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蒋介石の「黄河決壊」事件

南京大虐殺「論争」でROM人さん(コメント禁止中)から教えてもらったもの(あるいはHRMさんからもご指摘のありました)に、「蒋介石が黄河を決壊させ、多くの自国民を死亡させた。日本軍は中国民衆を必死で助けた」というものがあった。で、調べてみるとWikiに黄河決壊事件というものがあり、1938年6月、日本軍の侵攻を食い止めるために行われた作戦だそうだ。

水没範囲は11都市と4,000の村に及び、3省の農地が農作物ごと破壊され、水死者は100万人、被害者は600万人と言われる[9][10]が被害の程度については諸説ある[11
なお、外部リンク蒋介石の”以水伏兵”-黄河決壊事件の人的被害によれば、
終戦後の1945年(昭和20年)12月に国民政府が河南省で行った「河南省戦時損失調査報告」がある。それによると、1944年(昭和19年)末の段階で、洪水による死者約32万人、離郷者数約63万人という数値を提示している。
 
とある。Wikiの別項目には「中国軍はコレラ菌を撒いてコレラを蔓延させた」ともあるが、先ほどの外部リンクでは伝染病が発生した。とある。

自国体制を守るために、自国民を犠牲にするのは「民衆の解放」を目指さない軍隊であれば、古今東西同じだなぁということが、良く分る事例である。これは、大戦末期の沖縄戦…「国体」を護持するために沖縄で軍民もろとも3ヶ月も激しい地上戦を強いたこと以上の、蒋介石の戦争犯罪であろう。

だが、それを持ち出して日本の中国侵略を正当化することはできない。蒋介石を裁くのは、中国人民である。それが証拠に、蒋介石・国民政府は「国共内戦」で共産党軍に破れ、台湾に逃れることになる。

003敵を掃討するため洪水を引き起こしたのは、中国軍だけではなく、山東省で日本軍も行っている。「天皇の軍隊(本多勝一・長沼節夫 朝日文庫1991年)」に第10章 一八秋魯西作戦=コレラ作戦 というのが紹介されていて、衛河(大運河)が洪水で決壊しそうになり、日本軍の望楼がやられそうなので、逆に対岸の「解放区」側を決壊させ、洪水を引き起こしたものである。なおこの時、確たる証拠はないが731部隊が製造したコレラ菌が撒かれ、「細菌戦」が行われた可能性があるという。現に本書で中心となって語られる「衣」師団―第十二軍第五九師団―は、その後の掃討作戦で多くのコレラ患者を発見し、また部隊からも患者、死亡者がでる状況であった。

この「天皇の軍隊」という本は、山東省の治安を預かるために新設された「衣」師団の誕生から敗戦による解体までが描かれており、当時の中国侵略軍がどうゆうものであったか良く分る興味深い本である。登場する個々人の入隊前の生い立ち、生活等がややくどいほど書かれており、いかに「普通の人間」そこにいる私や貴方が「殺人鬼」になっていくのか、また当時の日本軍の本当の敵は、中国共産党・八路軍であり(国民党軍はしばしば日本軍と手を結んだ)また日本はなにもアメリカと戦争していなくても、中国共産党と戦争しているだけで負けていただろうということも分るだろう。(もちろん負け方は「名誉の撤退」ということになるのだろうが…)

ちなみに第八章 情報下士官 という項目に、八路軍が綿花を隠す作戦が紹介されている。山東省は戦争遂行のための資源、人材の供給地とされ、多くのものが”略奪”されていった。綿花もその一つで、日本の独占企業のため、べらぼうに安い値段で中国農民から綿花を「買って」いた。ところが八路軍側の勢力が強くなると、八路軍が綿花をより高く買いつけ、どこかに隠匿してしまう。「情報下士官」の働きでその隠し場所が分ったのだが、

綿花は、ぎっちり圧縮して、1×1×1.5メートルほどの直方体に固められ、鉄バンドでキッチリと締め付けてあった。天皇の兵士四人が運び上げようとしたが重すぎ、六人がやっとのことで地上に運び上げたことができたほどだ。そんな綿花の梱包が地下1.5~2メートルの所まで四段重ねにして並べてあり、そのうえを1メートルの厚さにコウリャンがらを敷きつんであった。コウリャンがらの上には、さらに一、二枚のアンペラ(コウリャンむしろ)でおおい、地面までの1メートル近い厚さが、周辺と変わらぬ土で埋められていた。p199~200

この情報下士官は、その部落で30個の綿の塊を掘り出したが、別の部落では一度に50個、百個の塊が畑に埋められて居るのを発見し「このエネルギーにあっては、日本も勝てないだろうな」と思ったそうだ。

ちなみに本多・長沼の「天皇の軍隊」は、山東省のある治安部隊の体験を中心としているのに対し、黄河決壊事件を紹介している日華事変と山西省というのは、山西省を中心とした戦争体験、社会や歴史が綴られている。山西省というのはいち早く「辛亥革命」に立ち上がったものの、親日派軍閥、閻錫山が「保境安眠(山西モンロー主義)」という独自の政策をとり、独自に発展してきた。日中戦争時には主戦場となるものの、共産党軍と対抗するため閻錫山が日本軍と手を結ぶ(まぁ、蒋介石も基本は「反共」であったが…)など、なかなか複雑なところである。戦後も日本人義勇軍が共産党軍と戦ったことで知られている。


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コメント

>いかに「普通の人間」そこにいる私や貴方が「殺人鬼」になっていくのか、


ウチの親父は八人兄弟の末っ子で、本人は病気の為召集を免れたものの、上の兄貴達(皆既に故人です)は中国戦線へと召集され、帰って来た親父の兄貴達から親父は「向こうへ行けば中国娘を姦り放題」みたいな話を、自慢げに聞かされたそうです。
けっして表には出ないものの、こういう話は結構あるのではなかろうか、と思います。あるみさんが前に紹介した「ゆうさん」のHPにも、こうした皇軍の倫理の崩壊が報告されてましたね。

否定する人達は『そんなのはごく一部だ』と言うのかもしれませんが、そういう事ではない。まさに『南京大虐殺は数ではなく数である』、という事ではなかろうか、と思います。

投稿: 正太郎 | 2011年10月 9日 (日) 13時41分

東京までの夜行バス内で吉見義明の「従軍慰安婦」(岩波新書)を読み返したのですが、逆に公式記録では強姦や「性病罹患」は恥ずかしいことなので記録上よりもっと多いのではないかと書かれています。
「南京大虐殺なんて無かった」「従軍慰安婦など、嘘っぱち」と言う前に、戦争では「誰もが殺人鬼・強姦魔」になってしまう現実を直視すること、そして歴史家含め、そういった事実を明らかにしていくことが大切だと思います。

投稿: あるみさん | 2011年10月10日 (月) 21時22分

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