雲の先の修羅
今年の新年早々、未来第48号(の下のほう)に紹介された、「雲の上の修羅『坂の上の雲』批判」(半沢英一 東信堂)をネットで購入(本屋さんでは手に入りませ~ん)して読んでみた。 国民的作家、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が「日露戦争は祖国防衛戦争である」とした歴史観で日本人のアイデンティティを「再確認」しようとしていることに対する、体系的な批判本である。
「坂の上の雲」を紹介する書評に「秋山好古、秋山真之、正岡子規」の3人を描いたとあるのに、正岡子規は物語の早い段階で死んでしまい、私も是を読んで「何やねんこれ~」と思ったことがある。これは司馬氏が日露戦争を祖国防衛戦争と定義づけ、「明るい『坂の上の雲』」として描こう」としために、数々の歴史的事件…江華島事件、壬午軍乱、朝鮮王宮占拠、旅順虐殺、朝鮮王妃殺害など…を無視し、日露戦争に至る原因の朝鮮半島の支配権を巡る、日清戦争に至る経緯がほとんど描かれていないことによる。「『坂の上の雲』では日清戦争に至る時間帯が正岡子規の話に費やされ、そのことに違和感を覚えさせない仕組みになっています。」(p19)うむ、なるほどなぁ~。
筆者は「若いとき司馬氏の小説に啓発されたことに感謝し、また氏の大衆小説家としての力量を評価しています。」(p4)としながらも
第5章28節 空想歴史小説『坂の上の雲』
①『坂の上の雲』で司馬遼太郎氏は、日清戦争の帝国主義を「定義」の問題、日露戦争を「祖国防衛戦争」としている。(第2章)
②それは日清、日露両戦争の歴史的事実に反する。(第3、4章)
③『坂の上の雲』を、日清戦争の帝国主義を「定義」の問題、日露戦争を「祖国防衛戦争」という前提のもとで物語るために、司馬氏は、単純な無知の他に、意図的な隠蔽と曲筆、半ば意図的な不勉強を犯している。(本章のこれまでの議論)
…中略…つまり『坂の上の雲』はいわば「空想歴史小説」とでも呼ばれるべき本だと私には思われるのです。 (p73~74)
とまとめている。そこに至る論理は事実をならべ、簡単かつ明確である。
他の戦争を描いた歴史的文学作品…ヘロドトスの『歴史』やトルストイの『戦争と平和』…と比較し、理性や真理(ヘロドトスはそれらを重んじた古代ギリシア文明の一員である)、「国家を超えた人類の課題(『坂の上の雲』で司馬氏がトルストイに対してこのように言及している)に到達しようと」していない、「日本人のアイデンティティ」のみに訴える小説だと批判している。その空想の歴史によって支えられた「アイデンティティの牢獄」の問題は日本のみの問題ではないが(トルコの「アルメニア大虐殺(1915年)」の否定や、ドイツにおけるユダヤ人虐殺否定を例にあげている)、脱帝国主義の時代に、理性と人類同胞の精神でもってアイデンティティをコントロールし、帝国主義(レーニンが与えた「革命的左翼」のものではなく、より一般的な概念としてのそれ)を克服しようと論じている。
内容はそんなに難しくないし、「坂の上の雲」にもとから批判的な左翼の人々が改めて読めば、もの足りなさを感じるところもあるだろう。もっとガンガン言えばいいのに
本書の付録に「戦争の数学―百発百中の砲一門は百発一中の砲百門に匹敵しない」というのがある。秋山真之が書いたとされる「連合艦隊解散の辞」にある「百発百中の一砲能く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを覚らば…」という、「日露戦争の残した神話的遺産として日本軍の非科学的精神主義を助長する大きな要因(p136)」となった、「疑似数理」の批判を、高校二年程度の微分の知識を使って行っている。知的な読み物として図書館なんかに置かれていれば、司馬遼太郎の「歴史」にアテられた高校生ぐらいの若者にとっても、いいと思うぞ。
なお、筆者の半沢英一氏は数学者であるが、日本の古代史についても深い造詣があり、聖徳太子とは、古墳時代から天皇制律令国家への過渡期時代に即位していた仏教倭王であるという、聖徳太子法皇倭王論というのを出している。また差別冤罪裁判である狭山事件の第二次再審請求棄却決定に対する異議申立に添えられた半沢鑑定書において、確率論を使った筆跡鑑定で石川さんの無実を完全に証明した方でもある。半沢鑑定書については、「狭山裁判の超論理(解放出版社)」が出版されている。
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コメント
司馬氏は、この小説を、否定的に考えていたと意聞くが。真実だろうか?
投稿: 平和 | 2010年3月11日 (木) 23時07分
平和さんこんばんわ
半沢氏も著書の第33章に『坂の上の雲』の映像化をためらった司馬氏 ということで、件の小説に作者本人が疑問を抱いていたことを書いています。また、その章で「『坂の上の雲』の日露戦争観の前提となる朝鮮観においても晩年の司馬氏は動揺されていたようです」とあります。
投稿: GO@あるみさん | 2010年3月12日 (金) 21時18分