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開発と収奪の植民地朝鮮(その2)

 では「植民地朝鮮の開発と民衆」の本の続き・・・第2章「農業開発」より・・・
 まず、耕作地面積であるが、実は日帝時代はほとんど増えていない(p36)添えられているグラフは朝鮮総督府『統計年鑑』各年度版参照である。1910年(併合時)から18年までは数字の上では2.5百万町歩から4.3百万町歩ぐらいまで増えているが、これは土地調査事業が完了するまで、正確な耕地面積が分らなかったためである。それ以降、1942年まではほとんど変化が無い。(42年以降は、戦争の影響でむしろ下がっている)すなわち、日帝時代に新しく加えられた耕地面積は、ごく一部に過ぎず、日帝末まで朝鮮に存在した耕地の大部分は、大韓帝国末期以来伝えられたものであったという意味になる。言い換えれば、耕地の開発は、朝鮮王朝時代に既に大変高いレベルに到達していたという意味になる。(p38)

 むしろ農業開発は、灌漑施設の拡充と新品種の投入にある。朝鮮の灌漑施設は、18世紀を頂点にして徐々に崩壊していったという。1910年頃の灌漑施設の状態は18世紀依頼最悪であった。(p38)とある。そこで日帝は併合前の1906年に「水利組合条例」を発布、1908年には「水利組合の設立の要綱、及び模範規約」を制定し、組合が水利施設や堰の改修を行う際、負債元利金の政府保証や工事に必要な資材を補助するようにした。ところが1918年に朝鮮に存在した灌漑施設のうち「在来の堰堤と堰」によるものが約70%をしめるなど、日帝時代に入って新規拡充された灌漑設備は14.8%に過ぎなかった。(p39)
 灌漑施設の拡充は、1920年に「産米増殖計画」が始まってから本格化している。ところが1931年にあっても、田の灌漑設備面積の割合は1水利組合が15.8%に対し、非水利組合によるものが84.2%をしめている(p41)。要するに、朝鮮総督府よりも朝鮮人民がコツコツと灌漑設備を拡充していったということだ。
 米の「優良品種」の普及は、実は日帝時代の初期から始まり、1920年になると優良品種が栽培された面積は全体の水稲栽培面積の53%に達するようになった。(p43)産米増殖政策以降は、ダラダラと90%ぐらいに近づくという形である。これは朝鮮で品種改良されたものが普及したのか、日本から持ち込まれたものが普及したのかは書かれていないが、著者は朝鮮王朝時代にもこのような優秀品種を発掘して普及しようとした努力が活発に行われた(p43)としている。
 肥料の使用について、1910年代の朝鮮総督府は肥料使用の拡大にあまり積極的ではなかったが、産米増殖政策後に積極的な施肥(堆肥・緑肥の増産と、金肥購入のための低利資金貸付け)が始まった。

 なんやかんやで著者は、1910年代の農業開発と、それ以降の開発の差異(産米増殖政策前後)を比較し、1910年代の朝鮮の農業を検討すれば、朝鮮王朝末期の農業状態が推定できるが、この時期は王朝崩壊期であり国家的次元では農業開発のための努力がほとんどなされなかったにもかかわらず耕地面積、灌漑施設、品種改良など大部分の分野で既に高いレベルに到達していたのである。この点を強調する理由は、国家が公権力を回復して本格的に開発に取り組むようになれば、朝鮮の農業は自らの力によって急速に発展する力量を備えていたことに留意する必要があるからである(p49)。と述べている。また、日帝時代の開発も含め、農業生産は米穀の場合52.3%、畑作物の場合は31.2%がそれぞれ増産された結果となった(p70)と試算している。

ではこれらの農業開発の本質を見てみよう。

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コメント

いや、国家が力を入れれば大体の事業は成立するだろ……

あれだ「やればできる子」ってか。誰だってやればできる。やるか、やらないか、だ。だらだら遊んで借金造って、「それでも俺が勉強すれば東大に受かるんだ!」と言ってるニートとレベルが変わらんぞ……


細かい所について。

灌漑設備だが、灌漑設備が元の二割以下と言うのを強調しているが、一割以上増えた時点で偉業レベル。単純計算というわけにはいかないが、農業という分野におけるGDPを一割上げる、と考えればどれだけすごいかわかる。

ついでに言うなら、元々の灌漑設備は政府ないし個人が経営していて、その利用料で農民は多額の出費を強いられていたことを忘れてはいけない。水利組合条例でその水利権を止めたの安い利用料で用水利用が可能になった。
またすでにある灌漑設備にしたって、保守、整備が無料と思ってるわけじゃあるまい。その費用を提供や融資したのは何処の誰かと。

米優良品種にしたって、そんな画期的な米があるなら、貴方たちのおっしゃる鬼畜な日本がそれを収奪したんじゃないのか?同時に日本でも米の収穫量が増えてないとおかしい話になる。


次回が楽しみ

投稿: ROM人 | 2013年6月27日 (木) 01時32分

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