« 忘年会闘争その2 | トップページ | 10クリスマス粉砕闘争! »

「殴られたほう」の心の痛みや傷を理解しよう

サイト「旗旗」を運営されている草加耕介さんが
「三里塚に関する自己批判(と要望)」というブログ記事を掲載されました。草加さんの誠実さと勇気に改めて敬意を示すとともに、三里塚空港反対同盟の83年3・8分裂、および現在に至るまでの左翼・非日共産党的ラジカルの分裂と混乱にかかわった者…とりわけ北原派反対同盟の最大の支援党派であった「中核派」の、「第四インターへのテロ」を始めとする、自らが支援しない者、反対意見を持つものに対する暴力行為や恫喝(それは受けた者の「生命」や「人生」に大きくかかわるほどの激しいものであったそうです)という「行為」とそれを「支えてきた考え方」について…全ての人が重く考えなければならないことです。
 3・8分裂というのは、成田空港が78年に開港が強行され、いよいよ2期工事の着工が迫るという情勢の中で、主体である農民の間で闘いの方針をめぐる対立すなわち、

論争の本質は、一坪再共有化という「当面の運動方針」をめぐってのみではなく、再共有化に象徴される運動路線、すなわち脱現地攻防化による大衆路線と、それに疑義を抱いて現実の現地攻防を中心に闘う路線を主張する者との、長期的な闘争路線をめぐる路線論争でもあったということです。
から起こったものです。
 「現実の現地攻防を中心に闘う路線を主張」するほうが「北原派反対同盟」、「脱現地攻防かによる大衆路線」が「熱田派反対同盟」となるわけですが、北原派反対同盟とおよびその支援は、熱田派のおよびその支援する人達のことを「脱落派」と呼びました。しかし実際、熱田派と呼ばれる人たちも十数年間、闘いを継続し(もっとも反対運動の中心を担ってきた部分が政府との「話し合い」や「和解」路線にのめりこんでいったことも事実です)今も少数ですが元熱田派として闘いが継続され、支援も続いています。
 草加さんの
 
再共有化に賛成している農民の主体性のみを尊重し、同じく再共有化に反対している農民の主体性を認めない、もしくは賛成派農民よりも軽視することにつながっていったと考えます。
というところの、言葉を借りて逆を言えば、「北原派」を支援する人たちが、熱田派の農民の主体性を認めない、軽視してきた…ということです。
もちろん、路線や闘いの思想が違えば「分裂」も止むを得ないことであったかもしれません。対立が深刻で非和解的になった以上(ただしその過程でどちらの側を支援する「党派」の影響について無視するわけにはいきませんが、ここでは述べないことにします。)主体の側が相手を否定する言葉を使うのは止むを得ないことでしょう。しかしそれに乗っかる形で、支援する者が相手側を全否定すること…これをテロ・恫喝までに高めてしまったこと…について、真摯に考え、反省する必要があると思います。

草加さんは「自己批判」の後で、次のように述べられています。

さて、要望と言って、私は何を「要望」したいのでしょうか。何かしらの特定の方針や運動や立場や考え方を支持しろとか、逆に非難しろということをでしょうか?決してそうではありません。「殴られたほう」の心の痛みや傷を理解せよということです。こういう主張は情緒的だとか感情論とかいって片付けられがちですが、本当は一番大切なことなのではないでしょうか?世界を変えようとか、人間の幸福を願おうという運動が、理論的な正しささえ備えていればいいというような、冷酷な内実であっていいのでしょうか。私たちは冷酷であってはならないと思います。…人の心の痛み(しかも自分が与えた!)を理解し、受け止め、それを我が物とできるかは、左翼運動にとって、一番「本質的なこと」だと私は思います。
この意見は、なにも左翼や反戦の「運動」ばかりでなく、普段私たちが生きていくうえで大切なことだと思います。完璧な人格をもち、間違いのない行動ができる人などいません。日常生活していて、知らずに、あるいは軽い気持ちで人を傷つけてしまったりすることもあるはずです。それをきちんと受け止め、「悪かった」と反省すること…反省できる人間であること…これがあたりまえじゃないかと思います。

草加さん、このような文章を書いていただき、本当にありがとうございます。

|

« 忘年会闘争その2 | トップページ | 10クリスマス粉砕闘争! »

かくめいのための理論」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「殴られたほう」の心の痛みや傷を理解しよう:

« 忘年会闘争その2 | トップページ | 10クリスマス粉砕闘争! »