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「左翼」でない人と結びつく

 革共同再建協機関紙未来194号 に、高見元博氏が参加した「社会保障の切り捨てアカン!財源がないってホンマなん?公正な税制のあり方を考える」シンポジウムへの参加報告が掲載されている。見出しは、「左翼でない人と結びつく 1・30シンポ 反貧困の新たな運動」となっている。
 様々な形で現れ、対処していかなければならない「貧困」の現場の第一線で活動する人達からの報告である…ここで高見氏は「税制によって、人間の必要に応じて、共存による再配分が可能で、そうすれば中間層を獲得できる。中間層を獲得できなければ社会の改革はできない」「私が慣れ親しんでいる、資本家階級を打倒することで解決することとは全く違う発想で、消化するのに時間がかかった。」
 と述べている…

 「反貧困」の第一線で活動する人々の多くは、いわゆる「マルクス・レーニン」主義的な「左翼」とは違う…現状の資本主義社会の諸制度を最大限利活用し、貧困に陥っている「当該者」のため、どういった方法が一番ベターなのか絶えず考え、実践している人達である。あるコメント欄にも書いたが「革命を大言壮語」している連中よりも、こういった実践家のほうがはるかに現実には役に立っているわけだ…

 で、彼は「問題提起」をしている…「昨年10・28の日比谷野音での生活保護費引き下げに反対する4000人集会から反貧困運動の新たな潮流を形成しようという試みが始まっている。これから集会などが計画されている。共産党系の団体が加わっているが、共産主義やマルクス主義とは違う思想的なバックボーンを持った運動だ。1・30の基調講演者はケインズ主義(近代経済学)だと名乗っていた。
それをどう見るか。左翼ではないからと拒否するか、『左翼に獲得すべきだ』と思うのだろうか。私は違うと思う。左翼でない運動を、『マルクス主義に獲得する』という立場ではなしに、育てるという度量をわれわれが持てるかどうか。」「民衆の自然発生性は共産主義運動に収斂されてこそ意義があるという立場に立つのか。「自然発生性への拝跪」と批判することは正しいのか。ケインジアン=近代経済学のまま、共産主義社会を建設する一員になるという立場を想定しうるのではないか。共産主義社会を彩る民衆はもっと幅広いのではないだろうか。パリ・コミューンを見よ。マルクス主義者がいったい何人いただろうか。」


で、私としては、この考えに関して…本人が「ケインズ主義」でやっていたとしても、運営方法がマルクス主義的な原理(徹底した民主主義+当事者主義)でやっていれば、それは自ずと「マルクス主義」の中に「包摂」されるんですよ…と答えたい…。

 かつての「中核派」は、「あるがままの学生大衆を獲得するのではなく、「左翼」に獲得しようとして、「失うものはない、獲得すべきは全世界だ」というような大言壮語を振りまわし」
ていたのだ…これでは「特定の強い人間」しか獲得できない…と、いうわけで、「流動しているあるがままの人たちと、あるがままに味方になるというたたかい方。そういう構想を持ちうるかどうかが、次の世界を切り開けるか否かの分かれ目ではないかと思う。」と高見氏は結論づけている…

そう、その通りだと思う…なんか「ガチガチ」の「綱領」を引っ提げて、「大衆」の前に道を示す…なんて方法は、もう通用しないのである。単純に「資本主義社会が悪いんじゃなイカ?」「アベノミクスでいいことなんか、一つもなかったぞ?」と素直に感じている人々に寄り添い、当面の「解決策」を考えながら、いつの間にやら「マルクス主義」になっている…こうゆう党や人材を作らないといけないのである。
もちろん、その「間」には矛盾があって、摩擦が生じる…ここに広い意味での「暴力」が発生するかもしれない…だがそれは「徹底した民主主義」によって止揚、克服し、「暴力」は真の敵に向けるべきなのだ。この過程で、人間はより良き方向に変わっていく…というのが、本当の「革命」の醍醐味なのである。

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かくめいのための理論」カテゴリの記事

コメント

あるみさんへ
考えの幅を広めるおもしろい考察でした
最後だけは今までのあるみさんの持論を切り張りしてくっつけたみたいですが

保守や愛国みたいな人たちが増えているのは今まで隠されていた事実が拡散されているから
逆に言えば本当のことや本音が表にでてくる世の中で支持を失っているのが左側の人たちということ
こっそり自分たちの勢力に取り込もうとか都合のよい人材を作り出そうという発想自体が通用しないということ
ご紹介していただいた方々もマルクス主義や共産主義にこだわってはいない
提起された議論はいろいろな方法で幸せになれるしそれを否定しないことにあるのに
あるみさんは最後の最後で今までの考えのままで
みんなの幸せが暴力+革命でしか達成できないという方向へ誘導している

小手先の方法で今を生きる大衆が運動に賛同などしないとおもう
そこに真実となっとくできる情報ややりかたが提案されているかいないかが
運動の将来を決める全てになるとおもう

投稿: まとめちゃん | 2016年2月29日 (月) 08時52分

伝えたかったことの一つは、致し方のない暴力は民衆ではなく、真の敵に向けるべき、ということでしょうか?


「現代の日本の」根本的な民族性だと思うのですが、どれだけ優れた理論、思想であろうと、そこに暴力を伴うこと、暴力が発生する可能性があることは賛同されにくいと思いませんか?
だからこそ、安保法に対する反発が保守からも出たのではないでしょうか?

だからといって「暴力を伴う可能性」を隠したり、誤魔化したりすれば胡散臭いですし、そこまで国民もバカではないので…ということなのでしょうが…


あるみさんの魅力は隠さずにそこは認めているところなんでしょうね。

それでも私は暴力を伴う可能性があることについては賛同できない、日本人ですけど。
コメントで返信をいただいた「党みたいなもの」ができれば、またそれが圧倒的多数となれば、暴力を伴わない達成も可能かもしれないですね。

投稿: 平行四辺形 | 2016年2月29日 (月) 11時28分

しろうとの感想文ですが

下位の人間が権力を打倒する行動は物凄い昔からこの場所で行われて積み重ねられてきた歴史ですよね
一揆や下克上や押し込めやらで無茶苦茶する権力者や無能な権力者が引きずり落されてきましたよね

日本は人の血と人生を掛けた失敗と成功をひたすら積み重ねて歴史をつなげてきた場所ですよね
その思想というか考え方は文化や伝統という形で継承されていますよね

下から上への社会民主主義はすでに達成されている状態ではないでしょうか
より公平な皆が幸福に生活できる仕組みは時代や環境の制約をうけるので簡単に調整できるものではないとおもいますが
多数の貧民が放置されそれが固定化されるのをそのまま求める社会ではないですよね
みながなんとかしようとあがく社会であるのは間違いないことだとおもいます
(最近で言えば明治維新は下からの改革だし226事件は貧困を何とかしたいと言う思いからの行動だし)

そのような歴史を重ねてきたこの社会に暴力革命を持ち込むのは時代遅れな上に間違っているような気がします

投稿: まとめちゃん | 2016年2月29日 (月) 18時51分

まとめちゃんって、名前が表してるごとく、まとめブログ(笑)で真実()に目覚めて愛国保守になった馬鹿なんだろうなあ

お前がいう真実(笑)って、やれ南京虐殺はなかった慰安婦もいなかった、大日本帝国を批判するのは中韓だけだ、犯罪者はみんな在日、生保受給者もみんな在日、安倍を批判するメディアは国内外問わず中韓に支配されてる、とかそんな感じのネトウヨがばら撒いたデマだろ

投稿: | 2016年3月 6日 (日) 03時12分

安保法案に反対した保守派ってだれ?
まさか、ネトウヨの父、小林よしのりとかか?
ほぼ例外なく、保守な人達は安保法案反対派に汚らしい罵詈雑言を浴びせてましたよね。殺人予告を出して逮捕されたクズまで保守派にはいるじゃないですか
なんで、日本から出て行けだの、在日がー工作員がーとか言ってる「暴力的な」保守派に、得意の綺麗事を並べた説教をしないんですか?

投稿: 平方四辺形へ | 2016年3月 6日 (日) 03時19分

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