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TPPは社会的共通資本を破壊する

では、TPP反対の大義の続き
「TPPは社会的共通資本を破壊する」(日本学士院会員・東京大学名誉教授 宇沢弘文)では、まず自由貿易批判として
 

自由貿易の命題は、新古典派経済理論のもっとも基本的な命題の一つである。しかし、この命題が成立するためには、社会的共通資本の存在を全面的に否定した上で、現実には決して存在し得ない制度的、理論的諸条件を前提としなければならない。主なものを挙げれば、生産手段の完全な私有制、生産要素の可塑性、生産活動の瞬時性、そして全ての人間的営為に関わる外部性の不存在などである。(p9)
と述べている。ここで「社会的共通資本」というのがキーワードで、それは
 
社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力のある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置を意味する。(p10)
 と定義され、自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本(教育、金融、司法、行政、出版・ジャーナリズム)の3つの範疇に分けて考えることができるとしている。すなわち、これらの公的なハード・ソフトも含む広い概念である。
 ここで「資本」と言っていることで、「マルクス主義」を学んでいる左翼には違和感がプンプン漂ってしまうのだが(「資本」とは「剰余価値」≒「利潤」を求めて動き回るモノ…現在では大体貨幣形態で計られるが…その所有形態が私的なものである。宇沢の言うインフラ等の資本もその所有形態によって「資本」かそうでないものか考える)、現代社会ではインフラ等を「社会資本」と言って通用するので、「社会的共通資本」もそれを拡大・深化した概念としてとらえればよかろう。(しかし「マルクス主義的左翼」にしっくりくる言葉は、何か無いか?)
 その中で、自然を相手とする「農村の営み」(農業、畜産業、林業、水産業等を含む)に着目し
 
農業という用語法自体、おのずから一つの偏見なり既成概念の枠の中に、私たちの思考が戸坐作r手閉まっていることを示すのかもしれない。(中略)人々が農業に従事するとき、おおむね、各人それぞれの主体的意志に基づいて、生産計画をたて、実行に移すことができる。
 農業のもつ、この基本的性格は、工業部門での生産過程ときわめて対照的なものである。(p12)

 
農業のもつこの特性は、必然的に、効率性基準を適用しようとするとき、工業との関連できわめて不利な条件を生み出す。工業は、市場的効率性という面では、農業とは比較しえないような有効性を持っている。(p13)
 と指摘している。農業的生産と、工業的生産は違いますよ!ということだ。
ま、この「市場的効率性」はマルクス主義(資本主義でもそうだが)でいうところの「生産性の向上」によって拡大したわけであり、オールドマルクス主義(スターリン主義およびその解釈から自由になれない潮流)ではその「市場的効率性」を機械的に農業にあてはめようとしたわけであるが、戦後日本の農政や、さらに言うと「新自由主義」的発想の近々の自公政権・現民主党政権も同じである。ようするにこのような中でTPPなる究極の「市場効率性」を追求すれば、「社会的共通資本」であるところの農業・農村ぶっこわれますよ、ということだ。

 で宇沢は農家への一定額の所得補助(規模や生産量には無関係)を少し「提唱」するとともに(これはBI…ベーシックインカムの思想につながるものであろう)、コモンズとしての農村を生産・経営主体としてとられるべきと主張する。
 

農業部門における生産活動にかんして、独立した生産、経営主体としてとられるべきものは、一戸一戸の農家ではなく、コモンズとしての農村でなければならない。(中略)生産、加工、販売、研究開発など広い意味における農業活動を統合的に、計画的に実行する一つの社会的組織であるとしておこう。(p17)
 また、兼業農家の割合が高いと、工業部門に対し農業部門の市場経済競争でますます不利になるし、昨今の農業経営規模拡大潮流の中で、兼業農家の意味・位置づけは低くなっていると思うが、
兼業農家を、コモンズの主体的構成員と考えるとき、事情は全く異なったものとなる。もともと、伝統的な兼業地帯では、兼業農家もコモンズの担い手としての役割を果たしていたが、1990年代の終わり頃から現在にかけて、定年帰農というかたちでコモンズを担う動きが急速に進展しつつある。定年帰農の人々が、その人生経験を通じて蓄積された知恵をコモンズにもたらすことの意味は大きい。(p17)
と、発想を転換している。
 「コモンズとしての農村」は、土地所有問題、土地の所有と使用の乖離といった矛盾(というかドロドロ)を「止揚」しておかなければならないし、昔の「共同体」をそのまんまの形で復活させる違和感や抵抗は大きいだろう。ここで農業の生産協同組合的運営…しかもかっちり「枠組み」が決まっているものではなく、生産、加工、販売等で分かれながらも、アチコチで連携するアメーバー状のもの…を考えたりもした。
(続くよ)

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コメント

TPP参加による「無縁社会の深化」

環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への日本の参加が取りざたされています。

人と人のつながりの基盤、互酬性と信頼に基づく社会関係資本がどんどん失われ、都会では「無縁社会」が当たり前になっています。

農村部は閉鎖的だとは言われつつも、人と人のつながりが保たれています。社会関係資本は信頼・規範など個人の内面に依存し可視性がないものです。小野田寛郎氏の言を借りれば「人間の踏み行う道=先祖から受け継いできた伝統とか文化とかを子孫に申し送っていく」ということで保ってきたコミュニティーです。

しかし、経済人や一部の政治家はTPPなどの経済原理をこういったコミュニティーにまで持ち込み、この個人の内面に依存する関係までを経済原理に照らして値踏みし可視化しようとします。おそらく、村落は崩壊し無縁社会が日本を支配することでしょう。

リスクを個人で背負い込ませて平気な経済人と政治家、「個人を守る社会モデル」と何の関係もない「経済モデル」に血道をあげ欲望の増幅が道であるかの如く、「強いものを礼賛し、弱っているものを虐げ」、社会の信頼・規範(道徳・倫理)・価値観・責任・義務といった拠り所が、薄っぺらなネット社会でいい加減に扱われる、こんな社会の到来をとても心配しています。

TPPのもたらす経済効果の損得ばかりが報道されますが、農村部に辛うじて残っている「無縁でない社会」がTPPによって大きく影響を受けるようでは、社会の存立に関わる問題です。

農村部を将来にわたって地域コミュニティーのよりどころとするのであれば、社会資本として政策的に損得の勘定をせずに支援し残すべきです。敢て極言すれば、これは皇室を残すことと同じことです。日本という国の根の部分だからです。

以上

投稿: kristenpart | 2011年10月11日 (火) 07時41分

kristenpartさん、共同体論を中心とした反TPPのコメント、ありがとうございます。
皇室のことを述べられてますので、私より右よりの方だと思いますが、労働力の移動の自由化による外国人労働者(移民)の問題や、労働賃金引下げ等の観点から、どちらかというと右よりな方々もTPP反対を表明し、本などを出されていますね。
ひとつ左の側から「皇室(=天皇制)」について私の意見を述べさせてもらいますが、本来の共同体が「経済モデル」によって解体されても、なんらかの「擬制の共同性」が無いと、社会が確実に不安定になりますから、政治のできる「経済モデル」派はそのシンボルとして「皇室」をかつがざるを得ない。(銭ゲバの「経済モデル派」は天皇より金でしょうが…)そいゆうものとして「皇室」は残ると思います。

投稿: あるみさん | 2011年10月11日 (火) 22時52分

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