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「沖縄差別論」について

今週はなかなか忙しくて、ちゃんとブログ記事を書くヒマがない。よってROM人さんのコメントにもなかなか返答できないでいる。

で、今回は
>ついでに差別差別というのは左翼の上等文句ですが、実際に沖縄人は差別と思っているかも疑問です。

ということから、「沖縄(に対する)差別論」について解説しておくと・・・
今現在「沖縄(人)が差別されている。」と考えている人は、当の沖縄県民も含め、ほとんどいないことは事実だろう。今使っている「沖縄差別」という言葉は、基地問題に関わってきた人の「一部」の間でようやく「共有」されてきた概念である。

安保が大切だ、日米関係が大事だというのならば、基地の負担も平等にしなければならないのではないか?という考えが、沖縄の運動側から出てきたのである。野村浩也の「無意識の植民地主義」というの「挑発的」な本ぐらいから話題になり(比較的好意的に書かれた書評をリンクしておく)、私も普天間で「カマドゥぐゎー達の集い」の一員である、知念ウシさんの描いたものを引用して基地を引き受ける気概もないのに、何が日米安保ですかという記事を書いている。再掲しよう・・・

普天間基地周辺に住む女性たちがつくる「カマドゥ小(ぐゎー)たちの集い」という反基地運動グループがある。そのメンバーの、知念ウシさんが「あなたは戦争で死ねますか(生活人新書 2007年)」の第二章「日本の友人たちよ。基地を持って帰ってから、またんメンソーレー」に、このようなことを書いている。

私はこれまで沖縄から基地をなくせなかった原因は、米軍基地の大半を多くの国民の精神的にも物理的にも見えないところに置き、その無関心を保障することで、基地を安定的に維持してきたことにあると思う(p76)
こうやって見てみると、本土の国民にとっては、多くの米軍基地が自分たちの目の前から消えるのと、安保反対闘争が衰退するのが同時進行だというのがわかる。(p100)

日本の反戦・反基地運動の内実が問われているのだ。

たとえ心の中でどんなに安保や沖縄に米軍基地を移すことに反対しているとしても実際に阻止できず、基地の負担から逃れるという利益をずっと享受していることの責任はないのだろうか。(中略)それはつまり、沖縄に日米関係の負の部分を押しつけ、本土は平和憲法を享受し、経済的資源や人的資源を軍事や反基地闘争に取られず、経済復興と経済成長に投入してきたからではないか(p101)

 もちろん、この論については運動側からもかなり批判、非難を受け、「基地に反対する日本の民衆を『分断』するものではないか?」「運動の矛先をアメリカや日本政府に向けないための言い訳ではないのか?」などと散々な評価もあびせられた。(なお「カマドゥぐゎー達の集い」の方達も、既存の運動とある程度距離を置きながらも、普天間基地撤去闘争を行っている)
だが、「明治維新」という近代化の課程で、異なる王朝、文化を持つ琉球を日本国に併合したという、ある意味古典的な植民地支配を行ってきた歴史上の事実から見て、彼らのような主張が出てくるのは、むしろ当然であろう。

 自民党政権時ならまだしも、鳩山がマニュフェストを反古にして辞任し、菅、野田両政権がひたすら「沖縄の理解を求める」と言いながら、誰も理解してくれない(ただ沖縄を訪問して、首長に合うだけ)のようなことを続けているうちに、「あーやっぱりこれは現実問題、差別であるなぁ~」ということに人々が気づき始めている。現に首長の中には堂々と「沖縄差別である!」ときっぱり言い出す人も現れている。運動体の中でもそうである。

 で、この現状をふまえた上で、琉球を日本国に併合(いわゆる「琉球処分」)後の沖縄近代史を見てみよう。後に台湾や朝鮮で行うような「皇民化政策」というのを、沖縄でも徹底して行われている。
 具体的には、ウチナーグチを使うな、あるいは積極的に「皇民化」して日本と「同化」するため、ウチナーグチを使わないでおこうということが、初等教育内で行われた。小学生がウチナーグチを使うと「方言札」という罰印にあたるものを首からぶら下げさせられる・・・この札は、別の児童が「ウチナーグチ」を使ったら、その人に渡すことができるという、「いじめられないために、いじめる」学級を作り出した。方言札をかけさせられた子どもが、それを外すために、別の子どもの頭をどつく・・・どつかれたほうは「アガッ(痛っ)」とウチナーグチで叫んでしまうので、方言札をどつかれたヤツに渡すことができる・・・こうゆうことが行われたりしていたのだ。
 そのくせ、島嶼部であるというハンデもあろうが、台湾、朝鮮という「植民地」に投資するほうが資本の利益になるため、社会インフラの整備は進められなかった。「1㎞の国有鉄道も敷かれなかった。」という言葉が、存在する。

 戦中・戦後とも、食えなくなった沖縄県民は本土に「出稼ぎ」「移住」に来る…だがそこでも差別が待っていた。アパートには「奄美・琉球人お断り」の張り紙が書かれていることも多く、住む事も本土の人間と同等ではなかった・・・これは戦後もかなり長い時期まで続いている。

 大阪・大正区にはそうした出稼ぎ・移住してきた沖縄県人が集住しているコミュニティーがあることで有名だ。だが70年代の後半ぐらいまでは、そのコミュニティー内でも「沖縄県人であること」を隠そうとする意識が強く、三線の練習をしたら「沖縄人であることがバレる!」と非難される…そうゆう状況であったのだ。その中で「新左翼運動」の高揚(というか反省)の影響も受け、若い者の中から「沖縄のアイデンティティーを堂々と主張していこう」という運動が徐々に始まっていったのだ。それが今、毎年9月中旬に行われる「エイサー祭り」として結実し、ウチナンチューもヤマトンチューも同じように楽しめる空間が出来上がっている。

「沖縄差別論」というのは、こういった経緯と構造を持っている…そして運動する人、しない人に関わらず、少しずつその意味を問い直す「苦闘」がまた始まりつつある・・・というのが現状だ。

なお「地政学論」については、別途反論する。

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かくめいのための理論」カテゴリの記事

コメント

沖縄県出身者という「人間」に対する差別については、むしろ復帰前の70年代から、80年代半ばくらいまでは確かにありました。私は小さかったのでよく憶えていませんが、それはなんとなくアイヌ差別に類似するような差別感情であったように思います。そしてそれが沖縄県民の「沖縄人」としての意識(アイデンティティ)をより強固に形成していったという側面があったように思います。

やがて沖縄出身の芸能人が多数、むしろそれを「売り」にして活躍するようになってからは、表面的にはあまり見なくなりましたが、それ以降に生まれたり、物心がついた若い人には、体験的にこういう歴史的な経緯についての認識がないのでしょうか?だとしたら、まあそれはそれでいいことなのかもしれませんが。

それで現在、沖縄の政治家や地元マスコミで言われている「沖縄差別」というのは、こういう「人」に対する差別というより、なぜ基地問題について沖縄県だけを特別扱いして「やむを得ない」ということにするのかという、地域に対する特別扱い(差別待遇)に対する不満ということです。

確かにそれは 「基地問題に関わってきた人の一部(左翼?)の間で共有されてきた概念」 とは少し異質なものですが、保守系の地元議員や首長、マスコミでまで沖縄差別が語られるようになってきた今、決して 「実際に沖縄人は差別と思っているかも疑問」 とは言えないと思います。「政府は沖縄を同じ日本人だと思っていないのではないか」という表現を、地元紙などのサイトを継続して見ていれば、よく出くわすはずだと思います。

他府県で受け入れがたいものは沖縄でも受け入れがたいもののはずだし、沖縄でやむを得ないというなら、他府県でもやむを得ないはずです。そういうふうに本土の人たちと平等な権利を得て、平等な保護を受けられるようになるはずだという熱い思いと、その期待を根拠とした素朴な次元での愛国心が、米軍政下で法的には無権利状態だった沖縄の人々の日本復帰運動を支えてきたのです。

まさに日本政府はその期待を泥靴で踏みにじっているわけで、そのことについて「やむを得ない」の一言で何とも思わない、あまつさえ、「ちゃんと補償してやってるだろ」などと、見下したことを平気で言ってのける。沖縄に対するそういう異常な見方は「差別」と指摘されても仕方がないでしょうね。

投稿: 草加耕助 | 2012年10月13日 (土) 23時28分

私は、東北者なので、沖縄ほど色濃くなくても、「東北差別」みたいなものがぼんやりと底の方に沈んでいる気がしています。

>アパートには「奄美・琉球人お断り」の張り紙

中学のときの担任の先生に聞きましたよ。「部落・朝鮮・沖縄お断り」って、張り紙がしているって(先生、大学は京都でした)

国民の意識はともかく(と、しちゃいけないけど)として、行政がそういうものを持ってもらってはいけないと思います。意識はともかく(と、しちゃいけないけど)として建前すら守れないのはどうかと思います。

というわけで、原発は漸次縮減のはずが大間原発建設続行と再処理路線継続という、いったいどっちなんだ?というテーマと東北人として向き合わねばいけないと思っています。

投稿: なのなの勢力 | 2012年10月14日 (日) 04時45分

薩摩隼人の末裔として指摘しておきますと、大阪では、熊本差別や鹿児島差別も残っていたようです。1950年代まで。母親が当事者ですから、反論は受け付けません(笑)。

投稿: TAMO2 | 2012年10月14日 (日) 18時41分

草加さん、的確なフォロー、ありがとうございます。保守系の首長、政治家まで「沖縄差別」という言葉を口にし、沖縄の新聞に載る(「本土」の新聞にはほとんど載らない)ことを、もっと「本土側」の運動体は自覚する必要があるでしょう。

なのなの勢力さん、東北は「蝦夷征伐」で大和朝廷の版図に組み込まれ、平安末期に「藤原王朝」をつぶされ、また「明治維新」では「奥羽越列藩同盟」をつぶされた後の迫害があったと認識しております。一応、大久保利通なんかは、それの埋め合わせとして、仙台野蒜港の開発に着手したわけですが、台風により頓挫してしまいました。そしていやなモノ…核燃料サイクルや原発などを、青森に「押し付ける」構造もまた、差別だと思います。

TAMO2投手殿、それは私も知りませんでした。ご教唆ありがとうございます。

投稿: あるみさん | 2012年10月14日 (日) 22時39分

>基地問題に関わってきた人の「一部」の間でようやく「共有」されてきた概念である。
逆に言えば、基地問題に興味がない人にとっては存在しない概念ですね。
では沖縄で基地問題に納得していない人間がどれだけいるのでしょうか。

>鳩山がマニュフェストを反古にして
あれは沖縄差別じゃなくて、ミンス自体が詐欺だっただけです。
消費税増税、ガソリン税率など、沖縄人以外も十分被害にあってます。
ちなみにその時「基地移転とか無理、ミンスは詐欺集団」と発していた人々を、ネトウヨと称して聞く耳持たなかったのは何処の誰だか……

確かに皇民化政策などの差別が過去にあったことは確かでしょうが、では今はどうなのでしょう。

では現在の問題として、草加さんがおっしゃる
>本土の人たちと平等な権利を得て、平等な保護を受けられる
とは、何でしょう。

そのあたりがはっきりとせず、歴史がー、基地がー、とそこに至るまでの経緯や、漠然とした抽象的な主張を繰り返すから、意思が伝わらないのです。
最初から「米軍人を日本の司法で裁かせろ」「夜間飛行を禁止しろ」と具体的に日本政府に何をしてほしいのかを言わないと。
無論、基地を撤去させたいと言うのならば、感情論ではなく、何故撤退させなければならないのかも説明が必要でしょう。

しかしさらに鹿児島差別、青森差別とか出てきますが、この調子だと関東圏以外の県が全て差別認定されそうですね……w

投稿: ROM人 | 2012年10月16日 (火) 08時17分

ROM人さん
ちょっとはググって自分で調べてから、それでわかんないことを書いてください。これでは単に「自分の思っている意見と違う」と表明しているだけにすぎません。それならそれで、意見の違う相手を説得するという姿勢に欠けます(単に文句を言いたいだけなら、それは荒らしです)。

たとえば基地に納得していない人がどれくらいかというのも、ちょっと検索すれば世論調査の結果が出てくるはずです。辺野古基地建設については、だいたいいつも、反対が9割弱です。米軍の沖縄駐留については反対が7割といったところです。

また、沖縄の歴史をちゃんと調べれば、「本土復帰」までの沖縄には、日本国憲法も米国憲法も適用されない軍政下にあり、法的には無権利状態だったこともわかるはず。沖縄にばかり米軍基地が集中して苦労を強いられるのも、沖縄が「日本」でないからであり、本土に復帰して日本国民となれば、こういう状態も徐々に解消されるという期待があったのです。
そのあたりはちゃんと自分で本を読んで調べてください。「基地を撤去してほしいなら、なぜ撤去しなくてならないのは言ってみろ」とは、沖縄の人なら怒りに震えずには読めない暴言だとよくわかるでしょうよ。それともここで、エントリの何倍もの沖縄史を書けとでも?

>ネトウヨと称して聞く耳持たなかったのは何処の誰

誰ですか?そんなの私は知りませんよ。そういう主張自体を読んだことすらありませんからね。そんなことここで聞かれてもわかりかねます。
まあ、私らは基地の「移転」自体に反対であって、無条件で返還せよと言ってきたわけですが。移転は確かに無理です。沖縄でいらないものは、日本のどこでもいらないのです。沖縄だけでなく、日本のどこでも納得など得られようはずもありません。その自分が嫌なものを沖縄にばかり押し付けるのですから、押し付ける側の人に説明や説得の義務があるのであり、沖縄に人に説明の義務などん何もありません。

なお、老婆心ながら「ミンス」なんて独自用語を使うから、内容を読む前からネトウヨが来たなとか思われて、そういう扱いを受けるんですよ。逆の立場でご自分のサイトに「日帝の軍事大国化を粉砕し…」という書き込みがあった場合にどう思うかを考えてみてください。それと同じですよ。
「ミンス」に限らず2ちゃん用語などは(管理人自身がその手の人でない限り)普通の場所で使うと痛い人だと思われます。場の空気を読んで使い分けることが大切です。

投稿: 草加耕助 | 2012年10月26日 (金) 22時09分

辺野古は反対が多いのは知ってます。一方基地反対はこんなデータがありますが
http://homepage2.nifty.com/tanimurasakaei/new_page_91.htm
http://www8.cao.go.jp/survey/h12/h13-okinawa/2-5.html
半々じゃないですかー

>沖縄の人なら怒りに震えずには読めない暴言だとよくわかるでしょうよ。
日本側が「沖縄復帰の暁には、基地を撤去します」と言ったならともかく、そんな約束事もしてないことで勝手に期待されても困るだけです。
無論、米兵の犯罪者を逮捕できない地位協定の改定は日本の義務でしょう。
しかし基地の存在そのものに関しては、日本が国防上必要と判断している以上、撤去する必要性はありません。
さらに言うならば、沖縄の未来を作るのは米国統治を知らない人々です。
彼らが基地についてどう考えているかが重要でしょう。

というか、それほど怒りに震えるのなら、独立すれば良いのです。
まぁ何度か言っていますが、この世は力ですから。
崇高な理想、気高い精神は多いに結構ですが、力無き者の発言は妄言でしかありません。
考え方とか思想ではなく、現実問題として力は絶対必要です。
例えば日本からの補助金が無くとも大丈夫なほどに経済力を成長させる。
経済界側から基地に働きかけるようになるほど、企業を誘致する。
そういった戦略も立てないで、不満だけを吐き出しても無意味でしょうに。

投稿: ROM人 | 2012年10月31日 (水) 00時06分

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