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2015年安保闘争の中間総括(その1)

 これを書いている段階で、「安保法制」はまだ成立していないが、おそらく今夜中には参議院で可決・成立するだろう。ただ、日本のあり方をクーデター的に大きく変える安倍政治と、それに対抗する広範な民衆の闘いは、これからも倒閣、参議院選挙、その他法を無効化するための様々な闘いとして続くであろう。ということで、私なりの「中間総括」をしてみたい。

 ことの始まりは「第二次安倍内閣成立」による改憲攻撃なのだが、当初は「アベノミクス」とやらを持ち出し「経済がうまくいってますよ」とゴマかして、政権を維持しつつ、96条改憲だとか姑息な手を使っていた。しかしこれでは自衛隊を海外に出せない…ということで、昨年7月、これまでの憲法解釈で認められなかった「集団的自衛権」を「限定的に認める」という解釈改憲が始まりである。

 実はこの段階で、官邸を包囲するぐらいのデモが出来ていれば運動側にはそこまでの力量が無かったことは否めない。そのうち今国会で、「集団的自衛権」を実行するための法整備…いわゆる「安保法制」改悪攻撃に出てきた。実質はこの前段ぐらいからスタートであった。

 ただ、ブルジョワ議会主義的に考えても、「安全保障環境の変化」で、「集団的自衛権を認める」ということは、なかなか理解されなかった。唐突なのだ…「ホルムズ海峡封鎖」は非現実的であるし(いわゆる「ジハーディスト」にそんな実力はないし、イランがホルムズ海峡を封鎖すると、自国の石油が輸出できなくなる)、「中国の台頭」と言っても、直接日本にかかわる魚釣島あたりは「個別的自衛権」で対応できる(軍事力的に勝てるかはともかく)、南シナ海、南沙諸島の「埋立・基地化」も、単に進出が遅れた中国が実行支配を示すために、ちいさな岩礁の周辺をコンクリートで固めたというだけで、基地機能としての実態はない。(それよりもベトナムなんかが先に埋立て、基地建設を行っている)北朝鮮のミサイルも、日本に飛んで来るのであれば「個別的自衛権」で対応できる・・・要するに「仮想敵」に対しては、これまでどおりで十分なのだ。

 変わったと言うのは、アメリカの「没落」に伴う戦略である…財政赤字が大幅に膨れ、「対テロ戦争」もISの登場で先が見えない中、いよいよ軍事費を減らしていかねばならない…そこで東アジア方面は、日本やオーストラリアのような同盟国の力を借りて、戦力を撤収・再編成させていこうというのが本音だ。そのための「日米同盟強化」が必要になり、自衛隊により一層の米軍への協力が出来るように法整備したい(ついでに日本独自の軍事大国化がしたい)ということが、「集団的自衛権を認める」の正体である。

 マスコミ幹部との会食や「恫喝」でマスコミを押さえ、法案は楽に通るだろうと思っていた安倍は、やはり増長していた・・・しっかり社民党から「戦争法案」と名付けられ、法案の正体が見えだした。このあたりから既成政党や反戦運動体による反対運動が本格化してゆく。「総がかり行動」が企画され、また、学生の団体「SEALDs」が登場したのもこの頃からである。

 決定的だったのは、参考人として与党が呼んだ憲法学者3人が、そろってこの法案を「違憲である。」と断じたことである。自民党が呼ぶくらいだから、当然改憲派(のハズなのだが)、何分自民党の「改憲案」が、基本的人権は国家によって制限されるもの、憲法は国家機関が守る(国家機関を縛る)ものではなく、国民が守る(国民を縛る)ものという、およそ立憲主義の精神に反したものだあったため、憲法学者も「ここで止めなければ、マズい」と考えたのであろう。小林節、慶応大学名誉教授も、もともと「改憲派」であったのだが、自民党の改正憲法案や憲法感を見て、随分前から批判していたものだ。ここで流れが一気に変わる。単なる「安全保障の問題」から、「立憲主義」「民主主義」の危機として、この問題が浮かび上がったのだ。もちろん、戦前の歴史が教える通り、「立憲主義」「民主主義」をすてて暴走した政府・軍部が戦争を推し進めていった事実もある。「民主主義の破壊」と「戦争への道」はひとつながりなのだ。

 かくして反対運動はこの点からも安倍政権を突いた…「立憲主義とは何か?」「憲法とは何か?」「民主主義とは何か?」…反対運動の過程で、民衆はこういったことを学習していった。学生団体「SEADLs」は、この点を重視し、デモコールに入れた「民主主義って、何だ?」「立憲主義って何だ?」と…

 今回の反対運動の盛り上がりは、この「憲法違反の法律は、作れない(無効である)」と、「日本が戦争することに反対」という非常に分かりやすいスローガンで、多くの無党派層をまきこんで、人々が集まり、行動したことだ。4年前から始まった「脱原発デモ」で、人々が集会やデモに参加する「しきい」が低くなったこともある。また、これまで運動団体が取り組んできた「97年ガイドライン関連法案反対」「イラク反戦」「有事法制反対」の時には無かったSNSによって、運動は以前より多くの人に共有され、フライヤーは全国でコピーされて使用された。7月に衆議院を通過しても、参議院で必ず食い止めようとする運動は止まらなかった。あちこちで「SEALDs」他学生や若者の団体が立ち上がり、ついには与党の一角を占める公明党の支持基盤である創価学会からも、反対運動に立ち上がる。8月30日の「総がかり行動」では12万もの人が集まり、警察の規制は決壊!国会前に人があふれた。この勢いは9月になっても止まることなく、「法案採決」を今週までずらし込み、あと一歩で勝利!というところまで安倍政権を追い詰めたのである。

 60年安保でも、30万もの人が国会前に集まったという…しかし最終的に争点が「安保反対」なのか「強行採決けしからん」なのかが分からず、運動を牽引した学生・・・一次ブンドはその過程で解体し、運動が下火になってしまった。しかし今回は

・安保法制は「戦争法案」である
・安保法制は「違憲」である
にしぼり、かつ運動団体がゆるやかに結合しながら全国に広まったため、これだけの動きになったのだ。かつ、運動の中で「憲法」や「民主主義」とは何ぞや?と多くの人々が考え出したことは大きい。これはある意味、「立憲主義」も「民主主義」も何も分かっていない安倍政権が、無茶な法案をごり押しした「成果」でもあろう。(つづく)

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かくめいのための理論」カテゴリの記事

コメント

たいがいのことは、真摯に受け止めるが、

中国の南沙諸島への侵略と武力攻撃を、
「単に進出が遅れた」だあ?

虐殺をして、占領して、埋め立てして、飛行場を作る。

反日本政府の仲間だから、かばうつもりなのか?
政府攻撃のためには、たいしたことないって言い張るのか?

中国が南沙諸島でした現場の映像
https://www.youtube.com/watch?v=W5s76XzDhrQ

投稿: いちななし | 2015年9月18日 (金) 23時20分

え~2015年現在進行中の「事項」に対して、1988年頃の映像をだされてもねぇ~…しかもベトナム兵士を虐殺して得たのは「岩礁」だって言ってるし…

中国の「南沙諸島」への進出の遅れについては、拙ブログの
http://tatakauarumi.cocolog-nifty.com/blog/2015/06/post-7ff7.html#comments
でも見てください。

投稿: あるみさん | 2015年9月19日 (土) 21時42分

なんで、そこまで冷たい反応なの?
中国人のやることだから、侵略も、
(うばった土地の埋め立てと飛行場化も)
非武装のベトナム人は殺されても、OKってことだな?

あんた、もう「中国を絡めた話」で、正義を語るなよ、
もとより、そのつもりで書いてるのならカンベンな、

愛だの平和だの人権だの、恥ずかしくて言えねえよな。

投稿: いちななし | 2015年9月19日 (土) 23時41分

ちょっと、興奮しすぎた、

結論としては、虐殺して得たものが岩礁であれば、
別に大したことではない、と思ってもOKで、
映像の行為は、1945年以降の世界でも、
別に気にしなくてもよい程度の事で、
中国も韓国も北朝鮮も台湾も。当然日本も、

このくらいの事は、やってもやられても想定内って事だな、
戦争反対の大義名分が崩れるかな?

投稿: いちななし | 2015年9月20日 (日) 00時10分

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