ナショナリズム・土着性について考えるために
あと数日で会社に復帰する…ことになっているが、お休み中はろくに本も読んでいない…ネットで例えばジャイアンシチューを実際作ってみるサイトとかに行って、あと最近は自転車でちょろちょろ出かける程度。
で、以前から「マル共産連再建協掲示板」で紹介されている、『前進』編集局員(今は組織を離れてタクシーの運転手をしているらしい)の事件録狂おしく悩ましくをやっと読んだ(^^)
67年10・8羽田からの活動家で、前進社の神奈川支社から本社で編集局員までやった人の、90年代初めごろまでの記録である。まぁ、いろいろとあったんだなぁ~といことが分るが、「対カクマル戦」→「先制的内戦戦略」…すなわち革命軍戦略になっていく過程で、どんどん党が硬直化していき、「上意下達」「軍令主義」に陥ってきたことが分る。
もちろん個人の記録だから、主観や思い違い等があると思うが、いろいろ学ぶべきことも多いものだ。
その中から一つ
国際主義と祖国に、現在問題となっている、沖縄の基地問題や排外主義者の台頭、魚釣台(尖閣諸島)領有問題といった、社会主義者・共産主義者にとって国家(祖国)や民族についてもっと考えるべきだよ…と書かれてあるところに注目したい。まあ、「ナショナリズム」の問題について考察するということだ。
レーニンが、『宣言』を曲解してまで引用しようとしたのは、「マルクス主義者」達の多くが、マルクスの片言隻句をもって、互いに自国の戦争を正当化していたからだ。「対抗的こじつけ」と言っていい。「マルクス主義者」達の、こうしたつまみ食い的な「正統」争いから、私たちはもっと自由にならなければ終わりだ。 私は思う。日本では、およそ左翼になる人間にとって、「祖国」とか「祖国愛」とかは聞くだけで反吐が出る。この日本の右寄りな社会と政治の中で、当然ではある。けれどそういう「力学」に負けて、その本質に迫ることから逃げ出したら、それは「革命家」としては屈服でしかない。 愛国主義者に問われたなら答えればいい。「国は国民を守らない。働く者同士での殺し合いはごめんだ。この国のための犠牲はごめんだ。戦争は嫌だ」。という原則をおさえつつ…
2つの議論を振り返って、私は痛感する。「歴史認識の欠落、現実的問題意識の欠落」、これこそ深刻だ。議論が空回りしていて、何の役にも立たない。一体、ここで言う「排外主義」とはどんなものなのか?日本の精神風土の中では、欧米に対する「拝外思想」とアジアへの「蔑視」の事だ。それは「脱亜入欧」というイデオロギーと共に、現実の歴史の中で醸成されてきた。その根の深さに、多くの良心的な人々は日々葛藤し続ける。言いっ放しでスッキリしているのは、中核派だけだ。私たちが「日本人」である事、日本の文化を全身に吸い込んで心身を形成している事も同じだ。こういう現実を無視して、行き着く先は、どうやら<『党宣言』への「原理主義」化>のようだ。 戦前の共産党員の幾多の転向を思い出そう。「日本の現実」「日本性」、そこから逃れて「国際主義」という非転向の「聖域」にしがみついた末、彼らは「日本性」から逃れきれない事を突き付けられて転向した。鶴見俊輔氏らの「転向論」の研究は優れていると思う。戦時下で、この戦争には反対だ、とあらゆる形で言い切れる中身を作り出すためには、もっと苦しまなければならない。
とある。「『日本の現実』『日本性』、そこから逃れて…」という言葉は、土着性がなかったということだ。戦前(戦後も)の共産主義運動は、西欧思想からの借り物で、しかもスターリン主義者によって歪曲されたものによることが大きかった。それがまだ克服されていないのではないか?
毛沢東が中国革命に「成功」したのは、マルクス主義を(スターリン主義的に歪曲されたものとはいえ)、見事に中国の現実に適合させたからに他ならない。(少年時代の毛沢東の愛読書は「三国志(演戯じゃないよ)」とのこと)
お勉強することが、まだまだ必要だぁ~さしあたっては白井朗氏のマルクス主義と民族主義を読んでみるか(それにしても4410円は高い)と思っているが…
日本革命をやるためには、日本のことを知り、分析しなければならない。沖縄闘争を勝利するためには、沖縄のことを知らなければならない。韓国・朝鮮人と「連帯」するためには、韓国・朝鮮のことを知らないといけない。
ところで日本や韓国・朝鮮、中国について知るにあたっては、いわゆる右よりリベラルや、右翼思想からの批判的摂取も必要だろう。なぜ、右翼が右翼思想をもつようになったか…それがそのように形成されてきたのか、その背景は何か…という考察も必要だろう。アジア主義とかね…。
TAMO2投手がブログ何で頭山満が殆どないんだろ?
日本が強くなるためにはアジアが強くなくてはならない、逆に言えば日本だけが強くてもそんなのは大したことはない、という形で自由民権の発想を引き継いだ、頭山満も忘れてはならないだろう。
ということを書かれている。頭山満って、すごいのだろうか…
なんとか読書量を増やせないか(じゃぁ遊ぶなよ)
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コメント
頭山満は矛盾に満ちた、凄い人物です。右とか左とかで括れない、若い明治が産んだ怪物だと思います。
なお、国家や民族というものは、その内部の「共通の前提」が必要であり、それゆえに必然的に「排外的」なものにならざるを得ません。(共通の前提に入らないものは排除せざるを得ないから。)
そしてそれは、民主主義の原理が持つ難題に繋がります。
あるマルクス主義者はその難題から「国際主義=コスモポリタン」的に民族を否定しました。若きエンゲルスやローザなど。
逆に、この国家や民主主義の構造そのものが抑圧を産むと見抜いたレーニンは、当時の左翼の主流に反対して、民族自決権を主張しました。しかし、そのレーニンも権力を取るや否や、「国家」の一体性/あるいは民主主義が要求する「共通の前提」のために、ムスリムらに大弾圧を加えました。
さて、我らの日本。革命原理としての天皇制(な、何だって~!!)、というところから考えてみたいと思っています。
投稿: TAMO2 | 2010年11月26日 (金) 22時34分
自由民権記念館で勧められた頭山満の本は、『人ありて』(井川 聡 (著)、小林 寛 (著) 海鳥社)です。
なお、頭山満というか、もし彼を右翼というのならば、右翼一般の話として、彼らもまた革命家です。ここのところが多くの左翼には決定的に理解されないところなんですが・・・。
投稿: TAMO2 | 2010年11月27日 (土) 00時02分
歪められた歴史 VOL.6 http://yes55.blog54.fc2.com/blog-entry-367.html
南翁州遺訓 敬天愛人 西郷隆盛 玄洋社 共産主義者の大東亜戦争責任 敗戦革命
権力の外にあっては大衆におもねり、
権力の内にあっては大衆を家畜・奴隷にする共産主義者。
投稿: | 2010年12月 4日 (土) 22時12分
紹介と考察ありがとう。「右翼の‥」はほんとに大事な指摘だと思います。
草加さんの自己批判へのコメントも読ませてもらいました。
私も「傷つけたほう」から、改めて深く感じるものがありました。
励みになります。
投稿: 白土kamui | 2011年1月28日 (金) 23時08分