路面電車を守った労働組合(続き)
路面電車を守った労働組合の続き
私鉄総連中執の任期は3年、広島に帰郷した小原と広電支部の、労働条件を獲得し、大幅賃上げを勝ち取るための闘いは続く。会社側がストを打たせないため、バスをどこかにこっそり分散して配置する、それに対抗してストを打ち、ピケを張る。第二組合員がスト破りするのを止めるよう説得活動を行なう、職場内でも徹底的に議論する等を通じて、少数派ではあっても広電支部は運動の主導権を握り、1967年以降は大手私鉄並みの賃上げができるようになった。
一方モータリゼーションの進展とともに、路面電車は定時運行が難しくなり、会社でも邪魔者扱いされる。路面電車の運転間隔を空ける、終電時刻を繰り上げる、新規採用を行わないなど、会社は路面電車撤去の布石を打ってくる。はじめは会社の提案が労働時間短縮となるため、人員不足に悩む職場労働者から歓迎されるようなものでもあったのだが、「終便時刻の切り上げも、運転間隔を開けることも、そのようにして客離れをひきおこして、路面電車の幕引きをねらっているということだ」(p192)だが支部としてこれらの会社提案に反対しようと機関で意思統一しても、職場労働者の間で大変な議論となった。だが雇用確保そして利用者の足を守るため、広電支部は「電車の機能を高める闘い」を「交通政策闘争」と位置づけ、取り組んだのだ。
この闘いは「対企業闘争、対自治体闘争、内部運動」の3本立てで行われた。このうち「対企業闘争」は会社側に対して利用者を増やすためいろいろ提案し、実施すること…例えば広島駅前の乗降ホームに電車を二両配備すること、交差点に「観応信号」を設置することなど…「対自治体闘争」とは県や市に協力を求めて公共交通の利便性を高めるよう要請すること。広電支部が重視したのがマイカーの軌道敷内の乗り入れを禁止する県の公安条例の実現や、バス優先の右折専用レーンの設置である。「内部運動」というのは、会社の終電繰上げ、運転間隔拡張などの「労働時間短縮」合理化案を振り切り、従来どおり終電時刻午後11時を堅持することや、従来の運転時間を守ることを提案して「働き度を高める運動」を展開したことである。
1971年12月1日に道路交通法が改正されてバス専用レーンの設置が認められると同時に、県公安委員会がマイカーの軌道敷内侵入禁止を施行し、路面電車のスピードが徐々に回復し、利用者が戻ってきた。そうすると路面電車部門が黒字になって、会社が路面電車を残すことに懸命になってきたのだ。
「会社というのは損益分岐点を境にして、モノの考え方がコロッと変わるんです」と小原は言う。「『損益分岐点』が労使交渉の天王山だ、労働者が知恵をふりしぼって、会社側よりももっと上手に経営をやってみせる、そして、黒字経営を実現してみせる。そのことによって職場と雇用と労働条件を守るのだ。」(p199)という発想である。
「損益分岐点」の考え方や「働き度を高める運動」について、市場競争に労働者を巻き込むことに繋がり、また必ずしも利用者が増え、黒字になる企業・業種ばかりでもないから、公共企業を守る運動や、労働運動にそのまま当てはめることは出来ない。特に労働運動について、現在問題となっている派遣切りのような非正規雇用に対する首切りや組織化については「会社の黒字化何を言うてんのだ
」ということになる。ここは「労働者が経営を行う」ことを考えるのが大切だ…ということにしておこう。
路面電車を守る闘いは15年ほどかかっているのだが、これが進むうちに、路面電車部門で少数派だった広電支部が多数派に変わってきた。
つづくよ…
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