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「共同体」の上に「国家」や「民族」はいらん

「展望第7号」飛田論文について続きを書く前に、「沖縄県民」という言葉に国家や民族の止揚をみる記事でいろいろ有益なコメントを頂きましたので、返信がてらメモ書き程度に書きます…というか、直近にいただいたキンピーさんのコメントが、ほぼぴったりくるんですね。どうもありがとうございます。(ネグりとかあんまり読んでませんが^^;;
 

これは確実に存在するものの、ある条件のもと「現れては消え、消えては現れる」光の粒子的運動のようなもので、実際の運動に例えると、ある条件に対する「連帯」のようなものでしょうか。

 そうですね「沖縄県民大会」も、個人的にいろんな問題や課題(それこそ日常を生きていくうえでの心配事等も含めて)をかかえつつも、「共通の目的」のために何万人も集まる…そこに「思い」を同じようにしたいとする人は、「本土」や「外国」からでも参加できる。また、ある時は「高校野球」のようなスポーツイベントで熱中できる…というようなことも含めた「もの、こと」なんでしょう。パリコミューンやプロ独とは違うものですが、私にとってこの「発見」は、マルクスがパリコミューンを「時期尚早」としながらも、それが実際動き出したときに熱烈に支持したときの喜びみたいな(そんなスゴイことかよ)もんかもしれません。

で、

ここから妄想話ですが、すなわち「民族」というものが中心的な役割を果たすとして、この「民族」はヤマト民族などという抽象的なものではなく、琉球諸島の島々の文化歴史が違うように、大阪でも河内の人間と泉州の人間が違うように、もっと生活空間に密着した具体的な存在としての民族をもってようやく「我々が決めた」と認識できるのではないでしょうか。
ただそれだけでは江戸期に戻っただけですから、やはりその共同体は外部に開かれたものであり、出入り自由な空間かつ連帯自由なものでなければならないと思います。
大きな行政府は置かず、連合として暴力・経済を管理し、過去に「国」と呼ばれたものは「あの辺り、この辺り」に変わる。
ちょっと背伸びしても我々が自主管理できるのは、この程度までと思います。

う~ん、こんな「妄想」は大好きですねそれこそ、「なのなの勢力」さんからのコメント
東北ものとか青森県民というメンタリティーを強く持っている私には、なんとなく説得力のある内容でした。

にも繫がるのですね。(水槽作業と蝦夷革命推進!に、さらなる精進を期待しております…三陸鉄道久慈ありすタンに会いに行く企画もしたいし、津軽鉄道や津軽線の三厩にも、また行きたいし)話がいらん方向にズレました。

焚火派GALゲー戦線さん、ご訪問及びコメントありがとうございます。
 

「アイヌ」そのものとは違っても「アイヌ的存在」は存在する。 そして「アイヌ的存在」としての側面を持つ者は必ずしも少数派ではない。(本多勝一の文章だったと思う。 それを思い出しました。)

そうですそうです、本多勝一氏の「殺される側の論理」に収録されている文章にあったと思います。被抑圧と「少数者」の問題…被抑圧「少数者(必ずしも少数者ではない)」は、自分のことを「自主決定」できない…自主決定(あるいは自己決定)からの疎外がすなわち、抑圧ということです。「共同体」の破壊は、抑圧を伴います。

草加さん、たけさん(忙しいのかな、最近来てくれないですね…)から草加さんのブログへで「右派は共同体を大切にし、左派はインターナショナルなものを大切にする」というような意味のことをコメントされていて、ああ、なるほどなぁと思いましたよ。ただ、左派…というか、体制と闘っている人がたたかいを始める動機の中に、「共同体破壊」への抵抗があると思うのです。三里塚闘争はその代表的なものですが、80年代は環境破壊に対する問題…それこそ反開発や反原発など「緑」的な人たちが「左派」としてそれを担ってきました。現在でも、GALゲー戦線さんが指摘された「中国政府の圧政に呻吟するチベット人だってウイグル人」達や、イラク・アフガンで反米闘争を続ける、あるいはチェチェンでロシアに対する闘いを続けるムスリム人民はそうでしょう。大きなところではパレスチナもありますね。ベトナムのホーチミンや解放戦線の人たちは、とりあえずその共同体を「民族」でくくっていましたが、それが普遍的な「共同体」に繫がるものでもあったのでしょう。決して「左派」も共同体を軽視していたわけではない…それをたけさんに言うことを忘れていました。
話は少し飛びますが、行財政改革の一環としての市町村合併や、さらには橋下大阪府知事や財界が押し進める「道州制」なんかも、「管理できる共同体」をぶっこわすもの、「私たちが決めた(決める)」というものを脅かすものとして批判していかなければならないのでしょう。

皆様、コメント本当にありがとうございます。なのなの勢力さんの「人が幸せに暮らすって、どういうことよ?という問いかけ」を大切にしていきたいと思います。

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かくめいのための理論」カテゴリの記事

コメント

>左派…というか、体制と闘っている人がたたかいを始める動機の中に、「共同体破壊」への抵抗があると思うのです。

ヒャッヒャッヒャッ
自由で平和で安全でユルくて、日本という世界一恵まれた共同体にどっぷり浸かって、日本のメリットを全身で享受しながら破壊するのですか?w

投稿: 核武装論者 | 2010年9月15日 (水) 08時28分

そうですねえ、「共同体」は破壊ではなくて、より高次の段階に「止揚」するという表現がぴったりきますね。感覚的なものにすぎない段階ですけど、そう思います。

国家とか日本国というシステムは「共同体」ではありませんよ。(>核武装論者さん)ですから、この国家による共同体の破壊、すなわち「自由な」個人への解体と、資本制への繰り込み、それを正当化する資本主義イデオロギーの押し付けによる支配に、左派は抵抗してきたということだと思います。この程度は左翼なら常識に類することでしょうが。

さらに釈迦に説法を書いておきます。まあ、補足(になっているかあやしいけど)の意味で。

個と類の対立問題について、左翼は個と類の分裂を止揚して統一することを目指し、社民は「個人」を優先する。右翼は「全体」を優先する。だが、この場合の「全体」とは共同体的な類のことではなく、一部の階層の利害を代表して共同体を破壊するシステム(=国家)のことにすぎない。

結局現在の右派の8割方の人は、「共同体」への回帰や憧憬を語りつつ、なんのことはない、それを破壊してきたはずの資本制や国家制度の延命に手を貸しているピエロだということです。

投稿: 草加耕助 | 2010年9月15日 (水) 20時25分

草加さんフォローありがとうございます。
核武装論者さんは「共同体破壊に抵抗する」という意味が、まるで分っていない。70後半~80年代にあちこちで闘われた、道路建設反対、原発反対、埋立て反対、空港建設反対等のいろいろな歴史(この先駆的存在として、三里塚の闘いがありました…そしてそこから「新左翼」は多くを学んだのです)を知らずして勝手に語っているところで、アウトなんですね。

投稿: GO@あるみさん | 2010年9月15日 (水) 23時15分

>70後半~80年代にあちこちで闘われた、道路建設反対、原発反対、埋立て反対、空港建設反対等のいろいろな歴史

全敗じゃね~~かw

>そしてそこから「新左翼」は多くを学んだのです

その多くのほんの一部を具体的にどうぞ。 具 体 的 にねw

投稿: 核武装論者 | 2010年9月16日 (木) 02時56分

共同体が失われた(or失われつつある)ことに笑って過ごせる核武装論者さんは、何のために核武装論者に身を置いているのかな?
まさか「郷土を守るため」なんてことは言わないよね?(爆

投稿: キンピー | 2010年9月16日 (木) 12時19分

>共同体が失われた(or失われつつある)
何処の国の話ですかな?
>まさか「郷土を守るため」なんてことは言わないよね?
それ以外に軍備の理由は有りますか?w

投稿: 核武装論者 | 2010年9月16日 (木) 21時58分

なるほど。
核武装論者さんには共同体破壊が見えていませんか。
つーかコメントのつながりを見れば、ご自分が何に笑ったのか説明できるんですかね。

投稿: キンピー | 2010年9月16日 (木) 22時11分

>ご自分が何に笑ったのか説明できるんですかね。
馬鹿馬鹿しい反体制ゴッコを笑っているんですが。

投稿: 核武装論者 | 2010年9月16日 (木) 22時44分

>全敗じゃね~~かw
新規の原発立地は、全くできていません。東京外郭感情道路や新幹線計画、その他の開発も遅れ、頓挫・変更を余儀なくされているところも一杯ありまする。石垣島でサンゴの海を埋立て新空港を作る計画にたいする闘いも、80年代のものです。
>その多くのほんの一部を具体的にどうぞ。 具 体 的 にねw
 ソ連までのマルクス主義の解釈は、「生産力中心」の考え方でした。生産力増大=社会主義だというドグマが支配しており、それらから新左翼も無縁ではなかった。その意識を変えることが出来たこと(ただし、「党」組織に反映できたかどうかは別問題…そういう人は「党」みたいなものから離れていきました)
 あと「連合赤軍」およびそれ以前の「街頭至上主意」みたいな空理空論…民衆の支持がないのに銃を強奪して銃撃戦をすることなど…は意味がない、地道に足に地をつけて行動することが大切だということ。

 だから「過激派」は過激でなくなったんですよ。

 ま、足に地をつけて、共同体をぶっこわす「核武装」に励んでください。

投稿: GO@あるみさん | 2010年9月16日 (木) 23時21分

核武装論者さん

その体制が共同体を破壊しているのですが何か?

投稿: キンピー | 2010年9月17日 (金) 10時10分

>全敗じゃね~~かw

実際には全敗でもないんだが、
仮に全敗だったとしたらどうなのさ。
共同体を破壊して個人の尊厳を生活ごと破壊してきた国家に、抵抗してきた歴史の話だぞ。

やるからには勝ことは重要な事で、努力目標などにせず真摯に追求するべきものだけど、勝ち負けの結果に翻弄されていると負け犬根性がつきます。
気をつけろ核武装論者さん。

そんで、間違いがあるんで指摘するが、軍が守るのは国家体制であって郷土ではない。
そして窮地に立つとき、軍は軍を守る事を全てに優先する。
旧日本陸軍も最高司令官たる天皇を最優先し、沖縄の民衆を盾に部隊の維持延命を優先した。

あげくに大虐殺だからね。
当然この行動には差別意識があってのことでもあるのだけれど。

投稿: 韓基大 | 2010年9月17日 (金) 12時44分

核武装論者さん>
右派というのは最大公約数として、左翼とは逆の方向で「共同体が破壊されている」という危機感が共通のものとしてあります。その失われた「伝統」の復活というか、理想的なあり方を考え、勉強し、学び、実践するのが右派の思想の根底ですよね。

あなたいったい何者ですか。ここに書いたことを読むだけでは、右派が「売国奴」と呼ぶ者の一種にすぎませんが。
単なる「反体制には何でも反対」のお子様ウヨク、つまり「在特会」と同じニセウヨクということでいいのかな

>その多くのほんの一部を具体的にどうぞ

簡単に言うとね、40年くらい前の左翼は、ソ連やスターリンが昔やったとされる非道に対して、「それはデマだ」「歴史の偽造だ」として、ソ連側とかの公式の資料などを示して「真実はこうなんだ」とやっていたわけですよ。『左』ならなんでも正しい、それに反するものは偽造やデマだと、ちゃんとソースを示してね。つまり今の君らのレベルだね。

次の段階としてね、「目的は正しかったが手段が悪かった」「指導者が悪かった」「正しいことをしようとしたが、国際環境や周囲の他国のせいでやむを得ない選択だった」「それでも末端の兵士や活動家は頑張った」とか言い出したんだ。君らの一部もこの段階にやっと達したようだね。

長くなったし書ききれないないので、その後の遍歴は省くから、自分で調べてごらん。自分のためにもね。
頭の中でなく、ましてやネットの中なんかでなく、実践の中で苦しみ、学ぶことで、もちろんいくつもの失敗を重ねながら、地に足をつけた変革、人々の幸せとは何か、そのために自分は何ができるかを考えてきた人々の、目もくらむような多様な思想の数々が見えてくるはずです。
右翼でも、あなたみたいに遊び半分な人ではなく、真面目な人はちゃんとそのあたりの研究もしてますよ。

>反体制ゴッコを笑っているんですが

そんな私(たち)にはよほどあなたのほうが「国士ごっこ」「愛国ごっこ」をしているように見えますよ。なお、「私(たち)」というのはイコール左翼という意味ではありません。あなたのようなやり方では、モノホンの思想右翼からも相手にされんでしょう。

投稿: 草加耕助 | 2010年9月18日 (土) 01時39分

>その後の遍歴は省くから、自分で調べてごらん。

 省いちゃダメだろ、省いちゃw
 具 体 的 にねw

投稿: 核武装論者 | 2010年9月18日 (土) 04時10分

>>70後半~80年代にあちこちで闘われた、道路建設反対、原発反対、埋立て反対、空港建設反対等のいろいろな歴史

>全敗じゃね~~かw

>>そしてそこから「新左翼」は多くを学んだのです

>その多くのほんの一部を具体的にどうぞ。 具 体 的 にねw

と書いて、全敗じゃないことが示されると、

>>その後の遍歴は省くから、自分で調べてごらん。

>省いちゃダメだろ、省いちゃw
>具 体 的 にねw

なんか、あれだね。もうつける薬がなって、ヤツ?かわいそうだけど。

投稿: | 2010年9月18日 (土) 05時05分

韓基大さん、的確なコメントありがとうございます。
負け犬根性というより、勝ち馬に乗っていたほうがラクです。(某民主党や自民党からホイホイ出馬するタレントやスポーツ選手みたいなものですね)ただ、みんながいつまでも勝ち馬に乗り続けられるか分らない…でも自分だけはそれに乗り続けることができると信じ込んでいる。
見たくない現実を見ないで置こうとすると、こうなりますね。
「軍隊」が「共同体」を守らず、「国家体制」ひどくなると自己組織そのものの保全に走ることは、歴史の教えるとおりですね。

投稿: GO@あるみさん | 2010年9月18日 (土) 13時47分

核武装論者さん>
省いていませんよ。かなり長文で書きましたが何か?これ以上、他人にブログのコメント欄で論文を執筆しろとでも?

上の投稿にあるように
>もうつける薬がなって、ヤツ?かわいそうだけど。
ということになると思います。苦し紛れに恥をさらすにもほどがあります。

ちょっと痛すぎじゃないですかね。

ーーーーー
かわいそうで見ていられないので、老婆心ながら、敵に塩を送る意味で一つだけ真面目に書いておくと・・・

荒らす時に「ギャハハハハ」みたいな文章をはさんだり、「w」を多用するのは、マウスイヤーのネットにおいては、すでに3昔前くらいの荒らしさんの投稿でよくみました。
今時こんなことをしている人はほとんどいなくなりましたし、これだけで「痛い人」と判断されてしまうので、こういうお下品なことは辞めて、ちゃんと「自分の意見」を書いたほうがいいですよ。

核武装論者さんの心には届かないんだろうことはわかっていますが、これは茶化しているんではなくて、真面目な忠告ね。

では、核武装論者さんは何も言うことがない(自分の意見がない)ようですので、これにてさようならです。
また、「自分の意見」があるときにおめにかかりましょう。

投稿: 草加耕助 | 2010年9月19日 (日) 21時36分

すいません、「もうつける薬が…」と投稿した者です。なんで、左翼の人って、こんなのと関わってもどうにもならないって思える人にまじめに関わるんだろう?普遍的人間愛とか、人間の可能性を信じる心とか、そんなものを左翼活動で学ぶんでしょうか?

どう考えても、荒らし以外の何物でもない、「核武装論者」の投稿を世間にさらし続けているGOさんに問題があるんじゃないかと思いますよ、まじめに。

まぁ、彼(彼女?)が、ここで憂さ晴らしみたいな書き込みをすることで自分を維持してるのかな?という深遠なGOさんの視察のもと、放置されている気もしますが…。その辺の理解は、私よりGOさんの方が深いと思います。

投稿: | 2010年9月21日 (火) 07時28分

あ、すいません…。さっきの者です。

私ごときニセもの左翼にまで、「こいつ、脳みそ腐ってるんじゃない?」と思われ、かつ、「こいつ、しかるべき場所に入院した方がいいんじゃねぇ?」と心配されてしまう「各武装論者」さん、大丈夫ですか?

精神科に通ったり、カウンセリング受けることは、別になんでもありませんので、そうした方がいいと思います。あなたの書き込みを見て、もう治療が必要なレベルだと思います。(私は医者ではないですが)例え、収入がある程度ある、社会的に成功している方でもまずいと思います。意味もなく、攻撃的になってませんか?心配です。

投稿: | 2010年9月21日 (火) 07時42分

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