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な~んも考えずに「天皇制打倒」を掲げた日本共産党

以前書いた、ナショナリズム・土着性について考えるためにの補足みたいなモンだが、戦前の日本共産党批判…出所は「展望」第6号寄稿「日本共産党・32年テーゼと全協の〈天皇制打倒〉綱領(雑賀一喜)…ちなみに「全協」とは、戦前日本共産党の影響下にあった労働組合「日本労働組合全国協議会」のこと。
さて、日本共産党はマルクス主義政党であるから、「君主制廃止」(社会主義・共産主義社会に「王様」はいらんでしょ)を当初から掲げて当然なのだが、日本の「君主制」すなわち「天皇制」について深く考察、研究してきたわけではなかった。
共産党が「天皇制打倒」を「主要なる革命的任務中の第一」と位置づけたのは、1932年3月、コミンテルン第2回常任執行委員会において「日本帝国主義と日本革命の性質」報告、それをベースにした「日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」…いわゆる32年テーゼである。
これは「満州事変」によって、日本帝国主義の大規模な軍隊が直接ソ連領と対峙することになり、国境線を犯される恐れを抱いたスターリンが日本軍の後方を攪乱したいと考えた。当時日本で頻発していた小作争議に目をつけ

そのころの日本軍兵士の83%は農民で、軍の中核である下士官はほとんど農民出身であったから、軍首脳部は深刻な動揺に襲われた。
スターリンは、小作争議がさらに発展すれば軍隊を内部崩壊に導き、最大の土地所有者である天皇を頂点とする支配体制を土台から覆すことが可能であると即断した。(p149)

のだそうな。
もちろん、「小作争議」が発展すれば軍隊内の動揺→厭戦・反戦…というふうになるが、ここでどうやって「小作争議」を発展させるかということではなく、いきなり頂点の「天皇」に切り込んでみるという過ちが行われた。しかも、天皇は日本における最大の土地所有者であったが、その大部分は山林原野で耕地は1.4%にすぎなかった。ロシアの
何千・何万のいう農奴を支配する貴族がザラに存在し、その頂点に君臨したツァーリズムとは大きく異なる存在(p152)
であり、また
人民を支配・抑圧する”機構”としてあるだけではなく、同時にすべての日本人を包容する共同体の家長であることによって世界に類をみない”万世一系”の君民一体的社会を2千数百年もの長きにわたって維持してきたという虚偽のイデオロギーに裏打ちされているのである。(p151)

また、日本国内の「左翼」の状況も、
極少数のアナーキストたちの不発に終わった企てをとらえて「大逆事件」が仕立て上げられて以来、社会主義者といえども天皇制について口にすることさえもはばかるような状況が支配していた。戦闘的労働者の家庭にさえも、「御真影」(天皇・皇后の写真)や教育勅語がうやうやしく額に入れられ掛け軸にされて掲げられていたのである。「大逆事件」によって、天皇制にいささかでも逆らう企てとみなされれば肉体的抹殺をもって報復されるという恐怖心が、人民の中に強烈な印象を伴って植えつけられた。人民の天皇(制)に対する”尊崇”の念は、このように凶暴なテロリズムによって裏打ちされたものであっただけに、意識の底に深く刻み込まれたのである。(p152~3)

このような中で「天皇制打倒」を第一の任務におき、指導下の全協の行動綱領に掲げるよう「指導」したわけである。治安維持法下で大衆団体である労働組合が公然と「天皇制打倒」を掲げれば、権力によって直接「適用団体」として弾圧sれることは明白であり、合法性を失って労働者大衆から孤立してしまう。現実の労働運動に責任をもつ全協中央委員たちの間でもにわかにこの「指導」には賛成できない空気が蔓延したが、共産党の「恫喝」により、わずか一票差で全協は「天皇制打倒」綱領をスローガンにいれることになった。
で、その活動の内実はどうであったか…
例えば、職場で風呂場の改善を要求したり、女性用トイレを増やせという闘いにおいてさえ〈天皇制打倒〉を掲げなければ要求を獲得することができないと強調された。ある産別の檄では「資本家と地主=天皇は暖けえアンカでウメエ物を食いながらエロ話に花を咲かせている」というように、天皇制と天皇を混同し、それを矮小化して描いている。日本共産党自信においても、『赤旗』付録の「婦人版」で「一女工」からの「なぜ天皇制を倒すのか?」という質問に対する回答のなかで、単に天皇が大地主・大資本家で人民の窮乏をよそにぜいたく三昧の生活をしている点だけが強調されている。
このような戯画的な”実践”は当然労働者大衆から反発をくらった。下部の声に押されて、全協傘下の各産別および関西地方委員会が相次いで「天皇制打倒を行動綱領より削除せよ」という決議をおこない
全協中央もそれを受け入れざるを得なくなった。(p156)

こういう体たらくになっていたのである。
しかし…天皇のエロ話って一体、どんなんだろう…

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コメント

大正14年生まれで昭和と同じ歳のウチの親父殿は戦争中幸いにも(?)肋膜炎を患い徴兵検査は丙種不合格、療養所暮らしだったそうですが、そこでは皆フツーに天皇を「天ちゃん」などと呼んでいて(ただしヒソヒソ声で)言われてるほど「畏れる」とか「敬う」とかではなかったようです。まあ、特殊な事例かもしれませんが。

戦後、六全協直前くらいに共産党に入党した親父殿、「徳田球一の馬鹿さ加減には呆れた」などと言ってますがこのヒトだって共産主義者でもマルクス・レーニン主義者でも無く純粋なる組合活動家、ある意味「愛国者」で数年前「俺はな、戦争中からずーっと『鬼畜米英』なんだよ」と言ってるのを聞いた時には「なるほどねえ」と思いましたよ。
『愛国の党』とか共産党が言っちゃうのは、こういう党員が下支えしてるんですね。

きわめて個人的な事例ですみません。
若い頃は何かとぶつかっていた親父殿ですが、今では「コレも一つの歴史の証言」と思って実家に帰る度にいろいろと聞き出しています。最近少々ボケて来たのか、前後の脈絡関係無くいきなり4〜50年前の話を昨日の事の様に話し出すので時系列を把握するのに苦労してますが。

投稿: 正太郎 | 2010年12月20日 (月) 20時28分

正太郎さん、貴重なお話のコメント、ありがとうございます。
私の父親は、もう5年程遅い生まれなんですが、もう80なんですね。終戦時は15で、ヤミ屋(といっても当時多くの人が生きるために)をやっていたそうですが、きちんと話は聞いていません。
今のうちに、キチンと父親の語る「昭和史」を聞いておく必要がありますね。

投稿: あるみさん | 2010年12月21日 (火) 22時21分

今、故あって立花隆氏の『日本共産党の研究』を読み直していますが、32年テーゼは1929年の世界恐慌を受け、日本にも「武装革命」をスターリンが押し付けてきたもので、党内にも様々な反発があったようです。それまで天皇制は「ブルジョアジーに従属する封建遺制」とされていたものが、いきなり「絶対主義的日本帝国主義の主柱」に格上げ?されたのですから、不信感をもって当たり前ですね。

小生は日本の排外主義は、#拝#外主義とコインの表裏だと思っていますが、日本共産党の歴史もその表裏に彩られていると思います。勿論、革共同各派(中核、革マル、四ター)も。


なお、戦争返りの兵隊さんには、「テンスケ」「テンコロ」と言っている人もいました。ちなみに、天皇について親愛の情を持っている人は「天子様」でしたね。

投稿: TAMO2 | 2010年12月24日 (金) 21時08分

もう一つ天皇(制)について見ておかなければならない視点は、江戸時代、奪権され無化されていた天皇(制)が、革命の原理として 尊王攘夷の「過激派=革命家」によって浮上したという事実と、当時の日本は紆余曲折をしながらも、基本的に成長していた資本主義国家であったという事実です。

単なる恐怖だけでは心理的に裏打ちされないところに天皇(制)というフェティシズムの難しさがあります。

投稿: TAMO2 | 2010年12月24日 (金) 21時19分

TAMO2投手、いろいろ詳しいコメントありがとうございます。記事にも書きましたとおり、32年テーゼはスターリンの「日本帝国主義からの領土侵攻」への恐れから、ろくに日本について分析されたわけでもなく押し付けられたものですね。
>日本の排外主義は、#拝#外主義とコインの表裏だと思っています
西欧のものを崇め奉ることと反対方向のアジア蔑視、もしくはその西欧主義の「反動」としてのアジアへの「過剰」な期待と、それが叶えられなかったときのさらに反動としての蔑視、もちろん西欧そのものへの蔑視等、いろいろあるのだと思います。
 またそれ以前は、西欧の変わりに中華(儒教)世界を崇めていたのですが、それも
>天皇(制)が、革命の原理として 尊王攘夷の「過激派=革命家」によって浮上した
要因の一つですね。

投稿: あるみさん | 2010年12月25日 (土) 21時07分

上からの指示で唱えた「天皇制打倒」は、なーんも意味なかったつーことですね。で、WWⅡ以降、今度は自分の頭で考えた結果、天皇制打倒の看板を下し、未来永劫はるか彼方の問題として先送り。またもや、革命的人民は裏切られてたのであります。共産党にハーフネルソン・スープレックスのお仕置きじゃ。。。

投稿: | 2010年12月26日 (日) 23時14分

天皇(制)大嫌いの風さん、コメントおよびTBありがとうございます。本年もよろしくお願いします。

投稿: あるみさん | 2011年1月 4日 (火) 20時59分

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 天皇誕生日、ですな(笑)  なぜか笑ってしまうのは、私だけ?(笑)  で、今年も、アホどもが、ぎょーさん皇居に集結して「天皇陛下マンセー」を叫んだようですな。  クニマス生息確認に喜び=...... [続きを読む]

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