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2012年10月

止めるぞオスプレイの沖縄配備!11・4全国集会

集会のお知らせ・・・止めるぞオスプレイの沖縄配備!許すな!低空飛行訓練 11・4全国集会が、東京の芝公園23号地(東京タワーの近く)で行われる。

121104c1 アメリカ海兵隊は10月1日から6日にかけて、MV‐22オスプレイ12機を沖縄県宜野湾市にある普天間基地に配備しました。オスプレイは開発段階から現在までに、7回の墜落事故を起こして36人が死亡しています。安全性を疑問視する沖縄県民の声に対して、日米両国政府は「オスプレイは安全だ」と言うばかりで何一つまともに回答していません。
 沖縄県では9月9日、宜野湾市の海浜公園でオスプレイ配備に反対する県民大会が開催され、10万1000人が集まりました。またオスプレイの配備に際しては、市民による座り込みの抗議が行われて、2日間にわたって基地のゲートを閉鎖しました。沖縄ではオスプレイの配備に反対する声が、どんどん大きくなっています。
 また海兵隊はオスプレイを、沖縄から山口県の岩国基地や静岡県のキャンプ富士に移転して訓練を行う、全国6ルートで低空飛行訓練を行う――としています。アメリカ軍の航空機は、日本の法律の適用を受けません。そのため低空飛行訓練は、航空法の定める安全基準を下回る高度150メートルで行われます。アメリカ軍機の低空飛行訓練は、いままでに4回の墜落事故や、各地での騒音被害を巻き起こしています。危険なオスプレイが危険な低空飛行訓練を行えば、私たちの生活の安全は大きく脅かされてしまいます。
 そこで私たちは11月4日、東京の芝公園に集まり、オスプレイの沖縄配備反対、低空飛行訓練反対の声を上げることにしました。沖縄からも低空飛行訓練のルート下からも、たくさんの人があるまります。皆さんもぜひ参加してください。

とのこと・・・
日時 11月4日(日) 集会/午後2時~  デモ/午後3時~
場所 芝公園23号地
    住所 東京都港区芝公園3丁目‐4
    交通 地下鉄三田線「芝公園」・「御成門」  地下鉄浅草線「大門」地下鉄大江戸線「赤羽橋」・「大門」JR線「浜松町」

   芝公園のサイトはココ
   23号地の場所はココ
芝公園はとても広い公園です。23号地は、その一部です。
初めての方は、必ず上記の芝公園のサイトで23号地の場所を確認してください。

発言  山城博治さん(沖縄平和運動センター事務局長)
      桃原 功さん (普天間基地爆音訴訟原告団事務局次長・宜野湾市議会議員)
      新倉裕史さん(非核市民宣言運動・ヨコスカ)  ほか
        ほか
その他 集会終了後にデモ行進を行います。
      沖縄では、凧や風船でオスプレイ配備に抗議しています。
      東京の集会とデモにも、ぜひ凧や風船を持参してください。
      楽器の持ち込み、お手製のプラカードなども大歓迎です。
デモ行進のコース
  芝公園23号地→芝公園三丁目交差点を左折→東京都道301号線 →西新橋一丁目交差点を左折→都道405号線(外堀通り)→虎ノ門交差点→(アメリカ大使館前)→溜池交差点を左折→都道412号線(六本木通り)→三河台公園

共催 フォーラム平和・人権・環境(電話 03-5289-8222)
    オスプレイの沖縄配備に反対する首都圏ネットワーク

 なお、当日は毎年恒例の動労千葉全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部・ 全国金属機械労働組合港合同が主催する全国労働者総決起集会が、日々谷野音で開催される。けっこう「反原発」色が強いので、こちらに行きたい人は、こちらへどうぞvirgo

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なぜ「安保粉砕」なのか(なぜか戦後史総俯瞰④)

 さて冷戦終結後「日米安保」って何sign02という疑問が、日米、右左と出てくる中、沖縄で大変なことが起こる。95年、3名の海兵隊員による少女暴行事件である。太田「革新」県政の下、8万人もの人が集まって「県民大会」を開き、米軍基地の撤去を要求。太田知事は15年で基地を無くす「アクションプラン」なる工程表をぶち上げて、日本政府やアメリカ政府と渡り合った。一方、「日の丸焼き捨て」の知花昌一さんが「象の檻」と呼ばれる楚辺通信所の自分の土地を取り戻すべく、軍用地賃貸契約を拒否…知花さんの土地だけ「軍用地」ではなくなるという画期的なことも起こった。ここに普天間撤去問題もからんで、「第三次沖縄闘争」(第一次は「復帰闘争」、第二次は「反天皇訪沖闘争」とされる)が、今日にわたるまで続いてゆく。

 一方、日米両「帝国主義」政府はこのような「危機」の中、「安保再定義」を目論む・・・先の「朝鮮戦争」危機では、日本の港湾、空港等のインフラを自由に米軍が使用するための法律がなかった。そこで「日米ガイドラインの改定」で乗り切ろうとする。 
 そもそも「ガイドライン」とは「日米防衛協力のための指針」として78年に制定され、対ソ抑止力として積極的に日本の海空自衛隊を活用しようというものであった。日米安全保障条約は、たった10条の条文しか無いが、その第5条「各締結国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定に従って共通の危機に対処するように行動することを宣言する。(以下略)」を軍事的に担保するものであるとともに、極東ソ連軍を封じ込め、かつ「シーレーン防衛」(80年代中曽根時代に書くのを忘れたが、米国のベトナム失陥→共産化は、東南アジアでの民族自決闘争の爆発を促し、特にフィリピンでは共産党系「新人民軍(NPA)」が活躍する。そうした中、シーレーン、特に中東からの原油輸送ルートを自力で守らなければならないという発想から、海上自衛隊がマラッカ海峡付近まで出撃できる能力を持とうとしたものである)を行うための海空自衛隊の軍拡、日米一体化を図るものであった。自衛隊は「専守防衛」あるいは「アメリカ軍が本格的に加勢してくるまで持ちこたえる」だけの軍隊から、アメリカの世界戦略に組み込まれた形にしたものである。

 ところがここにはまだ「歯止め」があった・・・「極東条項」というのがそれである。安保条約には「極東」という言葉が2回ほど出てくるが、第四条には「締結国は、この条約の実施に関して随時協議し、また、日本国の安全又は極東における国際の平和及び安全に対する脅威が生じたときはいつでも、いずれか一方の締結国の要請により協議する。」が、極東条項であろう。(あと第六条に出てくる)・・・では「極東」とは、どっからどこまでかvirgo
 北は「ソ連」が押さえているところまで、東はグアムまでかな、西はもちろん、朝鮮半島と中国、そして南は「台湾」付近までと漠然と定義されていたようだ。だからカンボジアPKO派兵は「極東」の範囲を超えるし、「シーレーン防衛」もそう・・・まして「湾岸戦争」のように中東まで「後方支援」とはいえ自衛隊を派兵するなんてことは、とうてい「日米安保」の範囲では無理だったのだ。(後に海上自衛隊掃海舞台が、ペルシャ湾の掃海作戦に参加するが…PKOのごとく、「国際貢献論」が全面に出されていた)

 この「歯止め」を外すべく、新ガイドラインの改定作業が始まる。基本的には「周辺事態」という概念を持ち出して、日本の「安全」にかかわる事象が起こった時に、米軍が日本の港湾、空港等のインフラはおろか、日赤の看護師や運送会社、航空、海運などあらゆるものを「動員」できるようにするためのものだった。表向きは94年朝鮮半島危機の反省から「対北朝鮮」ではあったが、周辺事態の「周辺」とは、どこまでが「周辺」なんだsign02という議論の中、中東や南アジアの「不安定」も「日本の安全保障(という名の帝国主義的権益・・・もちろんアメリカのそれも含む」)にかかわるのだぁ~。ということで「極東条項」は完全にふっとんでしまった。
 「朝鮮半島」での戦争の危機は、確かにまだあった。アメリカは韓国軍と協力して北朝鮮の体制転覆を目指す「作戦5027」を策定・・・これを実施するためには、事前の日本全国の基地化が必要だ。他方、北朝鮮では金正日体制が自然災害、食糧不足による危機に陥るとともに、戦争の口実とされる核開発や弾道ロケット開発を続けていた。

 78年の「ガイドライン」の時もそうだが、中身は一切、国会の中では議論されず、ただただアメリカの意向に沿った「法整備」が進められようとしていた。これらは「ガイドライン関連法」「周辺事態法」と呼ばれ、後の「有事法制」へのさきがけとなるものである。また日本では「ガイドライン」という言葉が使われていたが、アメリカではあからさまに「Wor Manual」と呼んでいたシロモノである。

 ここで沈滞していた日本の反戦闘争は甦り始める・・・沖縄・辺野古への基地建設反対闘争と、ガイドライン関連法反対闘争である。後者は特に、「労働組合」、特に「周辺事態」において動員される医師、看護師、船員、運輸関係の労組が「陸海空20労組」陣形を組み、ナショナルセンターの違いを乗り越えて反対運動に積極的に関わってゆく。また市民運動側でも、「党派系列」の垣根を乗り越えて(もうそんなことは言ってられなくなった)「ガイドライン反対」を訴えだす。「止めよう戦争への道 百万人署名運動」が広範な人士の呼びかけではじまったのも、この時代である。

 しかし「百万人署名運動」も80万筆程の署名を集めたが、基本的に周辺事態法は国会を通過した。また沖縄では太田革新県政が政府の「兵糧攻め」に合い、また市町村長→知事に代わって国が強権的に「反戦地主」の土地を賃貸契約できる「駐留軍用地特別措置法」の「改悪」も行われた。97年から98年のことである。これで日本はアメリカの戦争に対して堂々と「後方支援」を行うことができるようになった。ここらへんから「日米安保」と言う言葉そのものが使われなくなり「日米同盟」という言葉に置き換わってゆく。

 2000年にはアーミテージ米国防副長官が「アーミテージレポート」の中で、日本に有事法制の制定を求める文言を盛り込んだ・・・小泉内閣の登場、2001年9・11まで、もうすぐだぁ~

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なぜ「安保粉砕」なのか(なぜか戦後史総俯瞰③)

 90年代はじめに東欧・ソ連の「社会主義国家群」が崩壊し、「冷戦」は終わった・・・しかし80年代の本質は「冷戦」ではなかったのだ。あくまでアメリカを始めとする「帝国主義国家」が、後進国、発展途上国を「搾取」する・・・それに反抗する勢力は軍事力でつぶす・・・というのが基本であった。フィリピンのマルコス独裁や、韓国の全斗煥独裁は、アメリカの軍事力の後立てがあって成立していた。しかしこれらは「民衆の力」により打倒されている。
 矛盾はイスラエルをでっち上げて「建国」した中東に集中していた。ここは79年、パーレビ独裁が打倒され、反米のホメイニ体制が成立、リビアもまたカダフィーの反米体制が出来上がる。ここで反米イランを牽制するため、80年代に育成されたのが、イラクのフセイン政権であることは承知のとおり・・・フセイン政権にイラン・イラク戦争を行わせることで、アメリカはイランの力を削ごうとした。一方、豊富な石油資源を元に、独裁体制下で民衆の生活を保障してきたイラク・フセイン政権も疲弊し、その矛盾をクウェート侵攻に向けた。「湾岸戦争」の勃発である。ここで米国は日本に「後方支援でいいから、自衛隊を戦場に派遣してくれ」と要求・・・しかし日本としては「専守防衛」のための「日米安保」であり、かつ自衛隊を海外に派兵する根拠法がなかった。
 一方、79年にベトナムが侵攻したカンボジアでは、ポルポト政権が抵抗を続けていたものの、和平交渉が進捗した。ここに国連PKOに自衛隊を派遣することで、日本帝国主義は「海外派兵」できる国への突破口にしようとした。PKO法が成立するのは92年、「軍隊」として様々な制約を受ける条件付きながら、海外派兵を行うことに成功した。一方、「湾岸戦争」では13億ドルもの戦費負担をしながら、「多国籍軍」に加わることができず、日本帝国主義政治内では「日本の国際的影響力が落ちた」との「屈辱」を味わうことになる。
 ソ連が崩壊し、かつ極東ソ連軍には日米安保で想定していた「北海道侵攻」をする意思も能力も無かったことが明らかになった。このような状況の中、「日米安保って何sign02」という疑問が保守の側から出てくるのも不思議ではない。バブル崩壊後の政治的混乱の中で、日米安保を基軸にするのではなく、「国連」によって日帝の安全保障…独自権益確保・・・に動こうじゃないかという勢力が現れる。その代表が小沢一郎である。これは米帝から見れば、日帝の独自突出と受け取れる。
 独自突出は、欧州でも見られた。ユーゴスラビアの「解体」がそうである。東欧民主化の動きの中で、5つの民族で構成されていたユーゴスラビアでは、ドイツと経済関係の深いスロベニア、クロアチアの「独立運動」が高まる。冷戦期には「戦争を避ける」知恵として、欧州ではとりあえず第二次大戦後に決まった国境、国家の形はとりあえず遵守しようという暗黙の約束みたいなものがあったようだ。しかしソ連崩壊の中、バルト3国が独立したように、「共産主義(スターリン主義のそれ)」の重しがなくなった時、民族問題が噴出したわけだ。このとき、積極的に動いたのが「統一ドイツ」である。ドイツ帝国主義は、いち早くスロベニア、クロアチアの「独立」を承認し、ユーゴ解体の火をつけた。(ナチスドイツ時代も、クロアチア人ファシスト組織「ウスタシャ」にクロアチアを独立させ、ユーゴを支配・占領している)
 このような独自突出を、レーニン主義では「帝国主義間争闘戦」と呼ぶ・・・これはレーニンが第一次世界大戦に至る世界情勢を見て明らかにしたもので、帝国主義国家群が市場と投資先を求め、世界中のあらゆる土地を分割するが、帝国主義国家間の発展度が違うため(これを「不均等発展」と呼ぶ)、後発の帝国主義国が、分割後に自分に有利なように「再分割」を求めるようになる・・・これが戦争に発展する・・・というものだ。第一次、第二次世界大戦で直接の戦過を受けなかったアメリカが最終的に「勝利」し、「世界秩序」を保っていたのが「冷戦期」である。ところが「冷戦期」から経済的、あるいはアメリカと同盟を結ぶという制約の中で軍事的に発展したドイツ、日本が突出しようとする・・・これが表立ってきたのが90年代の前半である。
 ユーゴスラビアの解体は、かろうじてNATOという枠組みの中の軍事行動を行うことで、アメリカもなんとかドイツの突出をおさえようとした。日本の「突出」をおさえるには、やはり日米安保体制を強化するしかない・・・しかしソ連が崩壊した今、安保の意義は・・・というところに「救世主」が現れる。朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮の核開発問題である。

 ソ連という後ろ盾、援助国がなくなり、体制危機に陥った北朝鮮は、核開発による「挑発」で他国から援助を受け、体制延命を試みだした。うむ、世界の警察、アメリカはこれをなんとかしなければならない。朝鮮戦争では勝てず、ベトナム戦争では負けたが、湾岸戦争では勝った・・・方法は第二次大戦時における対日戦と同じ・・・相手を徹底的に空爆し、軍事力を破壊した後、米軍が上陸すれば簡単じゃなイカsign03 
 では、空爆する時、あるいは米軍が上陸する時、大量の物資を「日本」という前進基地に集積しておく必要がある。日本の空港や港湾を自由に使用し、自衛隊や行政、民間も動員して、武器弾薬、戦略物資を事前集積し、運搬、輸送してもらわなければならない・・・その体制が日本側に出来ているのかsign02
 ところがどっこい、過去の安保闘争の影響もあり、米軍基地は沖縄に集約しちゃった。成田も羽田も関空も、横浜港、神戸港にも米軍が自由に使える「協定」なぞなく、日本側もまたそんな準備はできていないことが明らかになった。94年の「北朝鮮危機」・・・すなわち「湾岸戦争」並みに相手の政治意思を削ぎ、あわよくば体制転覆という「朝鮮侵略戦争」発動は、「準備不測」のため回避されたのである。 

 これでは米国側からも「日米安保って、何sign02」という疑問が出てきた・・・よし「日米安保体制」をもう一度再定義しようじゃないか・・・ということが政治課題となってゆく。

 ようやく90年代の半ばまで行った・・・まだまだ続くぞ、コレ

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もう一つの、境港

 さて、「水木しげるロード」で有名となった境港であるが、実は北方との緊張と交流の拠点であることも忘れてはならない。
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こういった「昭和レトロ」な商店がある一方(もっとも、近年「昭和レトロ」をうたっている施設は、多くが60年代「三丁目の夕日」イメージである・・・もっとさかのぼって、戦前の「水木センセイ」が暮らしたころの景観まで戻すとスゴイと思うのだが)

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基本的には、港町であり、かつ日本海側の「防衛拠点」(と言っても、右上にレーダーが見えるだけだが・・・)である。水木しげる氏も伝記で、「境港に連合艦隊が来た」ことを述べている。

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今はどちらかというと、海上保安庁の拠点だね。


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これは民間の船ですが・・・

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「海保」の立派な、拠点となっているのでゲソ・・・第八海上管区境海上保安部がある。もっともHPを見る限り、「領土問題」のようなハードなテーマはなく、もっぱら「海の安全を守る」ことに徹しているようだ。

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あと、駅前のこの会館は、隠岐方面へのフェリー、船舶が就航している。

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で、展望浴場があるじゃなイカ・・・一般500円

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「いらっしゃいませ」とロシア語表示・・・イイねvirgo

おまけ(じゃないけど大切なこと)境港市は、島根原発から30㎞の範囲に、あるじゃなイカ
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あと、境港の海産物を使ったラーメンは、そこそこうまいheart
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なぜ「安保粉砕」なのか??(なぜか戦後歴史総俯瞰②)

 80年代半ばの私は、どちらかというと本多勝一(「戦場の村」をはじめ、ベトナム戦争や、「中国の旅」をはじめとする、日本の戦争責任とかの一連の作品で有名)の影響を受けた頭だけの「民族独立的左翼」・・・ソ連もアメリカもあかん、アメリカのいいなりはあかん!という程度の考えであり(よって「安保粉砕!」)、また70年代の反公害闘争、反開発闘争(この中には、三里塚闘争も含まれる)、そしてスリーマイル島原発事故から「原発ってやばくねぇ?」という「緑な感じ」も持っていた・・・一方、左翼全体では「反中曽根軍拡強内閣」「国鉄分割、民営化反対」が主な課題であり、新左翼ではそれに「韓国民主化闘争と連帯」「指紋押捺拒否闘連帯」という、「日韓闘争」と、一部で「三里塚闘争」が主な課題であった。
 もっともピンキリの中にはこの時代ですら「ソ連こそ平和勢力」と主張し、アメリカのSDI構想(スターウオーズ構想・・・まあ現在のミサイル防衛構想を先取りしたものだが、当時の技術ではほとんど荒唐無稽に近いものだった)反対!を掲げていたのもいた。関西では「関西新空港反対」闘争が「党派の垣根」はあったものの、それなりに盛り上がる。「三里塚」も「関空」も、「軍事空港建設反対!」という位置づけが成されていた。三里塚の場合は、反対同盟が羽田空港を見学に行った時、沢山の米軍機がベトナムに飛び立っているのを見て「これは軍事空港だ!」と気づいたのだそうな。関空は故田中角栄が「軍事空港にすれば、すぐ完成する」と言ったことがそもそもの始まりだ。いずれにせよ、戦後の航空業界がアメリカによって送れてスタートしたこと、国土の制約により、米、英、仏、独(西独)の諸「帝国主義国家」(これも「左翼用語」だから、あまり気にしないように)に遅れをとった日本の空港政策を大きく進めること・・・具体的には4000m級滑走路を持つこと・・・が、「軍事大国」になるためには必要であったのだ。

 同時に「昭和」も60年、そろそろ天皇が死にそうだ・・・高度に発達した資本主義の中で「豊か」になり、多様な生き方、考え方が許容される中、国家間の「戦争」にはどうしても「天皇」を中心としてまとまらないといけない(というか、近代国家を作る上で、そうゆうやり方をしたから、それ以外のものを持ってくるわけにはいかない)・・・だから「Xデー(天皇が死ぬ日)」には、恐ろしい天皇翼賛攻撃が始まるだろうと身構えてもいた。
 だからこのころの左翼は、「日米の軍拡反対!」という意味で「安保粉砕!」は一応称えてはいたものの、どちらかというと「中曽根打倒」「日本帝国主義打倒」という方向が強かった・・・安保で踏みつけられている沖縄のことは、ほとんど語られていなかったように思う。

 が、一度「沖縄」に目を向けられる時が来た・・・国民体育大会が沖縄で一巡する88年「海邦国体」である。天皇来県・・・「国体護持」のため、「沖縄戦」で時間をかせぎ、多くの犠牲者が出た、戦後も「天皇メッセージ」によって、アメリカ軍統治下におかれ、基地をおしつけられてきた・・・沖縄では当時「日の丸」や「君が代」に対する拒否反応も強く「戦争責任もとらんと、何しに来るんだ。」という声も多かった(もちろん、沖縄の「戦後」を終わらせるために、天皇の来県・・・謝罪するかしないかはともかく・・・を認める人々それなりにいた)ここに「天皇訪沖決戦」⇒「天皇決戦」へと新左翼は向かってゆく。一方、旧来の左翼、新左翼ともども、「国鉄分割民営化」=「労働者10万人の、国による不当な首切り」に「負け」を帰し、自民党は衆議院で3百数十議席を誇っていた。(「国鉄闘争」・・・「国労」「動労千葉」に所属していたというだけで首を切られた当該の闘いは、それでも25年続いたが・・・)
 沖縄では「日の丸揚げろ」「君が代歌え、演奏しろ」という圧力が強まる中、昭和天皇はすい臓ガンによる「下血」でダウン、現天皇の皇太子が沖縄に行くことになる。ついに昭和天皇あ生きて沖縄の地を踏むことはなかった・・・が「国体」はやらねばならない。読谷村ではソフトボールが行われることになり、当初は「日の丸は揚げなくてよい」と言っていた日本ソフトボール協会が、試合前日「日の丸を揚げないと、試合会場を変更する」と恫喝した。翌日、バックグラウンドのポールに揚がった「日の丸」を、知花昌一さんがよじ登って降ろし、火をつけて燃やすという闘争を闘った。右も左も、日本中が騒然となった瞬間である。知花さんの経営するスーパーには右翼が押しかけ、左翼がそれを防衛するといったことが続いた。
 天皇は下血を繰り返しながら(輸血という「人民の血」を吸いながら)行き続けていたが、この長さがかえって「天皇」について、特に戦争責任についてじっくり考えさせる時間を人々に与えてしまった。89年1月、天皇が死に、大葬の礼、即位の義、とかが続く中、人々はテレビでなく、レンタルビデオ屋に向かった。

 国外ではソ連がアフガニスタンでアメリカと同じ徹を踏み、撤退を余儀なくされる一方、軍拡競争に絶えられず、ゴルバチョフの政治改革「ペレストロイカ」が始まった。チェルノブイリ原発事故も起きた。レイキャビクの会談で「冷戦終結」・・・中国は「改革開放」路線のもと日米他「帝国主義国」の資本を受け入れ、人民の生活は少しずつ向上するとともに、「民主化」を求める運動が広がるも、「天安門事件」で「反革命暴乱」とされる・・・朝鮮半島では「軍事独裁政権」に対する闘いが進み、大韓航空機爆破事件などの南北緊張もあったが、徐々に民主化を勝ち取ってゆく。日本はなぜかバブルに浮かれていたが、ベルリンの壁が壊れ、東欧諸国が次々と民主化、ルーマニアのチャウセスクが逃亡中に倒されたのであった・・・。

あーやっと80年代が終わった・・・書ききれてないじゃなイカ!ということは、コメント欄にどうぞ(^^) 

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なぜ「安保粉砕」なのか??(なんか戦後史総俯瞰①)

BMさんが以前の投稿コメントで

しつこくなってもいけないのでこれで終わりにしますが、なぜ「安保粉砕」しなければいけないのか分かりかねます。

とおっしゃるので、終わりにするのもなんだから、なぜ世の中の「左翼」と言われる人が、「安保粉砕」を称えるのか説明しておこうと思う。(とはいえ「左翼」も「サヨク」もピンキリあるのだが・・・)

確かに「冷戦期」の安保は、日本が「西側」に立つということを明確にするものであり、当然「東側」からの攻撃を避けけたい、そのためには「非武装中立」だ(当時の社会党ですね)という意味合いもあった。しかし、いわゆる「新左翼」はそう考えず、世界を支配するアメリカに乗っかって「日本帝国主義」(これは「左翼イデオロギー」そのものの考え方で、いわゆる歴史の教科書で学ぶ「帝国主義」とは違う)を復活させ、自分たちも「世界を搾取」する一員になること、そのために憲法に反する軍事力を、アメリカの許す範囲で拡大しようとしたことに反対したのが始まりである。

ところが、「軍備を拡大する」よりも「アメリカ軍におんぶにだっこ」という考えの方が楽なので、「軽武装・重経済」路線を突っ走り、見事に高度経済成長を遂げた。だがその一方、アメリカがベトナム戦争に介入した時、日本は出兵こそしなかったものの、後方支援基地として大いに貢献する。沖縄・嘉手納基地にはいつの間にかB52が常駐し、核爆弾が貯蔵されているのでは?との疑いも広まった。戦争をしない憲法を持ちながら、一方の戦争に加担していたわけだ。これに反対する新旧左翼運動は急激に盛り上がり、1967年10・8羽田闘争(学生が始めてメットを被り、機動隊と公然衝突した闘争、学生一人死亡)
 新左翼運動は急激に盛り上がるも、様々な欠点を抱えていた・・・独善性、セクト主義、〇〇追従主義、だが直接には、集会⇒暴徒化デモ⇒警察による大量逮捕⇒党派の軍団化⇒(あと内ゲバ、あさま山荘と続く)で、どんどん大衆から遊離してゆく。
 一方、このころ日本が一番「左傾化」していたのであろう。いわゆる自治体レベルで「社共共闘」等が芽を開き、革新自治体なんかが生まれている。しかしそれは「資本主義の矛盾、問題点」を根本的に解決するものではなかった。(ただし、このときに勝ち取られた労働者のみならず、障害者や被差別部落民などのマイノリティーへの権利獲得や差別撤廃の成果が、今も日本を規定・・・しばりつけている)高度健在成長のおこぼれもあり、日本もそれなりの「福祉国家」となってゆく。「一億総中流」である。
 世界情勢に目を向けると、75年サイゴン陥落・・・ベトナム戦争はアメリカの完敗に終わる。その前に石油ショック・・・ここから世界経済はアメリカを中心として順調に発展してゆく過程は終わり、基本的には「不況」になる。 

 ここで「保守陣営」から現れたのが、レーガン、サッチャー、中曽根という連中である。彼等は今で言う所の「新自由主義経済(もちろん当時はそんな言葉はなかった)」で、規制緩和、民営化、労働者の権利剥奪を国家レベルで行うとともに、「対ソ封じ込め」のための軍拡路線をあゆみ出した。ちょうどベトナムのカンボジア侵攻、ソ連のアフガン侵攻もあって、多くの「中流」の人々から「左翼≒ソ連」への幻想は消えてゆく。中国も60年代は「打倒米帝国主義」をかかげていたのを対ソ戦略からころっとひっくり返し、米中国交を樹立・・・トウ小平路線による「改革・開放」という資本主義化が始まる(話は変わるが、中国がもし市場開放を行っていなかったら、とっくの昔に資本主義は市場の飽和により崩壊・・・その後どうなるかは分らん・・・していただろう)
 中曽根はまず「日本列島不沈空母化」という物騒なことを言い出す。もともと自民党最右翼の自主防衛論者であるが、アメリカのためにソ連のバックファイヤーを寄せ付けないような国防体制をつくると言い出したのである。レーガンは中米、ニカラグアの革命に介入し、アフガンの反ソ連武装勢力に武器供与を続けるとともに、国内では航空労組をつぶすことに成功、サッチャーもフォークランド紛争という対外戦争を闘うとともに、国内石炭労組等をつぶす。中曽根は「国鉄改革」と称して、10万人職員首切り、国鉄労働組合をつぶしにかかる。(国労や社会党、共産党はこれに対してなんら有効な反撃を加えることができなかった)その他、電電公社、専売公社の民営化を行う。

 80年代半ば、1ドル=140円ぐらいまで下がり「円高不況」と呼ばれる時代が来たが、一連の「新自由主義政策」の効果もあり、世の中はバブル経済に突入する。こお時代に私は大学生活を送っている。

そろそろ眠くなったので、今宵はここまでにしておこう。

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キャラ★フェスでイカちゃん痛車を撮る闘争

10・21国際反戦デー関連で、本日決起されている方々、おつかれさまです。私は毎年この時期に行われる、商店街発アニメイベントキャラ★フェスに決起しました。もうこのイベントも6回目なんですね。
 で、昨年と同様、「イカちゃん痛車」を激写したcameraでゲソ・・・
Dsc00140 まず、キャラ★フェスの入り口、常盤町商店街へ・・・まあ、勝手はだいたい分っているから、スイスイと入場(べつに金取られるわけではないが・・・)

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去年はこの通りに「痛車」が並んでいました。しかし今年は、2台のみ・・・
で、田町の交番付近まで行くと
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あるじゃねぇか~car

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俺の車がこんなに痛いはずがない・・・でゲソ・・・

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今年は田町商店街にずら~っと並んでいるらしい。

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おっと、発見したでゲソ「撮影しなイカ」

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後ろは去年と同じようだ・・・

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ハイ、逆から~

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ミニイカ娘と、ぬいぐるみイカ娘がいるのでゲソ。

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ボンネットの迫力、すごすぎるじゃなイカsign03

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ここで、隣のうどん屋で、ぶっかけ肉うどんを食す。撮影継続

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雰囲気違いすぎるが、ネギがあるから「初音ミク」車なんだろう。

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ハルヒ他、いろいろ・・・

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長門有希タンですね。

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やっぱ今年は「けいおん」でもあるのでゲソ・・・

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屋根上のフィギュアは、もちろん「HTT」・・・おばちゃん達が「まぁカワイイ~」と声を上げる。

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では再び「イカちゃん」痛車に戻ろうじゃなイカhappy01

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「イカ娘」を英訳すると「Squid Girl」となります。

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イカちゃんは、触手でハンドル操作・・・「手足なんて、蛇足じゃなイカ」
その後、ウルトラマンアート!時代と創造展を見に、美術館まで行く。(これについては、別途報告するねvirgo

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帰りにもう一度寄ってみる・・・特設ミクせん売り場・・・
別の売り場にて、イカ娘グラス(昨年のミニストップ・タイトーのスピードくじでF章だったヤツ)を200円でげっと。

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今夜はこれで、トリスハイボールといこうじゃなイカheart01

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地政学論のまやかし

 さて、最近は「尖閣」領土問題が加熱しているせいか、またぞろ「沖縄に海兵隊は必要(ここでは海兵隊についてだけ述べる)」論が「復活」している。左翼もびっくり!グアム移転って司令部だけじゃないんだでも示したとおり、アメリカは将来的に海兵隊のほとんど全てをグアムに移転させる計画で物事を進めてきた。こうすると「辺野古」の新基地はおろか、普天間基地だっていらないハズだ。
 グアム移転が「頓挫」しているのは、当初の見込みと違い、沖縄と比べて狭く、兵員や家族が暮らすためのインフラ整備により金がかかることが議会で問題となっているためである。TAMO2投手の言うように、「海兵隊」が沖縄にいる必要はない。

 確かに海兵隊は「敵前に強襲上陸」して奇襲をし、敵をせん滅するイメージがある。しかしそんな戦争をアメリカがしたのは、朝鮮戦争の仁川上陸作戦までだ。これは相手側が油断して火力を集中させていなかったからこそ、成功している。ベトナムのダナン上陸では、「味方」の南ベトナムに「上陸」しているわけだ。 

 そもそも湾岸戦争、アフガン、イラク戦争を始め、アメリカ軍は自国の兵士ができるだけ攻撃を受けないよう(これはベトナム戦争からアメリカが「学んだ」ことでもある)、ミサイルや空爆によって相手の陸上、防空兵力を徹底的に叩いてから、おもむろに海兵隊の登場というのがお決まりのパターンである。また、戦争開始前に、前線基地に物資を集積するロジティクスもぬかりなく行うため、非常に準備をかけて行う。「敵」の行動も衛星等からバッチリ監視sign03「海兵隊」の「即応能力」など、どうあがいても必要はない、準備万端整えて、上陸後にいかに敵をぶっ殺すか・・・そのための訓練の場が「沖縄」なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
 しいて言えば、沖縄はグアムと違って、インフラも整備され、日本政府から「思いやり予算」等もつくのでありがたいだけなのだ。

 それでも「尖閣」に「中国軍(もしくは漁民を装った工作員)」が奇襲的に少数で上陸したら、どうするのか・・・やっぱオスプレイのほうが、無給油で台湾まで飛べるし、対応早いじゃん・・・と思っている人に・・・

 オスプレイはあくまで兵員輸送機である。「尖閣」のような岩だらけの小島では、安全な場所に着陸して兵員を上陸させることなぞ不可能。それこそ待ち構えている「敵兵」にSAMでも打ち込まれれば、終わりです。そんな「危ない戦争」を「尖閣は日米安保の範囲」としても米海兵隊は動かないぜ(ポーズだけは見せるかもしれんが)
 
 もしそういった事態が起きたら・・・海軍力と空軍力で「尖閣」を海上封鎖すればよろしい・・・兵糧攻めですな。もし海上封鎖されないように中国海軍が出てこようとすると、やはり相当な艦隊を動かさなければならない。事前に嘉手納基地ぐらいにミサイルでも撃っとく必要もあるだろう・・・そうすれば米中全面戦争になる。それは両者ともリスクは大きいので、まずそんなことは有りえない。

 あと「台湾有事」を持ち出す輩も居るが、経済的・人的交流が盛んになって大陸側も台湾側も相互依存している中、あえて軍隊を出して台湾を「解放」する理由が見つからない。東シナ海進出のため台湾占領・・・と言っても、それなりに人口があって行政機構が整備されているところを軍事占領することなぞ、よほどの準備をかけないと出来ないことだから、直ぐにアメリカの戦争マシーンが動き出すことになる。

ま、ブルジョワのポリティクスで考えれば、沖縄に海兵隊は必要なく(むしろ長距離飛べることを利用して、どこにでも展開することが可能となるから、基地はどこでも良い)、「中国の脅威」とやらに「活躍」するのは、日米海軍、空軍のコンボであるのだから・・・

おまけ・・・神浦元彰氏が、日米離島奪還訓練を批判した記事より・・・
 そもそも尖閣を中国軍が占領するときは、周辺の海域には無数の中国海軍の艦艇が集結し、幾重にも防衛ラインで囲まなければ尖閣を日米軍の奪還から防御出来ない。
 沖縄近海の無人島にそんな無駄なことを中国軍はしないだろう。バカではないからだ。
 そんな戦争の想定は、今や飢餓で瀕死状態の北朝鮮軍が、一気に朝鮮半島を南下し、韓国の米韓軍を撃破して、九州北部や山口県に上陸侵攻してくるようなバカバカしい想定と同じである。
 しかし自衛隊と在日米軍は、そのようなバカバカしい想定でないと、日本国民に自衛隊や在日米軍の存在意味を示すことができないのも現実である。
 また普天間のオスプレイ配備も、尖閣をオスプレイを使って奪還するなどというバカバカしい話しを想定しないと説明ができないのも現実である。
 これは想像力の欠如というより、やはり軍事知識の無さが生む幼稚な仮説なのある。
 今回の演習では、無人島の入砂島にオスプレイで完全武装した米海兵隊員が送り込まれる映像がテレビで流されるだろう。この映像こそがこの演習の真の目的なのである。
 沖縄のオスプレイ反対運動を沈静化させるための心理作戦の一つである。

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水木しげるロード

境港に行ったら、やはり「水木しげる」ロードでしょvirgo
ブロンズ像で、一杯だぁ~

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「河童の三平」の河童たち

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いろいろあります・・・

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目玉親父型、街灯club

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何か忘れたsign02豆腐小僧かな

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「なまけ者になりなさい」水木センセイの、ありがたいお言葉

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やっぱ、鬼太ちゃんがメインかな・・・

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実は、一つ一つのブロンズ象は、すごく小さい・・・これは「竜」のように見えるが、実は「しろうねり」・・・台所のゾーキンが腐って出てくる妖怪・・・

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「妖怪界」の知性と理性のカタマリ・・・目玉親父でゲソ・・・しかし

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ウソやペテン、裏切り、金儲けもするが、ちょいと「正義」に加担する「ねずみ男」さんの人気は抜群sign03これを撮る前に、けっこう人が集まっていた。

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なぜか場にそぐわない「萌えキャラ」・・・

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ATMを使うときも、気をつけねばならないそーです(^^)(^^)//

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アーケード商店街に入ると・・・水木しげる記念館があるのでゲソ

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入り口は、すごく立派sign03

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水木作品を紹介するコーナー・・・ここは撮影自由

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「悪魔くん」とメフィスト
で、写真撮影禁止ゾーンに・・・ま、伝記とかでいろいろ知っているつもりではいたが、改めて驚く。水木センセイは「軍艦プラモ」を作るのが趣味だったそうだが、子どものために初期の「プラレール」(弟さんからもらったらしい)があったのは、ちょっと意外train

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「ゲゲゲの女房」

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中庭にも、妖怪が隠れているのでゲソ・・・

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「のんのんばあ」と、しげるさん。

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「鬼太郎」誕生時の、有名シーン・・・埋められた母親の腹を破って、土中から出てきた幾多郎を、これまた死んでも生き残った目玉だけで生き残った「親父」が、「養い親」になる会社員の家まで引っ張っていくところ。さすがに風雨まではブロンズ化できないか。

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「サラリーマン山田」と書かれているが、モデルは貸本漫画の版元、東考社の桜井昌一氏

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河童や妖怪、ねずみ男のつどう池を・・・

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侵略したのでゲソ・・・

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橋下を監視するテントができたぞ!

原発再稼動反対監視テントが、大阪市役所の横にできたぞいhappy01
目的は何か? 10・12声明を前文引用

 原発再稼働反対監視テントは、本日、10月12日に大阪市役所横にテントを設置し、大阪市長橋下徹の監視行動を開始した。 大阪市で行われようとしている放射能汚染ガレキの焼却は、脱、反原発運動の大きな転換点である。
 現在、全国各地で行われようとしている放射能汚染ガレキの焼却は、被ばくを全国に拡散させることになる。この被ばくの拡散は、福島第一原発過酷事故を引き起こした日本政府の責任を曖昧にし、安全神話の復活を意味する。また、ガレキ処理にからむ利権政治を押し進め、復興のための資金を食いものにされることになるばかりか、被ばく意識の低下は、すでにずさんな放射線管理のもとで行われている福島第一原発の収束作業を進める労働者、原発労働者をさらに危険にさらすことになるのである。そして、東北、関東から被ばくを避けるため、必死の思いでの避難を無意味なものとし、今、フクシマでたたかわれている被ばくからの避難の権利を貶めることになる。
 9月17日、北九州市で放射能汚染ガレキの本焼却がはじまった。これは、全国での放射能汚染ガレキ焼却を策動する日本政府が、布石として行ったものであり、大阪でのガレキ焼却を許せば、なし崩し的に全国でガレキ焼却が進むのは、火を見るより明らかである。
 東北、関東が、今現在も被ばくが進む中、11.11に100万人行動が呼びかけられ、大飯原発を止めろの声が叫ばれ続けている。私たちが、これに連帯することは、当然である。しかし、まだ、被ばくしていない関西圏、西日本の果たすべき役割は、被ばくをこれ以上拡散させないことである。
 このたたかいは、地域エゴなどという批判を受け付ける余地は全くない。なぜなら、震災ガレキの広域処理の必要性がないことは、さまざまな知見から明白であり、阪神、淡路大震災のガレキ処理においても広域処理は一部行われたものの、全国で焼却するはことはなかったのである。
 フクシマの痛みを分かち合う、それは、無意味な被ばくを受け入れることではない。むしろ、被ばくを断固避けることだ。避難の権利と補償を勝ち取るたたかいに連帯し、共にたたかうことだ。
 原発再稼働反対監視テントは、大阪市の放射能汚染ガレキの焼却処分を、脱、反原発運動の一大転換点と位置づけ、「大阪決戦」を呼びかける。

 言ってみれば、被災地救援の名の下、ガレキの広域処分、特に「説明会」と称して、けっきょくなぁ~んも説明できず、おっぽりだして逃げ出した橋下大阪市長を「監視」し、大阪市での処分を許さない運動である。
 「広域処分反対」の 「脱原発」運動への位置づけは、「放射性物質の拡散を許さない」ことと、「除染幻想」を捨て、福島の人々の「避難の権利」を確立することである。 

 ついでに、「従軍慰安婦」とされた被害女性に合おうとせず、ツイッターをしていたり、月曜日から「市政」をほっといて、東京の政治家詣でをやった橋下市長の、厳重な監視もお願いしたいものだ。

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境線の旅

 マンガ家「水木しげる」氏で大好評sign02の境港へ行くべく、米子から境線へ・・・0番(霊番ホームより、「目玉親父」列車は発車。

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米子駅は、「ねずみ男駅」と称されている。

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中は鬼太郎のイラストと・・・
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座席のモケットは、「目玉親父」でゲソ~
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とりあえず、「あるみさんズ」で、侵略完了virgo
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ねこ娘列車と、交換
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さて、境線は米子と境港を結ぶ「由比ガ浜」を通る。かつて水木先生が小学生の時「米子にドーナツという珍しい菓子がある。」「しかし列車に乗ったら、汽車賃でドーナツ代がない」「じゃ、歩けsign03」と、兄弟3人で米子まで歩いて往復したのは、知る人ぞ知る有名な話。
しかしそこも、ネギ畑に…

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アナウンスは「鬼太郎」と「ねこ娘」の声で・・・各駅に妖怪の名前がついている。
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ま、こんな感じ
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境港駅のベンチも、こんなの・・・

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駅前の物産館プラス、隠岐方面へのフェリー乗り場

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執筆中の、水木センセイでゲソ

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帰り・・・米子行き快速は、さすがに新車であるが・・・

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また、鬼太郎、ねこ娘列車で帰るのでゲソvirgo

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ねこ娘列車のシート・・・ちなみに、最近アニメ化された「ゲゲゲの鬼太郎」のねこ娘は、「萌え要素」が入っていて、ちょっと胸むふっくらしているのだが、ここはさすがに原作どおりの小学校低学年イメージ。
ただ、貸本マンガや「ガロ」の「鬼太郎夜話」に出てくる「ねこ娘」は、設定は小学1年生なのだが、めちゃくちゃ大人・・・池上良一氏の作画であるらしい。



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ともあれ、米子駅霊番ホームに、無事到着でゲソ(^^)//


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「沖縄差別論」について

今週はなかなか忙しくて、ちゃんとブログ記事を書くヒマがない。よってROM人さんのコメントにもなかなか返答できないでいる。

で、今回は
>ついでに差別差別というのは左翼の上等文句ですが、実際に沖縄人は差別と思っているかも疑問です。

ということから、「沖縄(に対する)差別論」について解説しておくと・・・
今現在「沖縄(人)が差別されている。」と考えている人は、当の沖縄県民も含め、ほとんどいないことは事実だろう。今使っている「沖縄差別」という言葉は、基地問題に関わってきた人の「一部」の間でようやく「共有」されてきた概念である。

安保が大切だ、日米関係が大事だというのならば、基地の負担も平等にしなければならないのではないか?という考えが、沖縄の運動側から出てきたのである。野村浩也の「無意識の植民地主義」というの「挑発的」な本ぐらいから話題になり(比較的好意的に書かれた書評をリンクしておく)、私も普天間で「カマドゥぐゎー達の集い」の一員である、知念ウシさんの描いたものを引用して基地を引き受ける気概もないのに、何が日米安保ですかという記事を書いている。再掲しよう・・・

普天間基地周辺に住む女性たちがつくる「カマドゥ小(ぐゎー)たちの集い」という反基地運動グループがある。そのメンバーの、知念ウシさんが「あなたは戦争で死ねますか(生活人新書 2007年)」の第二章「日本の友人たちよ。基地を持って帰ってから、またんメンソーレー」に、このようなことを書いている。

私はこれまで沖縄から基地をなくせなかった原因は、米軍基地の大半を多くの国民の精神的にも物理的にも見えないところに置き、その無関心を保障することで、基地を安定的に維持してきたことにあると思う(p76)
こうやって見てみると、本土の国民にとっては、多くの米軍基地が自分たちの目の前から消えるのと、安保反対闘争が衰退するのが同時進行だというのがわかる。(p100)

日本の反戦・反基地運動の内実が問われているのだ。

たとえ心の中でどんなに安保や沖縄に米軍基地を移すことに反対しているとしても実際に阻止できず、基地の負担から逃れるという利益をずっと享受していることの責任はないのだろうか。(中略)それはつまり、沖縄に日米関係の負の部分を押しつけ、本土は平和憲法を享受し、経済的資源や人的資源を軍事や反基地闘争に取られず、経済復興と経済成長に投入してきたからではないか(p101)

 もちろん、この論については運動側からもかなり批判、非難を受け、「基地に反対する日本の民衆を『分断』するものではないか?」「運動の矛先をアメリカや日本政府に向けないための言い訳ではないのか?」などと散々な評価もあびせられた。(なお「カマドゥぐゎー達の集い」の方達も、既存の運動とある程度距離を置きながらも、普天間基地撤去闘争を行っている)
だが、「明治維新」という近代化の課程で、異なる王朝、文化を持つ琉球を日本国に併合したという、ある意味古典的な植民地支配を行ってきた歴史上の事実から見て、彼らのような主張が出てくるのは、むしろ当然であろう。

 自民党政権時ならまだしも、鳩山がマニュフェストを反古にして辞任し、菅、野田両政権がひたすら「沖縄の理解を求める」と言いながら、誰も理解してくれない(ただ沖縄を訪問して、首長に合うだけ)のようなことを続けているうちに、「あーやっぱりこれは現実問題、差別であるなぁ~」ということに人々が気づき始めている。現に首長の中には堂々と「沖縄差別である!」ときっぱり言い出す人も現れている。運動体の中でもそうである。

 で、この現状をふまえた上で、琉球を日本国に併合(いわゆる「琉球処分」)後の沖縄近代史を見てみよう。後に台湾や朝鮮で行うような「皇民化政策」というのを、沖縄でも徹底して行われている。
 具体的には、ウチナーグチを使うな、あるいは積極的に「皇民化」して日本と「同化」するため、ウチナーグチを使わないでおこうということが、初等教育内で行われた。小学生がウチナーグチを使うと「方言札」という罰印にあたるものを首からぶら下げさせられる・・・この札は、別の児童が「ウチナーグチ」を使ったら、その人に渡すことができるという、「いじめられないために、いじめる」学級を作り出した。方言札をかけさせられた子どもが、それを外すために、別の子どもの頭をどつく・・・どつかれたほうは「アガッ(痛っ)」とウチナーグチで叫んでしまうので、方言札をどつかれたヤツに渡すことができる・・・こうゆうことが行われたりしていたのだ。
 そのくせ、島嶼部であるというハンデもあろうが、台湾、朝鮮という「植民地」に投資するほうが資本の利益になるため、社会インフラの整備は進められなかった。「1㎞の国有鉄道も敷かれなかった。」という言葉が、存在する。

 戦中・戦後とも、食えなくなった沖縄県民は本土に「出稼ぎ」「移住」に来る…だがそこでも差別が待っていた。アパートには「奄美・琉球人お断り」の張り紙が書かれていることも多く、住む事も本土の人間と同等ではなかった・・・これは戦後もかなり長い時期まで続いている。

 大阪・大正区にはそうした出稼ぎ・移住してきた沖縄県人が集住しているコミュニティーがあることで有名だ。だが70年代の後半ぐらいまでは、そのコミュニティー内でも「沖縄県人であること」を隠そうとする意識が強く、三線の練習をしたら「沖縄人であることがバレる!」と非難される…そうゆう状況であったのだ。その中で「新左翼運動」の高揚(というか反省)の影響も受け、若い者の中から「沖縄のアイデンティティーを堂々と主張していこう」という運動が徐々に始まっていったのだ。それが今、毎年9月中旬に行われる「エイサー祭り」として結実し、ウチナンチューもヤマトンチューも同じように楽しめる空間が出来上がっている。

「沖縄差別論」というのは、こういった経緯と構造を持っている…そして運動する人、しない人に関わらず、少しずつその意味を問い直す「苦闘」がまた始まりつつある・・・というのが現状だ。

なお「地政学論」については、別途反論する。

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旧大社線大社駅

出雲大社前は、「神話博」の影響もあって、ちょっとにぎやか・・・関西でいうと、嵐山付近の雑踏に似ている。ただし景色は嵐山のほうが良い。
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駅前にある、モダンな薬局・・・

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ちゃんと案内標識もでているので、間違うこともないでゲソ。

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で、これが1985年3月に廃止になった、国鉄大社線、大社駅の建物だsign03すごく立派。
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同じ方向から、90年に撮ったヤツ
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この時はあまり整備されておらず、少し荒れていたが、今回はキチンと保存されている。出雲の皆さん、ありがとうvirgo

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別方向から・・・イイネイイネheart

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草むした線路もちゃんと残っていて、なぜかSL、D51 774が静態保存されていた。しかし、雨ざらしでは、すぐに塗料がボロボロになって、状態が悪くなる・・・少なくとも雨を防ぐ屋根
をつけるべきだ。

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由来書き看板

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あるみさんズ、ホームを占拠sign03

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それにしても、風格があるな。

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終点側を写す。

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こんなのも、イイネclub

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内部もきれいに、保存されている。線路の草を刈って、砂利を入れれば、もっといい雰囲気になるかもしれないが、そうすると今度は「あれもこれも」欲しくなったりして収拾がつかなくなるので、このぐらいがちょうどいいのかも。

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90年代の、起点(出雲市駅側)の写真
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川を渡る、当時の一畑電鉄・・・

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少し違う、現在の様子。

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「沖縄」を利用して「日本」を再起動させるな

 この間、ずぅ~っと普天間基地問題、オスプレイの問題について書いているが、常に「ヤマト」による「琉球」への侵略・差別・・・それが今も続いていることを念頭においておかないといけない。

ここで辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動のある人がビラに書いたコラムが、すごくいいので、作者の了解を得て転載する。

「沖縄」を利用して「日本」を再起動させるな

 沖縄の「日本復帰」40年と言われる今年。9月8日9日「エイサー祭り」会場の千島グランド(大正区役所前)の北東隅で、「日本復帰」60年と題した展示をしてきました。1952年4月28日、翌29日の「昭和天皇」への誕生日プレゼントのように、日本が日本に再帰してから60年が経ちます。「沖縄」をアメリカのものとする天皇/マッカーサーの密約通りに、日本は日本になりました。沖縄の40年前の「日本復帰」は、もともとこの日本の日本への60年前の「復帰」がなければありえなかったのです。
 たとえば、当然のように「沖縄県の」尖閣列島と報じられている、話題の尖閣問題ですが、これもまた、60年前に日本がアメリカの占領権力と結託し、尖閣列島を含む琉球諸島をアメリカのものとしたことに元の原因があります。だから実は、尖閣問題で逆にあぶり出されているのは、沖縄が「誰のものか」という問いなのです。
 日本が「歴史認識」、とくに「主権」の問題で自己を主張するとき、クセのように「沖縄」を持ち出す感覚があります。問題をややこしくしているのは、沖縄が日本のものだという認識に疑いをおぼえない感覚が、日本のわたしのカラダのなかで既成事実になっていることです。
 尖閣列島が日本のものであると主張することは、沖縄は日本のものだと言っているの
と同じ平面上にあるのです。多くの方は、もはやとり返しのつかないことだと諦めているかもしれません。でも、いま求められているのは、このわたしが「どうしてもとり返しのつかないことを、どうしてもとり返す」ということだと思います。
 さて「日本復帰」60年という展示で、わたしは「沖縄」というコトバが日本のわたしのカラダのなかをどのようにめぐっているのか、考えてみようと思いました。ここで、日本が自分のポジションに困ったとき、「沖縄」をどのように扱ってきたか、振り返りましょう。 おもに代表的な4つを挙げます。

・1600年~1609年の薩摩藩沖縄侵略
沖縄が保護し返還手続きをしていた朝鮮の漂流民を、自分の「人質」に利用し難癖をつけて朝鮮侵略を行い、自分に剥奪されていた朝鮮中国との交易権を沖縄から侵略して奪った。
・1872年~79年の「琉球処分」
台湾で宮古島の人びとが殺された事件で、その「救出」を名目に宮古島の人びとを日本人だと清国に主張して台湾を侵略占領し、軍隊を派遣して沖縄を支配した。
・1945年の沖縄戦
アメリカとの戦争で「皇土防衛」のための「捨て石」として沖縄を戦場にし、戦争が自分の目の前に迫ると降伏し、連合国の占領権力と結託する道を選んだ。
・1952年の講和・安保条約=「日本復帰」
占領から日本が「日本」として再帰するさいには、日本は「沖縄」をアメリカのものとすることで自己防御のためにアメリカとの「安全保障」を新たな国体として追求した。

 こうして見てくると、日本は自分の都合しだいで、ある時は放棄でき、ある時は自分のものにできるものとして「沖縄」を扱ってきたように見えます。いまの中国との関係をはじめ、朝鮮、台湾、そしてアメリカのことでも、たびたび日本は、「日本」の責任で行わなければならなかったはずのことを、「沖縄」を利用し「沖縄」にその重荷を背負わせてきた歴史をくり返してきたと言えると思います。安全保障や米軍基地やオスプレイの問題を、「沖縄」を舞台利用するのをやめて立ち止まり、困難なことですが、自分の足で一歩一歩解きほぐしてゆくことが大切だと感じます。(文責・M)

 前回の知事選で明らかにされた、アメリカの公文書で「沖縄の海兵隊は最終的にグアムに移転する」とわかっても、まだ基地建設をあきらめず、「島嶼防衛」を理由にオスプレイを配備し、普天間基地に配備しようとする・・・「守ってやるから、犠牲になれ」・・・ 

また、日清戦争前は、清国内での日本商人の行動の自由等と引換えに、「先島分島案」なるもの・・・すなわち宮古・石垣・与那国等は「清国領」にしてやろうということが画策されていたことも、もっと知られて良いだろう。

拙ブログ沖縄が中国に占領されても、”民衆”のために涙する人はいないだろうと、あわせて読んでもらえるといいでゲソsign03

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関電前行動弾圧糾弾!

毎週金曜日、全国で行われている「脱原発」行動・・・その中で「大飯原発」を稼動させた関西電力前行動で、昨日とんでもない弾圧事件が起きた。

 http://www.ustream.tv/recorded/25931138  ユーストリーム17:00分ごろ

いわゆる「転び公防」というヤツで、警察が自分で転んだり、何もされていないのに「痛い!」と大声を上げて、あたかも「公務執行妨害」があったように印象づけ、「活動家」を逮捕するというもの・・・

 当日は天満警察署前で、夜遅くまで抗議が行われたそうだ。おそらく本日もなんらかの行動があったのだろう。

 なお、逮捕された当該に関する情報は、不明!

 それにしても、またぞろ警察・公安が脱原発運動への”介入”に力を入れだした。絶対に許さないぞsign03 

 

 

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一畑電車再訪闘争(その2)

さて、松江しんじ湖温泉方面へ・・・おお、南海ズームカーが元の塗色で入ってきたではなイカsign01 今年の四月かららしい・・・
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やっぱりこっちのほうが、落ち着いていいでゲソ・・・ただ、山陰の暗い冬には、少し似合わないかも知れない。

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なお、一畑電車には、自転車の持ち込みができるようだ・・・宍道湖周辺サイクリングを計画している人は、コースに取り入れてみては・・・

今回の目的の一つに、平地でスイッチバックしている「一畑口」に降りてみること。一畑電車はもともと、一畑薬師さんへの参詣鉄道としても計画され、そのまま一畑薬師まで乗り入れる計画であったのを、途中で松江まで延ばしたものだそうで、こんなスイッチバックが出来ている。
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反対側のホームから撮影・・・す ぐに電車は出て行った。

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一畑薬師への、案内看板・・・「水木しげる」の妖怪と伝記でも紹介される「のんのんばあ」(この辺りでは、神仏に仕える人を「のんのんさん」と言っていたそうだ)も、一畑信仰があったとか・・・
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で、「目玉親父」のブロンズである。
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駅は当然、無人駅(時間帯によって、駅員がいるらしい)・・・周りにはなぁんも無い・・・一畑薬師までは6㎞程
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一旦、出雲方面に戻り、雲州平田駅へ・・・ここに電車区があり、運転の拠点となっている。
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駅内にあった模型・・・いやぁ~「RAILWAYS」様々ですな。(ちなみに映画は、見損ねた)

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京王5000系元色発見sign01実はこれを撮影に来たのだ。間もなく本線上を走るだろう。

写真を撮って、しんじ湖温泉方面へ・・・一畑口の手前から、宍道湖が見える。天気悪くて、残念cloud
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ちなみに、午前中JR車内から撮った、宍道湖の南岸

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しじみが名物・・・肝臓に良いのですbottle

というわけで、松江しんじ湖温泉に到着ガラス張りの駅舎
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外から見たところ。
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これも昔の写真が無くて、残念・・・しかし利用しやすいバスターミナルになっていた。
とりあえず一畑電車の旅は、これで終わり。

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10・7三里塚全国集会に決起せよ!

なぜか反対同盟からなかなか招請状がアップされないのだが、一応スケジュールはきまっているので、報告happy01

三里塚全国総決起集会

  • Posted by: doumei
  • 2012年10月 7日 12:00
  • 集会

【日時】 2012年10月7日(日)

と、煽っておきながら・・・実は最近、連日の飲み会+明日からの出張等で、体がガタガタ・・・今、無理するとヤバイかも(^^;状態なので、今年は行かないという苦渋の決断をした。

ということで、皆様よろしくねheart01

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一畑電車再訪闘争(その1)

翌日はキハ47に乗って米子へ、米子から「スーパーおき」に乗って出雲市駅まで行く。
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出雲市駅も、高架なんですなぁ~・・・で、古事記編纂1300年を記念して、こちらも「神話博」なんかが行われている。
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出雲大社をイメージした駅ビル・・・
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この左手に、一畑電車㈱の乗り場が、これも高架ビルとなっていた。

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改札で「1日乗車券」を買い、乗り場へ・・・元京王5000系、2100系が派手な塗装でお出迎え・・・

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「神話博」のキャラには、なぜか「鷹の爪団」の吉田くんが・・・

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ところでところで・・・20年前は、出雲市駅はこんなんだったのでゲソよsign03

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地平駅の片隅から発車・・・バックには赤い50系客車がいたのでゲソ・・・もちろんショッピングセンターなぞ、無かった。一畑電車㈱自体、もともと「一畑電気鉄道㈱」と名乗っており、県からの欠損補助、経営建て直しのため、2006年に鉄道部門を「一畑電車㈱」に分社化(「電鉄」のほうは持ち株会社となる)したものである。

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ま、2100系の車内は、こんな感じ・・・
このまま電鉄出雲市駅を出発し、川跡まで行く。

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松江しんじ湖温泉駅からやってきた、元南海ズームカー21000系改造の3000系に乗って、出雲大社前まで・・・

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川渡駅も、20年前はこんな感じ・・・湘南窓のデハ60も見えます。

出雲大社前駅に到着
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奇しくも、開業100年である。
朝夕の快速用、京王5000系(5000系そのままを名乗っている)これも派手だね。

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一畑電車は映画「RAILWAWS 49歳で運転士になった男」のロケが行われた所・・・ということで、デハ二50系がオレンジ色のまま展示されている。
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駅のつくりは、なかなか凝っている・・・いわゆる「大正ロマン」ってヤツか

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でも新しいんだよねぇ~(古い写真が無くて申し訳ない)でも中はけっこう、いい味出してるぞ・・・「神話博」の影響でごちゃごちゃしてるけど・・・
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出雲大社や「神話博」には目もくれず、旧国鉄大社駅跡へ・・・これについては改めて記事
にする。
で、戻ってきて、改めてデハ二50系を観察
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中にも入れるのでゲソ~・・・しかしこの畳敷きは何sign02
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とりあえず「侵略成功virgo」でゲソ
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塗りたてだから、とっても塗装がキレイ・・・
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続くよ・・・

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