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開発と収奪の植民地朝鮮(その9)

第5章 不平等と差別に入る・・・ここを書ききらないと、終われま10(テン)
朝鮮における一人当たりの米穀消費量・・・日帝時代初めから1936年頃までは減少ないし停滞傾向にあり、1937年から1941年までは0,7石以上に上がるが(日本は1.1石程度)、1942年以降にはまた大幅に落ちて減少している。(p242)
 木村光彦は米穀、大麦及び大豆の消費から得られる朝鮮の一人当たりの1日の摂取カロリーを計算した。その計算結果によれば、カロリー摂取量は1918年が頂点で、その後はるかに減少して1936年に最低点に到達する。その後また少し増加するが、1918年のレベルを超えることはできない。(p243)

「産米増殖」や重化学工業の開発が盛んになっても、朝鮮人の食料事情が停滞もしくは悪化したということが伺えるわけだ。
 木村の研究によれば、朝鮮の経済が高度成長していたまさにその時、朝鮮農民たちの生活は一層貧しくなっている。<表5-5>に見るように、1926年と1933年/34年の間で、零細民、及び貧民の数は41万戸(217万名)から91万戸(586万名)と2倍以上増加した。そして朝鮮人戸数全体にこれら零細・貧民戸数の占める割合は、1926年の13.8%から1934年の35.5%に増加し、同期間の朝鮮人全体の中でこれらの零細・貧民の占める割合は、11.6%から28.2%に急増した。全体朝鮮人の3分の1ほどが零細・貧民であった。(p250)

 朝鮮人非熟練労働者の1ヶ月収支差を見れば、-2.3~5.8円と多様だが、これを再び構成比を考慮して平均すれば、-0.32円になる。すなわち朝鮮人非熟練労働者の実質賃金変動帯の上限線である90銭(/日)がやっと1ヶ月の生活を維持できる金額というわけである。(p256)
 近代工業が発達した裏で、朝鮮人労働者は搾取され、やっと一日一日を暮らしていける有様だった。逆にいうと、朝鮮を「開発」した「日本企業」はその基で蓄積を増やしていくという仕組みである。

さらにここに、経済的不平等と民族差別が襲い掛かってくる。第1章、第2章では農業と工業部門の生産手段が極度に不平等に所有されており、それに生産額も民族別に非常に不平等に配分されているのを見た。さらにこのような所有の不平等、及び生産額配分の民族的不平等は開発が進行すればするほど次第に拡がって行ったという点も指摘してきた。(p258)
 これらの不平等は水産業等にもみられることがこの章では明らかにされている。また、生産過程での不平等は、南満州鉄道株式会社経済調査会が発刊した冊子に、次のように書かれている。
 日本人の殆ど全ては朝鮮人労働者の指導的立場に在り朝鮮人の伍して就労し居らざること。・・・・・・鉱夫の中には内地人は殆どなく―内地人は監督的従業員である―大部分は朝鮮人である。

 日本人労働者の大部分は職工であって平人夫は極めて少数である。そしてこの人夫の中には純然たる人夫も居るが、多くは朝鮮人人夫の監督の任に当る者である。

(日本人は)朝鮮人と比較してかなり高い賃金を支払わなければならない。そして朝鮮人と中国人の間に入って平等な作業に従事させるのは難しい。それは一種の優越感のためだろう。したがって・・・・・・作業の指導的地位に置く程度以上に雇用することはできない。
(p261~262)

 日本人は植民地支配民族というまさにその事実によって、労働過程で朝鮮人労働者を式・監督するという特殊な位置を占めていたのである。1944年の人口調査でも、まさにこのような日本人たちの特殊な地位が如実い現れている。(p262)
 そう、「支配民族」は植民地で「指導・監督」の名の下、高い賃金が得られ(それはしばしば日本内地で働くよりも割りのいいものであった)、朝鮮人に対し「優越感」を持ちながら仕事が出来たのである。
 鉄道局を中心に、朝鮮人の職級と職務、日朝間の比較をしてみる。1925~40年の鉄道局職員(鉄道手以上)の中に朝鮮人を分析すれば、上位職級に当たる局長、技師、理事、参事、副参事などには朝鮮人がほとんどいなかったことが分る。(p265)
 鉄道局には日本人とともに朝鮮人も多数勤務していたが、朝鮮人は技師や副参事以上の上位職級にはほとんど存在せず、技手や書記に朝鮮人の割合が趨勢的に高くなる傾向はあったが、1930年代末までを見てもごく少数に過ぎず、1929年の状態を例に挙げれば、大部分が各部署の責任者の地位には上がっておらず、日本人の指揮・監督を受ける存在であったということが分かる。(p266) 

やれ、日本軍の高級軍人に朝鮮人将校が居て、「創氏改名」もしなかったから朝鮮人に対する差別などなかったというのは、ちゃんちゃらおかしな話なのである。(どこにでも「例外」は存在するというだけなのだ)

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コメント

>一人当たりの米穀消費量
人口増加のことを計算に入れていない。あと相変わらず、李氏朝鮮時代との栄養値と比べず、併合を入れないあたりが姑息だ。

>1926年と1933年/34年の間で、零細民、及び貧民の数は
世界恐慌すら知らない奴が歴史を語るとか怖いなw

>やっと一日一日を暮らしていける有様だった
一方の日本では昭和東北大飢饉で身売りすら必要な状況なのであった。


日本を悪くしよう、悪くしようとするから、当時の日本の食糧事情や、経済状況なんて見向きもしないんだろうな

投稿: ROM人 | 2013年7月12日 (金) 01時04分

>差別
逆に言うなら、そちらの例が例外という可能性もあるなw

そもそも前にも話した通り、朝鮮の教育システムが崩壊している状態では、まともに人物を管理する人間なんて存在していない。日本人が管理職として経営するのは仕方のないことだ。

また、差別なんてどこにでもある。個人が思想を持つ以上、避けられない。民間企業ともなれば、会社の体質などもある。

差別として一番の問題は、何度も言っている通り、法律的に、その人物の努力によって小津にもできない区別が与えられている時だ。

投稿: ROM人 | 2013年7月12日 (金) 01時19分

というか賃金面で差別があったとか言うけどさ。

徴兵制適応されてないことを考えると、寧ろ優遇な気がしないでもないぞw

投稿: ROM人 | 2013年7月12日 (金) 01時25分

この本は「日帝時代」の「開発」に関する研究本だから、李氏朝鮮の時代の話は出てこないの…「開発」した以上に「収奪」した…だから消費米穀量やカロリーが減ったって書いてあるの(^^)

李氏朝鮮、大韓帝国時代よりマシだったかどうかは、この本の主題から外れるの…

投稿: あるみさん | 2013年7月12日 (金) 22時55分

収奪したのに、李氏朝鮮時代から裕福になる不思議。

俺には理解できんw

投稿: ROM人 | 2013年7月13日 (土) 00時03分

そもそも収奪収奪と連呼するが、赤字経営だったんだぞ、朝鮮。

ダム建設、道路、上水道、下水道、学校、デパート、病院、工場etc

これらの建設費用と維持費がタダとでも思ってるのか。これらの返済のための費用を回収するのは当然だろ。

何度も言うが、

投稿: ROM人 | 2013年7月13日 (土) 00時08分

一方的に日本人が悪かったの言説になっていますが実態が見えてきません。
 
1925~40年の鉄道局職員・・・以下の説明でも勤続年数学歴職歴など解説がない。
日本人と朝鮮人にだけ格差があり差別対立があったとの言説ですが日本人は少数者です、ごく普通の人間として妬み恨みは少し上の職位の者か自分と同位の者に向かいます。
年令と年功序列の酷い時代ですが(今も酷いのです)一方ではきつい労働でも世渡り上手なら朝鮮人であるからこそ同僚より優位につける会社勤務でもあったのです。

太平洋戦争の戦犯にしても現場の軍人は朝鮮人もいるのです。
現場労働の経験のないペーパー学者の妄想の連続としか受け取れません。

投稿: tatu99 | 2013年7月13日 (土) 13時30分

>李氏朝鮮の時代の話は出てこない
>「開発」した以上に「収奪」した
意味が解らない。
李氏時生産量+開発生産量=併合時生産量
なのに、元のなる数値が分からなければ、どれだけ増減したかなんて不明だろうに。

あるみ「ROMが木に肥料を与えたけど、リンゴが90個しかなってない!強奪された!!」
俺「確かに肥料の資金としていくつか売ったけど……」
あるみ「ほらみろ強奪してるじゃないか!」
俺「でも、それ以上にリンゴは成ってるはずだよ。」
あるみ「そんなことない!肥料で増えた分以上お前が強奪した!」
俺「じゃぁ肥料やる前は90個以上あったの?」
あるみ「元の数なんて関係ない!強奪されたという話をしているんだ!」
俺「……?」

まじでこんな話だぞ。李氏朝鮮時代の生産量を調べずに、どうやって増えた減ったの話ができるんだ?

>消費米穀量やカロリーが減った
そもそも減る前の数値が開発後の数値じゃねーか。文章にもキッチリ1918がピークと書いてある。
つまり1910以降は消費量が増加していたと言うこと。開発<収奪ならば、この時点でおかしいことに気付けw

それともあるみさんの脳内では、消費量が常に右肩上がりじゃないと、収奪になるのか?
生産量ならともかく、急激な人口増加中の地域での、一人当たりの消費量だぞ?

投稿: ROM人 | 2013年7月16日 (火) 00時48分

朝鮮の人口と米穀生産量、米穀純輸移出量についてのグラフがp240にあります。1911~1943まで、朝鮮の人口は1千5百万人から2千5百万人にダラダラと増え続けています。一方、豊凶作の変動はありますが、米穀の生産量も1千5百万石から2千5百万石に増加しておりますから、単純に計算すると朝鮮人一人当たりの米穀生産量は1石です。ところが輸移出(これが直接目に見える収奪です)が増加していますので、一人当たりの米穀消費量は0.8石から、1935年には0.4石ぐらいまで下がってしまうわけです。
ちなみに隣のページには日本の人口変動と米穀生産、移入、消費量のグラフがあります。人口は1911年の5千万人から1943年で7千万人とダラダラ延び続け、米の生産量は1930年代に伸び悩んでいますが、なんとか人口に追いついている感じです。でそこに朝鮮からの移入米のおかげで、人口以上の石高をキープしているような感じです。
日本人の一人当たり米穀消費量は1941年まで1石をかなり上回っていたのですが、これは朝鮮から米を輸移入してきたお陰なのです。

投稿: あるみさん | 2013年7月17日 (水) 21時26分

朝鮮産の米は確かに日本に輸出した。

だが一方で、満州産の粟を朝鮮はかなり輸入してる。粟は米よりも美味しいとは言えないが、栄養価に対するコストパフォーマンスが高い。
だから米を売って金を稼ぎ、それによって大量の粟で栄養を確保していた。それだけの話。少量の米を選ぶか、大量の粟を選ぶかは朝鮮人の自由だ。

投稿: ROM人 | 2013年7月18日 (木) 00時44分

自分で米を作って粟を主食にするのは日本の農村でも普通にあったことだ。高く買ってもらえる日本人に売るのも当然のこと。

日本が収奪したという根拠を出すなら、米だけじゃなくて、粟や小麦、その他の食糧も含めたカロリーで出さないとダメかと。

投稿: ROM人 | 2013年7月18日 (木) 00時48分

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