コミューン原則と革命ロシアの変質
さて、前回の飛田論文の続き(早よやれって)
展望第7号の〔Ⅶ〕スターリン主義をのりこえる新たな共産主義運動を切りひらこう p151(1)革命ロシアの変質―工場委員会の解体と「ソ連型国家管理」の原型の形成 というところから、革命後のソ連がどのように変質していったかを明らかにしている。P157において
すでに国内戦が一応の収束を見た1920にはソビエトは有名無実化していた。ヴェチェカーや赤軍も巨大な特殊機構となっていた。1918年4月29日、全ロシア中央執行委員会がソビエト政権の当面の任務についてのレーニンの報告を承認、決定。…こうして、文武両面における官僚制が不動の地位を獲得するにいたった。この1917年10月革命~23年の過程を、コミューン3原則の観点から見てみよう。と展開されている。ここで「コミューン3原則」と本文はなっているが、後で訂正がまわってきて「コミューン4原則」とのこと。ただしそれ以下の内容は、3つのこと(つまり「3原則」について)しか述べていない。
ここで「コミューン4原則」とは、本多書記長がまとめたもので1.常備軍を廃止して民兵と置き換えること。2.三権分立を廃止して立法と行政を一つとしたコミューン型の執行機関をつくる。3.警察を含む全ての役人を、選挙で選ばれ、常時解任できるコミューンの官吏に置き換える。4.その官吏の給料を労働者並にすること。 の4つで、多分筆者はこの分類が頭にあったのだろうが、文章は混乱している。単に「コミューン原則」としておけばよかったのに(コミューンにはそもそもいろんな原則があるんだから^^;)
具体的にどう展開されているか?
第1.「選挙制、随時解任制」について。工場労働者が管理部の任免権を剥奪されたことはすでに述べた。国家が任免権を握ったのである。これは、生産関係の反動的逆転という意味でも深刻な意義をもった。(中略)選挙制―随時解任制の解体は別の側面からも進んだ。食糧危機―食料独裁―農民反乱―政権の労働者人民の孤立がその背景にあった。(p157)もともとボルシェビキには独自の農民綱領・農民政策が無く、左翼エスエルと連合して革命を成し、その土地綱領を借用して「土地の布告」としたわけであるが、ボルシェビキそのものが農民をとらえ、組織することに決定的に遅れていた。そこに、内戦と飢餓がやってきた。都市の労働者と赤軍に食料を配ることが、政権にとって死活的な問題になったが、それが農村に武装した部隊を送って余剰穀物を挑発する食料独裁となった。農民反乱や、クロンシュタットの反乱が起こる。飢餓が広がる中で
以上のようにボリシェビキ政権から労農人民が離反し政権の孤立化が深まった。選挙をしてもボリシェビキが選出されない事態が続出した。その中で、ボリシェビキは政権維持のために「選挙制―随時解任制」のコミューン原則をみずから放棄していったのである。(p159)
第2.コミューンの「労働者並の賃金をこえない俸給」原則。
工場委員会の項で見たように、レーニンのいわゆる「後進性」(※「下からの記帳と統制の著しい『立ち遅れ』を指す」のゆえに、ソビエト政府は、ブルジョア専門家(経営者、技術者、高級職員)に高級を支払うやり方を余儀なくされた。(p159)
また、18年の段階で、ブルジョア専門家とは別に赤色専門家(党員)が登場し始めた。革命家として国家権力を握り、人民の批判と反攻を抑圧する官僚層である。(p160)
第3.「すべての人が統制と監督の職務を遂行し、すべての人がある期間(官僚)になり、したがってだれも(官僚)になれない状態へただちに移行すること」について。 さしあたり、つぎのような活動が想定されるであろう。ひとつは、工場委員会(あるいは労働組合)をつうじて統制活動に参加すること。これは、一方における労働組合の国家機関化と工場委員会の労組下部機関化、他方における国家機関における赤色専門家の登場と新官僚層の形成によって事実上形骸化している。2つ目は、選挙―リコール活動への参加。これについては上述したようにすでに解体状況に突入していた。 3点目に、大衆集会への参加。(中略)事実、レーニンが称揚したブリャーンスク工場暫定内規の第6項は、「工場におけるミーティングないし集会」を禁止し、「どうしてもやむをえない場合にかぎって」許可する、としていた。(p160)このように、コミューン原則から逸脱した政策運営、それも相当人民にとって血を見るほど厳しいもの(アーストラハンで1919年3月11日に起きた労働者のストライキに対して、機関銃と手投げ弾で2000人以上が死亡。「容赦なく制裁せよ」というトロツキーの命令のもと、その後3日間で約4000人を銃殺したことが紹介されている)が取られたのだ。 長々と引用してきたが、マルクスがパリ・コミューンで見出した「共産主義への道」コミューン原則から逸脱したものを、「社会主義だ」「共産主義だ」といってきたこと…これは前回のエントリーでも上げたように、実際に革命を起こした「権威」があるからこそできたわけだが、これが現在「社会主義・共産主義」を名乗るすべての政党・党派に中身の濃さはともかくしみついているのだ。単純に「レーニンは良いが、スターリンは悪い」というものではないことが分る。
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