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「反貧困」をやらないと、若者は来ない!

 ゆえあって、関西の実家経由で北陸に行ってきた。関西では昔の仲間と少し合流、意見交換なんぞした中で「今や(脱原発)を言うのも、『反貧困』をやらないと、若いヤツは来ない!」というところは一致した。そりゃそうだろう・・・いつ発症するかわからない放射線による病気よりも、今日明日のメシや仕事のほうが、大切なんだから。
 と、いうわけで、なぜか送られてくる「今、憲法を考える会・通信(ピスカートル25号) の東京都知事問題総括に対する批判である。「東京都知事選挙の悲劇と喜劇 原発をめぐる保守の分裂と『左翼』の危機 」木村信彦と、カンタカ事評「⑯左右のナルシシズムからの自由を!都知事選・集団的自衛権・靖国・武器輸出」菅孝之である・・・あーあ、彼らもなんもわかっちゃいないで、細川・小泉連合を支持し、「一本化」できなかった理由やイチャモンを「宇都宮陣営」の頭の固さに押し付けているだけだもんなぁ~
 細川・小泉連合を支持できないのは、福祉問題(貧困)について公約で何も語らず、「東京に経済特区を」という、新自由主義丸出しの貧困拡大政策を公約に入れたからだ・・・どんな頭の柔らかい「左翼」でも。これを認めて「統一戦線」なんて、おかしいでしょ
 特に木村論文は酷い…2月3日、細川、宇都宮にあくまで脱原発候補の統一を申し入れようと著名人の記者会見が行われ、真ん中に99歳のむのたけじ氏が坐った。ここでフリージャーナリストと称する最前列の女が「ここには若い人がいない。宇都宮側には若者やワーキングプアが多い。この選挙は、世代対決・階級対決と言われているがどう思うか。」と質問したらしい。もちろん「世代対決・階級対決」のみを「キーワード」にした女性記者の言い方には問題があるかもしれないが、木村氏はこれを「それよりも私はその場で、見てはいけない宇都宮選挙の内幕をみてしまったと思った。細川打倒が全ての彼らにとって、この『世代対決・階級対決』はキーワードであったようだ」と書いている。
 逆である・・・細川支持派の「著名人・文化人」が見ようとしなかったものこそ、若者やワーキングプアであるのだ。「格差・貧困」をそのままにしておいて、「被ばく労働を強制する」構造を持つ原発の廃止など、できるわけがない・・・それこそ田中優子のような「言葉だけの脱原発」になってしまう・・・菅孝之が書いた「原発阻止は右か左かの問題ではない。生産力主義の枠内の新旧左翼勢力の原則の<正しさ>などクソの役にも立たない。カネか命か、事故で無制限の被害を出すエネルギーの使用を続行するのかしないのか(中略)それを座視するのか否かだ」と、一見ごもっともと言うことを言いながら、カネがなければ命がつなげない若者やワーキングプアが見えていない。逆なのだ。彼らを彼岸においた「脱原発」などあり得ず、脱原発は「左」が社会を変えるためにガンガン引っ張っていかなければダメな運動なのだ。(宇都宮氏がそれに「最も適した」人物であるかどうかは、また別問題ではあるが、細川・小泉連合よりはよっぽどマシであろう)
 木村論文には、細川氏を支持した表現者などに対して、「ネット・ツイッターなどでの、前代未聞、常軌を逸した、執拗・陰湿な攻撃である。特に『一本化』工作の先頭に立った鎌田慧などに対しては、「死ね」「焚書しろ」などネトウヨ的なヘイトスピーチ・罵詈雑言が洪水のように集中した」と書いてある。(宇都宮氏に対して細川氏の選挙公約も出ない中で、候補を降りろ降りろと「執拗」にストーカーまがいに迫った細川支持者の行為はスルーである)なるほど、「ヘイトスピーチ」はよろしくない・・・が、逆に鎌田慧氏への「焚書しろ」というのは、それだけ「格差・貧困」に対し(かつ「原発にも」)意義を申す層の、根源的な怒りが強かったものと見てよいだろう。いったい彼がよりそってきた、貧困層や社会的弱者、解雇された労働者などのルポは何だったのかそれほど鎌田氏の「裏切り」の社会的影響は大きいのである。(最悪、平成の「松崎明」というありがたい称号がつくかも知れん)・・・菅孝之はさすがに鎌田慧氏を「ディミトロフを引き合いに出して統一戦線の必要を説いた。バカジャネエカ」とこき下ろしているが、「貧困層への視点の不足」という点においては、全く何も書いていない。それこそ「バカジャネエカ」

 「今、憲法を考える」会なら、憲法25条に生存権・社会権について書かれていることは明らかだろう。自由民主党の改憲案では、それらが保障された権利ではなく、自己責任でつかみとるものに改悪されることも知っているだろう。「原発」は全ての生存権、社会権をぶっ壊す元凶であり、その廃絶は急務である・・・が、目の前にある「生存権・社会権」をほっといて「脱原発」など、できるわけがない。こういった論客を「重宝」する発行人、小田原紀夫氏も十分「反省」する必要があるだろう。

 といゆより、細川支持の文化人って、とりあえず食ってゆくのに困らない人たちばかりだもんなぁ~しつこいようだが「田中優子」みたいに、本物とニセモノがはっきり分かれる時代なんだなぁ~と、改めて考えてしまうものである。

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コメント

反貧困と言っても何だかナアとアベノミクスと同レベルの疑似餌と受け取ります。
アベノミクスでも生産力のアップに繋がってないし朝三暮四に騙されているだけです。
 
反原発だけでは理念よりも目の前の電気料金アップで困るから人が集まらないでしょう。
また反貧困と言われても個々人で苦痛の程度も違う。
僕たちは貧困つまり格差に羨望するとしたら身近な人間との差に嫉妬する、つまり個人はばらばらです。
カルト団体は幻想の資本家をでっち上げて仮想敵として組織をまとめる。
共産党とかカルト宗教や労働組合こそ反貧困をエサに勢力拡大を図っただろうけど限界です。

 >鎌田慧氏への「焚書しろ」というのは、それだけ「格差・貧困」に対し(かつ「原発にも」)意義を申す層の、根源的な怒りが強かった・・・

自動車絶望工場に始まる数冊の著書を読んでいますが、そもそも作られた怒りでその時代の労働者迎合的であったと理解しています。
むしろ出版社の意図を含め労働者感性より商業性が強かったのかとさえ思う。
時代性があったし売れる本の為に労働者の側に立つだけの事です。

同じ労働者側の視点でも小関智弘氏の本は貧しくともものづくりとしての爽やかさです。
町工場労働者であっても一方的に支配される者でなく貧しくとも誇りを持つ。
自己の存在に自信を持つ、生活の為に収入が必要だがそれで全人格が評価されるのではない。

原発は異常事態になれば現場の労働者住民が最大の被害者となりますが全国民さらに超お金持ち層まで被害を受けます。
細川・小泉連合の原発反対は電気料金アップなど関係ないブルジョア的原発反対いや大衆迎合の風見鶏政策でしょう。
最底辺の労働者としたら逆に後は野となれ山となれ原発再開ドンドンやれです。

福祉問題(貧困)に関しても数量的に語られることつまりどこまでが可能か適正かでなく感情的もしくは立場によるヨコセヨコセの勘定的になります。
旧ソ連をはじめとする社会主義国の終焉は生産力以上の給付を求めたことです、人民と共産党奸部の格差があろうと一度給付を覚えると果てしなく増大する。
反貧困のスタンスで給付を求めても供給に対して要求が過大になり秩序確立にはソ連や東欧の強権政治になります。
強権政治は大きな政府の官僚機構となり生産することなく過大な給付を得る人間の増大です、反貧困であったはずが更なる貧しさを生みます。
中国共産党などが最大の人民抑圧反労働者的です。

メーデーに安倍首相までが招待されていますが労働運動の終わりです、プチブル的感性の労働運動が終わる良いことです。
 
反貧困で戦うのか貧しさに負けたと嘆くのか、平和主義者になるならどちらでしょうか。
貧困と言っても日本では日々の食事に事欠くのでなく思い通りの仕事に就くことが出来ない、ならば希望すれば誰でも公務員に、駄目なら交代制で公務員にして完全な貧困になる。
見える格差は隣との格差です。
隣との格差よりもっと嫌なことは隣と同じ事です。

投稿: tatu99 | 2014年5月 2日 (金) 13時49分

デモったりしたところで、一文にもならないのだから、貧乏人は来ませんよ。
デモや抗議行動の類は、それをやる余裕がある人間にしかやれないのです。
「我々は貧乏なんだから何とかしろ!」と言ったところで、誰も何ともしてくれない、というのを大前提に、だから自分らでどうにかしなくてはいけない、という考えで行動しなくては、これからの時代、貧乏人が一人でいたところでジリ貧です。
貧乏人でも、何人か寄り集まったら何かできるはずです。デモってる暇があったら、その「何か」をすべきです。
反原発も同様で、基本的にデモの類はムダです。

投稿: コブラ | 2014年5月15日 (木) 18時13分

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