別子銅山の遺構を侵略!(その1)
さて連休後半は、「四国侵略」でゲソ…まずは愛媛県新居浜市の、別子銅山関連施設に行ってきたのでゲソ。
高松から高速に乗って、新居浜ICで降りる…少し離れた谷筋の所に別子銅山記念館 がある。
きれいに刈り込まれた、サツキ(ただ、もう季節なのになぜか花が咲いていない)に覆われた、半地下式の記念館である。
なぜか、大山積神社と同じ敷地内
鉱山鉄道で使用されていた、ドイツ、クラウス社より購入した1号機関車である。
1号機関車の説明…古いもので、「日本国有鉄道 四国総局」となっているじゃなイカ
こちらは、鉱山鉄道電化後の電気機関車と、かご電車他
横の様子の写真が撮りにくいから、柵はよけいだな・・・逆に鉄道の保存には屋根をつけて欲しいところ。
もちろん、住友グループの社紋付きである。
では中に入ろう・・・入館料は無料でゲソ。
中の写真は撮らなかったので、簡単に概要を説明しておくと・・・別子銅山は1690年に山の上で銅鉱石の大露頭が発見され、その翌年に江戸幕府より開鉱許可・採掘が始まっている。時は元禄時代、当時住友家は「泉屋」という屋号であった。
その後、災害やその復興、明治維新と機械力の導入、鉱山鉄道の開業(1893年)・・・と続き、総出鉱量約3,000万トン、含銅量にして約72万トンを産出した・・・ちなみに江戸時代の日本の重要な貿易品として、銅の輸出があり、それについてはアダム・スミスの「国富論」においても触れられているほどのものである。別子銅山もその一翼を担ってきたわけだ。
だが、1973年、坑道は海面下約1000mにも達し、地圧・地熱の増大からこれ以上の採鉱は困難と判断され、閉山されたのである。
さて、記念館を出たら、さらに川に沿って山の中に入り、マイントピア別子羽出場ゾーンに行く。ここは「道の駅」もかねているのだが、天気も良かったので駐車場は車で一杯・・・近畿・中国などの他府県ナンバーも多かった。
人も当然、いっぱい・・・
世界文化遺産を目指しています
「マイントピア別子」では、「温泉施設」や、「砂金採り」その他体験施設もあるのですが、とりあえず鉱山観光のみということで、1200円払いました。
ちょうど昼時でレストランは待ち状態・・・先に「観光鉄道」で鉱山を見に行くことにします。
観光鉄道の、乗り場・・・
当然ですね(^^)(^^)(^^)
小さなトロッコが、後ろ向きでやって来ました・・・続く
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