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イスラムについて知ろう(3)

やっとのことで、3回目…やる気あるのか?
で、本質的に「フェミニスト」であったムハンマドが始めたこの宗教、じつは「子どもと母親」を大切にする宗教でもあるのだ。そこに、アメリカやイスラエルが無差別爆撃なんかしてみると、どうなるか?

例えば爆撃で犠牲になった子ども…あちこちに破片や傷をうけて、まるで「ボロ屑(こんな表現は出来れば使いたく無いのだが)」のようになった我が子を抱えて、泣き叫ぶ父親の映像が流れてくるわけだ。このブログの読者も、そういった画像、映像を見たことがあるだろう。それが衛星放送やインターネットで、世界中のムスリムが見るわけである。そういったことが繰り返されれば、そのうちの何人かは、いわゆる「ジハーディスト」となり、対欧米、イスラエルに刃を向けるようになるのは、当然である。

「イスラム原理主義」なんて言葉は無かった。
内藤本p91から…「そもそもムスリムに「原理主義」と言っても何のことだか理解できません。なぜなら「イスラム原理主義」というのはアメリカにおける造語だからです。
「原理主義(fundamentalism)はもともと、極端なまでに聖書中心の生活を目指し、なかには現代文明を拒否して信仰生活がすべてというような禁欲生活を送る、アメリカの一部のキリスト教徒たちに対する侮蔑のニュアンスを含んだ用語です(ただし、当人たちも好んでこの言葉を使うことがあります)。」
「イスラムを政治の軸に据え、ムスリム社会にイスラム法を徹底させようとする動きを「イスラム主義」と言うことは出来ます。しかし信仰のことしか頭になく、文明を拒絶し禁欲に邁進するというキリスト教の「原理主義」的性格は、どんなに厳格な信仰実践をするムスリムにも備わっていません。根性の入ったイスラム主義者たちの間にも、融通無下で、商売っ気たっぷりで、ハイテクが大好きな人はいくらでもいます。」p95
前にも書いたように、イスラムでは「神が認める範囲内で生活を楽しむ」宗教でもあり、また科学技術を否定していない。だから「信仰による極端な禁欲」なんてあり得ないわけだ。

「奴隷解放」行ったムハンマド
610年ぐらいに、ムハンマドがメッカで「啓示」をうけて始まったイスラム教であるが、信者の数は彼の一族、親戚等も含め数十人ぐらいだったといわれる。そのうちメッカでの迫害が激しくなったため、622年にメディナに移る…これがイスラム暦の元年である。その後、軍事力を蓄えたムハンマドの軍隊は、630年、ついにメッカを陥落させる。
この当時、「アジア的専制」社会では、戦争に負けると勝った側の「奴隷」にされることが当たり前だったのだが、ムハンマドはメッカの市民を自由にした。いわば「奴隷解放」をしたのである。
その代わり、当時地元で信仰されていた多神教の「カーバ神殿」に乗り込み、そこにあった偶像をことごとく破壊した。中央にある石だけが、イスラムの象徴として遺されたのである。

なぜ偶像崇拝を禁じたか?
そりゃ、ムハンマドは分かっていたのだろう。「教義」を「実践」すること無しに、「偶像」を拝んで、あるいは有り難がるだけでは、何も解決しないし、かえって堕落することを…お寺の坊さんが仏像の前でお教を唱えているときに、仏像の裏に隠れ、あたかもブッダが降臨してきたような雰囲気を演出し、こう言ってやればよい…「お教を唱えるより、そこに書いてあることを実行しなさい」と。

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