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2011年8月

小歩危はどうした…?

さて、「妖怪行列」を見た後、バスに乗って「小歩危渓」で降りる…しかし、国道と川の間に集落があって、渓谷をみるのは難しい。
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手前の「小歩危駅前」で降りて少し戻り、吊橋のところに行った方がよかったみたい。
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で、小歩危駅は、階段を上ったところに駅舎がある。
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上ってみると、こんな感じ…
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待合室には、ハイカーらしき人が2名ほど列車を待っていた。

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吊橋は、こんな感じ…

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向こうのホームには、地平の踏み切りで渡る、なつかしの情景happy01

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駅名票でござる…

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駅全体も、のどか…やがて踏み切りが鳴り、上り列車がやってくる。

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えっ、進行方向右側のホームに止まるのsign02まぁ、後発の特急に追い抜かれるためであるが・・・

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下り列車でもそうだったが、ここの待ち時間に、駅や駅名票を写していく人が、けっこういます。

ではでは…(そろそろTPP問題、再開しないとな)

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「大日本帝国」崩壊(南洋群島・樺太、まとめ編)

南洋群島は、第一次大戦時にドイツから奪い、国際連盟によって「C式委任統治」(現地人の利益に一定の保証を与えないといけないが、受任国の国内法が適用される。軍事基地の建設などは禁止されていたが、事実上の「植民地」であった)とされたが、ここはアメリカ軍の反攻により、「大日本帝国」の版図からはいち早く「離脱」させられたところである。
ちなみに、原住民は「島民」と呼ばれ、日米開戦時は日本人8万4千人、カナカ族が約4万7千人、チャモロ族が約4000人と、日本からの入植者が多かった。ちなみにこの「日本人入植者」の多くが沖縄県民であり、サトウキビ栽培・精糖業を行っていたようだ。(「ミクロネシア」と呼ばれるこのあたりは、赤道以北が日本の委任統治、赤道以南がオーストラリアの「委任統治」とされた。したがってラバウルはオーストラリア領に攻め入っって日本軍の基地をつくったものである。)なお、大日本帝国の植民地になることにより、北ミクロネシアでは各島バラバラの文化圏が、「帝国臣民」としての意識を持つようになり、一つの地域的まとまりとして捉えられるようになったが、

しかし、当時の日本では、南陽群島の島民は帝国臣民とはみなされていなかった。帰化もしくは婚姻などを通じて本人の意思による正規の手続きがなされなければ帝国臣民になれなかったのだが、このことを多くの島民は理解していなかった。戦後になって、今度は米国統治下で英語教育による一体化が測られるようになったが、このときも日本時代と同じく米国市民になったわけではなかった(p198)

さて、この南洋群島では、サイパン島とテニアン島で日米の激戦が行われたわけであるが、その他の島々は「空爆」をうける程度であったという。(それでもトラック等の日本軍基地はせん滅されてしまったが)。いわゆる「集団自決」が行われたサイパン島も、大部分の人が沖縄出身者えあったし、また占領政策も沖縄戦のプロトタイプになったようである。よって、サイパン戦は、あの飛散な沖縄戦の前哨であったわけだ。しかもこの現実は忘れられつつある…どれだけの島民、日本人、徴用されてきた朝鮮人が犠牲になったのか・・・不明のままである。

対する樺太・千島列島は「大日本帝国」から最後に「分離」された場所である。日本が日露戦争後に植民地とした樺太には、樺太アイヌ、ウィルタ、ニブフなどの少数民族、残留したロシア人(ポーランド人やタタール人などを含む)が居たが当初から圧倒的に「日本人」が95%近くをしめていた。しかし樺太は「外地」扱いであり、1943年4月1日に施行された「勅令第193号」によって、「内地」に編入される。最後の「本土決戦」は樺太・千島(行政的には北海道の一部)で行われたわけだ。
しかし大本営は千島・樺太をあくまでも「太平洋戦争」における対米戦争の戦略地として位置づけられていた。(そういえば真珠湾攻撃で連合艦隊が集結したのは、択捉島の単冠(ひとかっぷ)湾である。アメリカ領のアリューシャン列島に近いことも、対米重視の防衛体制を組んでいた。また、「本土決戦」用に編成された「国民義勇兵」が実戦に参加している。15日の正午に「玉音放送」が流れたが、ソ連軍の侵攻は止まなかった。
また、千島においては、カムチャッカとの「国境」占守島に18日、ソ連軍が上陸、戦闘が始まった。占守島での戦闘は21日まで続く。南樺太への空爆、(日本内地における最後の空爆は、22日正午の豊原空爆である。100人以上が死亡したとされる)戦闘は続き、樺太から南千島(国後、択捉)への無血占領もはじまった。

ソ連は1946年2月2日のソ連最高幹部会令により。45年9月20日にさかのぼって、南樺太と千島の土地・施設の国有化が決定され、翌47年2月25日には、南樺太のソ連領編入を正式に決定した。
ソ連は、

技術者か非技術者を問わず在留日本人の送還には全く興味を示さなかった反面、在留日本人に対して、ロシア人と同じ労働条件、同じ給与、同じ職場を与え、実生活の面で大きな違いはほとんどなかった。
 また、再開された学校教育の教科内容にも大きな制約を加えず、神社も神主を公務員にして存続させるなど、日本人の生活習慣に対して慣用であった。ロシア人のあいだでは、日本人がソ連国民になると見ていたようで、多民族国家であるソ連にとって、とくに日本人を外国人扱いして排除する必要性もなかったのである。(p214)

う~む、これが同じ「シベリア抑留」をやった民族とは思えないが・・・とりあえず米国は占領地や植民地び在留する日本人の本国送還にこだわり、1946年春以降、ソ連占領地の樺太、北朝鮮、大連からの日本人引き上げが始まり、12月19日には「在ソ日本人捕虜の引揚に関する米ソ協定」が締結され、樺太および千島からの日本人引き上げが開始されることになった。

終章「帝国」崩壊と東アジア においては、占領地・被植民地だった主な地域のその後が記述されている。

「あとがき」において筆者は、子どものときから祖父に戦争のことを聞き、「靖国神社」も知っていたし、映画やドラマでも「日本兵」はしょっちゅう登場していたと述べた後に、

そんな同時代的な感覚が、急に過去の出来事のように感じるようになったのは、昨年の夏であった。ちょうど北京オリンピックの真っ最中で、数年前の小泉内閣の時に靖国問題で喧々囂々とした世論が沸騰したことが嘘のような、八月十五日であった。(中略)このときの潮目が変わったという直感は、構想を練っている最中だった本書に大きな影響を与えている。また、近年、自国の歴史も他国の歴史も直視せずに安易な「歴史観」が蔓延し、国際化といわれて久しいにもかかわらず、精神的にはむしろ鎖国化しているような風潮に対する反発も本書執筆の原動力となっている。(p234~5)

右左真ん中上下問わず、読んでもらいたい本じじゃないかと思った…

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新世紀エヴァンゲリオン12巻読破?闘争

昨日TVで、「ヱヴァンゲリオン新劇場版:破」の放送があったので、見てみた…う~ん、この世界観が全く分らん、謎だぁ~

少し前に寮の食堂においてある、コミック版(貞元EVAと呼ばれてるヤツ)を12巻、読了したのだが
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やっぱり、分らんsign02

まぁ、いつもの同僚氏がコレのファンなので、彼に聞いたけど、よー分らん。(コンビ二、ロー〇ンでまたキャンペーンが始まったから、グッズ集めに忙しいようだ)

酷評すると、マザコン、ファザコン、ヨメコン、ロリコンsign02…がごちゃごちゃ混じってお話が出来ている感じsign03…エンターテイメントとしての面白さは認めるが…それにしても、12巻が出たのが2010年4月…そしてお話がそこで終わっていないのは何coldsweats01
だいたい、14歳で体にぴったりのプラグスーツ着せて、あんなセクシーvirgoな体形からしてオカシイ…14歳といえば、「イカちゃん」体形でいいのだ。

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(ちなみに「イカ娘」の年齢は謎という設定だが、作者は13~14歳ぐらいのイメージで描いているそうな)

ま、もっとも昨日の「劇場版」でも、コミック読んでたら分るエピソードがあったので、なんとかなった。予備知識がなければ、ホンマ、分らんだろうなぁ~wave

おまけネタ…東日本大震災で「節電して東北・東京にに電力を送ろう」(実際は周波数の関係で無理)というキャンペーンのチェーンメールが流れたが、このキャンペーン、ヱヴァの名シーン…日本全国の電力を集めて、ポジトロンライフルで攻めてきた「使途」を倒す作戦・・・にならぞえ、「ヤシマ作戦」と呼ばれていた。

しかし、なぜ日本中の電力を集め(日本中大停電)、、ポジトロンライフルで使途を倒す作戦を「ヤシマ作戦」というのか、さっぱり分らん。
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葛城ミサトがいきなり「ヤシマ作戦スタート」と言っているだけ…

なぜ「ヤシマ」なのかsign02源平合戦の屋島の闘いで、那須与一が弓矢一本で扇を落とした乾坤一擲の作戦(あれは当時あった、戦闘中のエキシビションみたいなものだったのだが)からとったとか、日本(大屋島)中からから電力を集めるから(2015年に「大屋島」なんて時代錯誤の言葉をつかうヤツいるのか)とか…

それと、使途とヱヴァが闘って大暴れした後、かなり都市とかが破壊されている。またヱヴァや関連施設でかなりの大電力を使っている、当然鉄塔や変電所関連設備も無茶苦茶になっているハズなのだが、大電力をどう調達してるのかthunder

そもそも、2000年に「セカンドインパクト」が起こった段階で、原発なんか壊滅だろ、BOKE~

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大歩危に何かようかい?

さて、大歩危駅には「子泣き爺」の像があるわけだが、ここ徳島県三好市山城地区には、多くの妖怪伝説がある。
道の駅「ラピス大歩危」には、博物館が併設されており、そこは2階が「石の博物館」、そして1階が妖怪村という、妖怪博物館である。
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まあ、「妖怪」というのは、奥深い山や急流の危険地帯に近寄らないようにする、あるいは悪質な旅人なんぞから身を守るため、子どもでも分るような怪奇現象を伝承にしたものだそうな。
博物館の中は撮影禁止…まあ、妖怪が変にリアルでなく、はりぼてっぽい作りなのが良い。
ちなみにここは、去年の7月にオープン、水木しげるが会長を務める「世界妖怪協会」から、全国2例目の「怪遺産」として認められた、由緒正しき施設なのだsign02

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祖谷渓方面にゆくのであろう、ボンネットバスを見てから、国道を歩いて北上…

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妖怪「のびあがり」とか…あちこち散策すれば、「子泣き爺」の石像とかにも合えるようです。

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大歩危の「船下り」発着場へ…もっとも、沢山の人が並んで待っている状態なので、今回はパス…

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「妖怪ソフトクリーム(350円)なんぞを食っていると、なにやらお囃子が…

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「妖怪行列」始まる…coldsweats01

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こんなヤツとか…

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こんなヤツらが、駐車場を練り歩く。

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「子泣き爺」は、定番なんだろう・・・しかし、この日は涼しかったが、暑い日は大変だろうな。

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ではでは…

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「大日本帝国」崩壊(中国編)

さて、今度は中国と「満州国」のおはなし…
中国は、8年間の抗日戦争を闘い、日本帝国の瓦解に貢献した。百万もの日本陸軍を派兵しても、広大な大陸の「点と線」しか支配させることができず、結局大陸に「釘付け」にしつづけたことだ(これは毛沢東の八路軍によるゲリラ戦争の成果でもあるのだが)。しかし、中国国民政府の蒋介石は、ポツダムの会談に呼ばれることもなく、「宣言」の内容を検討する時間も与えられないまま、宣言案を一方的に飲まされる立場となった。これは軍主力が奥地にこもり、連合国の指揮の下に闘いを継続しなければならなかったという立場であったからだ。
また、「ヤルタの密約」によるソ連の要求…モンゴルの独立、大連港の優先的利用権、旅順港の租借権、旧東支鉄道、南満州鉄道の中ソ共同経営権があった。これらは米英がソ連の対日参戦を促すため認めたものだが、最終的には中国政府と公称して決めなければならなかった。逆にソ連の対日戦争目的は、これら旧ロシアの権益の奪還という、徹頭徹尾帝国主義的なものであった。

モンゴルはもともと清帝国の版図であったが、辛亥革命後に独立の動きがあった。しかし「五族協和(漢、満、蒙…モンゴル、蔵・・・チベット、回・・・イスラム)」を革命のスローガンとして生まれた中華民国は、モンゴルの独立を認めなかった。(ちなみに「満州国」の「五族協和(日、満、漢、朝、蒙)」は中華民国のスローガンに対抗したものである。)しかしモンゴルはロシア帝国がモンゴル独立を支持したこともあり、事実上独立国化していた。(ついで1924年、ソ連の影響を受けて世界で2番目の「社会主義国」となるが、ソ連以外のほとんどの国から承認されず、「ソ連の16番目の共和国」と呼ばれた国際的なモンゴル承認も、連合国との取引で決まったものである)
また、ソ連と国境を接する新彊の独立や、東北での中国共産党の伸張問題も含め、ソ連と交渉しなければならなかったのである。

さて、ソ連が「権益」を取り戻そうとした「満州国」は、事実上関東軍が守備をしていたわけだが、南方戦線が次々と転進・玉砕する中で、精鋭部隊を次々と抽出され、1944年9月に大本営が出した「大陸命第1130号」によってうちだされた、ソ連に対する長期持久戦も危うくなっていた。本土決戦が現実化する中、関東軍も5月末に戦時体制へと切り替わるが、その中身は

当時の自給作戦計画に基づき全満州の四分の三を放棄し、朝鮮北部を含めた満州東部山岳地帯における対ソ持久戦の準備が開始される一方、対ソ静謐方針に基づきソ満国境周辺のソ連軍に対して無用な刺激をしないよう細心の注意が払われるようになった。(p147)

というもので、戦力低下を補うための在満日本人の「根こそぎ動員」が行われたが、在満日本人の保護対策は一切立てられなかった。(というより、軍事を優先させれば155万人の日本人の保護などとても無理だったのだが…)これが在満日本人の悲劇の原因となった。民間の日本人はそこに「生活」があり、簡単にその地を捨てて逃げることはなく、「満州」に愛着の無い軍人とその家族だけが真っ先に「避難」する有様となった。ただ8月9日以降のソ連軍は怒涛のごとく攻め込んできたように思われているが、関東軍が防衛線を引いた所で強い抵抗にあう。「玉音放送」が流れて「終戦」になったことが分っても、大本営から停戦の命令がこなければ現場は「停戦」ができない…ということで、停戦交渉は19日に始まった。ソ連側でも各前線に停戦命令が伝えられたが、部隊によってそれを受領した日は様々であったようだ。こうして東部国境の虎頭要塞に民間人も含めた1900名が立て篭もり、26日に玉砕するまで戦闘は続いた。

在満日本人の悲劇のもう一方の当事者、ソ連軍は、民間人は保護されなければならないのに、占領地で家屋の占拠、物品の強奪、婦女暴行、理由のない拘引、殺害がいたるところで行われた。当時のソ連軍はいわれているような「囚人部隊」であったわけではなく、ドイツ戦線から回された精鋭部隊であったのだが、「精鋭」=「綱紀粛正」では必ずしもない。

彼らは、報復の名のもとに略奪・強姦・虐殺とありとあらゆる悪行を互いが重ねあい、殺戮戦と化していた独ソ戦の影響をもっとも受けた部隊であり、ヨーロッパで行ったことを満州でも行ったにすぎなかった。(p167)

「帝国主義戦争」の最も悪い面が出てきたのである。
また、ソ連軍の指揮系統は完全な縦割りであったため、日本側からの治安維持要請もほとんど行き渡らなかったのも原因である。

また、「満州国」は一応「独立国家」とされ、日本の大使館が置かれていたが、駐満大使は関東軍総司令官が兼任することになっていたため、関東軍が崩壊すると、日本人(当時の満州国では国籍法が施行されず、日本人は日本国籍を持っていた)を保護する責任者がいなくなってしまった。責任者がソ連に抑留されたこともあり、各地に自衛組織としての「現地中国人会」や「日本人会」が出来る。(「日本人会」については朝鮮でもそうであった)なお、「満州国」建国以前から日本の租借地であった「関東州」にはソ連軍がそのまま軍政が敷かれた。

もともと「満州」では国民党の影響が強かったのだが、ソ連の占領という国民党の活動に足かせが嵌められたような特殊な政治空間の中で、中国共産党が伸張してくる。もっともソ連は毛沢東をそんなに評価していなかったので、それを積極的に後押ししたわけではない。

ソ連は日本人の復員にも一貫的に無関心であったため、国民党と共産党の対立が激化する中、中国に多数の日本人がいることは不安定要因になると考えたアメリカが、日本人送還を実行に移していった。1946年5月には錦州地区の日本人引きげが始まり、年内には大半の日本人が引揚げていった。犠牲者は日ソ戦争での死亡者を含め約24万5千人、そのうち8万人近くを開拓団が占めた。「ソ連復興」の労働力として抑留された日本人は約60万人、そのうち約6万人が犠牲となった。

また、ソ連は日ソ中立条約を破ってまで対日戦争を開始した理由付けのため、東京裁判の判決がでた後の1949年、対抗して「ハバロフスク裁判」を開いた。

ソ連としては、軍事的脅威も受けていなかった満州へ中立条約に違反してまで侵攻した大義名分をポツダム宣言に求めても、米英中の諒解もない押しかけ参戦である事実は隠しようががなかった。満州国を支配していた関東軍がいかに計画的にソ連に対する侵略意図を持っていたかを国際的に明らかにする必要があったからである。
 だが、この裁判はソ連に対する計画的侵略性が裁かれたものであって、満州国で行われた植民地支配が裁かれたものではなかった。そこには満州を奪われた中国側の意向が反映する余地は最初から与えられていなかった(p184)

まあ、こんだけの「悪行」を積み重ねれば、ソ連への不信感が日本で強くなるのは当然であろう。このソ連の行動、あり方をを「スターリン主義」として「共産主義」とは全く別のものであるという左翼は歴史の制約もあって当時は存在せず、1960年代を待つことになる。

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「大日本帝国」崩壊(台湾編)

アメリカが沖縄に上陸・占領したことで、台湾にアメリカ軍が来ることはなかった。逆に、台湾は中国戦区とされたため、日本降伏後は中国軍(蒋介石軍)が接収にくることになっていたのだが、中国軍は大陸の奥で日本軍と闘っているため、なかなか進駐してこない。

国府軍が進駐するまでは日本軍がそのまま駐留し、台湾総督府が行政と治安をこれまで通り執り行う。すなわち敗戦前と変わらず日本人が台湾を実効支配するという不思議な空間が生まれたのである。(
p101)

統治体制が軍も含め「健全」に残っていたから、台湾人によるサボタージュや示威行動も起こらず、日本人居留民も本国へ引上げようとする者は少なかった。

他方、台湾における政治的な動きとしては、もともと一つの民族・国家がそのまま植民地となった朝鮮と違い、近世になって中国の一部となってから植民地化されたということもあり、独立や中国復帰ではなく、日本帝国内での自治権獲得運動が主体であった。もちろん辛亥革命の影響をうけたもの、共産主義運動の影響をうけたもの(台湾共産党が台湾共和国独立を掲げていた)もあったが、単純で明快なスローガンで収斂されるようなものではなかった。こうした中で、中国から台湾省行政長官に、国民政府の陳儀が任命される。

国府軍が基隆に上陸したのは10月17日、台北にやってきたのが19日であるが、

戦場とならなかった台湾は、ビルマやフィリピンで見られたような組織の壊滅によって幽兵の集団となった日本軍と違って、規律正しい兵士からなる整然とした部隊がそのまま存在していた(中略)その日本軍に勝った国府軍はさぞかし圧倒的な軍隊であろうと想像するのは自然であった。しかし、目の当たりにした国府軍は、ボロ靴を履いて鍋釜を担いで雨傘を背負った、近代的軍隊とはおよそかけ離れたものであって、在台日本人の間では侮蔑感さえ抱かせる姿であった。(p117~8)

国府軍の精鋭部隊は、後に述べるよう、対ソ連、共産党軍に対抗すべく東北のほうに回さざるを得なかったから、そうならざるを得なかったのだが…
もちろんこのような国府軍を植民地支配からの解放軍としてこれらを歓迎する雰囲気も強かったそうだ。ただ、蒋介石は台湾を西方の国防の要とし、海南島とともに「国防資源と軍事工場および海空軍基地として積極的な経営を行う」(「蒋介石日記」1945年10月13日)としていた。民心をつかむよりも、戦略的価値だけ考えていた。
カイロ宣言で「台湾は中国に復帰する」といわれても、両者は50年余り、別々の道を歩んでおり、それ以前からも中国本国とは違う文化があったわけだから、何よりも様々なことに配慮しながら統治を続けなければならない。多くの台湾人は日本経由の近代化を、中国「本国」は辛亥革命以来の混乱の中で近代化を学んできたため、その違いは考慮されなければならない。蒋介石は民心の獲得に早くも失敗し、戦後の台湾人のアイデンティティをめぐる悲劇をつくりだした。

10月25日にようやく台湾省行政長官の陳儀が台北に入り、中国側の主権が確立…しかし「接収」を中心とする行政引継ぎのまずさや、中国商人が一攫千金を狙って大量にやってきたこと、さらに大陸で進んでいたインフレが持ち込まれたことにより、経済は急速に悪化。おまけに台湾統治の中核は陳儀をはじめとする大陸系に握られ、台湾人の政治参加は限定された。台湾人の不満は日本人に向けられ、12月、フィリピンで台湾人軍属が日本兵に虐待されていたことが報道されたことをきっかけに、日本人殴打事件も起こった。在台日本人全体の非特権化が明らかになってくると、日本への引き上げ希望者も増えてくる。国民党と共産党の対立が深まる中、トルーマン米大統領は中国の不安定要素となるおそれがあった在留日本軍の早期帰還も採り上げられる中、12月18日に米中から第10方面軍に復員を行うことを告げられ、25日には復員の第一陣が出港する。46年3月末から在台日本人の引き上げも始まり、5月末までに軍人の復員はほぼ完了、在台日本人も47年春に31万人のほとんどが引上げた。(沖縄から台湾に来た「琉僑」と呼ばれた人たちは、別途米軍によって引き上げさせられる。また日本人技術者や医者、金融機関関係、はては軍人まで含まれた日本人の「留用」があり、これが約2万8000人いた)

陳儀による台湾統治は年々悪化の一途を辿っていった。戦前に台湾を訪問したのを機に、台湾総督府の統治政策に強い影響を受けた陳儀が行った台湾統治は、台湾人を同胞として扱うものではなく、完全な支配者として望んだものであった。その結果として、台湾に土着する「本省人」と大陸から渡ってきた「外省人」といった区分が生まれ、彼らの溝は次第に深まっていく。 1947年2月28日に「二・二八事件」と呼ばれる台湾全島に及ぶ本省人による政治暴動が発生した。行政長官公所は事態の収拾に失敗、大陸からの軍隊増援によって1万8000~2万8000人に及ぶ台湾人が無差別に虐殺され、とりわけ日本時代からのエリート知識層が大打撃を受けた。この事件を機に、本省人と外省人の対立は構造化され、政治的弾圧のなかで本省人の中に「台湾人」意識が芽生えていく。(p130~1)
あまりにも平穏であった台湾支配の終焉は、日本人と台湾人双方にとって捩れた感情を産むことになった(p133)
と筆者は結論づける。台湾からの引揚げ者は「満州」等からの引揚者と比べて恵まれていたことを知ったことから、台湾人に対する親近感へ容易につながったが、本省人と台湾人との対立という過酷な現実に向き合わなければならなかった台湾人の悲劇にまで思いいたるものではなかったし、
台湾人にとっては同胞と信じてきた大陸の中国人に対する幻滅が広がっていくのと反比例して日本人に対する親近感が高まっていった。しかし、これは日本人が受け止めていたような単純な理由ではなく、台湾人にとっても日本時代も中華民国時代も同じように支配される構図は何らかわらなかったからであり、日本統治はあくまでも植民地支配であって台湾人が求め続けた自治は最後まで認められなかった。(中略)台湾人にとって八月十五日は「光復」ではなく、帝国臣民としての「降伏」だったのである。(p134)

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四国の中心で大ボケをかます!

というわけで、この前の日曜日は、18きっぷで大歩危まで行ってきた。
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駅の改札には「子泣き爺」が立つ…ここ三好市山城地区は、「子泣き爺」をはじめとする妖怪伝説の宝庫なのだ。
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駅前の様子、ここは阿波池田と共に、その奥の祖谷渓観光のルート、拠点となっている。
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歩危マート
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バスで道の駅「ラピス大歩危」へ
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渓谷は、こんな感じです。曇っていて、雨も降ったりしたので、とても涼しいhappy01
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足湯があります…入ってみましたが、なんか中途半端な温度でした。
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アンパンマン列車が、対岸を行くtrain
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今日は疲れたので、このへんで…
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「大日本帝国」崩壊(朝鮮篇)

さて、「日本」領域の外側…すなわち植民地だったところに目をむけてみよう。ただ、南樺太は1943年4月に、住民がほとんど「日本人」であるということもあって、「内地編入」されている。また、千島列島は行政的に北海道の一部であり「内地」ということになっている。

さて、最も重要な朝鮮半島であるが、その前にソ連の戦争目的はヤルタの密約に基づき、日露戦争で失った権益の奪還という「帝国主義戦争」そのものであったことを押さえておく。よってソ連は当初、朝鮮半島まで進出する予定はなく、あくまでも「満州奪還」作戦の側面支援として朝鮮半島の北部に軍隊を進めた。これをみたアメリカが、38度線で朝鮮半島を分割占領することを提案し、ソ連も「じゃぁ、もらっとこうか」となったものである。ちなみに旧日本軍もソ連侵攻時に、38度線を境に北は関東軍、南は第17方面軍の管轄と分たのであるが、それと現在の「朝鮮分断」は関係ないものと見る。

さて、日本降伏後、朝鮮ではすぐに独立国家樹立の動きが広まった。あちこちに民族団体が結成されるとともに、朝鮮総督府は機能不全になった。(ただし朝鮮における対米戦にそなえた第17軍の存在は無視できず、大きな混乱はすぐには起こらなかった)朝鮮人有力者による政府の早期樹立を望み、そこに日本人居留民の保護をゆだねようと考えた、朝鮮総督府ナンバー2の遠藤柳作のような人もいた。
やがて「朝鮮建国準備委員会」(建準)が結成されたが、雨後の筍のゆおに出来る民族団体、独立団体を統括することはできなかった。また、朝鮮はカイロ宣言において「独立」が約束されていたはずなのだが、実際はソ連軍とアメリカ軍による「分割占領」という事態を迎える。「左傾化」した建準は9月6日に「全国人民代表者会議」を開き、「朝鮮人民共和国」の即時樹立を決定した。
しかし日米の実務者レベルの予備交渉の中で、アメリカは朝鮮人有力者への権限移行を認めず、

「只、苦笑するのみ」であった(p78)
という。
要するにアメリカは朝鮮人の統治能力を全く買っておらず(ルーズベルトでさえ、朝鮮半島の独立には20~40年はかかると考えていた、朝鮮は1300年もの統一国家をもってきた歴史があることを、全く認識できていなかったのだ)…と言うより、対日戦において朝鮮半島は重要視されていなかったため、全く何も考えていなかったというものだ。ソ連軍が朝鮮半島で戦闘を続け、軍隊を進めている間、アメリカ軍は全く朝鮮半島に足がかりをもっていなかった。日本が降伏した場合、連合軍が武装解除することになるわけだが、各国が武装解除を行う地域・範囲を決めなければならない。そこで2人の大佐が壁に掛った朝鮮半島の地図を見て、京城(現在のソウル)が米軍担当地に含まれ、かつほぼ朝鮮半島を2等分できる38度線分割案を30分で決めたという。
ソ連としても、あくまでも朝鮮半島での戦闘は関東軍の退路を遮断すること、中国の遼東半島を手中にすることが目的だったため、この提案がなされた時も国境に近い部分ぐらいしか占領しておらず、38度線まで軍を進めるつもりはなかった。要するにソ連もまた朝鮮を重要視していなかったわけだ。
南側に進駐した米軍は日本軍の武装解除を進めるとともに、軍政を敷き、上海にあった「大韓民国臨時政府」の一員であった李承晩をその協力者として多くの民族団体、独立団体を弾圧した。おなじ臨時政府出身で「臨時政府中心」の統一朝鮮をめざした金九は、李承晩によって暗殺された。

一方、ソ連に占領された北側はどうか…ソ連は素早く日本の統治期間を接収、解体する一方で、例えば8月26日には平安南道人民政治委員会に統治権が委ねられた。朝鮮人の人民委員会を認め、間接統治することにしたのだ。人民委員会は「共産系」と「建準」を民族系が均衡するように構成されていたが、やがて「共産系」がヘゲモニーを握りはじめると、ソ連は9月19日、抗日パルチザンを指導していた金日成を帰国させた。ソ連の言うことをよく聞く、優秀な「スターリニスト」であった金日成を北朝鮮で祭り上げようとするものであった。また、朝鮮半島で一つであった、朴憲永率いる朝鮮共産党から独立する意向をみせ、

10月23日には「朝鮮共産党北部朝鮮分局」の設置が京城の朝鮮共産党中央委員会によって承認され、これがやがて朝鮮労働党として発展していく。p91
朝鮮半島の統一国家樹立を目指さず、あくまでもソ連スターリニストの言うことを聞くしかなかった「共産党」であった。朴憲永は南朝鮮での米軍の弾圧が酷くなり、北に逃げて南の反米闘争を指導、北朝鮮の南進による朝鮮統一に積極的であったが、朝鮮戦争後に米国のスパイとして除名、逮捕され、55年2月に処刑された。

朝鮮半島の分断については、この新書の1章だけでは説明できない重い歴史があり、その中には当時の朝鮮や日本の「共産主義者」の責任もある。また、ソ連を含む連合国が朝鮮の即時独立を認めず「信託統治」としたことは、

第二次世界大戦で連合国は自由と民主主義を標榜していたが、民族自決と植民地解放を掲げていたわけではなかった。そもそも連合国の主敵であったドイツは「第三帝国」と称しながらも、植民地を持たない名ばかりの「帝国」であった。対独戦で民族自決や植民地解放は大義名分にはならなかったのである。p83

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「大日本帝国」崩壊(本国編)

敗戦の日にぴったりの本のレビュー(もどき)もっとも、2年ほど前に購入して、2回ほど通読しているが(^^)
002
「大日本帝国」崩壊 東アジアの1945年(加藤聖文 中公新書 2009年7月25日発行)

帯タイトルは

敗戦は帝国「領域」に何をもたらしたのか 日本、朝鮮、台湾、満州、樺太、南洋群島の8月15日
とある。

まあ、「目からウロコ」みたいな話もあって、結構面白い。
まず、日本(東京)について
先の戦争は、天皇の「聖断」によって終わったということになっているのだが、これは簡単にホイホイと出せるものではないらしい。国家元首としての「統治大権」「統帥大権」「栄誉大権」および憲法に規定されていない「皇室大権」「祭祀大権」を持ちながら、憲法上の規定により「統治大権」「統帥大権」は国務大臣・参謀総長・軍令部総長の輔弼によってはじめて行使される(だから結果責任は輔弼した国務大臣が担うことになり、天皇に政治的開戦責任はないということになる、もっともこれは井上靖の「天皇の戦争責任」とは考え方が異なる、輔弼者もまた天皇の意志を推し量りながら仕事をしていたのだから)…これが「天皇機関説」のキモである。だが、明治憲法体制を支えてきた元老、西園寺公望は天皇の政治不介入を信条としていたの対し、近衛文麿や木戸幸一は、明治憲法は制度疲労していると考え、新体制運動として天皇に政治的主体性を求めるようになっていたという。
天皇自身も、天皇機関説の立場に立ち、最悪の場合政治体制の変革…天皇の統治大権や統帥大権を失うこと、すなわち明治憲法体制の「解体」は受け入れられたが、天皇制の廃止→天皇家の維持、祭祀大権については、124代(続いてきたとされる)を自分の代でつぶすわけにはいかんと考えていたのであろう。
ともかく

聖断が下されるまでに無駄ともいえる時間を徒に費やし、原爆やソ連参戦を経なければ実現されなかったlことは、近年の研究でいわれているような指導層の優柔不断や自己保身といったレベルの問題なのではない。最大の原因は、天皇大権を軸としつつ実は巧妙に天皇の政治介入を排除した明治憲法体制が、天皇を輔弼すべき者が国家運営の責任を放擲し、セクショナリズムのなかで利益代表者として振る舞った場合、制度的に機能麻痺が起こるという根本的な欠陥を抱えていたことにあった。(p54)
と書かれている。

まぁ、なんやかんやでようやくポツダム宣言を受諾を決定、その14日は大阪砲兵工廠が爆撃され、弾丸製造力はほぼゼロ化するとともに、周辺住民に多くの被害を出した。やっぱりとっとと「降伏」してればよかったのだが…

ところでポツダム宣言を受け入れるに当たって、中国から東南アジア、太平洋の島々に拡散してる日本軍や民間人の「復員」が問題となるわけだが、こうした問題は深く議論されていない。

本土決戦を譲らない軍部を押さえて戦争をいかに終結させるかに関心が集中した結果、国体護持という抽象的な問題だけが争点となってしまい、敗戦にともなって想定される問題の洗い出しも対応策の具体的な検討も政府内部で行われなかったからである。p57

かくして「居留民はできる限り定着の方針を執る」とされ、朝鮮人と台湾人については「追って何等の指示あるまでは従来通りとし虐待等の処置なきよう留意す」とされたものの、実質そこに進駐してくる連合軍に丸投げしたことになる。
ここで「大日本帝国」は自己否定され、「帝国臣民」であった「朝鮮人」『台湾人」の生命財産の保護を実質的に日本は放擲したものとなったと、著者は記述している。
八月十五日正午、昭和天皇による玉音放送がラジオによって流された。放送は朝鮮や台湾、樺太、南洋群島、さらに満州国でも流された。この放送は、天皇が「帝国臣民」に向かって直接語りかけたものであったが、語りかけた「帝国臣民」はすでに「日本人」だけになっていた。p55,56

鈴木貫太郎首相は、二回も天皇に「聖断」を仰いだことに責任を取る形で辞任…彼はこの日から新しい日本がスタートするものと考えていたのだろうが、「帝国の清算」は残っていたのだ。

こうして日本の戦後は、朝鮮や台湾や満州を意識的に切り捨てた「日本国」となることからはじまった。しかし、玉音放送以降、これまで苛烈を極めていた米軍の空襲がピタリと止んだ本土と違って、切り捨てられたそれらの地域では依然として戦闘が続き、むしろ拡大する様相を呈していた。p58

このあたりも、日本の戦争責任、戦後責任を考えずにきた原因の一つであろう。

激動した他地域の話は、後ほど…

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四国の中心で

四国の中心で
大ボケをかます。

あっ「あるみさんズ」連れて来るの忘れた~、も、申し訳けないでゲソm(--)m

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「東京に原発を!」のもう一つの意味

福島第一原子力発電所事故によって、様々な原発・放射能関連の書籍が売れているようだ。その中に広瀬隆氏の「東京に原発を!」(集英社文庫)がある。
001
原発が安全なら、電力大消費地の東京につくればよいじゃないかというコンセプトの下、新宿に都庁が移転する前に「新宿1号炉」を構想したものであるが、チェルノブイリ原発事故後、大幅に加筆され、原子力災害の恐ろしさを訴えるものになっている。

私は、東京のような沖積層のたまっている地盤の悪いところに、原発みたいな巨大な建造物なんて発想自体無理だろうと考えていたし、東京のように人口の集積しているところは、巨大原発を作るよりももっと有効な使い方をすべきだろう!というブログでの意見も見かけた。

で、とりあえず読んでみると…原発そのものの建物の面積は、以外に狭いということ…広い敷地は安全管理のために設けられている。だから今の出力100万kWクラスのものをボンボン同じ所に作るのではなく、40万kW程度のものを5基、分散してつくるのだそうな。そして出力を5%ぐらい落とせば、温排水が100℃ぐらいになる。だからこれを地域冷暖房に活用すれば、エネルギー効率も上がる。もちろん延々と送電線を引っ張ってくる必要もないから、その分効率も上がるというわけだ。

ほーそういう発想が、あったのかsign03

実は経済界の一部も、似たようなことを考えたことがある。すなわち電源(原発)に近いところに、「安い」電力を利用した「原子力コンビナート」を作ろうというものだ。広瀬本のp80~82ぐらいに、この構想についての記述がある。

一冊の雑誌「工業立地」(1973年8月出版)が手元にある。 そのなかには、十六頁にわたってぎっしりと「原子力コンビナートと地域開発」と題したプランがある。 この雑誌は「工業立地センター」が発行したものだが、そのセンターの理事と評議員には、当時の木川田一隆東京電力会長、前田七之進日本電機工業会会長、岩崎景春同会専務理事(中略)十六頁のレポートの最後に、関西電力が「美浜原子力発電所」の広告を大きく入れていることからわかるように、学会誌のような単なる遊びでなく、原子力に関連する産業界が真剣に取り組んだ工業立地計画の書である。
016と、まあここにその構想図を示す(それにしても、この図では肝心の原発がどこにあるか分からん!真ん中のアルミ工場の近くだろうか・・・そーいえば中学校時代の地理で、北陸地方は(水力発電による)豊富な電力を利用した、金属精錬・加工工場が多いと習ったっけ)

ところが「石油ショック」以後の高度経済成長が鈍り、新規の多くの工業団地計画地で計画は破綻(電力が大事なら、原発の近くのほうがなおエエやろ)…むつ小川原なんぞ、核燃料サイクル施設なんていう、トンデモ迷惑施設がやってきた。

ここで総務省・統計局HPから、日本の統計、第10章 エネルギー・水の中に、面白いデータがあった。10-3発電所数と最大出力(エクセルデータ)をクリックしてみよう。すると…日本の発電所は、圧倒的に小規模のものが多いのだ。で、これを加工して表にした。
Photo
(データは2009年度のもの)
発電所数あたり、大体60万kWなのだが、原発だけが、飛びぬけてデカイ!原子炉基数54で割っても、90万kWである。

なるほど、原発は「湯沸かし器」なのに超複雑で、放射線防護のための設備投資が巨大になるから「規模の経済」が思いっきりはたらくのだろう…しかし、それにダマサレテはいけない。

かつて東大で環境問題について発言を続けて、万年助手(後に沖縄大学、退官後名誉教授となる)でいた宇井純氏は、大規模な流域下水道は金ばかりかかって、それでいて水はちっともキレイにならない(薄めて放流しているだけ)、自分が設計した小規模なシステムで汚水の濃い段階で処理すると、金もエネルギーもかからないと主張していた…溜めておくことのできない「電力」も、規模の経済は成り立たないのではないかsign02まして出力調整のできない原発においてや…

あと、地盤の問題だが、現在原発が立地しているところも、けっこう軟弱な層があったりする(活断層の問題もあるが)同じく広瀬隆氏の「福島原発メルトダウン(朝日新書)」によれば、核燃料再処理工場、東通原発、大間原発のある下北半島も、縄文時代は海底だったそうな…ブルブル

ま、地盤改良の技術はそれなりに進んでいるので「原発は安全」「放射能は恐くない」のであれば、東京なり大阪なり、埋立地に作ればよかろう。現に関西電力が誇る?最大のLNGコンパウンドサイクル発電所(全出力200万kW)も、埋立地にあるぞthunder、東京近郊のネズミさんがいるテーマパークのとこらへんも、ええんじゃないかsign02


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8・6ヒロシマ大行動のアピールを転載

MLでも流れてきたのだが、「とめよう戦争への道、百万人署名運動」らが主催した
すべての原発をなくせ!8・6ヒロシマ大行動のアピール文章が、非常によかったので、転載、紹介する。

すべての核と原発をなくせ! 戦争をとめよう!
被爆66周年 8・6ヒロシマ大行動アピール

1) 福島原発事故を絶対に許さない!

福島第一原発事故発生から5か月近くがたちました。事態は「収束」どころか、ますます深刻化しています。すでに広島型原爆80発分以上といわれる「死の灰」が、海、山、地下、川、湖、農地、街、学校へとまき散らされ、チェルノブイリ事故をも超える人類史上最悪の事態となって進行しています。誇張ではなく、人類社会が、生命そのものが存続するための根本的な土台が、取り返しのつかない破壊に直面しています。

原発事故によってふるさとを奪われ、職場を奪われた労働者。廃業に追い込まれる畜産・酪農家。自殺に追い込まれる人も後を絶ちません。深刻なのは、猛暑の中、超高濃度の放射能で汚染された事故現場で作業を続ける労働者の被曝です。そして何よりも、子どもたちの命が危険にさらされ続けています。事故直後、政府・東電・保安院・御用学者らが、口をそろえて「たいしたことはない」「避難の必要もない」と言っていたまさにそのとき、メルトダウン→メルトスルーが進行し、ついに水素爆発によって福島県民、子どもたちは大量の被曝を強制されたのです。これは資本と国家による殺人行為です!

まさにフクシマは、ヒロシマ、ナガサキの原爆投下、ビキニの水爆実験、チェルノブイリ原発事故、イラクの劣化ウラン弾被害に続く「核の戦場」にされています。フクシマで起きていることは「第三の原爆」です。自国の政府・資本によって、労働者、農民、漁民、子ども、市民にしかけられた「核戦争」です。

福島を「第二のヒロシマ・ナガサキ」にしてはなりません。どれだけの費用がかかろうと、事故を引き起こした国・東電資本の責任で放射能の封じ込め、除染活動を行わせなければなりません。現場で必死の作業を続ける原発労働者の命と健康を守るための一切の措置を取らせなければなりません。子どもたちの命を守るために、疎開を含めあらゆることをやりぬかなければなりません。仕事が成り立たなくなった労働者、農民、漁民の生活を100%保障しなければなりません。このことをやりぬくには、原発を推進してきた者たちの支配を打ち破り、労働者、農民、漁民、母親、子ども、市民が団結し、自分たち自身の権力を、「本当の民主主義」をたたかいとらなければなりません。

2)フクシマとヒロシマの怒りをひとつに

「福島を返せ!」「未来を返せ!」「子どもの命を守れ!」という福島の労働者、農民、漁民、母親たちの要求・叫びは、「にんげんをかえせ」と立ちあがった被爆者の叫びとつながっています。

そもそも核とは何か。それは労働者・市民を一つの都市丸ごと皆殺しにするという目的で、ただそのために、帝国主義戦争の下で開発されたものです。広島・長崎を一瞬にして地獄に変え、20万人以上の命を奪い、いまもなお被爆者の体をむしばみ続けている原爆=核の「平和利用」など断じてありえるはずがないのです。「核の平和利用」なるものは、核に対する被爆者の根源的な怒りを圧殺し、核をつくり続け、保有し続けるために、ヒロシマ・ナガサキを引き起こした張本人の帝国主義者によってでっち上げられたものです。日本で「核の平和利用」を大宣伝し、原発推進の先頭に立ってきたのが、一貫した改憲論者・核武装論者である中曽根だったことをみても、それは明らかです。

原発は、核兵器の材料であるプルトニウムを製造する工場そのものです。さらに労働者の被曝や、毎年何トンと生み出される「死の灰」・核廃棄物の問題等を一切考慮せず、いまのもうけだけを考えると、原発は資本家にとって「理想のエネルギー源」でした。「もうけがすべて、労働者の命など知ったことではない」−こうした考え方で、原発がどんどんつくられ、ついに行き着いたのがフクシマです。しかしフクシマは、これまでやりたい放題にやってきた資本家や権力者たちに大破産をつきつけました。「安全・クリーン・安上がり……」、すべてウソだったことが暴かれました。ヒロシマ・ナガサキをくり返すな、という被爆者の怒りと闘いを押さえつけ、核による支配を続けてきた者たちを今度こそ逃がしてはなりません。大反撃にたちあがり、今度こそ彼らをやっつけなければなりません。

福島は「悲劇の地」ではありません。怒りの地、核と原発を廃止する歴史的な闘いの始まりの地です。福島の怒りと闘いが、ヒロシマ・ナガサキの被爆者の核に対する根源的な怒りを呼び覚ましています。ヒロシマの被爆者が戦後の反戦反核闘争の原動力になったように、フクシマとヒロシマ・ナガサキが共同して原発を日本から世界から一掃する原動力になろう。

3) 人間をカネと核の下にひれ伏させる新自由主義とのたたかい

電力資本、財界、政府、御用学者らは何の反省もしていません。原発再稼働のために「安全宣言」をでっち上げ、「やらせメール」までやっていた。しかも原子力安全・保安院自身が浜岡原発や伊方原発のプルサーマル計画説明会で「やらせ質問」を依頼していたことまで発覚。こういう連中を一人残らず追放しないかぎり、フクシマは必ずくり返されてしまいます。菅首相の「脱原発」は、「核なき世界」と言って核実験をくり返しているオバマ大統領とまったく同じです。「原発がなくなるのは遠い将来」であり、「ストレステスト」に「合格」した原発は動かし続けるというのです。「安全な核兵器」「安全な原発」「安全な放射能」――こんな考え方をもっている連中と私たちは絶対に相いれません。

財界やマスコミは「原発が止まると日本経済が崩壊し、雇用もなくなる」などと脅しています。ふざけるなというのです。フクシマを何度くり返そうとも、日本中、世界中が放射能に汚染されようとも、原発を動かすことが最優先だというのか。「命よりも原発」というのか。そもそも原発を動かせと叫んでいる資本家、政治家たちは、福島原発事故の前から、労働者の首切り、賃下げ、非正規化をどんどんすすめ、青年労働者から生きる希望を奪ってきた張本人ではありませんか!

すべての原発を止める、廃炉にするたたかいは、人類の存続と相いれない核や原発、そして基地や戦争なしには成り立たないような社会のあり方を変えるたたかいです。労働者や農民、漁民を犠牲にし、人間をカネの支配、核による支配にひれ伏せさせようとする新自由主義を打ち倒すたたかいです。それは都市と農村・地方の分断を打ち破り、国境をも越えて、労働者、農民、漁民、すべての民衆が団結し、人間的なつながりをとりもどしていく歴史的なたたかいです。今、この反原発のたたかいの先頭に立っているのは、新自由主義の矛盾と犠牲を一身に受けてきた青年労働者であり、学生です。「反原発・反失業」を掲げて立ちあがっている青年労働者、学生のたたかいは、エジプトをはじめ全世界で立ちあがっている青年のたたかいとつながっています。

4) 労働組合こそ反原発をたたかう団結の軸に

たたかいの団結の軸となるのは、生産と社会の本当の主人公である労働者です。原発を動かすのも止めるのも労働者です。労働者が団結を取り戻し、労働組合が「一人の労働者も被曝させるな」とたたかいに立ちあがったときに、すべての原発は止まるのです。

日本における原発建設のはじまりは、電産労働運動の解体と一体でした。そしてあの中曽根が強行した国鉄分割・民営化を前後する新自由主義攻撃によって労働者の団結が破壊され、労働組合が反戦反核、反原発の闘いから後退し、電力労組を先頭に原発推進の側に転落していく過程で原発建設は一気に加速していったのです。この労働組合を、原発推進の資本の手先となった腐った幹部の手から、労働者自身の手に取り戻さなければなりません。

かつてこの広島や山口、島根には、電産中国という電力労働者の労働組合がありました。電産中国は反原発を掲げ、地域住民と共に闘って山口の豊北原発建設を阻止しました。こうした闘う労働組合を今こそ甦らせましょう。日本における労働組合破壊と新自由主義の出発点となった国鉄分割・民営化に反対し、「政治和解」を拒否して1047名の解雇撤回を貫く国鉄闘争全国運動を発展させましょう。

福島では福島県教組が、子どもたちの命、県民の命を守れと立ちあがっています。被爆から10年後に白血病で死んだ佐々木禎子さんの話は、「サダコの物語」として全国、世界中の子どもに伝えられてきました。それなのに「直ちに影響はない」ということを平然とくり返す政府・文科省、御用学者たち。原発が安全というのはウソだったと教室で教えたら、ただちに弾圧してくる校長や教育委員会。だが、彼らの支配はがらがらと崩れ去っています。今こそ教育労働者は団結を取り戻し、反原発のたたかいに立とう。「日の丸・君が代」強制とたたかい、8・6ヒロシマのたたかいを守りぬいてきた広島の教育労働者こそその先頭に立ちましょう。

5) 国際連帯の力で勝利しよう

反核・反原発のたたかいは、全世界の労働者民衆の団結した力によってのみ、真に勝利させることができます。核兵器や原発や基地を必要とし、アフガニスタン、イラク、中東、朝鮮半島、世界中で侵略戦争を続け、準備し、労働者民衆に一切の犠牲を押しつけ続ける新自由主義とのたたかいは、全世界労働者の共通のたたかいです。

本日、被爆66周年の8月6日、ヒロシマ・ナガサキ、オキナワ、フクシマ、ビキニ被爆者の大石又七さん、アメリカのシンディ・シーハンさん、イラクのフサームさん、全国・全世界の闘う労働者、農民、漁民、市民が、反戦反核の原点の地・ヒロシマに一堂に会し、核と原発を廃絶する歴史的な大闘争の始まりを宣言しました。

原発再稼働へあがいてきた勢力は、次々とウソ、インチキ、やらせを暴かれ、いまや息も絶え絶えです。玄海、伊方、島根、上関、日本全国の原発の息の根を絶対に全部止めてやりましょう。「段階的に」とか、「期限を決めて」などと言っている場合ではありません。この夏こそ、全原発の即時停止・廃炉を決するときです。ドイツ、イタリア、全世界で原発廃止のうねりが巻き起こっています。トルコの労働組合からは反原発1000万署名運動を取り組むというメッセージが届けられています。

私たちの団結した力が、一切を可能とするのです。フクシマとヒロシマの怒りをひとつに、全世界の人々とともに全原発を停止・廃炉に追い込み、すべての核を廃絶しましょう。

ヒロシマ・ナガサキ、フクシマをくり返すな!

2011年8月6日
被爆66周年 8・6ヒロシマ大行動 参加者一同

うむ、異議ナシrockである。「失業」「低賃金」を押し付けながら「電力が足りなくなると、失業が増えるぞ~」と脅しをかける連中には、「何ゆうてんねんsign03」の一言でぶっとばそうじゃなイカsign03

「国際連帯」も重要だ!特に日帝が抑圧している「後進国」への原発輸出や、モンゴルへの放射性廃棄物押しつけなんぞ、絶対にゆるしてはならない。

別個に進むが、共に打とうsign03

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反対同盟の弾劾声明!

6日に卑劣に行われた「天神峰現闘本部」破壊攻撃に対し、反対同盟から弾劾声明がでているのでここに転載する。

闘魂健在!農地を守り闘いぬく

弾劾声明

 8・6現闘本部破壊の暴挙を、反対同盟は満腔の怒りを込めて弾劾する。
 天神峰現闘本部は反対同盟の闘争本部であり、闘いの象徴であった。鉄骨造り建物の中には、旧地主との間に地上権を設定した木造建物が現存したのであり、反対同盟には底地を使う正当な権利がある。
 ところが、空港会社は「へ」の字誘導路の直線化のために、この建物そのものの破壊を企てて裁判を起こした。そして異例ずくめの手続が進行した。一審・千葉地裁は、こともあろうに最重要証人に対する反対尋問も、実地検証も認めず不当判決を下した。高裁はこれを踏襲したばかりか、一審では付すことができなかった仮執行判決を強行した。執行停止申立の結果を待つ反対同盟農民と支援者など50人を高裁フロアーで不当逮捕した。
 授権決定も二転三転である。千葉地裁は、NAAが「滅失」したとして収去の対象から除外した木造建物を勝手に目録に書き加えた。さらに成田治安法による封鎖を解除せずに破壊できるとして授権決定を行った。ところが高裁はこれらの判断が間違っているとしながらも、なお授権決定を強行した。その混乱と不当決定を不服として行った上告のさなかに、建物破壊を強行したのである。
 しかも執行過程は徹底した非公開だったのだ。反対同盟に対して、成田治安法の封鎖解除の通知は無く、執行宣告も立ち会いを求められる事もまったく無かった。それどころか、執行官への面談を要求した顧問弁護団に対して、空港会社職員を名乗る者が問答無用で立ちはだかった。破壊作業は報道陣を排除し、証拠物の木造建物の存在が外部から見られないように建物の南側から鉄骨もろとも破壊したのである。証拠隠滅そのものだ!
 三里塚の歴史は、卑劣で暴力的な権力行使とだまし討ちの歴史だが、現闘本部破壊はその最たるものである。8月6日とはいかなる日なのか? 反戦・反核ヒロシマの日であり、フクシマの怒りを共にして反原発・脱原発を誓うその日である。反戦・反核を担う三里塚支援者の多くが広島に向かうこの日(しかも土曜日!)をあえて選んだ所業はまさに犯罪である。しかも未明の午前4時! まさに「夜襲」そのものである。
 「国策事業」「国策裁判」は、このようにして進められるのだ。原発誘致でも、沖縄を始めとする軍事基地建設でも、そのやり方は同じである。だが、こうした攻撃に屈する反対同盟ではない。建物は不当に破壊されたが、絶対反対で闘う魂は脈々と生きている。
 現闘本部の破壊を急いだ狙いはただ一点。隣接する市東孝雄さんの農地強奪のための威嚇である。反対同盟は、放射能で生活と命を脅かされる福島と全国の農漁民、そして被爆地ヒロシマ・ナガサキ、基地の全面撤去を求めて闘う沖縄の人々と固く連帯し、市東さんの農地を守りぬいて空港廃港へと闘いぬく。10・9全国集会への大結集を呼びかける。
 2011年8月7日

三里塚芝山連合空港反対同盟
(連絡先)事務局長・北原鉱治 成田市三里塚115

この声明をかみしめ、次なる闘いに勝利しようsign03

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イカ娘VS「あるみさんズ」鉄道むすめ

た、た、大変だぁ~イカ娘に冷蔵庫前を侵略されているじゃなイカ~
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へへっ冷蔵庫前を侵略したでゲソ~…おっ、何かやって来たでゲソsign02
Dsc01814

「たたかうあるみさんズ」と革命むすめ参上sign03
Dsc01818

ぼ、暴力は止めなイカdown
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私は、中立ですから…Dsc01821

イカちゃんは、私が命をかけてでも、守るわheart01
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Dsc01820

わ、わかったでゲソ…これからは友好的にいこうじゃなイカup
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と、いうことで、我が部屋の安全は、守られたvirgo
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ヒマ人左翼の、AFOネタに付き合ってくれて、ありがとう(注…これは7月30日に撮影されたものである。)


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現闘本部破壊が開始される!許せん!!!

朝起きてmixiとか見たら、三里塚現闘本部の破壊攻撃が開始された。
6日のまだ人も寝静まっている時間帯から動き出した。いつもの「だまし撃ち」だ。

予想はしていたが、6日という、様々な活動家がヒロシマや東電に「反核行動」を行うスキを狙って卑劣なことをやりだしやがった…

ツイッターとかはやっていないので、経過は分らないところが歯がゆい…

「許すまじNAA・国家権力!私がお前達のくさった根性を、打倒してやるでゲソ!」

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16.8㎞/ℓでゲソ

車の燃費を公開するコーナー

走行距離…469㎞
給油量 …28.0ℓ

燃費…469 ÷ 28 =16.8㎞/ℓ
まあ、こんなモンかcar

今年はなぜか涼しいので、エアコンはほとんどつけていない。
窓を開けて、「イカ娘」CDを聞きまくっている。

最近は体調もエエので、自転車通勤も取り入れている。
おお、ガソリンも節約できるではなイカsign03

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現闘本部がピンチ!重機搬入さる

三里塚芝山連合空港反対同盟のブログより、現闘本部周辺の動き(8月4日)より

―大型重機現闘本部脇に
本日(8月4日)午前、大型重機が現闘本部脇に搬入されました。
 現認できたものは、キャタピラーを積んだトレーラー2台と、クレーン(分解式)を積んだトレーラー1台です。
 運び込まれたものは、こちらから見えないように、盛り土の陰に置かれています

とある。
ブログ「農家便り」準備中でも

大型のクレーンが2機搬入されたそうです。
現闘本部を囲った物を破壊の前に吊り上げるんじゃないか?と思います。
いちいちボルトはずしてなんて手間掛けるわけがないもんな。
クレーンに鉄球つけて、ドカーンもありかな?
国策の名の下、何処まで農民を踏みにじるのか。
沖縄、福島、三里塚、怒りの大爆発を

うっ…決戦が近づいている。盆前に来るのか、盆後にくるのか、それとも得意の「だまし打ち」でお盆や夜中にやってしまうのかpunch

情報を収集し、備えようsign03

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鉄道むすめをさらに増やす闘争

久しぶりに「鉄道むすめ」を購入…5周年プレミアム1箱と、新しいシリーズPLUS01である。
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で、プレミアムのほうは埼玉高速鉄道運転士 川口みそのchan

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前にGETしたヤツと比較…

Dsc01782
新しいほうは、カバンを持っています。マスコット「ハバタン」の羽の開き具合が違います。
なお、メガネパーツは、今回はつけませんでした…別の使い方を考えようと思います。

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続きまして、PLUS01のほうはジェイアール西日本フードサービスネット/新幹線パーサー 倉敷みずほタンです。「鉄むす」の東京中心目線から少し離れたと言っても、しょせんは全国で話題になる新幹線ですな。九州新幹線博多~新八代間開業の話題「みずほ」の名前であります。

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PLUS01の特徴は、これまでのシリーズに比べ、少し大きくなっていること。

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後、顔パーツが変えられるcoldsweats01

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変えてみて撮ったもの…あんまり変わらないじゃなイカvirgo

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Dsc01809
とりあえず、よろしくねheart01


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低線量被爆が「安全」でも原発は止めようぜ

さて、昨日のエントリーで「低線量被爆は安全である」とか「むしろ健康に良い」といった実験結果が30年ぐらい立って出たとしよう。それはそれでよい…これまで作り続けてきた放射性廃棄物とされるものの保管、管理が「ちょっぴり」楽になる意味はある…というより、そのくらいの意味しかない。「ベント放出」がやりやすくなるため、ちょっぴり原発も「安全」になるかもしれない…でも、ただそれだけのこと。

一旦事故れば…そしてどのような要因で事故が起こり、高線量の放射性物質が出てくるか分らん…ものが、たかだか水を沸かしてタービンを回し、電気だけしかつくれない。そんなものの「安全」に金や資源をかけていると、民衆に回るのは「高い電力料金」と「高い化石燃料」だけである。

それだけではない…燃料の採掘時には、そこの労働者は確実に高線量被爆する。ウラン燃料は、アメリカ、カナダの先住民が住んでいるところに多く埋蔵されているのだが、先住民の健康管理もロクになされないまま、採掘が続けられ、鉱さいによる被爆に悩まされていると聞く。そして原発をフツーに動かすだけでも、多くの労働者が被爆を強要される。
 核燃料サイクル…燃えないウラン238からプルトニウム239に「増殖」する…は、「もんじゅ」がぶっこわれ、再処理工場もまともに動かせず(動かしたら動かしたで、トンでもない放射線・放射性物質が撒き散らされる)と、完全に破綻している。ちなみにうまくいったとしても、ウラン238が全てプルトニウム239に変わる「倍加時間」は60年…このまま原発を先進国や、中国、インドのような経済成長著しいところでドンドン建てていくと、(UAEやサウジアラビアも原子力発電導入を考えているようだが、これはイランの「核開発」に対抗するというウラの理由もあるといわれている。)、あっという間に、再生不可能な化石燃料、ウラン燃料は枯渇する。(ウラン燃料は石炭よりも早く枯渇するといわれている。)

これを解決するには、まだ使える化石燃料がある間に、次世代の化石燃料(メタンハイドレード)や本当の再生可能エネルギーの開発に力を注ぐべきだ。注意しなければならないのは、必ずしも電力という形態をとらなければならないとの「妄想」は止めよう、メガソーラーや大規模洋上風力発電など、石油の完全無駄づかいである。

「脱原発」を宣言したドイツは、フランスから原子力で作った電力を輸入してるではないか?とよく批判されている。ただ、その総量はドイツで使う電力の2%程度…ホント、3度も戦争したドイツとフランスが仲良くEUをやっていくためのお付き合い程度のものである。また、ドイツはデンマークに電力を輸出しているが、デンマークはドイツに自国の風力発電で作った電気を輸出している。フランスは自国独自の核武装を維持するためもあり、将来の需要を見越して原発を作りすぎた。(イタリアはエエお得意様かも)、デンマークは風力発電に有利だと思い込み、多くの風車を立てて「再生可能エネルギー12%」という数値をたたき出しているが、実は風力発電の変動があまりにも大きく、自国の送電網では処理できないため、ドイツに風力による電力を買ってもらい(実際、多くは送電線の中で熱エネルギーとして消えてしまっているだろう)足りない電力をドイツから融通してもらっている。

こ~んなAFOらしいエネルギー政策から、早く脱皮しようではなイカsign03


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