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別子銅山の遺構を侵略?(その3)

 「マイントピア別子」道の駅を出る時も、駐車場は満杯で少々渋滞していた・・・そこから山之上に登ること10分ほど・・・ぐるりと回るループ橋で高さをかせぎ、「マイントピア別子、東平(とうひら)地区」に行く狭い道の手前で渋滞・・・山道でまた渋滞と、時間をかけながら登ってゆく。こっちも駐車場は満杯だった。
この「マイントピア別子、東平地区」は、1916年から採鉱本部があった所。採鉱本部は1930年に先ほどの道の駅「端出場」に移ったものの、長らく別子銅山の中心地として栄えたところだ。閉山後、人はいなくなり、家々は朽ち果てたが、石積みの巨大な遺構が残り、インカの遺跡マチュピチュに似ているところから「東洋のマチュピチュ」と呼ばれて(呼んで)いる。
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東平地区案内板

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昔の東平地区の地図・・・
では、インクライン跡を降りて、下から石積みを見よう
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花がキレイでゲソ
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しかし石積みを撮ろうとすると、モロに逆光なんだね
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順光で撮ると、あまりいいスケールの写真が無い。
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とりあえず「ピラミッド」かい
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ここは「策道」の跡らしい・・・
インクライン跡を、下から撮る
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上から順光で撮った、「遺跡」らしい所
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坑道もあります。
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中の鉱山鉄道や、かご電車
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少し歩いて、変電所跡
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変電所内は、人が暮らせるようになっていたようで、かまどの跡がある。
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さらにハイキング気分で奥にいくと、坑道がある。周辺をさらにまわる「ハイキング(というか登山)コースがあるが、さすがにそこまでは行けないなぁ~
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写真撮るの忘れたけど、社宅跡なんかもあるよ。で、駐車場の所に戻ると、東平地区の記念館がある。ここは無料

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中は、ありし日の東平地区をしのぶ写真がいっぱい・・・しかし私が生まれるちょっと前ぐらいまで、こんな高い山の狭い所に、人々の営みがあったことは、改めて感慨深いものがある。今の「便利」な都市生活からは考えられないような不便さはあったろうが、東平地区には小中学校だけでなく、演芸場などもあって、当時の人たちはそれほど「不便」を感じてなかったかもしれない。あと、冬はやっぱり雪が積もるので、学校の夏休みは冬休みより短かったのだそうな。

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それでも晴天の5月の山は、キレイだ。「侵略」しにきたかいがあったぜ
とりあえず、「別子銅山遺構」侵略は、これでオシマイ・・・また来た道を渋滞しながら降り、その日の宿泊所へと車を飛ばしたのであった

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コメント

東平(とうなる)と読みます。
なかなか 読めないですよね。
東平資料館の管理している者です。

また 着てください!

投稿: 竹田 | 2015年3月 6日 (金) 21時28分

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