屋島ケーブル含む、屋島の廃墟
屋島のてっぺんで、革命を叫んで、とっとと山を降りてもよかったのですが、屋島ケーブルの廃線跡を見に行きました。
屋島ケーブル(屋島登山鉄道)とは、1929年に開業した、屋島寺参拝のためのケーブルカーである。戦時中は一時「不要不急路線」として線路が撤去されたものの、1950年に復活。ただ、当時の親会社である琴電が、私も通ってきた1963年に「屋島ドライブウェイ」を開業、60年代に年間200万人いた利用者は2003年には5万5千人まで落ち込んだ。しかも元親会社、琴電も経営再建中で、止む無く2004年10月16日に屋島登山口~屋島山上間休止、2005年8月22日にはそのまま廃止となった。ちなみに10月15日には多くの「葬式テツ」も含む人たちが別れを惜しみにやってきたのだが、25年間異常なく動いてきたケーブル巻上げ機にトラブルが発生し、その日はついに終日運休となる悲運にも見舞われている。(それにしても、琴電経営陣ってホンマ、AFOだなぁ~道路作ったらそっちに人が流れるやんか…お遍路道とケーブルカーだけにしとけばよかったのに)
で、山の中をあるいているおじさんに「ケーブルカーの駅の跡はどこですか?」と聞いて、えっちらおっちら歩いてみる。
駅が見えてきました。廃止から5年以上ですが、建物はしっかり残っています。
かつてのにぎわいの跡、手荷物預かり場所とか…なお、反対側にも食堂跡とかの建物があるのですが、人が住んでいるようで、子どもの声がしてきました。
トラロープが張ってあって、立ち入り禁止です。廃線の状況や駅の中の観察は当然、できません。
もっとも、廃線跡そのものは、山の下から一筋、木の無いところが山腹にあるのですぐに分かります。チェーンでもつけて「廃線跡歩き」したい人に解放すればいいのに
神道革新さんからいただいたコメントで
古くからの観光地一般に言えることですが、屋島でも廃墟と化したホテル・旅館跡が目立っていたような記憶があります。日本の観光形態も半世紀前と比べて大きく変わっているんだなと改めて実感した思い出があります。
ホンマに、屋島山上は、車で気軽に行ける反面、山上のホテルやみやげ物屋さんが廃墟になっています。

ドライブウェイの駐車場にして、この有様。
ふらっと車とかでやってきて、景色眺めるだけ、あるいは地元の人が健康のため、ちょっとしたハイキングをするだけのところになってしまいました。かつては国鉄の「周遊指定地」として全国知名度の観光地であったと思いますが・・・
TAMO2投手がコメントされた屋島山上水族館は、4年前にリニューアルされたようで、琴電でも車両に広告を出すなど、良く宣伝しているようです。
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コメント
子供の頃乗ったなあ
頂上で崖に向かって瓦を投げる遊びをした記憶があります
あの店も潰れてしまったのか
投稿: | 2011年3月31日 (木) 17時47分