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開発と収奪の植民地朝鮮(その6)

終わらせなければ、始まらない・・・ということで、ガンガン続ける。とはいえ第3章「工業開発」における分析は、細かすぎるようなところがあって、あまり面白くない。家内工業が工場制機械工業に変化していったこと、日本人資本と朝鮮人資本の割合、産業の二重構造(大企業と中小企業)の有無、そして戦時統制による統合などなど・・・まあ、日本社会でも同様のことがあったんだろうということだ。
 日本社会に無くて、植民地朝鮮にあったもの・・・は、やはり巨大開発を成しえた重化学工業であろう。この日本人大資本の近代大工業の様子を、日窒をみることで代表させたい。
 日窒が赴戦江発電所を建設する時、堤防・水路・揚水場工事は日本人建設会社である西松組・間組・松本組・長門組などが担当し、鉄管は日本鋼管、ポンプ・電動機は芝浦製作所、ロープウェイは山川策道がそれぞれ担当した。もちろん現場には多くの朝鮮人労働者が投入されたが、残りの大部分の労働力は、日本人企業間の需給によって賄われた。
 日窒はこの電力を土台に、咸鏡南道などでさまざまな事業を展開した。日窒の朝鮮工場では化学肥料をはじめとして硫酸、硝酸、塩酸、燐酸などの塩類と苛性ソーダ、ソーダ灰、アンモニアなどのアルカリ類、水素、窒素、酸素、炭酸ガス、アセチレン、塩素ガスなどの百数十種類の製品を生産した。その過程で日窒あ、朝鮮はもちろんのこと日本、さらに世界的にも有数の企業の一つとなった。(p161)
のである。001なお、咸鏡南道は現在は北朝鮮の国土である。
 この日窒の興南工場群は、高度の分業体制を土台として生産を行っており、自己完結的に行われていた。日窒の朝鮮事業は、工場の設備や技術で見ても、当時朝鮮の他の地域、及び産業とはまったくへだたった別天地であったわけである。
 近代的大工業の代表的存在としての日窒が持つこのような性格は、日窒だけに限定されたものではなかった。製鉄業、綿糸紡績業と広幅綿織物(粗布)、工業製品、ポートランドセメント、硬化油や石鹸などの油脂工業、化学パルプ、ビール、グリセリンなどの他のさまざまな近代的大工業でも共通に現れるものであった。(p163)

 ようするに、朝鮮に進出し工業開発を行ってきた大資本は、朝鮮内の産業とはほとんどかかわりなく、資源(電力、石炭、石灰石、綿花等)と激安朝鮮人労働力を求めてやって来た、典型的な「植民地進出工業」でしかなかったわけだ。
 で、これらの日本人の近代的大工業の特徴を確認しておくと・・・
第1に、全工場数の1%にもならない62の工場で全体工業生産額の29%を生産している。すなわち、少数ではあっても日本から進出してきた大企業は、朝鮮工業で主導的地位を占めていたのである。第2に、これらの業種の工場当たり平均生産額は、大変大きい一方、業種あたりの工場数はとても少なかった。すなわちこれらの業種は概して独寡占的な市場構造を持っていたのである。第3に、労働者1人当たりの生産額がその他の業種と比較して著しく多い。すなわち、資本集約的生産技術が採択されていたのである。第4に、これらの工場では、工場あたりの労働者数が平均422人で、その他の工場の35人と比較してはるかに多い。これらの大工場が近代的な機構組織を持っていた可能性が、いっそう高くなる。(p163~4)
1930年代は、まさにこれらの業種の生産額が飛躍的に増大することで、朝鮮の工業生産額が急増し、工業構造が高度化される現象を見せているが、これらの日本人大工業と朝鮮人工業との間には、直接的な連関関係があまりなかったので、そのような点ではむしろ飛び領土(enclave)のような存在に近かったと見るのが正しいだろう。(p165)

まとめると、朝鮮工業を「発展」させた日本の近代工業は、朝鮮を「発展」させることなく、あたかも「産業資本主義時代」のインドにおけるイギリス工業のごとく、資源と労働力を搾取していた・・・ということになる。そして別途述べるが、これら大企業の「幹部」に朝鮮人を登用することはなかったため、日帝敗戦後、これらの企業群を朝鮮人単独で運営することができず、「無用の長物」となってしまったのであろう。

ようやく次章「近代教育と技術の発展」に行くことができる・・・

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コメント

李氏朝鮮時代の学業が散々だったこと、李氏朝鮮のハングル弾圧の結果識字率が二割以下ということを忘れている。学校も100校しかないことも頭から抜け落ちてる。
さらに経済にしても、日本のように先物取引ができているとか、三越のような大型商店が存在していたわけではないことも。

併合した時点で、韓国は経済破綻した最貧国だった。

そんな状況で大企業幹部を任せられる人材が十年二十年で育つと思うなら、あるみさんは企業経営舐めすぎ。

一応上り詰めた朝鮮人はいるものの、大体は日本に留学して勉学を身に付けた人物。帰ったところで旨味があるわけでもない。

そして何度も言うが、朝鮮半島は赤字だ。台湾はすぐに黒地になったのにな。

搾取、略取するつもりなら、朝鮮人相手に学校造って、知識を与える必要はない。

朝鮮米を日本に流入させて、本国の農家を怒らせる必要もない。

関税だってもっと自由に弄れたはずだ。
日本人との間に、決定的な、法的な差別を行えたはずだ。
なのにそれをしない

理由は簡単。日本は解放とか植民地とか、そういう考えはまったくない。ただロシアへの防波堤が欲しかった。そのために朝鮮を維持する必要があった、だから投資した。それだけのこと。

投稿: ROM人 | 2013年7月 6日 (土) 01時22分

戦前の日本企業が一方的に労働力を搾取していたと決め付けていますが、その日本企業での賃金と従来の農業等での所得と比較できる筈ですが左翼学者は数字を出すことなく日本を貶めています。
日本企業の進出で食えるようになり人口増大したとは書きません。
当時の日本でもそうですが伝染病対策や栄養改善(満足するものでなくとも以前よりはよくなった)や教育で幼児死亡が減りよくなっているのです。

投稿: tatu99 | 2013年7月 7日 (日) 14時41分

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