« 開発と収奪の植民地朝鮮(その3) | トップページ | 17.7㎞/ℓじゃなイカ! »

開発と収奪の植民地朝鮮(その4)

さて次は第3章の工業開発に入る。
この章、長かったのだが、ポイントとしては「日帝資本による大規模な工業開発は、1920年代の後半から始まった。」ということと、それも重化学工業が急速に発展したことである。
その理由は、何と電力資源・・・水力発電にあった。
 1911年から実施された第1次水力発電資源調査結果によれば、朝鮮の水力資源は5万7000KW程度にしか過ぎなかった。しかし1922年から始まった第2次調査の結果、朝鮮の水力発電資源は220万3000KWに大きく増加する。その上に1ヶ所当たりの平均出力は、1万4684KWで、日本国内の2625KWを大きく上回っていた。(p135)(注・・・あくまでも調査であって、これが全て開発されたわけではない)
 ということでやってきたのが、日本窒素肥料株式会社(日窒)・・・あの水俣病の「チッソ」である。この会社は赴戦江にダムを建設し20万KWの発電所を建設、この時元々土地価格が極度に低い高原地帯に、朝鮮総督府の権力を借りて、ほとんど無償でダム用地を確保し、低賃金の労働力(農村部の過剰人口から、それは易々と得ることができた・・・これも植民地支配の利得である)を利用して大規模水力発電を行うことで、低価格の硫安肥料を生産することができたのだ。
 この頃、朝鮮総督府は「金肥使用」を奨励するため東洋拓殖、殖産銀行、金融組合を通じて肥料低金利資金の貸し出しを行っていた(1926年から)。これは日窒の主要生産物の硫安の安定した市場を提供することになる。(p136)しかし日窒の低価格な生産費にもかかわらず、朝鮮内の硫安販売価格はほとんどいつも日本国内の価格を相当な格差で上回った。低費用と高価格は、まさに高収益を意味する。(p137)ひゃー、まさに「独占企業」の悪徳商売だな
 これに味をしめた日窒は朝鮮の電源開発に没頭、その他の企業も朝鮮の電源開発に活発に参加するようになる。p138図3-10に朝鮮の発電力の表があるが、1930年まで10万KWももなかったものが、35年には約30万KW、40年には約70万KW、42年には100万KWの大台に乗る。そして電力多消費産業が朝鮮で集中的に発展する。主な企業がp139表3-7に挙がっているので、書き出してみると・・・
アルミニウム関連・・・朝鮮軽金属、三井軽金属、仁川化学
マグネシウム関連・・・三菱マグネシウム、朝鮮神鋼、日窒マグネシウム、協同三井油脂、朝日軽金属
電気製鉄関連・・・日本高周波工業、三菱製鋼、日本製鐵、朝鮮電気冶金
カーバイト関連・・・三陟開発
その他・・・朝鮮化学、日本曹達、信越化学

なんか今もお世話になっている企業もあるなぁ~
その他、水力発電以外の他の鉱物資源開発と関連した日本企業の進出も活発であり、石灰石開発とセメント工場、その他製鉄、非金属の精錬といったものが主である。軽工業と重化学工業の構成比は、1939年に逆転する。

こうしてみると、朝鮮の重化学工業の発展がまた、日本帝国主義を帝国主義国と成らしめたとも言えるのではないだろうか?帝国主義の経済基盤は、重化学工業なのだから。


|

« 開発と収奪の植民地朝鮮(その3) | トップページ | 17.7㎞/ℓじゃなイカ! »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

かくめいのための理論」カテゴリの記事

コメント

重工業を推進しただけで帝国主義とか、無茶苦茶な言いがかりだなw

投稿: ROM人 | 2013年6月29日 (土) 02時02分

赤字で強調した部分について質問。

逆に効くなら、総督府の権力なしにどうやってダム作るのよ?まさか朝鮮にダムなんて必要ない、とか言い出さないよな?

窒素の価格が高いのだって、需要と供給バランスを考えろ。マジな話すると、日本の農業レベルは、最盛期の朝鮮よりも低い。基本的に肥溜めを使うシステムに慣れきっていたため、化学肥料の需要がなかった。だから売るためには低い値段設定にせざるを得ない。
逆に朝鮮では肥溜めのシステムもない、一からのスタートだったから化学肥料を使った効率的な農業を早くから導入することができた。だからこそ、化学肥料の需要も高まって値段もあがる。東京と地方じゃ物価が違うのと同じ理由。

ついでに言うなら、化学肥料を使っていたとしても、朝鮮の米は日本産よりも安かった。人件費や朝鮮米への関税など他にも傭員はあるが、肥料が高くとも、その他のコストで日本産を凌駕していたのは事実。(流石に味はどうかしらん)
現に日本の農家が朝鮮米に反発した事例もあるしな。

肥料一つを見て搾取だとか言うのは視野狭窄じゃない?

投稿: ROM人 | 2013年6月29日 (土) 11時50分

あるみさんの提示とROM人さんの指摘でいっそう解りやすくなります。
 
それにしても、
>帝国主義の経済基盤は、重化学工業なのだから。
はそのまま旧社会主義国と置き換えてこそ納得できます。
 
一方的に日帝資本が悪いと決め付けていますが当時の朝鮮で日本企業に期待する半島国民と勢力があったからこそ受け入れられたのです。
また朝鮮のエリート若者が日本軍人として出世するそして称えられる時代でしょう。
その後、日本の敗戦で手のひらを返して日本が悪いとなる、日本国内でもこの戦争は負けると解っていたとのたまう変わり身の早さのサヨク学者(実は世渡り上手)も同じことです。
 
まったく実情がわからないのですが戦前の半島における日本企業は戦後の貧しい子供たちが米兵に対してのギブミーチューインガムと叫ぶのと同じような位置付けの時代背景だったのかもしれませんよ。

投稿: tatu99 | 2013年6月29日 (土) 18時41分

つーか帝国主義の原動力って寧ろ軽工業とか第一次産業でしょ。
インドの綿花、アヘン。東南アジアの地下資源。オーストラリアの鉱山。アフリカの農作物。


むしろ重工業を推進した植民地の方が稀有だぞ。

投稿: ROM人 | 2013年6月30日 (日) 07時46分

帝国主義の原動力というより、市場と原料供給地としての植民地を求めるのが、軽工業が中心の「産業資本主義段階」のことです。「帝国主義段階」(ここではレーニンに基づく「段階論」で述べています)では、重化学工業が発展するとともに、莫大な「資本」が必要となるため「金融資本」の力が強くなるのです…だから「帝国主義段階」の社会に重化学工業は必要なのです。
ちなみに「帝国主義段階」になりますと、経済循環(好況―不況のサイクル)は、不況時(恐慌時)に、重化学工業は生産手段の破壊・放棄が徹底して行われなくなり(重厚長大な施設を簡単にぶっこわすことができないから)、不況は不完全な形でダラダラと続きます。戦後、「帝国主義」が生きのびた原因の一つが、戦争によって日帝・欧州帝の「生産設備」が破壊されたこともあります。

投稿: あるみさん | 2013年6月30日 (日) 22時24分

赤強調部分は、要するに一資本が「電源開発」を行うのに、その資本が補償等を行わないで、朝鮮総督府の権力の下、強権的に進めたということです。帝国主義「本国」では、そうゆうあからさまなことはできませんね。
 肥料については、金肥普及前に、緑肥、堆肥の生産を進める政策を朝鮮総督府はとっています。それが一段落したから、金肥(化学肥料)の普及に乗り出し、そのため総督府は「低利貸し出し」等のシステムを作ったと同時に、日窒が独占的価格設定で大儲けをした…ということです。

投稿: あるみさん | 2013年6月30日 (日) 22時30分

>生産設備
生産設備があった植民地なんて
インド、満州、朝鮮、台湾…… ぐらいしか無いだろ。
植民地のメインであるアフリカ、南米に大規模工場があったとでも言うのか?

>強権的
どう強権的だったのかの説明がない。朝鮮人に何か悪影響でもあたえたのか?

>大儲け
だから何?競争相手がいないんだから当然でしょ。windosやらボーイングやら、特に軍事関係は国に融通してもらうのはどこも同じ。
日窒だって、窒素は火薬の原料で日本も欲しがってたから、援助した。それだけのことじゃない。

しかもそれは独占禁止法云々の話であって、朝鮮人差別や植民地支配の話とは無関係だし。

投稿: ROM人 | 2013年7月 1日 (月) 00時08分

逆に言うと、アフリカや東南アジア植民地は、気候や自然環境も良くないし、帝国主義本国から離れているので、「開発投資」なんてなかなかする気にならなかったのでしょうね。朝鮮なんて、本国の自然条件に近いし、人口もそこそこ居て、文化も同質のものが発展している(欧米帝国主義国と植民地の関係はそうではない…アフリカなんかもろにそうでしょ、文明の「質」が違いすぎる)私が帝国主義者だったら、シムシティーよろしく、バンバン開発投資するね。日帝領でも樺太なんて朝鮮に比べれば開発は進まなかったしね。

投稿: あるみさん | 2013年7月 2日 (火) 22時11分

論理が破たんしてる。

植民地の大半がそういうアフリカ、南米が中心であり、その支配は苛烈であった。それを背景にして「日本は朝鮮を植民地にして搾取した!」と言う。さらには植民地を発展させるのは、そうやって投資することで利益を得ることこが、植民地支配なのだ、と言う。

一方で日本の支配地域は特殊であり、一般的な植民地に当てはまらない、とも言う。

開発投資して、利益を得る。これが植民地支配だ!→いや、植民地支配ってアフリカとか南米みたいのが主流だけど……→日本は稀有な植民地支配だ!


蝙蝠じゃないんだからさ。これが植民地支配のやり方なのか、そうじゃないのか、ぐらいはっきりしてほしい。

投稿: ROM人 | 2013年7月 2日 (火) 22時30分

>植民地の大半がそういうアフリカ、南米が中心であり、その支配は苛烈であった。それを背景にして「日本は朝鮮を植民地にして搾取した!」と言う。
そんなことは私も普通の左翼も、全然言っていない。(前提から間違っている)苛烈であったというのは、植民地とされた挑戦の人々をはじめ、植民地経営の実態を見れば分る。
その中で、右翼の大部分が「日本は朝鮮を開発した(だからいいことをした…植民地支配ではなかった)と言っていることに対し、開発の実体を述べて本質を見極めようというのが、今回の連載の趣旨だ。自分の頭の中の案山子と闘って「勝った」とか思わないように。

投稿: あるみさん | 2013年7月 5日 (金) 22時21分

右側がそのような主張をするに至った理由がそもそも、左翼やお隣のアホどもが「黒人奴隷並の酷いことをした」と言ってたからだろ。

数万人強制連行した
幾人もの慰安婦を拉致した。
数万虐殺した。
政治犯で放り込んだ
差別で徹底的に苛め抜いた
資源や財産を片っ端から強奪した
etc...

それに反論する形で、朝鮮に恩恵を与えたことを主張しているのですが。
別に右側は、その事実を持って「日本に感謝しろ」「日本は偉かった」なんて言う奴はごく少数。ましてやそれを理由に金を返せなんて一言も言わない。一方で左翼はどうですかね。

謝罪と賠償を何度も止めたことか。
何度嘘の主張を覆されては、問題をすり替えたことか。

投稿: ROM人 | 2013年7月 6日 (土) 00時57分

そもそも私が言っていることは一貫してますよ。

「証拠を出せ」

これだけです。単純です。


その思考を理解できないとか、痴漢相手に「証拠はないけど、女が言ってるから真実。男は有罪」といか言い出す警察と同じだなぁ。

「証拠はないけど、朝鮮人が言ってるから真実。日本は悪い」
ほら、そっくりw

投稿: ROM人 | 2013年7月 6日 (土) 01時25分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 開発と収奪の植民地朝鮮(その4):

« 開発と収奪の植民地朝鮮(その3) | トップページ | 17.7㎞/ℓじゃなイカ! »