« 自民党「改憲草案」を読んでみる(その7) | トップページ | 左がそれなりに強くないと、「左右統一戦線」など出来ない »

仁杉巌氏を勝手に追悼する

 国鉄が「分割、民営化」されて28年…その最後から2番目、第九代総裁であった仁杉巌氏が亡くなった…四国新聞より
元国鉄総裁の仁杉巌氏死去/分割・民営化に反対
 第9代の国鉄総裁を務めた仁杉巌(にすぎ・いわお)氏が、昨年12月25日午前8時半ごろ、肺炎のため東京都渋谷区の病院で死去した。100歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで行った。喪主は妻とよさん。
 1938年に鉄道省入り。国鉄常務理事、西武鉄道副社長などを経て83年12月、国鉄総裁に就任した。しかし国鉄改革での分割・民営化に反対したため、中曽根康弘首相(当時)が事実上の更迭を決断。85年6月に辞任した。その後、西武鉄道に再び入り、89年1月からは社長も務めた。プロ野球西武の球団社長や、エフエムナックファイブの社長なども務めた。


 1985年当時、中曽根首相は「分割・民営化」に反対・・・いわゆる「国体護持」派の仁杉総裁を切り、杉浦喬也総裁に替えることで、国鉄分割・民営化を「成功」させたと巷ではいわれており、私も最近までそう信じていた・・・しかし事実は大きく異なるようだ。

 「インフラの呪縛(山岡淳一郎)」(ちくま新書 2014年3月第一刷)によれば、仁杉氏が総裁に就任した際、民営化はともかく、分割は仕方がないと考えていた。総裁就任後、いわゆる「改革三羽ガラス」といわれる井出政敬(のちJR西社長)、松田昌士(のちJR東社長)、葛西敬之(のちJR東海社長)と接触し、「分割止む無し」との考えを強くする。しかし経営陣の腰はうごかず、1年経ってようやく「経営改革のための基本方策」を出す…それにはすぐには分割せず、5年間は経営改革に取り組み、状況により91年から経営形態を見なすという「二段構え」のものであった(p164)…しかし、国鉄再建監理委員会と、旧国鉄経営陣の板挟みになった仁杉氏は、85年6月21日、通常国会の終了に合わせて中曽根首相に会い、辞意を伝えたという・・・決して「国体護持」のために「更迭」されたわけではなかったのだ。

 私が仁杉氏を勝手に追悼するのは、「国鉄改革」がらみではない…この人が日本の「プレストレストコンクリート」の発展に多いに寄与した方であるからだ。
 プレストレストコンクリートとは何か?圧縮に強く、引っ張りに弱いコンクリート部材は、普通は鉄筋を引っ張り側に入れて、曲げに対抗する。しかし単なる鉄筋コンクリートで梁部材を作っても、飛ばせるスパンは限度がある。そこで高張力鋼に引っ張り力を導入し(これを「緊張する」と言う)鋼がもとに戻ろうとする力をコンクリートに伝えることで、コンクリートに引っ張りへの耐力を持たせる・・・これが「プレストレストコンクリート」・・・略してPCと呼ぶ。日本におけるその技術の黎明期に、仁杉氏は活躍したのだ。

 最初、仁杉氏は枕木をプレストレストコンクリートにするという試みから始めた…そして海外の知見を導入し、国鉄に最初のPC桁橋を完成させた・・・これが旧国鉄信楽線、現信楽高原鐡道株式会社 第一大戸川橋梁である。登録有形文化財 にも指定されているぞ

 その他、仁杉氏は経歴にもあるよう、旧国鉄や西武鉄道の他、極東鋼弦コンクリート振興(FKK)の取締役最高顧問でもあった。根はコンクリート技術者である。なお、先の大戦時には「満州国」に赴任し、1941年6月から1年間、ソ連との戦争に備えて松花江に、戦車が渡れるコンクリート舟橋を建造していたそうな。

 90年台の半ば、私がコンクリートのお仕事を始めだしてから、関連雑誌で時々杉浦氏の書いたコラムみたいな記事を読んで、「おお、この人はコンクリート技術者だったのか」と驚いたものである…それにしても、百歳までほぼ現役だったわけだ。

 私ごときの小さな技術者が何を思おうが、勝手であろう…追悼させていただく。

|

« 自民党「改憲草案」を読んでみる(その7) | トップページ | 左がそれなりに強くないと、「左右統一戦線」など出来ない »

技術屋さんのお話」カテゴリの記事

コメント

仁杉巌氏の業績は素晴らしい。PC橋梁の魁で、日本がコンクリート橋の世界で世界のリーダーになるスタートであった。
 本橋の素晴らしさはその技術開発の実物大試験体が併設保存されていること、還暦を過ぎた本体に経年劣化が殆ど見られないことであろう。
 一昨年の杣川橋梁の流出・復旧と現代史を伝える事象もあった。再度訪れて現在の姿に触れて見たいものだ。今年の講義内容及びウオーキングコースに追加していきたい。 
合掌 ブリッジアドバイザー村瀬佐太美拝

投稿: 村瀬佐太美 | 2016年1月 9日 (土) 13時21分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 仁杉巌氏を勝手に追悼する:

« 自民党「改憲草案」を読んでみる(その7) | トップページ | 左がそれなりに強くないと、「左右統一戦線」など出来ない »