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差別を自覚するのはなかなか難しい

この前辺野古・普天間に基地はいらない高松行動として、「すのこにへのこ」をひっ下げ官邸前行動に決起したのであるが、アピール中に基地建設は「沖縄差別」である旨の発言があった。その後、私の後ろのほうで横断幕を持っていた女性たちの中から「沖縄差別なんかじゃないよねぇ~国民が気づいてないだけなのよ~」とか言っているのを聞いた。

いや~やっぱり沖縄ばっかりに基地があるのは、差別じゃねーの?と議論したかったが、気が弱いので(第一、そんなところでイデオロギー論争してもしょうがないのであるが^^;;)そのままにしておいた。

数ヶ月の間、沖縄から多くの人が「もうガマンできない!」と爆発し、14年間、気づかずにいた「本土」の「反戦運動」をやる人々…わざわざ平日の夕方に官邸前に駆けつけるぐらい意識が高い人でも、こうなんだなぁ~とがっかり…

でも私が彼女たちを「間違っているぜい」と非難できるかというと、ホンの1~2年前だったら、彼女たちと同じような考え方だったかも知れない。どちらが「意識が高い」「上から目線」であるからどうのこうのという非難・批判するような資格なぞないのだろう。

なごなぐ雑記さんの記事の中に

感謝などいらないから、踏んでる足をどけてくれないか。

というのがあった。足を踏まれると痛いが、踏んでいるほうは違和感はあっても、痛いわけではない。くつが丈夫ならば、違和感すら感じないかもしれない。

「差別」され「人間扱い」されなかった人たちが、差別を打破して「人間」に戻るのに、ものすごいエネルギーが要る…そのエネルギーは、「暴力」という形をとって、人に自覚があろうがなかろうが、人と社会を傷つけることになる。

足を踏んだら、それをどけて、すなおに誤ればいいのに…

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かくめいのための理論」カテゴリの記事

コメント

>「差別」され「人間扱い」されなかった人たちが、

どこの誰のことですか?

投稿: 核武装論者 | 2010年6月23日 (水) 04時55分

そうなんだよねー。
「差別はよくない」って簡単に言うけれど、差別している側の集団の中にいると、本当に差別される側からの痛みなんてなかなかわからない。

ナチス党員だってユダヤ人を差別しているのではなく、正当な区別をしているだけだという主張(主観)だった。そう主張するためのデマや詭弁も山ほど用意されていた。もっと古くは黒人を縛り首にして回ったKKK団も自分たちは「防衛」しているんだと思っていた。

今も、最悪の軽蔑すべき確信犯的な差別主義者でさえ「差別して何が悪い」とは言わない。「これは差別ではない」という。人種または民族を理由に人殺しをしている奴さえ「差別ではない」と言う。女性差別もそう。

外から見れば、あるいは後世から見れば、明白な差別であるということを私たちは今もたくさんしているんだという自覚を忘れないでいたいと思います。

投稿: 草加耕助 | 2010年6月23日 (水) 14時50分

核武装論者さん
>>「差別」され「人間扱い」されなかった人たちが、
>どこの誰のことですか?
ここは「一般論」として書いておりまする。意味の無いツッコミは止めるよう(^^)
草加さん
「踏まれた者」が大きな声で叫ばないと(叫んでも)なかなか気づくことができない。だから「被差別者」の糾弾は厳しいものになります。その「糾弾」を理由に、また差別を正当化する者も居る…だけでなく、「自分は差別なんかしてない!」って居直ってしまう…左翼でもよくあることでしょう。
とはいえ、今回は後ろの「活動家」の皆様には、もう少し「沖縄差別」ってやつを考えて欲しかった…だからこのエントリーを上げたのです。


投稿: GO@あるみさん | 2010年6月23日 (水) 20時57分

>ここは「一般論」として書いておりまする。
>「踏まれた者」が大きな声で叫ばないと

踏まれてもいないのに『踏まれた踏まれた』『金寄越せ』と繰り返す連中もいるスミダハミダ。

投稿: 核武装論者 | 2010年6月24日 (木) 03時09分

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