「所有」から「占有」へ
昨日の続きみたいなもの(^^)
市東さんの農地は、ブルジョワ法における登記やらにおいては、市東さんが「所有」するものではないということになっている。しかしそこは生産の実態として「市東さんが野菜を生産する」場所である。
ブルジョワ的所有を保障する「法」が、実体としての生産を疎外している典型例である。
農地の「所有」が地主が小作料を搾取する根拠にもなれば、相続だ~税金だ~家産だ~ということで、農地が有効活用されず、農業したい人(農業をしたい人がたくさん出てくるかどうかは、また別の政策の問題)に農地が融通されない、農地の集約が進まないという根拠にもなっているのだと思う。農地に限らず、土地や工場のような生産手段の「所有権」には、しばしば抵当だとかがつけられ、借金の形として「差し押さえ」られたり、また、所有・抵当があることによって、金融資本から利子を取られる根拠になる。ブルジョワ的所有が生産の桎梏になっているわけだ。
会社が倒産し、生産手段が差し押さえられた時に、労働組合が生産手段を「占有」して自主生産を行い、闘争を続けるケースがある。港合同の田中機械や、最近では京浜ホテルの居酒屋さんがこれにあたる。資本の所有と関係のないところで労働者が自主的に生産を行ってゆくことが、資本主義を打倒した革命後の生産の主体・・・生産協同組合の萌芽となる。
この生産協同組合的は、レーニン主義や、それを簒奪したスターリン主義を信奉するグループからは長年問題視されてこず、資本や権力と直接ドンパチする「労働組合」を重要視する傾向がみられた。一方、そういった潮流から距離を置くグループの中には、生産協同組合的なものを「もう一つの社会」として位置づけることを試みていた・・・ただしそれらは前者のグループから「資本・権力」と闘わないでも、新しい社会が生まれる、生産協同組合が社会を蚕食することで、世の中が変わるとする「日和見主義的」な闘わないための方針であると批判される。 実際問題として、「生産共同組合」的なものを1工場、1資本でそのままで独立して行おうとしても、よほど世間に必要かつ独自な製品を作っているのでない限り、「いや~あんたとこのような『左翼会社』とは、取引しまへん」で終わってしまう。(病院経営は別で、主たる取引先は健康保険組合等。製薬会社では相手が左翼であろうが、薬使ってくれればお客様^^・・・ということで、生産協同組合的なものが成立してしまうのだ~)生産共同組合的なものを一定成功させているのが、関西の生コン業界で、連帯労組・生コン産労・全港湾の3労組が、自らの直接雇用主である中小資本家とも組んで広域共同組合を作り、共同販売制度を維持している。ただし原料の購入先や販売先は資本の論理で動くので共販制度は生産全体をコントロールすることはできない。またこの制度をつくり、維持していく中で大資本・権力そしてそれらの意をうけた暴力団のような連中とドンパチしてきたし、現に今も連帯労組は権力から集中的に弾圧を受けている。ドンパチができるのは、まさに労働組合だからこそ、できるのである。
生産者・労働者があらゆる生産手段を大規模に、そしてほぼ一斉に「占有」し、生産協同組合を作ること、これは経済危機・金融危機下で「資金が無い」けれど生産は続けないと、労働者人民は食っていけないという情勢の中で、決定的に必要になる。「占有」のための闘いを、労働組合も含めたあらゆる団体、グループから、学びながら組織してゆく、ということが必要なんだろう。
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コメント
言っていることはよくわかりますし、法学部出身だからそう思うのかもしれへんけど、「所有から占有へ」では不正確でちょい誤解をまねくかも。占有権というのは、ただ「持っている」だけで発生しますし、働いているだけで占有は発生しないから。
どう言えばいいんだろ。「所有権から使用権へ」ちと違うか。
ゲバラが農民を搾取する外資や地主階級に対して「土地はそこを耕す農民のものだ」といったのはすごくわかりやすいんだがなあ。
「会社はそこで働く労働者のものだ」うーんいまいち。
「労働者こそ主人公」
だんだん共産党みたいになってきた
投稿: 草加耕助 | 2009年9月12日 (土) 14時14分
草加さん、連続コメントありがとうございます。たしかにブルジョワ法的にも「占有」とは何か?と定義されているわけですから、正しい使い方ではありませんね。言いたいことは「所有権から使用権へ」でいいのですが、「権(権利)」という言葉も共産主義社会では止揚される・・・というか、「生産して食っていくために使うのがあたりまえ、だれかにとやかく言われんわい!(結局ゲバラか)ということをうまく言い表せる言葉が欲しいところであります。
投稿: GO@あるみさん | 2009年9月12日 (土) 21時46分