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スターリン主義に対する考察

前回のエントリーに対して、「旗旗」の草加耕介さんからコメントをいただいたので、それについての返信のような形で追加・・・

スターリンの権力掌握過程を、「誰も逆らえなかった」では弱いと思います。もう一人のレーニンの有能な片腕だったトロツキーというおっさんが、スターリンに真っ向から逆らいましたが、この党内抗争にスターリンは勝利するわけで、なんで理論的には「正しい」はずのトロツキーは敗れたのか?

それを強権や謀略など、スターリンの個人的な資質で説明し、理論や政策が正しければスターリン主義は発生しなかったとするのはトロツキズム的な限界かと。

スターリンの理論や政策の誤りはそれとしてありますが、そんなことよりも、一般民衆が「社会主義国」を嫌悪する場合の理由は強権的な民衆抑圧ですよね。革共同系の人の発想って、「政策や理論が正しければそういうことはおこらない」みたいな主張に感じるんですよね。

だったら新左翼系ではいっさいそういう反対派への弾圧なんて事例はおこらないはずですが、実際にはむしろそういう発想に立ってしまった革共同系列でこそ・・・(以下略)

「強権的な民衆抑圧」がスターリン時代ではなく、戦時共産主義から起こっていること、そしてその政治・政策はあくまでも「戦時」の緊急避難的に行われるもので、すみやかに共産主義的原則、それは後期マルクスが明らかにした生産手段の「社会有」・・・「所有」を止揚したもの、生産する「権利」を保障するもの・・・という「世界観」に基づいた社会運営を行っていくべきだった。ところが、レーニン以外はだれも(トロツキーも含め)理解できていなかった、そこにスターリンが付け込んだということが、結果としてのスターリン主義ではないだろうか。
「政策や理論が正しければ・・・」とあるが、政策は「正しく」ないといけない・・・「民衆抑圧」は「正しい」政策では絶対にない・・・で、それを正しくするために「理論」や「世界観」が重要になる。「間違った」政策を行うということは、その根底にある「理論」と「世界観」が間違っているからだ(自民党がそうでしょ^^)。特に「世界観」・・・「社会観」のほうがいいか・・・は、生産の主体が主人公になる社会のしくみをどうつくっていくか?ということだ。そしてその中心には「徹底した『民主主義』」が据えられなければならない。この「徹底した『民主主義』というのは、「理論」や「世界観」そしてその上部構造たる「政策」の誤りを絶えずチェック&アクションを起こして訂正してゆくために必要なのだ。

「革共同系の人の発想」とは、長い間「スターリン主義を『一国社会主義による革命への裏切り』として理論づけ批判していれば、我々はそのような間違いをおかさない」というものであった、それにつきるの思うのだが、それは誤りであると、やっと最近「再建協議会」は気づいたわけだ。

「なんで理論的には「正しい」はずのトロツキーは敗れたのか?」
トロツキーがスターリンに本格的に闘いを挑んだとき、すでにソ連の労働者、人民との交通・結合が絶たれていたためだろう。(これは「革命軍戦略」下の革共同にもモロにあてはまる)物質的な「権力」を手にしているスターリンと闘うためには、党内の基盤は基より、人民との交通・結合が大切だ。で、トロツキーはメキシコに亡命してそれを行おうとしたわけだが、世界の人民と繋がるには、あまりにも組織その他の力が弱すぎたし、また世界の人民も「革命を実際にやり、社会主義建設に邁進するソ連=スターリン」という権威(「革命を実際にやった」ということは、じつに大きい)のほうが強かったためではないだろうか。

あとトロツキーの敗北を、革共同で西分派(=第四インター系)に行かなかった人たちは「党内(党派)闘争を徹底的に行わなかったため」と総括したのだが、それを極限に(ある意味「ゲバルトでもなんでもいいから、勝てばOK」)に押し進めたのが「反対派への弾圧」になったのではないだろうかと、私は思うが・・・。

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コメント

与田・遠山の恐怖政治下、組織三原則(会議・機関誌・財政)は、スターリン主義的に完全に歪曲され、労働者支配の手段と化していたのが現実です。

投稿: α | 2009年9月13日 (日) 18時28分

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