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「ならぬものはなりません」が・・・

 お正月にTVドラマ「白虎隊」をやったり、NHK大河ドラマ「八重の桜」なんかの影響で、ちょっとした「会津藩」ブームがやってきたようだ(来てなかったりして^^)会津武士の魂「ならぬものは、なりません」という言葉を、集会で社民党の福島瑞穂が言ったとか、マイミクさんの中でも「長州の安倍 VS 福島の会津」なんて語り出すのも出る始末・・・

 とはいえ、幕末の内戦・・・は、結局「玉」すなわち「天皇」をかついだほうが勝ち・・・相手を「賊軍」として、徹底的にやっつけることが出来る。事実、最初は「長州藩」を中心とする「尊王攘夷派」が孝明天皇を「かつぎ」(実際に「かついでいた」わけではない、天皇の「意思」を勝手に代弁していただけ)、「開国派」や「佐幕派」を切りまくっていた。京都の「治安維持」のため、幕府はわざわざ東北から会津藩を「京都守護職」に任命・・・「薩摩藩」と手を組んで「クーデター」を起こし、孝明天皇を確保・・・「新撰組」も活躍させて御所を封鎖し、長州勢力を一掃する。長州藩は「蛤御門の変」で暴発、「帝に鉄砲を向けた」かどで「朝敵」とされ、毛利敬親らの官位は剥奪、幕府軍に四方を囲まれ、家老の首をさしだして「恭順」してしまう。

 その後、高杉晋作のクーデターで単なる「恭順」から「武備恭順」に政策変更、勝海舟や坂本龍馬(がやったとされる)「薩長同盟」を結び、時代は「倒幕」へと向かう。第二次長州征伐は、薩摩藩経由で購入した西洋式装備と、大村益次郎(靖国神社にでっかい銅像のあるヤツ)の西洋式軍略により、幕府軍の大敗に終わる。
 「倒幕」を避け、なんとか権力を維持したい徳川慶喜は「大政奉還」で乗り切ろうとするが、薩長と策士、岩倉具視の「倒幕=打倒徳川」路線は止まらない・・・「王政復古の大号令」クーデターで徳川の領地・領民を朝廷に差し出せ・・・との無理難題、おまけに江戸では薩摩藩がならず者を雇い、騒動を起こさせる始末・・・で、「鳥羽伏見の戦い」が始まる。

 3日ほど続いたこの戦、戦力的には徳川軍が薩長の10倍ぐらい(だったかな?)の兵力を持ち、大坂から鳥羽伏見まで「大縦陣」を敷いたのだが、あっけなく負けてしまう。そう、薩長側に「錦旗」・・・すなわち「官軍であること」を認めるお墨付きが出たのでゲソ
 これを見て徳川軍は総崩れ、淀川の向こうの藤堂藩が裏切って鉄砲撃ってくるわ、淀城に入ろうとすると断られるわ、散々になって大坂城に引揚げる。徳川慶喜は「賊軍扱い」されることを恐れ、前線の兵士をほっぽり出し、会津藩主、松平容保らと船で江戸に帰ってしまう。

 それでも「徳川側」にはまだ幕府陸軍、榎本武明が率いる海軍が相当な戦力を持っていた・・・一方、薩長新政府は西国と京都・大坂をおさえるのがやっと、金もなくて江戸に攻め入ることも出来ない。それでも征東軍には「尾張徳川藩」まで入ってくる始末(オイオイ、親戚やろ、助けたらんかい)
 歴史は「江戸無血開城、宇都宮戦争、長岡戦争、上野彰義隊の闘いから、会津戦争へと進んでゆくわけだが、「薩長」のクーデターを苦々しく思う「諸侯・・・支配階級」も多く、会津救済のための「奥羽羽越列藩同盟」が出来る・・・が、江戸幕府が「中央」に逆らえないように作った「藩」(大小、身分など様々、バラバラ)の枠組みでは到底「団結」も出来ず、「錦旗」の下への「裏切り」「寝返り」も相次ぐ・・・「白虎隊の悲劇」の前に、「二本松少年隊」の悲劇があるのだが、これは隣の「三春藩」が寝返って急に攻めてきたため、少年兵を前線にださなければならなかったために起こったものである。 

 「白虎隊の悲劇」の後、1ヶ月ほどで会津鶴ヶ城は「開城」、援軍もなく食料も付けば「ならぬものは、なりません」という精神だけで到底勝てる相手ではない・・・ 

 ところで、ここで問題にしたいのは「玉」すなわち「天皇」をかつぐことの意義・・・というか、かついでいるものに対して、いとも簡単に「へへぇ~」と平伏してしまう「性根」である。当時の支配階級≒知識階級が「天皇は無条件にエライ」というイデオロギーしか知りえなかった時代とは言え、薩長のクーデターを「ならぬものはならん」と「抵抗の意思」すら示すことができなかった。(幕府側、会津藩も東下してきた「輪王寺宮公現親王」をかついで「我らこそ官軍」と名乗っていたりもした)ナサケナサである・・・あ~あ。「理論」も「正論」もへったくれもないじゃなイカ

 実はこの時の「新政府軍」の心情・・・が時代を超えて、「天皇の軍隊」の数々の残虐行為から、「天皇の聖断」がないと「敗戦の決断」も出来なかった軍部・・・そして現在も「資本の奴隷」「政治家に丸投げ」、悪政に対し暴動一つ起こせない日本のどん詰まりの原因ではないだろうか

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コメント

農耕民族だから、誰かが指揮って効率よく田畑を運営しないと命に係わる、というのを長年経験してましたから仕方がないですね。

でも逆に、その平伏根性が日本人の犯罪率の低さの原因とも言われています。「法律が何じゃー」という考え方を持ちませんからね。


あと天皇の軍隊の残虐行為って何ですか。
ぶっちゃけ日本軍は他国軍の中でもかなり規律は守られていた方ですよ。支那とかソ連とかは、もうそれはそれは……

イギリスは個人で残虐ってのは他ほど聞きませんが、米原住民に「この(天然痘患者が使っていた)毛布を有効の証にプレゼントするよ!」とかえげつないことやってますし。

投稿: ROM人 | 2013年1月 9日 (水) 08時53分

あるみさま お疲れ様です。
八重の桜、私もみました。
私は、また別の面があるのでは?とおもっています。
それは、日本における東北の意義の問題です。
会津、新潟が日本の北部として位置づけられているのは、相当深く重い万台と思います。
もちろん3.11につながります。
現在を語るうえで相当意義があるとおもうのですが
(音楽坂本龍一というのは、決まりすぎ!)
次回がたのしみです。

投稿: tk | 2013年1月11日 (金) 07時39分

ROM人さん、ある意味世界中のほとんどが「濃厚民族」であるといえます。また、遊牧民だろうが狩猟民だろうが、「誰かが仕切る」ことは必要ですよ。
あと「天皇の軍隊の残虐行為」とは、あなたの比叡される南京大虐殺を含めた行為のことです(軍規が守られていたのは、条約改正で列強にいいところをみせないといけない日清、日露戦争ぐらい)、なお、多民族・他国の軍隊の「残虐性」の理屈は、また別にあるのでしょう。

tkさん、コメントありがとうございます。「八重の桜」は実は見ていないのですね…80年代後半にお正月番組でやった「白虎隊」は良かったです。主題歌、堀内孝雄の「愛しき日々」は、カラオケの持ち歌でもあります。
会津、東北から歴史を見る視点ってのも、大切ですね。「アテルイ」なんかもいますし、奥州藤原家なんかもあります。会津藩の話は、また別途書こうと思います。

投稿: あるみさん | 2013年1月11日 (金) 23時03分

いや、世界の殆どは「牧畜」では?遊牧民でも狩猟民族でも、他国では人間は流動しますが、日本では停滞します。だからこそ小さい村同士の団結力が異常に強い。だからこそ、主流でない者は村八分にされる、という意識が残っています。その主流でないことが、「犯罪」についても言えることですが、同時に「革新的意見」についても言えてしまうのが問題なわけで。


南京とか…… ねつ造込みでも二十万。まぁ百歩譲ってあったとしても、現実的に2万3万が限度でしょう。500万人以上のインディアンを殺したイギリス様とか、文化大革命で数百万の国民を殺した支那さんとか、もう言わなくてもいいソ連さんとかと比べたとしても、とてもとてもww

投稿: ROM人 | 2013年1月12日 (土) 12時30分

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