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革共同中央派の、辺野古闘争からの逃亡(富田晋の栄光と逃亡)

 さて、沖縄・辺野古現地で革共同はどう行動したか…って、そりゃ「やぐらの闘い」では、85年の10・20三里塚第一公園や、11・29浅草橋戦闘で活躍した、鎌田雅史元全学連委員長が、やぐらから落ちて怪我をするということまで起こっている。関西からも全国からも、それなりに「辺野古現地闘争」に参加していたわけだ。その代表格が、現在IJBS労組 の書記長の富田晋氏である。
 彼はやぐらの闘いから、その後の環境アセスメント阻止行動を、ウエットスーツに身をつつんで果敢に闘った。ウヨさんの世界でも有名だが、「A級戦犯が祭られている以上、自分は靖国には参拝しない」という意味の昭和天皇の話をメモしていた「富田侍従長」の孫であり、親は「元全共闘」である。東京で「ひきこもっていた」のを、中核派系(当時はそこまで党派色はなかったが)のリサイクルショップの沖縄・名護支店である「じゅごんの家」に行き、辺野古での闘いを真面目に取り組むことになる。「じゅごんの家」はHPを作って積極的に現地情報を発信し、私も良くチェックしていた。当時はそれ以外に、辺野古現地の運動情報を使えるHPやブログは、無かったのだ。もともと「いいヤツ」だったから、現地での人間関係も悪くなく、昨日書いた、あちこちで大阪行動などの、辺野古の情勢を本土に持ち帰って運動する団体にも、彼と親しい人間は多かった。「ウエットスーツで迎えた成人式」と報道され、あつこちから「講演」の依頼もあった。
 平夏芽氏が女性問題を起こして精神を病み、脱落・逃亡した後も、彼は現地を支え続けていた・・・ハズだが、なぜか08年の秋に「解雇撤回闘争」なるものを始め、大々的に自らのHPを使って「支援」を呼びかけ出す。その時の混乱は、私が当時書いた記事
富田晋君を支持したいがこれじゃ出来ん(前篇)  (後編) に書かれている。ここでも「ヘリ基地反対協」等からは何の説明もなく、いわば「わけがわからん状況」であった。

 後で事情が分かったため、本来はこれをフォローすべく記事を書かねばならなかった(いや、書いたかも知れない)のだが…富田晋の「解雇」の真相とは・・・

 私が彼と初めて会った時、彼は「命を守る会 書記長」という肩書の名刺を持っていた「何じゃこりゃ」と思いながらも見ていたが、はっきりいって人口6万(中心街だけでは、もっと少なくなる)程度の名護市で小さな「リサイクルショップ」で食っていけるわけでもない…で、「専従の活動家」として「給料」をもらっていたわけだ。(その他、東京の「本家」からの援助もあったであろう)で、そのまま真面目に辺野古の運動に関わっていればよかったのだが、「本家」がだんだん中核色を強く出していく…富田晋も「11月集会」に呼ばれて発言するようになる。そのうち一緒に店を切り盛りしていた女性との間に、子どもが出来た…辺野古のオジー・オバーからの「信頼」も厚かった彼のところに「まるで自分の孫が出来たみたいだ。」と祝福された・・・そこらへんが彼の「絶頂」だったのだろう。

 やがて彼は「中核系」の独自路線を運動内で全面に出すようになる…ただその「理屈」はある意味、正しいところもあるので、前述の記事では私も「評価」はしている。しかしやがて彼は「独自の運動」で忙しくなったせいか、昼間他の人が海上阻止行動をやっている間、冷房の効く「拠点」で寝っ転がってTVばかり見ているという生活が続く。時には「自分の家」に帰って、子どもと過ごしていたということもあったそうな。これでは周りで真面目にやっている人から見れば面白くない・・・当然、「苦情」も出る・・・そこで安次富さんたち中心メンバーが「お前もっと真面目にやれsign03」ときつく言った。当然である。
 彼の言っている「独自路線」≒「労働運動路線」も怪しいもので、「うるまユニオン」を立ち上げ、辺野古に来ている仲間を「オルグ」して「組合員」にしていったのであるが、「組合員」の誰もが「賃金労働者」ではなかった…それって「労働組合」かsign02

 ぶっちゃけた話、みんなから「持ち上げられ」有頂天になった所に釘をさされたところ、逆ギレした…というのが本当の所である。
 これを「富田晋」一人の問題で止めておけば良かったところを、中核派は「全国問題」「労働運動路線に対する敵対」ととらえ、現地の運動と一線を画すようになる。かくして富田晋は辺野古から「逃亡」し、「党の助力」を得て「労働運動」を行いだす…辺野古をはじめ沖縄北部には、「振興策」+「安い人件費」をあてこんで、企業のコールセンターが多く立地した…ここの労働者をなんとかうまく組織できたのが「IJBS労組」である。(そのこと自体は、評価しよう…しかし彼はこれまで本当の「賃金労働」をしたことがあるのか…悪く言えば、70歳になるまで「労働者」経験がなかった「塩見隆也」元赤軍派議長と変わらないのではないか?)

 ということで、辺野古現地には中央派系の人間は来なくなってしまった。「じゅごんの家」も閉鎖…その後、中央派から完全に距離を置いた人が「じゅごんの海」として再建し、今日に至る。(「じゅごんの海」は、賛助会員方式で運営されている…私もその一人…といっても、要するに「カンパ」で食っているわけだが、その人は曲がりなりにも「賃金労働者」の経験があり、本当の「解雇撤回闘争」を闘ったこともある人だ)

 「中央派」の「辺野古現地に行かない」病は、すさまじい…mixiで友人になった「中央派」の人間は、わざわざ「富田晋」の演説画像をアップした。そこで彼は何と言ったか?「辺野古から来ている労働者が、(シュワブ前テント等の)現地に行って勝てるだろうか?と聞いてきた…違う、勝つためには『安倍を打倒』しなければならないんだ…」????あのぉ~「安倍を打倒」するために、多くの人が辺野古現地へ行き、陸や海で闘っているのに、地元の人間に「そこに行っても仕方がない」というようなことを平気で言ってのけたのだpout(その演説画像、保存しておきゃよかったな…マル共連 でも一時話題になったのだが)

 沖縄大学に「中核派全学連」が再建されたそうな…ではそこで人を集めて、辺野古現地に行く体制なぞ、なんぼでも取れるのに、全く来ない。別のマイミクさん、辺野古で「沖縄大学の方から、カヌーを教わった」と書いていたので「おお、なんやかんやで中央派も『復活』したか」と思ったら、実は中核派とは全く関係の無い人物であったそうな。来るのは「県民大会」などの大きな集会がある時のみ、自派の方針を訴えるビラを撒くだけ・・・これではカクマルと同じである。(5月9日の「中谷防衛大臣訪沖弾劾闘争」では、カクマルは「真面目」に来ていたのに、沖縄大「中核派」は姿を見せず…この辺はカクマルにすら劣る)

 ネトウヨさんにも教えておこう…「辺野古現地には『革マル派』や『中核派』は来ている」…これは正確ではない。革共同中央派・・・「中核派」から確実に距離をおいた人々が、来ているのだ。

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かくめいのための理論」カテゴリの記事

コメント

31日からの記事をすべて読ませて頂きました。中央派の「独自路線貫徹主義」には普段から悪い面の方が強く出ているなと思っていましたが、一連の経過を見るにその「感覚」は「事実」であると確信しました。

個人的には中野洋氏が亡くなってからより「独自路線貫徹主義」が強まったと考えています。確かに「労働運動で革命を」というのは中野氏が生きていた頃から言っていましたが、僕としては今考えれば「動労千葉・水戸」的な運動を如何に大衆化するかという視点が抜け落ちたまま中央派指導部が「動労千葉・水戸的運動」を中野氏の生前から「乗っ取り工作」をしていたのではないかと思ってます。

以前お話しましたように動労水戸の「常磐線再開反対・被曝労働拒否」という方針それ自体が大衆化すべきものであり、「党への結集」を目的にしては結局常磐線の再開を許すことになってしまい、被曝労働も蔓延してしまうのではないかと懸念しています。

沖縄での「事実」については、むしろ若い活動家の方がそれを知らないか、指導部が歪めて伝えているかのどちらかだと思います。今の中央派指導部の「若者洗脳政策」にこれまた「素直」な若手活動家が何の疑問も持っていないのが怖いです。

何より地元では自分の姿勢や運動の見方を「悪しき客観主義」と言いなして「批判」している中央派の若手活動家がいます。彼と徹底的に向き合いつつ、なぜそこまで中央派の方針に従うのかを話し合いたいです。

…個人的な話をしてすみません。

投稿: 常磐在来線主義者 | 2015年6月 3日 (水) 06時56分

常磐在来線主義者さん、コメントありがとうございます。
大阪で「中央派」(労働運動路線)に行ったのは、確かに「若い人」が多かったですね…というか、ごっそり「若い人」が中央派に行った感じですね。

そういった人たちも、そろそろ30代になってくるわけですが…「若く」て「経験の少ない」ということが、党に「純粋培養」され、「自分で考えなくなる」結果となるのだと思います。
 私だって「大衆運動」の場数をふんでいるわけではありませんが、大学時代は「黒ヘル」(中核派からは「反革命規定」されていた)に参加したり、草加さんの「旗旗」サイトなんか見たりしていたり、「大阪行動」で様々な考えの人と知り合ったり、集会に参加したことで、なんとか「自由は発想」でブログ書いたりできます。(まあ「再建協」はそんな締め付けが強くないですし、緒戦シンパで止まっているからでもありますが)

 これからの「激動の時代」若い人には(中年も壮年もですが)、やはり「党」の公式見解にとらわれず、自由な読書や発想をしてもらいたいものですね。

投稿: あるみさん | 2015年6月 3日 (水) 20時17分

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