ、カニ缶の蓋がなされないまま、「商品」が出てくる。手回しのベルトコンベヤーが止まる。労働者が働かないと、何も生産されないのだ。やがて若い者が、絶望の中、これまでこの状況を変えようとせず、愚痴ばっかり言ってきた大人たちを非難(批判)して、海に飛び込もうとするが、そこに新庄が帰ってくる。彼はみんなに語りだす。「自分で考え、行動すること」を。また、「船を用意するのに会社の金を使った」かもしれないが、自分たちが働かなければ、会社は何も得ることは出来ないということも・・・。ここから盛り上がりである。
だれかがこっそりデザインした、歯車の中で仲間の手が合わさる「蟹工船」のマーク。この元に労働者が決起した。文書をこっそり回し、仲間の署名を集め、ストライキ・・・「浅川監督」に要求書を突きつける。一旦浅川は要求を呑み、勝利するものの、帝国海軍が弾圧に乗り出してくる。
それでも労働者はまた立ち上がる「ん!もう一回だ」今度は血に染まった「蟹工船」マークの旗をかかげて・・・
(写真はパンフレットからスキャンしたもの)
誰かに、何かに頼るのではなく、自らが考えて立ち上がること、変えていくことの大切さを、原作のテイストをこわさず十分に訴えかける作品だった。「自ら考え、立ち上がる」ということは、一見「自己責任論」とリンクしているように見えるので、これを強調することだけはしたくないのだが、とにかく主題はこれだろう。
突っ込みどころとしては…軍艦(駆逐艦)がデカすぎるぐらいか…まあ、ちょっとしか出てこんし。
いい映画だと思うが、残念ながらテアトル梅田での公開は、24日まで、急げ!
おまけ・・・パンフレットの最終ページにあった関連商品の広告に
CD蟹工船 WORK SONG BOOK~日本の労働歌集というのがキングレコード㈱から発売されているとのこと。ラインナップは
1.聞け万国の労働者(メーデー歌)
2.インターナショナル
3.がんばろう
4.富の鎖(社会主義の歌)
5.若者よ
6.石油堀りの唄(アゼルバイジャン・ワーク・ソング)
7.手のひらの歌
8.われらの仲間
9.晴れた五月
10.革命歌
11.民族独立行動隊の歌
12.心はいつも夜明けだ
13.たんぽぽ
14.くるめくわだち
15.勝利を我らに-We shall overcome-
16.俺たちゃ若者
17.仕事の歌
18.町から村から工場から
19.しあわせの歌
とのこと・・・
2000円だそうです(^^)(^^)//
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コメント
蟹工船は基本的にプロタリアート文学であり
弱い立場の視点で描いたものです。
映画監督の選び方が間違ったのでしょう。
文学的知識を持った職人の映画監督ならば
しっかりした蟹工船の映画になったかもしれません。
SABU監督のようなポップアート表現主義は悪く思わないが変えて自己意識が強くなりがち、これはオリジナル作品だったら良いでしょう。
蟹工船は文学性の高いものであるから、
映画製作担当者は真剣に考える必要です。
故人山本薩夫監督のような人がいれば。
投稿: ときお | 2009年7月22日 (水) 22時39分
ときおさん、コメントありがとうございます。
「蟹工船」の文学性を大切にしながら、なおかつ現在でも通じるものに表現する・・・オリジナルと全く同じことをやっても、つまらない・・・色々難しいですね。
「新庄」が初めから持つ「強さ」に違和感があるかも知れません。もっとも彼が「工作者」だったのでは・・・と思わせるシーンが、最後のほうに出てきます(詳しく書くとネタばれになるのでこのへんで)
投稿: GO@あるみさん | 2009年7月23日 (木) 21時19分
>もっとも彼が「工作者」だったのでは・・・と思わせるシーンが、
すみません、そのシーンは「集団首吊り」およびその後の会話に関連するエピソードでした(^-^;
投稿: GO@あるみさん | 2009年7月24日 (金) 22時33分