何をやってるかで判断される
「再建協の反スタ論」で、草加さんからいただいたコメントの中で
(前略)でも、一番大切なのはその「目的」のために、日常的に何をやっているのかという実践の問題だと思う。というのがあった。
別の言い方をすれば、彼らが何者でどういう人たちであるのかは、彼らが「何を言っているか」ではなく、日常的に「何をしているか」によって判断されるのだということを肝に銘じるべきでしょう。(以下略)
ようするに理論がいくら立派であっても、やってることが伴わない、あるいは別のことをやっているというのではダメだということ。
これに関しては、学生時代に自分もかかわっていた黒ヘルの人たちからこんなふうなことを言われた。
「中核派が将来どういった社会を作るのかを明らかにしていないが、彼らが今やっている、反対派はことごとく恫喝をかけてつぶすような連中が権力をとったらどうなるんか!」
で、私はこれを私をオルグっていた担当にぶつけ「今三里塚でいっしょにやっている赤ヘルさんや青ヘルさんも、将来対立したらつぶすようなことが起こるのを恐れる」と言ったのだが「黒ヘルは脱落派だから云々・・・」ということで議論は平行したままだった。
結局その矛盾をきちんと解決しないまま、黒ヘル運動から脱落する形で、ずるずる「前進」を読み続けている生活になった。ちなみに当時の我が大学の黒ヘルグループは、私が入学する前に三里塚分裂その他で中核派と対立、なんやかんやで「反革命規定」まで食らったらしい。その過程で中核派全学連は関西において京大重視政策を取り、大学内のサークル等の中核派拠点はなくなる・・・すなわち学内における運動については、何も責任を取らず出て行った。ちなみに件の中核派批判をした方は、三里塚分裂において北原派を支持していたそうな。
80年代の革共同・中核派は、革命軍戦略の位置づけの誤りや、代行主義のはびこりにより、第4インターへの武装襲撃から「脱落派」と見なした党派・グループへの襲撃や恫喝へと進み、当時の先進的な学生運動・大衆運動に多大なる悪影響を及ぼしたのだが、この誤りの原因は、党内外におけるプロレタリア民主主義の思想および実践の欠如であったと思う。で、あれから25年余を経て、ようやくそれらを総括・反省するスタートラインに立ったわけである。もちろんこれらの批判は「日本共産党の民主集中制は、民主主義がないからダメ・・・」「カクマルは・・・」「安田派は・・・」という、他の悪例を批判していればこと足れりではないことは、言うまでもない。
ここで「党再建のために何を考えているか」における革命派さんのコメント
ひょっとしてこれは、スターリン主義批判からレーニン主義の否定(見直し)、「民主主義派」へと転落していくあのプロセスなのか?。
そういえばどこにも、レーニン主義の根幹である“プロレタリア独裁”や“暴力革命”、集中し組織された“前衛党”に関する記述がない。すでに捨てているか?。(以下略)
や名無しさんのコメント
民主集中制は、民主主義じゃないの!?プロレタリア独裁は、民主主義じゃないの!?
のような批判をいただくことになるが、プロ独にしろ民主集中制にしろ暴力革命にしろ、その根幹にプロレタリア民主主義が座ってなければならないし、逆にそれらの言葉を使っているからといって、プロレタリア民主主義の実践が伴わないことには何もならない。中公新書「魯迅」(片山智行、1996年)のまえがきで、魯迅が中国の民衆を苦しめてきた悪霊支配、それを生み出す「馬々虎々(マーマーフーフー・・・「虚偽」「欺瞞」をも含む人間的いい加減さのこと)」と闘ってきたことを紹介しているが、その片山氏の文章に
たとえ主張することが「革命」「解放」「正義」であろうとも、もしその人間が実質をいい加減にして看板(名)に安住するならば、たちまち堕落が始まる。旧支配者が儒教(名)を支配の道具として利用したように、革命者が威圧的に「名」を振りかざすのみであるならば、知らぬ間に悪霊支配に陥っていくであろう。とある。「名」を振り回す前に「実」を議論したい。その「実」は、常に内から外から、検証が必要とされる。そして最終判断をするのは、プロレタリア民衆である。
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コメント
暴力や独裁の根幹にある「プロレタリア民主主義」って何?。なんてイジワルな質問はさておき(^^)、つまりもう、マルクスやレーニン主義などという「名」に依拠した批判や方針からは脱却するということですか?。
投稿: 革命派 | 2009年9月28日 (月) 19時07分
「プロレタリア民主主義」=「プロレタリア独裁」は、「ブルジョア民主主義」=「ブルジョア独裁」に対立する概念。
レーニンは、専制政治と闘う為に、非公然・非合法の党活動を余儀なくされたが、その中でも、最大限、プロレタリア民主主義を大切にしてきた。その立場に、立とうとしてるんじゃないですか!?
投稿: | 2009年9月28日 (月) 20時41分
せっかくですが、再建派指導部はそのレーニン主義をすでに捨てていると思います。
党を“手段”に貶め、プロレタリア階級の前衛であるレーニン主義者党の地位を自ら放棄したようです。
誤解のないよう強調しておきますが、だからといって彼らを“排除”するのは間違っています。
これで退場します。お騒がせしましたm(__)m。
投稿: 革命派 | 2009年9月30日 (水) 17時44分
革命派さん!あるみさんは、プロ独のディクタトゥールを「独裁」と訳すか、「執権」と訳すかを争う様な生き方をしなさんな、プロレタリア独裁・プロレタリア民主主義を実現するために生きなさいと云ってるんだと思いますよ!革命党は、世界革命勝利の為の手段に過ぎません!世界革命が、勝利する過程で止揚されていくのです。
投稿: | 2009年9月30日 (水) 19時51分
うむ、革命派さん、「名無し」さん(なんかハンドルつけてね^^)。なんとも答えようがありまぬ・・・「その通りだ」でしょうか。
投稿: GO@あるみさん | 2009年9月30日 (水) 22時03分