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2012年5月

扶養義務と生活保護制度の関係の正しい理解と冷静な議論のために

マイミクさんから拡散希望があったので、拡散するでゲソ…
生活保護問題対策全国会議のブログより
扶養義務と生活保護制度の関係の正しい理解と冷静な議論のためにのリンク貼り付けと、内容の一部転載。

第1 はじめに  人気お笑いタレントの母親の生活保護受給を週刊誌が報じたことを契機に,生活保護制度と制度利用者全体に 対する大バッシングが起こっている。 そこでは,扶養義務者による扶養が生活保護適用の前提条件であり,タレントの母親が生活保護を受けていた ことが不正受給であるかのような論評が見られるが,現行生活保護法上,扶養は保護の要件ではない。 息子であるタレントの対応に対する道義的評価については価値観が分かれるところかもしれないが,本件が不正受給の問題でないことは明かである。  また,扶養が保護の要件となっていない現行法を非難する主張に応えて,小宮山厚生労働大臣が,「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務を課す」という事実上扶養を生活保護利用の要件とする法改正を検討する考えを示す事態にまで発展している。 しかし,生活保護利用者の息子が人気タレントとなって多額の収入を得るに至るという,極めて例外的な 事例を根拠に,現在改正の在り方を関係審議会に諮問中の厚生労働大臣が,法改正にまで言及すること自体, 軽率のそしりを免れない。そもそも,扶養が保護の要件とされていないのには理由があるのであり, これは先進諸外国にも共通しているところである。扶養を保護の要件とすることは,救貧法時代の前近代社会に 回帰する大「改正」であり,ただでさえ「スティグマ(恥の烙印)」が強くて利用しにくい生活保護制度を ほとんど利用できないものとし,餓死・孤立死・自殺の増加を招くことが必至である。(以下略)

幸いにも私の両親は健在で、年金収入は少ないものの、私からの若干の支援もあって人並みの暮らしはしている。持ち家であるということで、家賃がかからないというのも大きい。だが、万一事故や病気で多額の金がかかることが起これば、また、仮に私や兄が事故等で早死すれば、たちまち破綻するであろう。そんなこともあってか、おかんは「あんたらの迷惑にならないよう、健康でぽっくり死ぬわ…。」と言っている…「健康」だけが宝なのだ。
国民新党で一人「消費税増税反対」をいきまいている亀井静香が、かつて介護保険が導入されようとしたとき、「子どもが親の面倒を見る日本の美徳をこわすもの。」といって反対していたのを思い出す。(介護保険すら、必要最低限の介護サービスが必ず保証できるシロモノではないのだが)、全ての貧困を「家」や「家族」にしわよせさせようとする、生活保護法改正は、まさに指摘されるよう扶養を保護の要件とすることは,救貧法時代の前近代社会に回帰する大「改正」であり,ただでさえ「スティグマ(恥の烙印)」が強くて利用しにくい生活保護制度を
ほとんど利用できないものとし,餓死・孤立死・自殺の増加を招くことが必至
なのである。

血縁というのはある意味、恐ろしい…絶対に「切ること」ができないからだ。また「家族」の単位である「夫婦関係」は、切ることは可能であるが、DV等何らかの理由で「切ることのできない人」も存在する。そしてそのような人ほど職業や生活を安定させることができず、貧困に陥ることも多い。

紹介記事の5章

第5 扶養義務の強調は餓死・孤立死を招く
 小宮山大臣が言及した「扶養義務者に扶養困難な理由の証明義務を課す」とか,一部で主張されているように福祉事務所の調査権限を強化し,扶養義務者の資産も含めて金融機関に回答義務を課すような法改正がなされれば,どうなるであろうか。
 生活に困窮した人が,福祉事務所に生活保護の申請に行くと,親兄弟すべての資産や収入が強制的に明らかにされ,申請者本人が望まなくても,親兄弟は無理な仕送りを迫られることになるであろう。
これはほとんどの場合,親兄弟にとって歓迎せざることであって,親族関係は,むしろ決定的に悪化し破壊されるであろう。
 あるいは,福祉事務所の窓口では,25年前の札幌市白石区での餓死事件のように,申請者に対し,「扶養義務者の扶養できない旨の証明書」をもらってくるようにと述べて追い返す水際作戦が横行するであろうが,法改正がなされれば,これは合法として容認され,餓死・孤独死・自殺事件が頻発することになるであろう。
 そもそも,生活に困窮している人は,親族もまた困窮していることが多い上,さまざまな葛藤の中で親族間の交際が途絶えていることも多い。先に述べたとおり,現状でさえ,扶養照会の存在を理由に保護申請をためらう人が多数存在するのに,扶養が前提条件とされれば,前記のような親族間での軋轢をおそれて申請を断念する人は飛躍的に増大することは間違いがない。
 日本の生活保護利用率は1.6%に過ぎず,現状でも先進諸国の中では異常な低さである (ドイツ9.7%,イギリス9.3%,フランス5.7%)。この状況に加えて,さらに間口を狭める制度改革がなされれば,確実に餓死・孤立死・自殺が増える。
 これは,緩慢なる死刑である。しかも,死刑囚ですら糧食を保障されているのに,それさえ奪うという意味では死刑よりも残虐な刑罰である。何人もそのような刑罰を受けるいわれはないし,何人もそのような刑罰を科す権限はない。制度改革を進めた政治家や報道機関は,死者に対してどのような責任がとれるのか,冷静になって慎重に検討することが今,求められている。(以下略


貧困を家族・血縁内に押し込め、再生産する生活保護法の改悪を許してはならない

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掃海母艦「ぶんご」侵略闘争!

海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」が、掃海艇2隻をつれて高松にやってきた。
この「ぶんご」というのは、2007年5~6月にかけ、辺野古基地建設のための環境調査阻止行動が激しく行われている際に、沖縄に派遣されたいわくつきの「反動艦」である。62口径76㎜速射砲を装備している。戦後の住民運動に対して、日本政府は「軍隊」を差し向け、「銃口を向けた」のだ。しかも沖縄の住民運動に対して…
「ぶんご」は結局、辺野古沖合にその巨体を見せることなく、夜間「こっそり」と潜水士を潜らせ、調査のための機械を設置し、コソコソと帰っていた。参考リンク
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運動関係者がこのニュースに気づいたのは5月10日ぐらいと比較的早い段階であった。(日テレ系の深夜のニュースで放映されたと記憶している)。当時、阿部政権下で「改憲」の動きが高まり、多くのブロガーがその危険性を訴えていたのだが、あくまで私が知る限り、いわゆる革新的、リベラル的ブロガーも、この「民主主義への宣戦布告」「沖縄反旗地闘争への宣戦布告」に対し、注視するものはほとんどいなかった。派兵1週間前に大々的に報道されて、声を上げるブロガーがやっと出たが…
私も当時、ブログも何もやってなくて、どうこれを【拡散】したらいいのか悩んだ、とりあえず知る限り「お友達」的掲示板やブロガーのコメント欄に貼り付けをしたと思う。

いっしょに活動していた沖縄出身者が、沖縄の妹さんに電話すると「大変だ、日本軍が来る!」と言われたそうだ。

当時の久間防衛大臣は、この件で「打倒」してやりたかった。ヤツは長崎の原爆投下は「しょうがない」という失言で辞めさせられ、何を考えているか分らない政界渡り鳥、小池百合子が防衛大臣になったものの、ライス国務庁長官と寿司を食っただけで、阿部政権は”自壊”した。

まあ、そんな因縁つきの護衛艦が高松にやってきた。これはぜひとも「侵略」してやらなければイカんsign03

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平和な高松の港に…

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基準排水量5700トンの軍艦がやって来た…でかい…
昔、九州に居たとき、門司港にやってきた護衛艦を見学したことがあるが、あまり大きなものではなかった。艦内も狭かったが、今回はちょっと違うぞ。

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自衛隊の「宣伝イベント」でもあるので、東北での自衛隊の活動が紹介されている。
「ぶんご」は一般公開されているので、中に入ることに…一応「テロ対策」として手荷物チェックを受けるが、外からさわるくらいの簡単なもの…ミニイカ娘と白あるみさんは、ノーチェック…

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急なタラップを上って、乗船。自衛官が敬礼でお出迎え。

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まずは76㎜速射砲のところへ…1分間に百発撃てるそうな。

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砲弾…近くの自衛官に「これ、どのくらいの威力があるのですか?」と聞いたら、「徹甲弾と爆裂弾?によって違います…」とのこと「掃海作業には、こんなん使いませんよね?」「ハイ、使いません。」…人民に向かって、この砲が向けられないことを祈る。

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映画「男たちの大和」で撮影に使われたというタラップ。

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ボートの類

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このゴムボートとか使って、辺野古に機器の設置をしてきたんだろう。

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甲板は、広い。

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今日は別の掃海艇に「体験乗艦」ができる・・・それが戻ってきた。掃海艇といっても、瀬戸内のフェリーぐらいの大きさがあることが分る。

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後ろから…逆光…

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東日本大震災での「活躍」をアピールする場所

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なんだかなぁ~

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万が一、沈没して逃げるときの注意事項「水中爆発と、サメに注意」と書いてあるが、「イカ娘」にも注意するでゲソ。

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中に入って、艦橋へ向かう…やっぱり階段は急だ。

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外の様子

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艦橋は人でごった返している…記念写真を撮る人も多い。

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艦長の椅子は、端っこにある。「宇宙戦艦ヤマト」とは大違い(あたり前かcoldsweats01

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ということで、艦橋侵略成功sign03でゲソ・・・ただしゴソゴソやっているところは、艦内の監視カメラにばっちり記録されてるだろう。

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外も、侵略記念virgo

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ぐるぐる回る、レーダー

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圧縮しているので分りづらいが、司令部作戦室の扉。もちろん「許可を受けないでこの中に立ち入ることを禁止する。以上の通り日米防衛相互援助協定等に伴う秘密保護法施行令第五条の規定により掲示する」とある。

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でかい艦だけあって、昔乗った護衛艦よりは広い…しかし隣にある士官室等の居住区は、狭いのだろう。

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消防士さんにもなれそう。
ま、とにかくひととおり見て、下船。

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掃海艦が、帰ってきた。

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横から見ても、でかい・・・ちなみに「ぶんご」は全長141m、幅22m 高さ41m(まあ、世界の軍艦の世界で150m、排水量5700トンなんて大きなほうではないのだろうが…)

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自衛隊も、萌えキャラで人集めする時代

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掃海艇2隻並ぶなり。

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あの白いものは何だろうsign02機雷処理に使う兵器か?

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「ぶんご」のケツ…戦車も運べるのだろうか…それなりの輸送艦としても使えそうだ。

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やっぱり海は、平和なほうがいい。

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そういえば、今ツツジとかの花が、いちばん綺麗な季節なんだなぁ~

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パンフレットをもらってきたが、日本周辺の航路啓開業務や日米共同訓練、災害派遣や国際救援活動等は書かれているが、、「沖縄への派兵、機器の設置」という「黒歴史」は、当然紹介されていない。

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あえて北九州市の言い分を調べてみる闘争

北九州市で先週、東北のがれきが運び込まれ、焼却試験が強行された。この過程で市民団体が搬入阻止行動を行い、公務執行妨害で2名が逮捕された(後、釈放)…これについて何か書かんとアカンなぁ~と思いつつ、土曜日まで持ち越し…いろいろ調べているうちに日曜日になっちゃった。(まあ、明日も休みだからいいか^^)

で、いわゆる「受け入れ反対」の人たちの言い分…放射性物質・廃棄物は拡散させないのが原則、汚染されていない西日本に持ってくるのはナンセンス(人は受け入れるべき)、被災地で大部分処分が出来るのに、わざわざコストをかけて一部分を「広域処分」する理由が分らん(何か利権があるのでは…)ということだ。

そこで今回はちょっと斜めに、受け入れを行った北九州市側の「言い分」を調べてみた…といっても、こんなものはHPをのぞけばすぐに分る。
北九州市HP 災害廃棄物受け入れに関する検討会というのが見つかった。PDFファイルで7つの項目に分けて記述されている。検討会は2回程度行い、1回目は5月1日に行われている。(2回目は80トンもの試験焼却…ちなみに島田市は10トン)を行ってから、開催するようだ。

まず最初に、細野環境大臣から、宮城県石巻市ブロックのガレキを受け入れてほしいという「要請」があり、それに北九州市が応じたということ…どうも石巻ブロックでのガレキ発生量が一般廃棄物の100年分に相当するということだ…おお、確かにこれは厳しい。早く処分したい、手をさしのべたいという気持ちは十分分る。
で、4月5日に石巻市長から北九州副市長に要請があったということで、処分に対する検討が始まった。
現地を視察して、廃棄物から1m離れた所で放射線測定…空間線量は0.02~0.07μシーベルト/h 北九州市の現在の空間線量は日本では高いほうだそうで(西日本は花崗岩質の岩石に放射性物質を僅かに含むケースが多く、昔から空間線量が高くなっているんだと。)、「まあ問題ないんじゃないか?」と考えた。その上で…
基本的に①石巻ブロックから発生した可燃物(主に木くず)②放射性物質が100ベクレル/㎏を下回るもの③受け入れ処理能力…年間3万9千500トン以内…とするそうな。なるほど、100ベクレル/㎏を下回るものであれば、私の考えている純粋な産業廃棄物としての処理が可能なようだ。
で、方法としては、豊島・直島でやっているようなことをやる。ただし可燃物なので再生資源はほとんど出ず、飛灰や燃えカスは最終処分場に遮水層をつくって埋め立てる…ちなみに北九州港は、全国に22箇所ある「リサイクルポート」…すなわち産廃を日本国内で広域的に「リサイクル」するための海上ネットワークの拠点…に指定されている。
で、なんやらかんやらで、焼却時の放射性物質の影響を試算…4の16ページ目を見てみると…
39,500トンに100ベクレルかけて、99,9%バグフィルターで除去できるものとし、1年の総量が3,950,000ベクレル
一箇所の工場で全量を処理したとし、半径5キロの範囲に全部降下、沈着したとすると…年0.05ベクレル/m2。
一方、福岡県の土壌における放射性セシウム137の濃度平均は、なんと129.25ベクレル/m2…要するに「今その土地にある放射性物質量に比べ、ホンの少ししか増えないから問題ない。」ということらしい。ちなみに、バグフィルターが100%効かなかったとすると、濃度は100倍の年5ベクレル/m2、これぐらいになると、ちょっと問題かも知れないが、バックグラウンドが高いので、なんとか大丈夫そうに見える。

が…まてまてまて!土壌にある放射性物質は風で舞い上がることもあろうが、焼却炉からはセシウムが「降ってくる。」のだ…内部被曝は免れまい…あと、線量とかを比較するのであれば、焼却炉の周辺5キロの範囲のバックグラウンドを調べておけよ。それに5キロの範囲にまんべんなくセシウムが降下するか?もっと遠くに流れていったり、近くに落ちたりと「ホットスポット」が出来る可能性は十分にある。そこのバックグラウンドが低ければ、空間線量も当然上がる。実際、今回の試験焼却で、トラックが来る前の線量が0.07μシーベルトであったものが、荷物を降ろしたトラックのところで0.6μシーベルトに上がったそうだ。

まあ、もっともここまで考えるのは「杞憂」かも知れない。私自信「100ベクレル/㎏」ならなんとかなろうという考えだから(しかしそれはあくまでも「がまん値」に過ぎない)。そして恐れるのは、やはり現地での仕分けがいかげんになったり、予想以上の高レベルのものが後になって出てきたり…それを「契約・協定」(自治体間で処分費のやりとりや、処分方法、期間を決めておく必要がある)どおりに、あるいはそれを盾に「マニュアル」どおりに適用して、余計な被曝を強いられることだ。また、木屑以外のシュレッダーダストみたいな物、有害な液体なんかも「なし崩し的」に廃棄物処分場に送られてくるかもしれない。(豊島の例を見られよ)

ちなみに、中身の照査はしていないが、日本はがれきの処理でも「焼却主義」の大愚サイトを見つけた…放射性廃棄物、災害廃棄物について考える一つの参考にもなろう。バグフィルターについても書いてある。

さて、そろそろ寝よう…

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醤油の街を、侵略でゲソ

小豆島侵略は、姫路から福田港への逆上陸から始まる。
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小豆島の東北部から、土庄市街地に出るバスの時刻表。なお、小豆島オリーブバスは、琴電のICカード「IruCa」も使えるので、便利…
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小豆島町役場のある、安田で下車
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少し海辺を戻る…藤の花が、きれいである。
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ここにあるのが、「金両醤油」さん、130年の歴史を持つ…っていっても、もう「明治時代」なんだよねぇ~

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醤油の香りが、すごい!両建物とも、文化庁登録文化財
まあ、醤油を作っているところを見学できるものではなく、醤油や関連商品を売っている。もちろん裏の工場は操業中。

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倉庫裏のトイレ…従業員さんも使うみたい。

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この土蔵も、登録文化財

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旧家の大門は、すごいでゲソcoldsweats01

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文化財の「新しさ」が分る…というか「明治は遠くなりにけり」か…
なんでこんなことを書くか…というと、いわゆる「伝統」というものも、けっこう新しいもので、長~い歴史の中で廃れたものも多くあること。その「一部」を都合よく取り出して「日本の伝統が…」というAFO共を相対化するためである。(それとは別に、130年も「醤油づくり」を続けてきた方々の努力とかは、賞賛されてよいのであるが…)

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このあたり「ひしおの町」として売り出し中…宿までは時間があるから、散策してみる。

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神社の白壁に願い事というのも、イイネvirgo

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蛙と狸

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街の感じは、愛知県の常滑に似ている…ただし常滑では、あいこちに「常滑焼」の壷が置いてあったり、歩道や壁のファザードとして使われているので、観光地気分としては「常滑」のほうが上か…でもそれらがなくても、歩くのにはいい所だったじゃなイカsign03

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6月の「原発再稼動反対」行動2題【追記有り】

大飯原発の再稼動問題の攻防が続いているが、四国・伊方原発も再稼動が狙われてるぞ~
ということで、四国での行動2題

6・9脱原発ウォーク
6月9日(土) 12:45 田町交番前集合
         13:00 出発~四電前にて解散
         主催:脱原発アクションin香川

と、まあこれは3ヶ月に高松でやってる定例行動のひとつ…まあ、どのくらい集まるのか分らんが…

翌日は松山で、伊方原発を止める会さんが主催する、伊方原発No! 県庁包囲行動である。

大飯原発の再稼働問題が報じられていますが、まるで対照的に、静かに「白紙」を標榜しつつ、伊方原発の再稼働を企図する動きが 進行しているように見えます。4月12日に中村知事が伊方原発を訪問。知事は追加的な課題を指摘しませんでした。4月15日には民主党の前原政調会長が愛媛に来ていました。同18日、愛媛県内全11市の副市長が伊方原発を訪問。5月2日には県内全9町の町長が伊方原発を訪問しました。地元紙の取材に副市長達は「努力している印象を受けた」「協議する際の材料にしたい」等と語り、町長会長は「今後判断を求められれば議論したい」と語っています。一連の特徴は、知事をはじめとして、福島事故の分析・検証が出来ていないことに触れないことです。福島で、津波以前の地震動で破壊がすすんだ疑いのあること等にもふれません。

チラシダウンロード
こうしたもと、私たちは6月10日(日)午後1時半から、「伊方原発稼動阻止!! 愛媛県庁包囲行動」として、松山市城山公園「やすらぎ広場」で集会をもち、デモを行います。過酷事故が起これば被害住民となる四国、九州、瀬戸内、そして国内の広範な地域の人々の再稼働NO!の思いを伝えるためです。県庁前では道路の両側の歩道に分かれて進行し県庁包囲の状況を示します。そのままデモは大街道と銀天街を進み、市駅前坊ちゃん広場で流れ解散します。また、翌11日(月)の午前中には、愛媛県知事への申し入れを行う予定です。

聞くところによれば、なんか「新しい枠組み」で始めようという試みらしい…高松ー松山は車で2時間強、日帰り強行軍になるが、ぜひ決起したいものだ。

伊方が事故れば、愛媛県のみならず、西日本全体に汚染が広まる。豊かな瀬戸内海が汚染され「海の幸」はもちろん、風光明媚な瀬戸内の風景を見ることができなくなる。瀬戸内航路も閉鎖や通行制限がかかり、阪神工業地帯、瀬戸内の工業地域に与える打撃も大きい。

四国住民、瀬戸内住民は伊方原発再稼動反対に決起しようsign03(海を汚されて怒ったイカ娘が地上侵略に来る前に…)

香川連帯ユニオンさんからの追加情報…
6月9日は、デモの後に学習会があります。

場所 高松市生涯学習センターまなびCAN(琴電片原町駅から徒歩1分)
講師 井下 俊さん 
 医師(血液学)JIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)理事              
1963年徳島生まれ。西チモールやパレスチナ、コソボなどで活動。              
劣化ウラン弾による健康被害に関心を持ち、2003年にはイラクで調査活動。2005年からはJIM-NETヨルダン医療コーディネーターとしてアンマンに半年間滞在。6月にはブリュッセル(ベルギー)で行われたICBUW(ウラン兵器禁止を求める国際連合)の総会に出席し、イラクにおける劣化ウラン兵器による健康被害の実態を報告   子供や母親のための放射能の話などをしにフクシマに行っている。

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小豆島オリーブ園侵略

さて、豊島に行く前に小豆島に寄ったわけだが、やはり小豆島は広い…豊島に渡るフェリーが土庄港から13:10分には出るので、結局オリーブ園ぐらいしかいくことが出来なかった。
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生憎の天気なので、こんなところに行ってもあまり楽しくない(^^;;

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ここは道の駅としてのオリーブ記念館と、公園、そして

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温泉・レストランから成る。

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地中海をイメージした風車も、この天気ではねぇ~cloud

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中に入ると、いきなりこんなモンが…ここはギリシャ・ローマじゃねえsign02

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「桂冠」があって、かぶって記念撮影をすることが出来ますvirgo

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さすがにこれはちょっとなぁ~。ちなみに小豆島町、ギリシャのミロス島と姉妹都市なんだそうな。

さて、小豆島のオリーブ栽培は、1908年ごろから始まった。なんでも日露戦争後にで北洋漁ができる「権益」を得たため、そこで取れる海産物を缶詰にするため、オリーブ油の需要が増えたのだそうな。鹿児島、香川の三県に導入されたオリーブで、ちゃんと育ったのは香川のオリーブだけだった。地中海に似た気候がよかったのだといわれている。
ということは、あの「蟹工船」にも小豆島のオリーブが積まれていたのかsign02
もっとも、小豆島にはオリーブアナアキゾウムシという天敵がおり、これの対策には苦労したそうな。

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オリーブの「原木」

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天気が良ければ、エエ所だろうなぁ~

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粉砕対象…昭和天皇お手植えのオリーブbomb

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教会なんかもある。

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向こうに見えるのが、いわゆる「岬の分教場」があった半島…二十四の瞳映画村もある。あと、小豆島を舞台とした映画は「八月の蝉」なんてのもありまする。

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浜辺へ…岬のほうに行く、渡し舟なんかもありまする。
瀬戸内の島々の侵略旅行は、続くのでゲソ…

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石原莞爾は帝国主義者として「だいたい正しかった」

ROM人さんとkuronekoさんの「論争」が続いているが、「民主主義」「ファシズム」「民衆の不満」とかはともかく、ROM人さんが言っていることのいくつかを「評価」してみよう。

まず日清戦争日露で軍事的に安全圏を手に入れた。 そして石原寛治が対米戦を視野に入れて、満州事変を起こして中国に第二のアメリカを作ろうとした。
日清、日露戦争は朝鮮(中国東北部のこと…ちなみに「満州」というのはそこに住んでいた「民族名=マンジュを漢字化したもの…左翼なら「中国東北部」と書くべきところであるが、「満州」「満州国」とい言葉をこのまま便宜的に使用する。)における「権益争い」であり、それを「日本の盾」になってくれればなぁ~というのは、あまりにもおこがましい。(「日本の盾…同盟国になってほしければ、日朝修好条約という「不平等条約」を砲艦外交で結ばなければよかったのだ。)日清戦争の大義名分は「朝鮮独立支援」であったが、日本は戦後ちゃっかり台湾を植民地として取り上げている(内村鑑三はこれを「あれは義戦としてはじまったのだが、欲戦として終わったのだ。」と述べている)…日露戦争では「反帝国主義闘争」としてはじまった「義和団の蜂起」を鎮圧するため、日本、ロシアも含めた「列強」が出兵し、その後ロシアが満州、朝鮮あたりまで勢力圏を延ばそうとしたため、朝鮮を勢力圏としたい日本と対立、戦争となったものである。(日露戦争を「祖国防衛戦争」と書く小説家や論者がいるが、戦場は朝鮮から満州である)。  さて、日露戦争によって「朝鮮の植民地化」と「満蒙権益」というものを手に入れた日本は立派な「帝国主義国家」として立ち上がった(国力としては依然、貧しい農業国のままであったが)。清国は1911年、辛亥革命によって滅亡…しかし革命派は統一政権をつくることができず、混乱が続いた。欧州帝国主義は第一次世界大戦をおっぱじめ、ロシア帝国主義は革命によって打倒される。(その混乱に乗じて「社会主義政権」を倒すべく、これまた列強の干渉戦争が行われ、日本も得るところの無い「シベリア出兵」を4年間も続けている)…これでさしあたっての「日本帝国主義」の敵は、ROM人さんや石原莞爾が考えたように「アメリカ帝国主義」しか残らない。  それでも日本は朝鮮植民地化にあたり、アメリカの植民地フィリピンには手を出さないという「協調主義」を取り(桂・タフト協定)、他帝国主義国の植民地・権益も「尊重」した。しかし第一次大戦において、敵国ドイツの権益を奪うだけでなく、中国の主権をふみにじる「対華21ヶ条」というものをつきつけた。中国において突出した「権益」を持とうとする日本帝国主義に対し、他の帝国主義国が警戒を持つのは当然である。また中国人民においては、「反帝国主義」が「反日本帝国主義」にしぼられる…「反日」の起源は、まさにここにある…ことになった。  1920年代になると、ようやく蒋介石の国民党が「北伐」に乗り出し、中国は統一に向かっていく。中国における反日運動も激しくなり、「満蒙権益」を守るために軍閥の張作霖と組んだものの、蒋介石軍に負けて帰ってくるところで「役立たず」として、日本軍により謀殺される。その後に活躍するのが「石原莞爾」である。

 石原莞爾は日蓮宗の教義と、独自の欧州戦争史研究により「世界最終戦争論」を打ち立てた(これがナチス・ヒトラーのような国家公認の思想となれば、また歴史はちょっと変わっていたかも知れん)曰く

一.世界秩序は西洋の代表たる米国と東洋の選手たる日本の争奪戦により決定されるのであり、わが国は速やかに東洋の選手たるべき資格を獲得しなければならない。
一.現下の不況を打破し、東洋の選手権を獲得するためにわが勢力圏を拡張する必要があり、満蒙を我が領土とする以外に絶対に途はない。

と説いた。そして1931年9月18日、石原は「関東軍」を乗っ取って「満州事変」を開始、朝鮮軍も勝手に越境する「天皇の統帥権」を完全に無視したクーデター的なやり方で「満州国」を建国する。
これが「成功」し、政府も「追認」したもんだから、ROM人さんの言うように
ここから先は馬鹿な連中が軍部と政府に幅を利かせちゃった
ことになる。その6年後、さらに日本軍は中国と全面対決…南京が「陥落」しても蒋介石は屈服せず、また第二次国共合作の成立により、中国側の激しい抵抗が続く。
(このあたりまで、参考資料…FOR BEGINNERS 日本の軍隊(上)皇軍編 前田哲夫/分 貝原浩/絵 現代書館1994年3月10日)

 さて、なかなか屈服しない蒋介石中国に対し、近衛文麿は「蒋介石を相手にせず」、戦争目的もへったくれもない声明を出す…こうなると無限戦争に陥るしかなく、石原の夢見た「東洋の選手権」どころでなくなる。同時にが、「東亜新秩序」なるものを打ち出し、なんとか和平交渉に踏み切ろうとはした。国民党ナンバー2の汪兆銘による傀儡国家建設とそことの「和平」工作である。で、実はこの「東亜新秩序」の「敵」はイギリス帝国主義であり、中国への門戸解放を目指し、蒋介石中国と自由な交易によって利益を得ようとするアメリカ帝国主義と「対決」するものではなく、むしろアメリカは無くてはならない国際秩序であると考えられていたのである。どうゆうことが?
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「アジア主義を問い直す」(井上寿一 ちくま新書 2006年8月10日)によれば

しかしここで日本経済は、深刻な問題に直面する。対中投資は、石橋(注:石橋湛山)の表現を借りれば、公共事業、交通通信事業、鉱工業などの「建設のための長期的固定的性質のもの」であり、すぐに利益をもたらすものではなかったからである。また輸出の拡大といっても、それは円ブロック向けのものであり、円は獲得できても、外貨を獲得することはできなかった。日中戦争下、対円ブロックの輸出過剰と、アメリカなど第三国向けの赤字の増加とが明らかとなる。国際収支の悪化が日本経済を圧迫していった。p205 

他方では日本にとって円ブロックからの輸入品あ衣食関係であり、金属、機械類、石油等の輸入は、アメリカなどへの経済依存がいっそう強まっていく。p206

 石原莞爾がいくら日蓮宗の思想で「対米対決じゃ~」と言っても、中国との交易だけでは日本の国力はつかない・・・いわんや満州国だけにおいておや・・・ということになる。
上記書によれば、この後いろいろなルートで(しかもバラバラに)対中和平交渉が進められ、実際新しくできる中国の政権は「反日であっても、反共であればよし。」とまで考える者もいた。しかし和平交渉は成立せず、ゆきづまりからの突破口として「日独伊三国同盟」に至る…ここでアメリカとの対立が決定的になるわけだ。(この3国同盟も、ソ連も入れた四国同盟にして「対米」でいこうと考えたりっぺントロップのような人がいたから、まあ歴史とは面白いもんだ。

 ということで、日本が対米戦争なぞ起こさなくても、ベトナム戦争のように中国人民の抵抗にあい、何らかの「和平」を締結するのが「賢い帝国主義国」としての生き方であった。しかし日本は対米戦を始め、徹底的に負けることになる。そして負けたのはアメリカの物量に負けたのであって、中国人民の抵抗や情勢判断の誤りによって負けたのではないと考え、誰も本質的な責任を取らなかったのである。

おまけ…ROM人氏へ

そういう方向の馬鹿はどこの軍隊にもいますw
米国なんて「日本人にマトモな飛行機作れない(キリッ」とか
捕虜にした日本兵に延々と進化論教えて「解りましたか、天皇などという神は存在しないのです」と結論付けてポカーンとされたり。
ま、どこもそんなもんですw

とまたリンク先をまともに読まないで書いていますが、このリンクは個々の兵卒・下級士官レベルの話ではなく、「上級将校じたいアホで、かつ失敗しても責任を取らない」ということがこれでもかと書かれています。長いですので、時間のあるときにちゃんと読んでね(^^;;

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豊島の産廃処分方法(後編)…「都市鉱山」は成り立つか?

ここで、家櫃港を後にして、一旦宇野へ(豊島と直島を直通するフェリー・船は無い)
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宇野から高速船で直島へ…銅精錬を続けてきたためか、豊島よりも木の元気がない感じ。
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直島の港に「海の駅」があり、そこから町営バスで三菱マテリアルの精錬所へ…ここも事前予約が必要で、バスには私の他、老年夫婦のみ…翌日、豊島に行かれるとのこと。
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狭い島なので、すぐに精錬所の門前へ…運転手さんが手続きを済ませて中にはいる。奥のほうに、「中間処理施設」がある。
写真を撮るヒマもなく、中に入って、ビデオ視聴後、職員さんの案内で見学開始。なお、中間処理施設の内部は撮影可だが、窓の外を撮影するのは不可とのこと。
ここは豊島の産廃の他、直島の一般廃棄物も処分している。ピットに入る特殊トラック
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やっていることは、破砕機で廃棄物を粉砕した後、磁選機で鉄系の溶融不要物と、それ以外のものに分別する。溶融不要物はロータリーキルン炉で熱され、鉄が取り出される。一方、他の廃棄物は回転式表面溶融炉で、1300℃以上の高温で処理される。(写真はその模型)
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燃えカスはいわゆる「スラグ」として取り出される。この中には銅やアルミなどの有用金属が含まれているため、比重選鉱やふるいによる選鉱でそれらが取り出される。スラグは砂の代替品として、県内のコンクリート製品に使われることは、前回書いたとおり。
回転式表面溶融炉や、ロータリーキルン炉から出た廃ガスは、一旦800℃以上に保たれた後(それ以下になるとダイオキシンが再生するおそれがあるため)、冷却、バグフィルターを通り、触媒等で苛性ソーダ等を入れて中和され、排出される。
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三十数名が12時間交代で働く、中央制御室。
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産廃も、これだけ少ないスラグになって出てくる。

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スラグ砂を使って作られたコンクリート製品…基本的に鉄筋の入っていないブロック等の材料となる。

一方、バグフェィルターを通らなかったものは「溶融飛灰」として、三菱マテリアル精錬所の「溶融飛灰再資源化施設」に送られる。また精錬所内には「有価金属リサイクル施設」という、シュレッダーダストからスラグ、有用金属を取り出す施設もある。
今回はこちらもついでに見学させてもらう(もちろん事前予約時に申し込んでおく。なお、直島の施設は見学料は無料)
「有価金属再資源化施設」は、中間処理施設同様、キルンで溶融してスラグや有用メタルを取り出す。有用メタルは銅精錬における電気銅を作る原理で取り出す。(まあ、銅の電気分解ですな)。また、キルンから発生する熱は発電に使い(サーマルリサイクル)、精錬所で使う電力の10%を賄っているそうな。

「溶融飛灰再資源化施設」は、飛灰に水を加えてスラリー状にし、フィルタープレスにかけられ、銅洗練処理施設に原材料として回される。出てくる水は排水処理をして、外に放流される。

本当はもっと細かい工程とかあるのだが、これが「廃棄物をリサイクル」して「有用な金属」を取り出す手法である。ものすごい手間とエネルギーが使われていることを感じた。「何か質問はありませんか?」と言われたので「節電とか今騒がれているけれど、ここでどのくらいのエネルギーを使うのですか?」と聞いてみたら、やっぱり「よくわかりません」とのこと。案内の方も、そんな意地悪(かつ本質的?)な質問が来るとは思っておらず、単に施設内の個々のしくみ等を教わっているだけなんだろうな。

さて、日本はエネルギー源どころか、工業製品の原材料となる資源も少なく、多くを輸入に頼っているのはご存知のとおり…しかしここでやっているような、廃棄物から有用な金属を取り出す「都市鉱山」というものが注目されている。いわば循環型社会をつくる一つの方法でもあるのだが…先ほども書いたとおり、厖大な手間・設備とエネルギーがかかる。「リサイクルだから、循環型社会だから…」といって「地球にやさしい」わけではないのである。現に直島の中間処理施設は、建物はまだまだ持つが設備の耐用年数が15年ほど…豊島の廃棄物処理は新たな廃棄物が見つかって3年ほど延びることになったわけだが、ほんと、ギリギリなんだそうである。
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マテリアルの施設で写真を撮れるのは、玄関のみ…
ここで、豊島を案内してくれた方の言葉…「たかが砂の代用品を作るのに、こんなに手間とお金をかけている。」と…また、豊島でもらったパンフ「豊かさを問うⅡ」のP36に、第16回技術委員会での永田委員長のコメント(2003年7月27日)から引用すると…

循環型社会は、サスティナブル・ソサイアティというのが一番適切ではないかと思っている。我々は、決してリサイクルを目標に循環型社会を作っているのではない。リサイクルはあくまで一つの手段に過ぎない。「大量生産・大量消費・大量リサイクル」というのは、すでに世の中で否定されている。この考え方は、整理しておいたほうがよい。(中略)循環型社会は、エネルギー自然を含めて、可能な限り、供給量や使用量を少なくしていくと同時に、有害物質やその可能性のあるものは原則的に使用しない、どうしても機能を得るために使用しなければならない場合には、循環体系の中で使いこなしていくのが人間の知恵だと思っている。今までのように、出口でなんとかしようという対策ではだめだというのは、世の中の常識と思う。そういう意味で、上流側の対策の重要性は強調されすぎることはない。上流でやることが効果的に機能していくことになると思う。

原発は、循環に乗らない「放射性廃棄物」を生み出す欠陥システムである。だが「脱原発」をやっても、電気が欲しい、太陽光だ、風力だ、火力だぁ~といっても、所詮最後は「廃棄物」となるのだ。そこんとこを見据えておかないと、なんにもならない。エネルギー源が無くなったところに、厖大な廃棄物の山ができるだけなのだから…

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豊島の産廃処分方法(前編)

とりあえず、小豆島・土庄港から豊島、家浦港へ
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港の建物の片隅にある、豊島観光協会さんの所へ「予約しておりました〇〇ですが」と言うと、住所、名前、職業、見学理由等いろいろ書くように言われる。見学料は2,000円

で、案内人のおじさんの車で出発…車の中でいろいろお話が聞けます(^^)
付いた所が、「木造の記念館」みたいな所
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この中に、様々な当時の記録や、「戻ってきた海」の写真がある…

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では、豊島の産廃はどのように処分されているのか?お勉強…香川県直島環境センター、豊島分室に案内される。ここで案内人はセンターの職員さんにバトンタッチ。
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判り難いが、これがその建物…
豊島でやっているのは、産廃を中間保管して梱包する作業と、その過程ででてくる汚水を高度処理するもの。
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まずは産廃の中から、金属やコンクリートガラなどの、すぐにリサイクルできるものをより分ける。なお、汚染水で汚染されているので、水で洗浄し、汚染度をチェックして外に出す。
ホースやタイヤは切断機で裁断、ドラム缶は中にとんでもないものが入って無いか確認してから、ピットに入れられる。なお、土砂状になっている多くの廃棄物は、石灰を混ぜて中和…水素ガスが出るのでピットで1日ほど寝かしてから、特殊なコンテナトラックに積み込む。これも石灰の反応がおさまるまで1日ほどヤードに止めておいてから、専用のフェリーで直島の処分場に持ってゆく…

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ここは処分場等から出る水を貯めておくところ。水はアルカリ凝集沈殿、生物処理(まあ、下水処理と同じしくみ)を経て、凝集ろ過装置でSS(微粒子)を取る。ダイオキシン類その他の微粒子はここで除去される。

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オゾンと紫外線(だったかな)で、溶け込んだダイオキシン類を処理する装置…中の水が青緑に光っています。
その後、活性炭吸着処理でCOD(化学的酸素要求量)を処理、キレート吸着処理(何のことかよーわからん)で重金属類を処理した後、北側の海に放流される。
この過程で出てくる活性炭や凝集沈殿物質はどうなるのか聞くのは忘れたが、おそらく脱水処理後、直島に持っていくのだろう。

あと、中間保管、梱包施設からは当然、粉塵のようなものが出るので、集塵機やバグフィィルターが供えつけられている。今、「災害瓦礫広域処分」問題で話題のバグフィルター…「あの~これでセシウムとかの放射性物質って、除去できるのですか?」と聞いたら「そんなことは想定していないので、判りません。」とのこと…まあ、そうだろうな。フィルターだから、粉塵状、液滴状のものは取れても、気体になったものは外に出てゆくしかない。

とりあえず説明を終わって、来た車で港まで・・・というか、宿泊場所まで送っていただく。(ありがとうございます)

おまけその1…豊島・家櫃の集落…ここにも小豆島ー豊島ー宇野行きのフェリーが着く。
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その2…この近くにある、豊島美術館
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今度また、ヒマと金があったら、行こうか…

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世界一狭い海峡を侵略したでゲソ

硬い話が続いているので、一休み…
関西から豊島に渡るには、岡山の宇野か、もしくは小豆島を経由しなければならない。小豆島の豊島経由宇野行きのフェリーは、土庄(とのしょう)港から出ている。
その土庄には、ギネスブックに認定された「世界一狭い海峡」があるのでゲソsign02

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これがその「土庄海峡」である。ほとんど川状態coldsweats01

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渡った証拠に、近所の土庄役場で証明書をいただけるとか…

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張り出しプロムナードで、公園化しています。

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案内図でゲソ。

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小豆島の石で作った、常夜灯…ちなみに小豆島を始めとする周辺の花崗岩で、徳川家康が再建した大阪城の石垣ができている。島のあちこちに「残念石」と称する、使われなかった石が飾られている。

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なぜか「迷路の街」なんてものもある…船の時間までしばらくあるのでウロウロすることに…

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これでも「中央通り」だsign02

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中は普通の住宅街だが、いろんなオブジェがある。

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消火栓…なんとか小型の消防車は入っていけるのかrvcar

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エエ雰囲気も出している所もある。
ちなみにこの「海峡」がある場所、土庄港からは歩いて20分ぐらいの所にある。迷路街には食べ物屋さんは、ほとんど無いので注意…

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おまけ…土庄港のすみっこにある、「24の瞳」をモチーフにした「平和の群像」

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「豊島産廃問題」から学ぶこと…あるいは若干の感想

「豊島産廃問題」のあらましを記事にしてきたが、この「闘争」が曲がりなりにも勝利し、県が過ちを認め謝罪、産廃を撤去して元の状態に戻す道筋が整った。新たな産廃が見つかって処分期間の見通しが長くなったこと、破壊された海に自然がもどりつつあるが、跡地をどう利用するかまだ未定なことなど、まだまだ問題は多くある。しかしこの「闘い」をきっかけに、「循環型社会」を目指す機運が高まり、また「行政の無謬性」が裁かれたのである。そして豊島の人々や運動を支えた人々に「二度と同じ過ちをおかさない」決意が芽生えた(残念なことに、産廃の不法投棄や処分場からの汚染事故は後をたたないし、さらに福島第一原発事故というとりかえしのつかないことが起こり、かつ責任をとるべく者どもが「無謬性」のもとで未だに何も刑罰はおろか、反省も謝罪もしていない)

この闘いが「勝利」した理由として
1.敵(相手)がはっきりしていたこと…この場合は業者と県
2.島民が分裂する要素がなかったこと…産廃の運動をしても一文の得にもならないが、産廃業者や県の「味方」をしても得をする者がいなかったこと(産廃業者は暴力的恫喝で島民をおさえつけていたが、兵庫県警に摘発されると「島民を分裂させる」行動はとれなかった。また県も、わざわざ島民を分裂させてまで「行政の無謬性」を押し通す理由や利益はなかった。)
3.環境問題への関心が高まり、支援・支持が広範に得られたこと。またそれを得るための努力を島民が惜しまなかったこと(県内100箇所座談会等)
4.対峙する相手が「国」(あるいは「国策」)ではなかったので、国が県や「産廃業者」をコントロールすることに期待できたこと

が挙げられると思う。特に2.と4.に関して、案内人の方が「沖縄は基地に反対するけれども、基地で利益を受ける人もいる…だから分裂するんだ。」「中坊公平弁護士が『国がうごいたのは、橋本龍太郎首相(当時)のおかげなんだ!』(こうゆう「国家権力そのもの」には尻尾を振る中坊公平弁護士は、あまり尊敬しない)と言った…別の弁護士が『いや島民の皆さんががんばったおかげだと言ってくれたが。」というような話をしてくれた。

 橋本龍太郎は、沖縄の基地問題において、「普天間基地を返還してもらう」と沖縄県民に約束しながら、その舌の根も乾かないうちに「辺野古に代替施設を作る」とした張本人である。その後の自民党(+公明党)政権で、名護市民投票に防衛施設庁(当時)の職員を介入させ、辺野古地元や北部振興で金をばら撒き、住民の「分裂」を図った…ひとえに沖縄に米軍基地を維持することは「国策」だからである。だからなかなか勝てない。

 最大の「国策」と対峙しているのは、やはり三里塚闘争である。闘争初期は多くの農民が反対同盟に結集し、陳情や請願を何度も行っている。「非暴力」で進められていた闘いに機動隊の暴力が差し向けられ、同盟員や支援の多くが負傷、逮捕、投獄される。農業が斜陽化する中、空港公団から「札束による切り崩し」が行われ、一軒、また一軒と土地を売って闘争から離れていく…その中でも、成田市議に反対同盟の北原鉱治氏が、芝山町議に鈴木幸司氏(故鈴木謙太郎さんの父親)が当選している…そして今も、萩原進さんと市東孝雄さんが農地をまもって闘っている。

 「相手が国策でなかった」とはいえ、一文の得にもならない、ただただ美しい島を取り戻したい、子や孫に残したいというあたり前の要求からでてくる「公共心」が闘いの軸であることは、三里塚も豊島も変わらない。市東さんは、百姓の収入の150年分の補償金を積まれても「俺は消費者のために、1本100円の大根を作り続ける!」とそれを撥ね付けたのだ。

 もう一度言うが、決して豊島は「産廃の島」ではない。水の豊かな、緑あふれる静かな島なのだ。
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案内してくれた方は言った「私たちは、闘いなんか好きじゃないんです…」と。

「瀬戸内国際芸術祭」もきっかけに、豊島をはじめ小豆島や直島、男木島、女木島等が「アートの島」として観光客を呼び込もうとしている。少し不便で、お金も時間もかかるかもしれないが、豊島や直島なんかに、遊びに来なイカsign03

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「節電」の矛盾を労働者に押し付けるな!

 原発による電力が0になったが、世の中には「産業界」だけでなくこれをあまり喜んでいない人も多い。mixiなんか見ていても、昨年夏の「節電キャンペーン」で勤務シフトを強制された労働者層に、その気持ちは強い。例えば非国民通信さんの
ブログ家庭だけで済むはずがない-なんかには、このように書かれている。

電力会社だけではなく行政府の公認の元、料金割引というニンジンによって夜間の操業即ち深夜労働へのシフトが推進されるという悪夢のような事態も差し迫った危機として想定されなければならないことでしょう。何せ行政の長があの人(注:橋下大阪市町のこと)ですから、さらなる節電/ピークシフトを促す策として深夜労働の割増賃金撤廃を提唱するとか、深夜労働を増やした企業に報奨金を出すとか、そういう事態だって一概にあり得ないとは言えません。

 確かに現代社会を動かすにあたり、「深夜労働」をする人間も必要で(高速道路の集中工事や、電鉄会社の保線作業ほかいろいろ)であるが、元々人間は昼間働いて、夜寝るように出来ているので、「深夜・夜間の労働」は特別なものとして取り扱われなければならない。賃金の割り増しや、十分な休息の取れるシフト体制などだ。ところで「非国民通信」さんは現在の資本と労働の力関係から、「節電」の矛盾は労働者にしわ寄せが来ると「警告」を続けており、安易な「脱原発」に警鐘を鳴らしている。(もっとも私から見ると、反「脱原発」のために、自らが常々批判しているところの「自分の信じたくないものは信じない」方向に陥っており、原発の持つ問題を掘り下げて考えること…低線量長時間被曝や、内部被曝の影響が分っていない事、別のところで無駄なエネルギーを使っていること等…ができない。また、彼の底流にある「労働力のフェアトレード」(彼自身、そのような言葉を使用しているわけではない…私がそのようにコメントしたので便宜上そう呼ばせてもらう)が成されていないことによって、原発の安い電力が供給されている矛盾を、これまで他の大企業が「労働力のフェアトレード」をしていないことが「無視されていた」ことによって「正当化」している。(彼が「大企業」がまともな賃金を払い、福利厚生や労働条件がちゃんとしていることで、「大企業」を賛美するが、その背景に「大企業」が労働力も含め「フェアトレード」していないことにあることを不問にしている。
 ま、彼を批判するのは簡単だが、「災害は忘れた頃にやってくる」と警鐘をならした寺田虎彦は、関東大震災から12年たった時「いつ来るかもわからない津波の心配よりも、あすの米びつのほうがより現実的である。」と述べている。ことはそんなに簡単ではないわけだ。

ここで草加さんのブログ「旗旗」の「原発0実現」の日に思うことから、、引用しよう。

それにしてもです。とりわけ財界の反応には本当に怒りを感じます。だいたいがこういう人らは、景気が悪くなると、すぐに労働者に犠牲や我慢を要求するくせに、景気がよくなっても、それをすぐに還元するわけにはいかないとか、かわりに雇用を維持する(要するに首切りをしない)からありがたく思えみたいな人たちです。そして今は口をそろえて政府に圧力をかけ、早く再稼動しろ!節電なんてやってられっか!と合唱しているのです。あまつさえ、節電させるなら雇用の維持も難しい(=労働者の首を切るぞ)と。
 ほんとに政府や財界が「痛みをわかちあおう」とか「痛みに耐えて」とか「頑張ろう日本」とか言う同じ口で、経済に悪影響とかなんとか理屈をつけて、いざという時には自分が引き受けるべき痛みまで、全部労働者にツケを回す。あいた口がふさがらん。こんな奴らのマガママを聞いてたら何もできん。「労組のワガママ」とか言う人には、そんなの財界のワガママに比べたら、とるにたらないもんだと言いたい。

そう、資本が労働者に対して全ての矛盾を押し付ける…これに対抗していく運動を造り上げていかなければならない。具体的には、暑い夏季にはフランスのような長期のバカンスが取れ、ベトナムのように昼間は昼寝をする(そのかわり、ベトナム人は早起きだ…もっともグローバリズムと「市場経済化」が進んでそのような習慣が、私が訪れた2000年当時よりも少なくなっているかもしれない。)そして人間らしい暮らしのできる賃金が保証される…ところまでいくのが理想である。当面は「人間らしく生活できるシフト体制を組め!」「節電を理由にした賃金カット、労働強化を許さない」たたかいが、現代の「ほんまもんの左翼」に求められている。「労働組合」に求められている。

震災直後にも書いたが、小泉改革後に続いたとされる空前の「好景気」によって、企業の内部留保は思いっきりたまっている。こうゆうときにこそ財界はこれを吐き出す義務がある。
今年が冷夏になるか、一昨年以上の猛暑になるかは分からない…しかし原発を止め(世界中のエネルギー・資源の本当の節約になる)、人が人らしく生きられるために、暑い闘いはこれからも続くのだ。

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豊島産廃問題…公害調停成立まで

 さて、「悪徳業者」豊島観光は摘発され、経営者は刑事裁判にかけられたが、前にも書いたように罰金50万と執行猶予付き懲役刑だけですんだ。香川県は摘発のあるまで積み重ねられた産廃を「金属回収業の原材料である(有価物論)であると言い張ってきた。しかし兵庫県警摘発後に島民が入手した、香川県職員の供述調書に「・・・私の〇〇さん(注;このブログで業者個人を糾弾するつもりはないので、実名は私のほうで伏せている)に対する気持ちは、気の短い乱暴な男で機嫌をそこなえば何をするかわからない人・・・強いることが言えず・・・〇〇さんの都合の良い回答をしているのであります。」「・・・これが〇〇さんでなければ・・・行政処分などの適正な措置ができたのですが・・・。」等が書かれてあり、明らかに行政・県の「事なかれ主義」による不作為行為であった。県は豊島の産廃を「産業廃棄物である」と認めたが、自らの責任は認めず、事業者に撤去命令を出して幕引きを計ろうとした。もちろん事業者にはそんな金も、技術力も、やる気もない…このままでは県は責任をとらず、産廃もそのままになってしまう。
 時効となる3年が近づく中、島民は弁護士と相談し、中坊公平弁護士を紹介してもらった。1993年5月「豊島弁護団」が結成され、中坊氏が弁護団長に就任、島民に対して「ふるさとを守るために徹底的に闘いますか?」と、島民に覚悟を促した。11月11日、公害紛争処理に基づく公害調停申し立て…申請の内容は
1.産業廃棄物を撤去せよ
2.損害の賠償として申請人各自に50万円支払え
申立人総数 549名(豊島住民)
被申請人 香川県、香川県職員、豊島総合観光開発開発株式会社及び関係者、排出企業

 行政訴訟を起こして香川県を「裁く」のではなく、「公害調停」という方法にもっていったのは
1.公害調停委員会の費用負担で現地の調査を行ってくれる
2.裁判より費用が安くて済む
3.裁判より短い時間で決着がつく
4.産廃の撤去の見込みが裁判より多くなる
ということからであった。しかし、調停は両者の「合意」がなければ成立せず、片方が拒否すれば元も子も無い。また、香川県と豊島住民との間では力関係の差がありすぎる。そこで公害調停外で様々な運動が展開された。「世論」を味方につけないといけないからだ。
 また、94年~95年にかけ、国の予備費2億3千六百万円を使った、専門委員会による大規模な実態調査が行なわれ、廃棄物の量が香川県の発表の約3倍、50万トンもあること、ダイオキシンをはじめとする有機化合物、鉛を中心とした多種多様な有害物汚染が深刻であること、有害物が浸出して直下土壌・地下水さらには瀬戸内海に流れ出しており「放置できない」状態であることが明らかになった。

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(写真は、「闘争資料館」のような所にある、産廃の層を切り取って貼り付けたもの…土や木のように見えるが、多くはシュレッダーダストである。またこの資料館には、調査時のボーリングデータも全て残っていて、研究者も時々訪れるとのこと)
毎日交代で県庁前に立ったり、メッセージウォーク(メッセージを書いたタスキをかけて、香川県内全市町の役場を訪ね歩く)、1996年9月には夜行バスで東京・銀座にゆき、豊島にある廃棄物の一部を携えてデモ…隣の小豆島(豊島は行政区分として小豆島の土庄町に属する)をはじめ、県内100箇所で「座談会」を開いたり…その行動は7千回を越え、かかった費用は1億六千万にも及んだ。「グリンピース」の訪問や、当時の菅厚生大臣(なつかしいな)の現場視察もあった。

専門委員会は95年7月、産廃処理7つの案を提示した。
1.現場で中間処理、島外の管理型処分場で処分
2.島外で中間処理、島外の管理型処分場で処分
3.島外に搬出し、遮断型処分場で処分
4.現場で中間処理、島内の管理型処分場で処分
5.島外で中間処理、島内の管理型処分場で処分
6.現場で遮断型の処分
7.遮水壁を設置し、水処理をする(現場にそのまま残すということ) 
96年10月23日、第12回公害調停において、県はいちばんまずい「第7案を実行する」と提案、また申請者は「国も当事者である」と公害調停に追加申し立てを行う。11月24日の住民大会では、有害物を他の地域へ持ち出すことは他の地域にも迷惑がかかることになるので、豊島で中間処理を行い、無害化して島外に搬出する第1案を洗濯する決議がなされた。(ここを案内人の方は「自分たちは被害者になったけれど、加害者にはなりたくない。」と言われた)また96年4月6日の住民大会では、公害調停を進めるため、県が責任を認め、謝罪するならば、損害賠償請求権を放棄する決議を採択。7月13日には中間合意受け入れを決定、最終合意に向け県の姿勢を改めさせ、責任と謝罪を得るための運動を展開することを決定。7月18日に県は責任を認め、廃棄物の中間処理、再生利用を図り、廃棄物が搬入さえる前の状況を目指すとする、中間合意が成立した。

だが、1997年6月県議会において地元選出の議員(おそらく小豆島)が「豊島の運動は弁護団主導の根無し草運動である。」と批判…これを受けて、県民の世論を動かすため、まず土庄町6000戸にローラー作戦で支持、支援を訴える運動を開始、県内100回座談会もこうした中で始まった。
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また、99年1月31日、豊島3自治会が業者の破産管財人から処分地を1,600万円で買取り、島内3自治会名義で登記。撤去事業を進めやすくした。99年3月7日には100ヶ所目座談会、記念集会。その1週間後には、県議会選挙に住民運動の代表者の一人、石井亨氏を擁立することを決定…人口30,000人の小豆島の選挙区で、人口1,400人の豊島から当選することは大変なことであったが、石井氏はみごと7340票で当選を果たす。
こうした動きもある中、豊島で梱包処理をして、隣の直島の三菱マテリアル精錬所内に中間処理施設を作り、マテリアルで廃棄物を全て資源化する処理案が検討される(この技術については、別途書く予定)。直島町民への説明が行われ、過疎化が進む中、新しい雇用等もうまれることもあって、直島町で中間処理受け入れが表明される。

そして2000年6月3日、住民大会が開かれ、調停条項を承認するとともに「豊島宣言」を発表。6日には豊島に香川県知事がやって来て、最終調停が成立、豊島小学校体育館に600名が参加した。「怨念から希望へ、第2、第3の豊島をつくらない」との歴史的意義が確認された。

しかし、産廃問題はこれで終わったわけではない。跡地をどう利用するのかという問題もある。また、「第2、第3の豊島をつくらない」と宣言されたにもかかわらず、99年には青森岩手県境で82万m3の、2004年には岐阜市内で70万m3の巨大不法投棄事件が発生しているし、不法投棄されていない産廃処分場で豊島をしのぐ事故が起こっている例もある。そして今、地元小豆島の土庄町が、東北のガレキ広域処分受け入れの動きをみせている。

豊島宣言の最後の部分を引用して、この記事をしめる。
 

私たちが、繰り返し繰り返し叫び続けてきたことが道理にかなった正しい要求であったことが認められる日がついにきたのです。私たちはそのことを喜ぶとともに、これからはここに至るまでの長く苦しい道のりにとらわれず、豊島が美しい瀬戸内海の自然と調和する元の姿に戻るよう、行政と住民がともに、協力して、新しい価値をつくりだすという「共創」の理念に基づいて行動する決意をしました。
 私たちは、生まれてくる子どもたちに、「誇りをもって住み続けられるふるさと」を引き継いでいくという新たな取り組みのスタート台に立っています。
 私たちは、この25年間で得た貴重な教訓と成果を深く心に刻み、これも子供たちに引き継がせつつ、世界に一つしかない豊かな豊島を築いていく決意を、ここに高らかに宣言します。

2000(平成12)年6月3日 豊かな島を実現させる豊島住民大会

前の記事の時に加え、豊かさを問うⅢ調停成立10周年誌「ゆたかの島 Teshima」を参考にさせていただきました。全原発停止後2日目の深夜に記す。

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原発サラバ記念日に琴電レトロ動画を撮る闘争

 今日の夜、北海道の泊原発が停止…これで日本中の原発が42年ぶりに電力を生産しない「脱原発」状態に突入した。
 今日は「子どもの日」…原発停止は、子ども達への最高のプレゼント…ということで、全国で同じようなイベントが行われていると思う。我が高松でもJR高松駅前にて「脱原発アクションin香川」さんが主催する、「原発サラバ記念日」のイベントに参加してきた。
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ネットで流通している「さよなら原発」紙製鯉のぼりを飾り、チラシと「鯉のぼり」を行く人々に配る…四国新聞社とどこかのTV局が取材に来ていた。

撒いたチラシ表
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今日は原発サラバ記念日です 日本のすべての原発が止まります 止まった原発は動かさない!みんなで声をあげれば原発ゼロは続きます。

原発を止めると私が決めたから5月5日はサラバ記念日(なつかしいフレーズじゃのうvirgo

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棒を持って「鯉のぼり」を配っていたら、風で糸がこんがらがってしまったcoldsweats01別の人にほどいてもらいましたが、どうもご迷惑をおかけしました。
「鯉のぼり」のほうを持って配ると、あまりこんがらがりませんが、それでも少しからみますね。
チラシの裏は、こんなの…
002

電気は足りている!夏の需給予測 環境エネルギー政策研究所資料より
きょう5月5日、日本でただ一基運転中の北海道電力泊3号機が停止し、日本では原発ゼロになります。
 原発が泊まっても、電力不足は起きません。省エネと火力・水力の稼働率を上げるなどによって、夏の電力需要ピークはのりきれます。将来的には自然エネルギーをふやしていくことで、二酸化炭素削減もできます。日本列島は地震が起こりやすくなっており、原発を動かすことはたいへん危険です
 私たちのいのちと子どもたちの未来のために、「原発サラバ」をひろめていきましょう。

原発サラバ記念日
げんざい、ゲンパツただ1基  これが止まれば日本中 とまりが泊まればそのあとは おめでたい日がやってくる

北電(ほくでん)泊(とまり)3号機 すべてのゲンパツ止まります ゲンパツゼロがやってくる 5月5日にやってくる

5月5日はゲンパツに こどものためのゲンパツに 5月5日はことしから ゲンパツゼロを続けよう

さよなら告げるサラバの日 おさらば告げるめでたい日 ゲンパツサラバの記念の日 なつのピークもだいじょうぶ!

ゲンパツサラバをつづけよう ゲンパツゼロをつづけよう みんながうごいてつなげよう せかいのゲンパツ止めるまで

らいねん5月5日まで そのつぎ5月5日まで こどもの未来をつくるため すべての核をなくすまで

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ジャンベの音、歌も入って、いつものようにお祭り気分…風は強いが、天気はいいsun
「世界は一つさこのまま 世界はひとつさこのまま…」
「今日は日本の原発が全て止まるおめでたい日です、少し高いワイン、いや日本酒でもいいや、をあけて、お祝いをしましょう。」
集まった人数は十数名と少ないが、小さな子どももいっしょにチラシを撒いてくれた。「鯉のぼり」は500程用意したのだが、あっという間に無くなり、チラシもよくはけた…13時から大体1時間で終了。

この後、ビデオ見たり夕食会のようなイベントがあるのだが、「私はこれから趣味活動に行きますから…」ということでお別れ…子ども達への最高のプレゼントを壊さないため、今後も様々な困難や闘いを続けるぞsign03と、決意も新たに、高松築港-片原町間、お城の前の撮影場所へ・・・すでに多くの「同好の者」が来ていた。
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今日は琴電レトロ電車が走る…走行中の動画を撮ろうじゃなイカcamera

帰りの旧京王車だったと思うが、扇風機があるのに冷房を効かしていた…こんなん、窓開けてりゃエエやん。夏場ピーク時の昼間にはそんなに人、乗っていないんだから、窓を開けて扇風機で「エコトレイン」にしようぜtrain
最も、琴電でも最近のは扇風機無し、空調のみの電車も多いからなぁ~

では、飲みに行くとしようbeer

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豊島産廃問題の発端

 豊島の産廃問題は、豊島観光㈱という「悪徳業者」が75年に香川県知事に有害産業廃棄物処理場建設の許可申請を出した時から始まる。豊島観光は水ヶ浦という、豊島の西端にあたる土地を所有していたが、そこから珪砂をドンドン掘り出して出荷…平地になった所に産廃処分場を作ろうと計画したわけだ。
 しかし島民は、豊島観光の経営者が「金のためならなんでもする」トンでもない人物(暴力的な人物でもあった)であることを知っていたため、このような人物が経営する産廃処理場からは、きっと公害が発生すると考え、反対署名などを行い、運動を始めた。豊島の有権者のほとんど全員である1425人の反対署名が集まり、香川県に提出した。ところが経営者も県庁に毛布等を持ち込んで廊下に泊り込み県への「イヤガラセ」を続け、知事や県職員などに「圧力」をかけたため、県知事は豊島を訪問「事業者は住民の反対にあい、生活に困っている。要件を整えて事業を行えば安全であり、問題はない。それでも反対するのであれば住民エゴであり、事業者いじめである。豊島の海は青く、空気はきれいだが、住民の心は灰色だ。」とトンでもないことを語った。これに怒った住民は77年2月27日に、「産業廃棄物持込み絶対反対豊島住民会議」を結成し、県議会に産廃処分場の建設中止を要請、高松港から県庁へデモを行った。
 しかし知事は許可方針を撤回しないため、77年6月28日、所帯主のほとんど全員にあたる583名が原告となり事業者を相手取って、産廃処分場建設差止請求訴訟を起こした。この動きにあせった経営者は、原告の一人に暴力を振るって逮捕された。豊島観光は方針を変更し、「無害物によるミミズの養殖」を行うという申請に変更。翌78年には「差止め裁判」が続いているにもかかわらず、ミミズによる土壌改良剤化処分業のために、無害である汚泥(製紙汚泥、食品汚泥、木屑、家畜の糞)を扱うことに限定して事業を許可した。住民側は仕方なく10月19日に和解、住民が県に業者の監視をすることを約束させた。
 ところが、豊島観光は操業から間もなく、ミミズ養殖をしなくなり、1983年から無許可で有害産業廃棄物を持ち込み始めた。主なものはシュレッダーダストという、自動車や電化製品等のスクラップである。さらにドラム缶に詰めた液状の廃棄物を持ち込み、シュレッダーダストの中で「野焼き」を始めだした。豊島観光は香川県公安委員会から金属くず商の営業許可を得る…シュレッダーダストから金属を回収するというのだ。(実際は車の中に放置されてあった硬貨などを申し訳程度に回収したにすぎない)86年ごろから島内の家浦地区で喘息が多く発生し、89年には家浦の自治会副会長が喘息で亡くなっている。
 経営者が暴力をふるうような人間であるため、やりたい放題…道を勝手に広げ、そこに産廃を摘んだダンプが走る。海まで勝手に埋め立ててしまう。それでも県の担当者は何もしない。経営者とトラブルになりたくないためだ。野焼きの煙が上がっているのを島民が担当者に「あなたはあの煙が見えないのか?」と聞いても「見えない」と言う始末。一応、形ばかりの焼却施設と煙突をつくらせて「改善」したことにする。行政の不作為である。処分場かあは汚染水が漏れ出し、水ヶ浦の北岸は真っ黒になった。また、豊島観光は当初、公共のフェリーで産廃を持ち込んできたが、フェリーを改造した「専用船」まで作って、最終的には50万トンもの廃棄物が不法に投機され、公害を発生させ続けた。
 ところが1990年11月16日、兵庫県警から豊島観光に強制捜査が入った。「廃棄物の処理及び清掃に関する法律(廃掃法)」では、産廃の運搬を行うにあたっては都道府県知事の認可を受けねばならないのだが、兵庫県の認可を受けず産廃の運搬を行っていたため、摘発をうけたのである。これが全国に広まった「豊島産廃問題」の第一ラウンドである。(豊島でいただいた「豊かさを問うⅡ-調停成立5周年を迎えて-豊島事件の記録」産業廃棄物対策豊島住民会議発行 2005年6月 と、豊島で案内してくれた方の話を参考にいたしました)

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小豆島侵略と見せかけて、実は産廃について考える闘争

マイミクさんには写真付きでちょこちょこアップしたのだが、今回の旅は、「小豆島めぐり」が主体ではなく、豊島、直島の産廃問題について考えるのがメインテーマだったのだ。
もともと土木業界に身をおくものとして、産業廃棄物(コンクリートのガラ等)は避けて通れない問題であるし、我が業界でも3R(リデュース…使わない、リユース…再利用する、リサイクル…再資源化する)が重要視されている。私の専門のコンクリート業界では、砂の代りにスラグを使ったり、またセメント原料そのものにも「廃棄物」が使われている8セメント・コンクリートは実はリサイクルの優等生なのだ)。そして何より、昨今の東北のガレキを広域で受け入れる、受け入れないをめぐって日本中で大問題となっている。じゃあ、「産業廃棄物処分」の自体はどうなってるんだろう、一度現場を見ないといかんなと考えたわけだ。私はあくまで「現場主義」である。
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豊島の「産廃不法投棄事件」は、90年代の初めに大いに世間をにぎわした。今でも「豊島=産廃」というイメージを持っている人も多いのではないだろうか?
もともと地元の「悪徳業者」がやりたい放題、産廃(シュレッダーダストが主)の不法投棄、野焼きなどをしていたのを、香川県がきちんと指導・改善させることができない(「悪徳業者の暴力等を恐れたため)でいたのを、兵庫県警が廃送法違反でその業者を摘発したのをきっかけに、大問題が世の中に明らかになったものだ。業者は刑事事件で告発されたものの、罰金50万、執行猶予付き懲役刑になっただけで、責任をとらない。産廃からは有害な汚水が染み出て、北岸の海を汚染していた。行政(県)がきちんと指導…いや最初から金のためならなんでもやる「悪徳業者」であることがわかっていたにもかかわらず、許可をだしたことそのものの「責任」があるのに、それを認めない…産廃は全部撤去して、元の状態に戻さなければならない…ということで公害紛争処理法に基づく「公害調停」を求める住民運動が始まった。当時もてはやされていた中坊公平氏が弁護団長となった。県はなかなか責任を認めようとはしなかったが、2000年の6月6日に調停が成立。「怨念から希望へ、第2、第3の豊島をつくらない」という決意が宣言された。
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この間、肝心の産廃はどうするのか、様々な案が出たが、隣の直島にある三菱マテリアルの銅精錬所の土地に、中間処理場を建設すること、中間精錬所から出るものは全て無害な水溶液かガス、あるいは有価物としての資源として利用できうようにしたこと。豊島では汚染水の流出を矢板で食い止めるとともに、できるだけ汚染物が出ないよう掘削、生石灰の添加、汚染水の処理等を行う設備を作った。2003年から本格的な処理が始まり、10年で処理を終わらせる予定であったが、最近新しく産廃が見つかったため、あと3年ほどかかるだろうとのことであった。

豊島・直島の両施設とも、見学のためには事前に予約が必要である。豊島は写真は撮り放題だが、直島は三菱マテリアルの敷地内にあるということもあって、写真は玄関のみでしか認められていない。また、豊島では見学料として2000円かかるのだが、実際に「闘争」をになってきた方が経過等を語ってくれるので、非常にためになるし、産廃問題の経過を記録した資料もいただける。

豊島はもともと、「産廃の島」ではなく、水が豊かで米が自給でき、島外に供出できるところである。高齢化や過疎化で耕作が放棄されている所も多いが、棚田を再生するプロジェクトも進められている。
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豊島で案内をしてくれた方が、循環社会の実現…「廃棄物」が次の資源として生かされるになるような社会にすること…の大切さの他に、こうゆうことを言った「自由には義務が伴い、責任がついてくる。原発の事故は、誰も責任をとっていない…」「法律っていうのは、強い者を守るためのものなんじゃないか…正直者が馬鹿を見るようではいけない…」と

本ブログ…しばらく旅行(侵略)ネタと産廃ネタが続くが、ご容赦をm(--)m

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小豆島逆上陸

小豆島逆上陸
小豆島逆上陸
一旦帰阪後、小豆島を侵略!逆上陸作戦大勝利でゲソ。

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