「展望13号」榎原均報告批判(前編)
さて革共同再建協議会理論誌、「展望」13号に掲載された、榎原均氏の「資本論講義(第3回)と、その付録としてある「宝塚市内での研究会報告再録 99%の思想的課題―マルクス「資本論」をどう読むか についての批判(というかイチャモン・・・特に後者に関して)である。手元にテキストを用意して下さい(無い人は「買って」読んで下さい^^)
ちなみに榎原氏は革共同の方ではなく、おそらく赤か黒系の方であろうとのこと・・・革共同再建協はいろんなところから、わけの分らない(そしてマルクスの本筋から離れている)理論を持ち込んでくる、困ったちゃんが多いのである。
まず「宝塚の研究報告・・・」の第1章「モスト版『資本論入門』の意義と解読の課題」にある、価値論・貨幣論である。最近の考古学的研究によれば、「歴史的に見れば商品交換よりも信用・債権債務関係の成立のほうが早く、貨幣は古代の信用・債権債務関係において計算貨幣として生成されていたというのです。(p163)」と持ち出し、あたかも商品交換より先に「貨幣」があって、価値形態が生産物の交換から、またそれの発展とともに、しだいに発展して、ある「特定の商品(金などの貴金属、米、布等)」が「貨幣商品」となったことを「歴史的」に批判しているようだ。
しかし「信用」や「債権・債務」などは、「交換」する行為があってはじめて成り立つものである。「交換」するときに「等価の物(商品)」をお互いに持っていれば、物々交換をすればいいのであって、交換したいけど「商品」が無い時に、「信用」でもののやり取りをするわけである。その「債権・債務」を粘土板か何かに「〇〇をこれだけ、いついつまで」と書き記したものが先に「貨幣」的に使われたと見るのが正しいであろう。
なぜこんなことを私が書くのかというと、宝塚講演のキモたる「Ⅱソ連崩壊の原理的根拠ーなぜ商品・貨幣を廃絶できなかったのか」という部分・・・ここで榎原はソ連を「商品や貨幣を廃絶しようとした社会主義社会」であるととらえている。革共同系の人間ならば、絶対にこんな捉え方はしない。社会主義とは全く似ても似つなぬ、スターリン主義国家としてとらえるハズだ。だから赤系か黒系ではないかと思われる。・・・において、「商品から貨幣の生成が商品所有者たちの無意識のうちでの本能的共同行為によること(p165)」という、観念論に陥ってしまう根本になっているからだと思うからだ。
商品が貨幣に転化すること・・・は、商品生産が行われるからこそ起こるのであり、商品所有者が無意識にやっているからではない。商品が貨幣に転化しないと、商品生産者は困るのだ。だから「無意識にやっている」というより、商品が貨幣に「生成」することは、交換が行われるたびに自動的に行われるのだ・・・商品所有者たちは、その結果を「無意識に」いつも頭の中で考えているだけである。「本能的共同行為」というのは、商人(商品所有者)たちのそのような在り方がそのように見えるということにすぎない。
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