若者が決起7するためには、「過去」の党なんかすてちまえ!
こーゆーネタは出た後で書くのがヨロシイのであるが、リンクに張っている「資本主義の終わり論」で、『展望』15号・落合論文を読んで というのが3月のはじめにUPされている。内容は非常に面白くて、まん中あたりには
エピソードを一つ。69年4月ある高校生が祖母に闘争のために東京に行く交通費のカンパを頼んだところ 祖母は「国家崩壊の時にはお金など意味を持たなくなるから、お米を持っていきなさい」とお米をくれたというのです。戦後のハイパーインフレを経験した祖母にとって 孫の要請はそういう話として理解されたということです。活動家のみならず民衆までが 当時の闘いをどのレベルで見ていたかが解ります。
てな話もある・・・いわゆる「70年代」は本当に、「革命」が見据えられた時代だったんだなぁと思える話である。
その中で松崎氏は、はじめのほうに次のように論を立てる・・・
21世紀革命は21世紀から論を立てない限り実現できません。過去の正しさを言うことは 党派にとっては死活的問題かと思いますが 民衆自身が決する現実の革命にとっては 現在性から問題を立てるべきだと思うからです。(中略)
党の総括あるいは原点・基本の再確認なら間違っていないと思いますが 21世紀革命として論じるのなら 資本のあり方に規定された現在の時代性と民衆の意識・存在を明らかにしなければならないと思います。だから 80年頃ならともかく、いまさら再確認して何か意味があるの…という感想です。特に「20世紀の闘いについて経験のない多くの人々」、つまり若者をも読者・対象としているのなら現在から論じなければならず 50年も前のことを「部分的には誤りもあったが基本は正しかった」では「老人の昔話」になってしまいます。若者たちは 自分が生まれてもいない過去を総括しないと決起できないのですか!いまの資本・国家のあり方を直に問題にして決起するのではないのですか。
そう、まさにその通りなのだが(だから太字で強調した)、決起の「水路」として、50年間「革命」的情勢があったとしても、それを活用できず…それはおろか「左翼勢力」そのものの凋落の原因であった「党」を使うのならば、やはり「過去の総括」は必要になってくる。
「若者の決起」は、やはり本多さんらがやったように「若者」が新しい「党(的なもの)」を作ってやらないと、どうしょうもないのではないだろうか?
だから「老人」「中年」・・・は、過去の「失敗」や「誤り」について、もっと多くを語るべきであろう。もちろん、「温故知新」という言葉があるように、過去を知って現在に生かすこともまた、大切である。
とはいえ、「革共同再建協」の21世紀認識は、あまりにもお粗末である・・・だからこの文章を書いたのであろう…とはいえ、「中央派」や他党派はどうなんだ?と言ってしまえば、これらも50歩100歩ではなかろうか…共産統一委の「左派統一共闘」の呼びかけについて も、私の知る限りにおいては議論が盛り上がったとは言えない(「首都圏」でこっそりと動きがあれば別だが)…もう「古い党」はいらんのだ
「若者の決起」といえば、園良太 や山本太郎(ただし所属政党では変な方向に行っているが・・・けっこう「活躍」しているようだ) その他首都圏反原発連合の「ミサオ・レッドウルフ」氏なんかが頭に浮かぶだろう…そうでなくても、様々な合同労組や脱原発運動なんかから、若い「活動家」達が苦闘しながら、「新しいもの」を作り出そうとしている…
と、いうことで、「老人」よ、「中年」よ、ネットを捨て、書を捨て、街に、現場に出ようというのが、今回の「結論」である…なんだかわけが分からない結論だなぁ~
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