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「コザ暴動」から40年…

 本当はその「当日」の12月20日に書くべき内容ではあったが…とにかく40年前、沖縄で激しい反米闘争が起きた。いわゆる「コザ暴動」である。
 72年の「(ペテン的)本土復帰」が決まったとはいえ、沖縄は当時米軍施政下にあった。かつ、ベトナム戦争が激しかった頃で、「基地の島」沖縄には、「明日はどうなるか分からない」と、自暴自棄、刹那的に過ごす米兵の数も多かった。

 話は9月18日にさかのぼる…この日、沖縄南部の糸満市(当時は糸満町)で、米兵が酒気帯びかつスピード違反で車を運転、歩道に乗り上げて女性を轢殺する事件が起こった。当時の琉球警察は、米兵の犯罪に対し、公務・否公務を問わずほとんど手出しが出来ず、MPと米軍による軍法会議に任せる他なかったのだが、この時は地元の住民がレッカー車を取り囲み、1週間にもわたり現場を保全…いろいろ抗議の圧力をかけて、軍法会議に米兵の「責任」は認めさせたものの、肝心の米兵は「無罪」となってしまった。

 その抗議集会が12月16日に糸満で行われ、また19日にはコザ市に隣接する美里町にある毒ガスを撤去するための「県民大会」も美里町で開かれていた。(コザ市も美里町も、現在は沖縄市)
 20日午前1時、コザ市の中心街で沖縄県民がまた酒気帯びの米兵の車に撥ねられる事件が起こった…幸い、被害者は軽症で済んだが、事故処理に集まってきたMPに対し、「第二の糸満にするな!」「犯人を逃がすな!」と群衆から怒りの叫びが飛んだ…これが「コザ暴動」の始まりである。

 やがて民衆は、「黄色ナンバー」の米軍車両「のみ」、道路の中央に引っ張り出し、ひっくり返して火を付けるという実力闘争に決起した。道路の中央にひっぱり出したのは、商店とかに延焼しないようにするためである。なお、黒人兵の車は、見逃されたらしい…また、この「暴動闘争」に駆けつける人を、タクシーは無料でコザまで乗せていったという。

 「暴動闘争」は午前7時半ごろには収束したが、米軍、米軍属の車75台以上を延焼させた。米軍MP、警察、民衆の負傷者は出たが、死者は出ず、また「暴動」にまぎれての「略奪行為」も見られなかった。21名が現行犯逮捕され、事後に34名が事件送致され、10名が「凶器準備集合罪」や「放火罪」で起訴された。



さて、沖縄、辺野古での闘いは、それよりもっと「おとなしく」行われている…警視庁機動隊は21日に帰った らしいが、今度また別の部隊、もしくは大阪などの機動隊がやってくるかも知れない…今のような強権的なやり方を政府が推し進めれば、確実に「死者」が出るだろう…その時に、「コザ暴動」のようなことが起こらないとも限らない。米軍はそれを恐れている…「反対派」VS「日本政府」ならアメリカは「高見の見物」を決め込んでいられるのだが、「反対派」が「反米」に回ったら…東アジア最大の拠点、嘉手納基地をも失いかねないからだ。
 「自称保守」も、そのへんのことぐらいは、考えておいたほうが良い。

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