石原莞爾は帝国主義者として「だいたい正しかった」
ROM人さんとkuronekoさんの「論争」が続いているが、「民主主義」「ファシズム」「民衆の不満」とかはともかく、ROM人さんが言っていることのいくつかを「評価」してみよう。
まず日清戦争日露で軍事的に安全圏を手に入れた。 そして石原寛治が対米戦を視野に入れて、満州事変を起こして中国に第二のアメリカを作ろうとした。日清、日露戦争は朝鮮(中国東北部のこと…ちなみに「満州」というのはそこに住んでいた「民族名=マンジュを漢字化したもの…左翼なら「中国東北部」と書くべきところであるが、「満州」「満州国」とい言葉をこのまま便宜的に使用する。)における「権益争い」であり、それを「日本の盾」になってくれればなぁ~というのは、あまりにもおこがましい。(「日本の盾…同盟国になってほしければ、日朝修好条約という「不平等条約」を砲艦外交で結ばなければよかったのだ。)日清戦争の大義名分は「朝鮮独立支援」であったが、日本は戦後ちゃっかり台湾を植民地として取り上げている(内村鑑三はこれを「あれは義戦としてはじまったのだが、欲戦として終わったのだ。」と述べている)…日露戦争では「反帝国主義闘争」としてはじまった「義和団の蜂起」を鎮圧するため、日本、ロシアも含めた「列強」が出兵し、その後ロシアが満州、朝鮮あたりまで勢力圏を延ばそうとしたため、朝鮮を勢力圏としたい日本と対立、戦争となったものである。(日露戦争を「祖国防衛戦争」と書く小説家や論者がいるが、戦場は朝鮮から満州である)。 さて、日露戦争によって「朝鮮の植民地化」と「満蒙権益」というものを手に入れた日本は立派な「帝国主義国家」として立ち上がった(国力としては依然、貧しい農業国のままであったが)。清国は1911年、辛亥革命によって滅亡…しかし革命派は統一政権をつくることができず、混乱が続いた。欧州帝国主義は第一次世界大戦をおっぱじめ、ロシア帝国主義は革命によって打倒される。(その混乱に乗じて「社会主義政権」を倒すべく、これまた列強の干渉戦争が行われ、日本も得るところの無い「シベリア出兵」を4年間も続けている)…これでさしあたっての「日本帝国主義」の敵は、ROM人さんや石原莞爾が考えたように「アメリカ帝国主義」しか残らない。 それでも日本は朝鮮植民地化にあたり、アメリカの植民地フィリピンには手を出さないという「協調主義」を取り(桂・タフト協定)、他帝国主義国の植民地・権益も「尊重」した。しかし第一次大戦において、敵国ドイツの権益を奪うだけでなく、中国の主権をふみにじる「対華21ヶ条」というものをつきつけた。中国において突出した「権益」を持とうとする日本帝国主義に対し、他の帝国主義国が警戒を持つのは当然である。また中国人民においては、「反帝国主義」が「反日本帝国主義」にしぼられる…「反日」の起源は、まさにここにある…ことになった。 1920年代になると、ようやく蒋介石の国民党が「北伐」に乗り出し、中国は統一に向かっていく。中国における反日運動も激しくなり、「満蒙権益」を守るために軍閥の張作霖と組んだものの、蒋介石軍に負けて帰ってくるところで「役立たず」として、日本軍により謀殺される。その後に活躍するのが「石原莞爾」である。
石原莞爾は日蓮宗の教義と、独自の欧州戦争史研究により「世界最終戦争論」を打ち立てた(これがナチス・ヒトラーのような国家公認の思想となれば、また歴史はちょっと変わっていたかも知れん)曰く
一.世界秩序は西洋の代表たる米国と東洋の選手たる日本の争奪戦により決定されるのであり、わが国は速やかに東洋の選手たるべき資格を獲得しなければならない。
一.現下の不況を打破し、東洋の選手権を獲得するためにわが勢力圏を拡張する必要があり、満蒙を我が領土とする以外に絶対に途はない。
と説いた。そして1931年9月18日、石原は「関東軍」を乗っ取って「満州事変」を開始、朝鮮軍も勝手に越境する「天皇の統帥権」を完全に無視したクーデター的なやり方で「満州国」を建国する。
これが「成功」し、政府も「追認」したもんだから、ROM人さんの言うように
ここから先は馬鹿な連中が軍部と政府に幅を利かせちゃったことになる。その6年後、さらに日本軍は中国と全面対決…南京が「陥落」しても蒋介石は屈服せず、また第二次国共合作の成立により、中国側の激しい抵抗が続く。
(このあたりまで、参考資料…FOR BEGINNERS 日本の軍隊(上)皇軍編 前田哲夫/分 貝原浩/絵 現代書館1994年3月10日)
さて、なかなか屈服しない蒋介石中国に対し、近衛文麿は「蒋介石を相手にせず」、戦争目的もへったくれもない声明を出す…こうなると無限戦争に陥るしかなく、石原の夢見た「東洋の選手権」どころでなくなる。同時にが、「東亜新秩序」なるものを打ち出し、なんとか和平交渉に踏み切ろうとはした。国民党ナンバー2の汪兆銘による傀儡国家建設とそことの「和平」工作である。で、実はこの「東亜新秩序」の「敵」はイギリス帝国主義であり、中国への門戸解放を目指し、蒋介石中国と自由な交易によって利益を得ようとするアメリカ帝国主義と「対決」するものではなく、むしろアメリカは無くてはならない国際秩序であると考えられていたのである。どうゆうことが?
「アジア主義を問い直す」(井上寿一 ちくま新書 2006年8月10日)によれば
しかしここで日本経済は、深刻な問題に直面する。対中投資は、石橋(注:石橋湛山)の表現を借りれば、公共事業、交通通信事業、鉱工業などの「建設のための長期的固定的性質のもの」であり、すぐに利益をもたらすものではなかったからである。また輸出の拡大といっても、それは円ブロック向けのものであり、円は獲得できても、外貨を獲得することはできなかった。日中戦争下、対円ブロックの輸出過剰と、アメリカなど第三国向けの赤字の増加とが明らかとなる。国際収支の悪化が日本経済を圧迫していった。p205
他方では日本にとって円ブロックからの輸入品あ衣食関係であり、金属、機械類、石油等の輸入は、アメリカなどへの経済依存がいっそう強まっていく。p206
石原莞爾がいくら日蓮宗の思想で「対米対決じゃ~」と言っても、中国との交易だけでは日本の国力はつかない・・・いわんや満州国だけにおいておや・・・ということになる。
上記書によれば、この後いろいろなルートで(しかもバラバラに)対中和平交渉が進められ、実際新しくできる中国の政権は「反日であっても、反共であればよし。」とまで考える者もいた。しかし和平交渉は成立せず、ゆきづまりからの突破口として「日独伊三国同盟」に至る…ここでアメリカとの対立が決定的になるわけだ。(この3国同盟も、ソ連も入れた四国同盟にして「対米」でいこうと考えたりっぺントロップのような人がいたから、まあ歴史とは面白いもんだ。
ということで、日本が対米戦争なぞ起こさなくても、ベトナム戦争のように中国人民の抵抗にあい、何らかの「和平」を締結するのが「賢い帝国主義国」としての生き方であった。しかし日本は対米戦を始め、徹底的に負けることになる。そして負けたのはアメリカの物量に負けたのであって、中国人民の抵抗や情勢判断の誤りによって負けたのではないと考え、誰も本質的な責任を取らなかったのである。
おまけ…ROM人氏へ
そういう方向の馬鹿はどこの軍隊にもいますw
米国なんて「日本人にマトモな飛行機作れない(キリッ」とか
捕虜にした日本兵に延々と進化論教えて「解りましたか、天皇などという神は存在しないのです」と結論付けてポカーンとされたり。
ま、どこもそんなもんですw
とまたリンク先をまともに読まないで書いていますが、このリンクは個々の兵卒・下級士官レベルの話ではなく、「上級将校じたいアホで、かつ失敗しても責任を取らない」ということがこれでもかと書かれています。長いですので、時間のあるときにちゃんと読んでね(^^;;
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コメント
まーアメリカに対して一番良かった対応策は、ハワイからの政略結婚を断っちゃった時でしょうねー。
あれでハワイを同盟国にしてれば、戦争遂行自体が不可能になってただろうし。
>「上級将校じたいアホで、かつ失敗しても責任を取らない」
それって軍隊じゃなくて日本の社会構造そのものじゃないですか?
日本軍だからとか、帝国主義だからとか、そんなの関係ないでしょう。
ほら、今だって某電力会社とか。
投稿: ROM人 | 2012年5月18日 (金) 23時56分