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行かなかったへタレが語る10・20三里塚蜂起戦の前後

あーそいえば、今日は10・20三里塚十字路蜂起戦25周年です。
画像はこちら
行くようにオルグされておりましたが、結局行きませんでした。最終的にはNHKニュース等にて、上記映像を見ることに…。

夏休みも終わったある日、キャンパスに「ある人たち」が現れて、クラス入り、署名を集め始めた…。我が大学は当時「黒」系の人たちとかの他に、「ソ連こそ民主主義の故郷」などのたまう構改系(らしい)人たちが「左翼」であった。一応「白」系の「〇〇大支部」というのが存在しており、かつての拠点校でもあったらしい。

その人たちはいつも「白いヘルメット」を被ってアジっているもんだと思っていたのだが、その時は「素面(ノーヘル・ノータオル)」で「中核派です。」と言って署名とりするもんだから、二度びっくりcoldsweats01

いちおう「マジメ」な学生だったもんで、前列に座っていたから「三里塚二期決戦」「国鉄分割民営化反対」「中曽根打倒!」を訴える彼らとお話をすることに…。
なぜか構改系の人たちが取り組んでいた「反核(80年代のけっこう大きなテーマ)」の問題について、当方曰く
「いやぁソ連の核にも反対しないといけないんじゃないか。」
「そう、アメリカの労働者は核で死んでいいんだという、ソ連は間違っているsign03
すっとはいりましたねぇ~
ごちゃごちゃ話しているうちに、日本とソ連とで戦争が起こっても、「日本帝国主義」が負けることを望むんだ~punchという「革命的祖国敗北主義」も、なぜかすぅ~っと入ってきた。

本多勝一の影響を受けて、どちらかというと反米「愛国」的・日本の農業や自然を守れ(ゆえに三里塚闘争を含め、巨大開発・環境破壊・原発反対)的「左翼」であった私の目からウロコが取れる状態「日本という国家を否定する」革命的思想に出会ったわけだ。

なんやかんやで「署名」をして後日会うことに…友人の曰く「あんなのと付き合っていると、人生めちゃくちゃになるよ」…ま、とりあえずめちゃくちゃにはなっていないが、人生を半分くらい「誤った」のは確かか。

後日会ったら(署名した人とは違う人だった、以後この方が数年「担当」となる)いきなり「今度の10月20日、闘争に行って死ぬかもしれない。」とまじめな顔でおっしゃる。うへぇ~
当時激しさを増していた、韓国民主化闘争についても話題が及ぶ…「韓国の軍事独裁政権を支えているのは、日本帝国主義だ!(黒系の言う)韓国の民主化闘争と連帯するためには、日本帝国主義・中曽根を打倒することが必要だ!そのためには、三里塚闘争に決起し、勝利することが必要なんだ。」というお話…いゃぁ日本帝国主義を倒すための水路はいろいろあると思うんだが…云々言っているうちに、「前進」を取ってくれと提起される。

「え~月に2千円もするのmoneybag
「何を言うんだ!韓国の学生が自らの体に火をつけて闘っている時に、キミはたかだか月2千円ぐらいの出費を云々するのかsign03」というようなことで、結局定期購読することに…ここから私の(えーかげんな)白系人生が始まる。

10・20当日が近づくと「京都大学の掲示板に前進〇×号が掲示された。これには成田空港の航空写真がば~んと掲載されている。いよいよ空港に突入する決意を固めたんだsign03、京都大学が立ち上がれば、全国の学生が決起するんだ。」と、がんばってオルグされるも…結局当日は、行く決心が立たず、折から学際の準備と称し、当日は「鉄道研究会」の友人と写真を取ったりしに行った…ここでまた人生をなんぼか「誤った」かも知れない。

10・20の後、オルグ担当者は、怪我も無く私の前に元気な顔で現れた…それはそれで正直うれしかったですね…空港突入はならなかったけど、機動隊をせん滅した激しいが開放的でもあった当日の様子を生き生きと話してくれた。

私の初三里塚現地闘争参加は、翌86年の秋になる。

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