路面電車を守った労働組合
「路面電車を守った労働組合 私鉄広電支部・小原保行と労働者群像」(河西宏祐 平原社)を読み終えた(やっとかよ^^) 組合分裂下、いったん少数派に転落したものの、懸命に闘い多数派を取り戻し、また広島の路面電車を守った私鉄中国地方労働組合広島電鉄支部(以下「広電支部」)の委員長を16年務めた、小原保行の話である。
小原が労働運動で活躍しはじめたのは、レッドパージ前後ぐらいから。1950年代前半より、私鉄中国傘下の組合に資本攻勢、分裂攻撃がしかけられ、広電支部も1954年に分裂…第二組合が結成される。広電支部の組織率は減り続け、16%台まで落ち込んだ。
組合役員のなり手がいないため、若干24歳で広電支部の書記長に選出された小原は「30年後には必ず多数派になってみせる。」が口癖だったそうだ。組織者としての活躍が始まる。職場に不満を持つものを秘密に組織し、労働者の権利についての学習会を続け「学習をとおして、職場のなかには労働基準法違反や不当労働行為がいっぱいあることに、みんなが気づいていった」(p72)のだ。
苦しい時期にも、広電支部は特別時間外手当を求める闘争や、有給・生理休暇取得闘争、さらには女性の結婚退職に反対する闘争に取り組む。また当時、バスは運転手に割り当てられており、新車がもらえるのは会社にとって成績がよい人だということであった。これは第二組合の組合員には新車や比較的新しい中古車を、広電支部の組合員にはボロ車を割り当てる差別待遇に、さらには運転手や車掌を休憩時間や勤務時間外にバスをきれいに洗車する、果てしないタダ働き競争に駆り立てるものとなっていた。広電支部では「タダ働き」を最初は拒否していたが、第二組合に行った労働者の気持ちをつかむため、組合活動家で討論の末、一緒に「タダ働き」を行い、一緒に車を磨きながら話をして共闘の可能性を探る…その上で「タダ働き」の時間を賃金に換算し、不払い賃金として会社に支給を要求する、この過程で市内バスの運転手が70~80名加入してきた。そして配車差別…新車はそれほどたくさんあるわけではないから、第二組合の中にも配車差別がある…を撤廃させるための「配車基準闘争」をストライキも構えて、会社側の恣意の入らない配車協定を締結したのだ。
と、簡単に紹介してみたが、いろいろと学ぶことは多いぞ。
少数者が、自分たちだけの権利にとどまらず、いかに大衆とむすびついていくのか?
組織をつくるための方法(学習会なんか、いいだろうな)とか
小原はこの後、1963年に私鉄総連中央執行委員として中央に派遣され、私鉄総連からの派遣オルグとして争議を指導する。60年安保闘争の余波もあり、全国的に中小私鉄の争議が高揚した時代で、経営側がそれに対抗して組合分裂に打って出て、労働争議が頻発していたそうだ。「小原の広電における豊富な経験が必要とされた時代だった。」(p139)
つづくよ
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コメント
かなり面白そうな本ですね。
ただ、現在、公共交通機関が民主党政権の下で切り捨てられようとしている今、「労使協調」での戦いもまた求められているように感じます。
(時代が違うのでそういうことも必要)
投稿: TAMO2 | 2009年12月11日 (金) 22時20分
>「労使協調」での戦いもまた求められているように感じます。
「つづき」(いつになるやら)で紹介しますが、小原氏は会社と交渉するのにおいて「損益分岐点」を考えることが大切だとしたそうです。
投稿: GO@あるみさん | 2009年12月12日 (土) 18時59分
関西汽船の子会社"関汽交通社”は
異常な会社、
関西汽船乗船券船場営業所において
異常セクハラが発生被害者の女性はノイロー
ゼになり退職、加害者は会社も労働組合も
解雇を示したが、親の謝罪で加害者は在職
することのなるが、また同じ様なことをする
会社側は
予見していたのであれば注意義務
に使用者責任が存在します。
その上、書類は盗まれるは、
私物は盗まれる、女性がストーカー
加害者の男性は精神疾患になる
異常すぎるこの会社
闘わなければ。
投稿: zenno | 2011年2月11日 (金) 20時47分