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何度でも再生する話

(^^)Photo侵略!イカ娘のウネウネ触手…切られても再生するヤツ…だが、先っぽはこんな形ですね。何かに似ているじゃなイカ…作者、安倍真弘さんは何をイメージしたのか
私なら、再生するといえば…これですよ、これ。

Photo_2プラナリア…ですな。2つに切っても再生してしまうという、教科書にも出てくる有名なヤツ。日本ではウズムシと言い、淡水に住む体長2㎝ぐらいの大きさの小さな生物。きれいな川で石をひっくり返すと、その裏にくっついているらしい。肉食性で、イトミミズや水棲昆虫なんかを食している。ちなみに近所の川ぐらいでは、農薬とかが流れ込んでいるので、生息していないだろう

まずは画像をごらんあれ
プラナリア再生(TV番組からの動画)
プラナリアお食事編(動画)

なんでこんなものを思い出したかと言うと…大昔、「学習会」とやらで「(ストライキは)革命のヒドラである。」というお言葉が出てきた時…
「ヒドラって何や?」「ホラ、あの切っても切っても再生するヤツ」「それはプラナリアやん。あれカワイイよ
マルクス・レーニンの言葉でいう「ヒドラ」というのは、ギリシャ神話に出てくる怪物で、ヤマタノオロチやキングキドラみたく、頭がいっぱいある。ただしその頭は、切っても切っても再生してくるらしい。ま、ようするに「革命」というか、民衆の運動というのは、弾圧されても弾圧されても立ち上がってくるモンやと言いたかったわけだろう。

ちなみに「ヒドラ」という動物もちゃんと存在する。クラゲやイソギンチャクに近い刺胞動物(昔は腔腸動物と言っていたきがする)というもので、触手でプランクトンを捕まえ、食べているらしい。ちなみにプラナリアは扁形動物で、「〇〇吸虫」と呼ばれる寄生虫や、大き目の生き物では、コウガイビル(ヒルと名前がついているが、ヒルではない。ヒルはミミズと同じ環形動物)、サナダムシ(これも再生する寄生虫)の仲間である。
ヒドラの捕食シーン(動画)
卵でも増えるが、根元から芽が出てきて増えるので、プラナリアとともに、生物の再生の研究によく使われるらしい。
このプラナリア、「学習会」の同志は「カワイイ」と言ったが、エビや熱帯魚を飼っている人にとっては、時々水槽内で大発生する(おそらく砂利の中に卵が紛れ込んでいるのだろう)「困りモン」らしい。また、キモチ悪いと感じる人も多いようだ。
プラナリアに関するリンクまとめサイト

さて、サナダムシ(条虫)も出てきたこと、プレカリアートさんからエジプト情勢に関するTBをいただいたことから、ちょっと話題を変更。先の「学習会」グループで映画アルジェの戦いを見て、レーニン組織論(非合法・非公然の闘い)を学ぶ企画があった。映画の中で、独立運動を弾圧する当局のヤツが、組織をつぶすには、頭をつぶさないと、サナダムシみたいに再生してくる…というようなことを言っていた。(サナダムシの駆虫は、頭が出てきたことを確認しなければならない。ちなみにイスラム教が豚肉を禁じているのは、アラブには豚肉から感染する、それに寄生されると皮膚がボコボコになる「有鉤条虫」というサナダムシがいるからだそうだ)で、映画では弾圧当局が「裏切り者」の手も借りて、「組織」のトップを暗殺することに成功する…しかし、最後に「民衆蜂起」が起き、アルジェリアは独立を達成するというストーリーだった。学習会では「組織がつぶされても、民衆がいきなり蜂起しているように描かれているが、おそらくどこかにまた『非合法、非公然』の指導部をつくったんだろう、それがポイントだ」という結論であった。しかし「民衆蜂起」というのは、どっかに頭がいるから起きるという「サナダムシ型」ではなく、どこからともなく何度も「再生」する「プラナリア型」ではないだろうか?エジプトで今起こっている民衆蜂起は、突出したリーダーや指導部がいないということだ。(しかしそのへんが独裁者にとって変わる「政治」を生み出しにくくしているところは否めないが…)

春になったら、どっかの山の清流にプラナリア採取に行って、飼ってみようかなぁ~本物を見たことないし…飼うときのエサは、鳥のレバーとかだそうです…そして、プラナリアの「再生能力」に学んで闘おうじゃなイカ

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コメント

こちらこそ、わざわざTB紹介と追記までしていただき有難うございます。映画「アルジェの戦い」は、私もタイトルだけは知っているものの、実際に観た事はまだありません。是非一度観てみたいものです。
そういえば小説「蟹工船」も、似たような話の展開でしたね。最初のストライキはまだまだ中心メンバーにお任せの闘いだった為に、中心メンバーが一網打尽にされて一旦終息するも、闘いはそこで終わらなかった。労働者は次には、自分たち一人一人こそが中心メンバーなんだとの気概を持って、再び立ち上がりストライキを成功に導く。それを予感させる結末でしたね。私の職場のささやかな人権闘争も、斯くありたいものです。

投稿: プレカリアート@携帯 | 2011年2月 7日 (月) 06時08分

プレカリアートさん、わざわざ携帯からのコメントありがとうございます。
>私の職場のささやかな人権闘争
については興味深く拝見させてもらっています。
お互い、できるところでできることから、がんばりましょう。

投稿: あるみさん | 2011年2月 9日 (水) 20時32分

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