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想像力が必要とされた今回の旅行

今回の旅行の主目的は
・津波で壊滅的な被災をうけ、接続するJRが運行していないにもかかわらず列車を運行させた、三陸鉄道へのすこしばかりの応援
・被災地の様子を見る
・ついでに、未乗車区間や、長いこと乗っていなかったローカル線(民鉄・三セク)に乗ることである。
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前後2つの目的はほぼ達成…それでも台風による在来線運休で、阿武隈高原鉄道と福島交通(26年ほど前に乗ったきり)そのかわり仙台市営地下鉄に完乗となったが、肝心の「被災地の様子を見る」ことは、雨にたたられたこともあって…というより、鉄道、バスがまともに走っているようなところでは、被害が少なく、半年もたてば被災の跡がほとんど分らないことは、言うまでも無いだろう。

被災地の様子や、そこに住む人のことを本当に知ろうと思ったら、ボランティアに行ったり、学会はなんかの調査活動に参加したり、直接そこで「復興」の仕事をすればよいのだ。

だから、旅行者は、そこに行ってって「被災したときの人の思い」を想像することが求められる。

海が近くに見える(台風が来ているので、そこそこ荒れている)…津波が襲ってくるときの恐怖、余震の度に「また津波が来るのではないか」という恐怖…

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ガレキが片付けられている…これをここまで片付けるまでの、絶望感と、それでもやらなきゃならないという義務感

仮設住宅の隣には、なんの被害も受けていないこぎれいな住宅街がある…両者の住人はお互い、何を考えているのか、交流はあるのか…

東北本線郡山からいわきに出るため、バスに乗った…市民はマスクもせず、普通に、あたりまえの生活をしている。いわきでもそうだった…「安全」だからなのか、今更何をしてもということなのか、直ちに健康に影響を及ぼす必要が無いからか…

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今回、いわきから常磐線で行ける所まで北上した。いわき市街地のすぐ外は、田んぼが広がっている。もしこのコメの放射性物質が基準値を超えていたら、「風評被害」で売れなくなったら…

電車で行けるのは、久ノ浜駅まで。そこから2駅先の広野まで代行バスで行ける(ちなみに広野には、しばらく被災したことを「忘れさせられていた」広野火力発電所がある)広野町は緊急時避難準備区域であって、

福島第一原子力発電所の事故の状況がまだ安定していないため、今後なお、緊急時に屋内退避や避難の対応が求められる可能性が否定できない状況にある。
○ このため、緊急時避難準備区域においては、住民に対して常に緊急的に屋内退避や自力での避難ができるようにすることが求められます。

なお、平成23年4月22日付けで発表された国の公示によると、「なお、この区域においては、引き続き自主的避難をし、特に子供、妊婦、要介護者、入院患者等は、当該区域内に入らないようにすること。また、この区域においては、保育所、幼稚園、小中学校及び高等学校は、休所、休園又は休校とすること。しかし、勤務等のやむを得ない用務等を果たすために当該区域内に入ることは妨げられないが、その場合においても常に避難のための立退き又は屋内への退避を自力で行えるようにしておくこと。」と示されている。

というところである。当然、そこには人が住んで、バスに乗る人もいる。さすがの私も、バスで北上するときは、心臓がドキドキした…
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広野駅には、仮設のホームが作られ、いつでも電車が発着できそうだ。駅員さんに「いつ電車が走るのですか?」と聞くと「避難準備区域が解除されないとねぇ~」と言った。

本当に、いつ解除されるのか?解除されても大丈夫なのか…

こんな想像力を働かせながら、旅をしなければならなかった。

19日の「さよなら原発」集会で、呼びかけ人の落合恵子さんは、ジョン・レノンの「イマジン」を引き合いに出して話をされたそうだ。

Imagine there's no heaven・・・・・Imagine all the people Living for today…Ah

注)今後、この旅行のブログ内容は、いつものようにノー天気な鉄道旅行記になります。

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コメント

北関東で『トラック運転手』ナドというヤクザな仕事をしておりますと、イヤでも日々「被災」を実感させられます。


高速道路IC付近の電光掲示板の『広野-常磐富岡 災害通行止』という、三月以来消えない高速道路情報。
落ちたままの、北浦に架かる鹿行(ろっこう)大橋。
鹿嶋・神栖方面を走れば、液状化で道路は波打ち電柱は傾いたまま。
私の運転手仲間は、仮設住宅の建設資材を積んで何度も宮城へ走ってますが、すっかり見通しが開けてしまった仙台東部道路の海側の光景に、前の状態を知っているだけに胸の潰れる思いをしたそうです。


行ってみなければ、体感してみなければわからない事はもちろん多々あるでしょうが、あるみさんの様に「想像力を働かせる」事はとても大切だと思います。


ちなみに茨城ではNHK水戸放送局が毎日『県内各地の放射線量』を放送しています。そしてその線量は3.11以前より明らかに高い。

投稿: 正太郎 | 2011年9月25日 (日) 15時12分

正太郎さん、コメントありがとうございます。私は阪神大震災の時は東海地方で働いており、直接の経験はありません。ちょうど同僚が震災の後に姫路で披露宴を上げる予定となっており、なんとか新幹線・在来線とも開通しておりましたから、被災の様子も少ししか分りませんでした。
まあ、私の体験は置いといて、「被害者の立場」「弱者の立場」に立って物事を真剣に考える、想像力を働かせるというのは、左右を問わず大切なことだと思います。

投稿: あるみさん | 2011年9月26日 (月) 23時14分

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