「のび太君革命論」
平行四辺形さんが革命に「設計」を持ち込むことは人間を信頼していないヤツのやることである のエントリーにおいて「世の中を作るのは官僚でも資本主義でも共産主義でもなく、私も含め愚かな大衆です。 」というコメントをくれた…これを見て、大昔、ある掲示板にて「のび太君革命論」という論争?をしたことを思い出した。
彼のいうには「のび太君がのび太君のまま、『革命』を迎えられる世の中がいいのだ…」というような意味のことである。
私は「ドラえもん」はコミックスを読んで知っている程度、長年上映されている「のび太の・・・」とかいった映画は、さすがに見に行っていない。「スタンド・バイ・ミードラえもん」ぐらいは観て「ドラ泣き」はしたが…しかし劇場版「ドラえもん」に出て来る「のび太君」って、普段の「ダメ少年」と違い、(ドラえもんの道具は利用するのの)、「敵」に向かって勇敢に闘い、冒険していく…というイメージがある。(あくまでも映画を観たことがないので、イメージだけだが)そこでその彼に「のび太君だって、イザ『革命』の時には、とんでもない能力を発揮する。たしかに『のび太君はのび太君』のままであるが、そこに質的変化が生まれるのではないか?」と返答した。
この議論はある掲示板で行われていたため、「のんびりとこちらでどうぞ」と隔離されたものの、相手がいきなり長々と「理解不明」な自論を展開してきたので、こっちも答える気にならず、そのままになってしまったのである。
ま、先ほど述べた様に、いかなる社会変革においても、私も含め愚かな大衆がわぁっと動き出さない限り、成功はしない・・・そしてその時の大衆は決して愚かでもなんでもない…映画に出て来る「のび太君」を見たまえ…というのが、私が「のび太君革命論」の中で言いたかったことである。のび太君が普段どおり昼寝をしているだけでは、決して社会変革や革命なぞ起こらない…
ま、このへんのダイナミズムをどうやって生み出すか…と常々考えているのが、真の共産主義者や革命家、アクティヴィスト(活動家)なんだろう…私にゃ~とても無理だわ…
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コメント
もう何十年も前の話になりますが私の友人、「東大に入って官僚になって日本を変えるんだ」なんて言ってました。
その時は、「目標を持って努力することは素晴らしいと思うよ。頑張って。」と言いましたが、彼と連絡を取らなくなって久しい今、当時と大して変わっていないこの国の今を(寧ろ悪くなっているような…)どう感じているだろうと思います。
彼は宣言通り東大に入り、某省にいるわけですが…
まずは体制を疑うこと、その上で計画と現実の違いを知ること、そしてどんなに優れた変革であっても、それを望む大衆があって初めて成功するということ…
優秀だった彼に私が言うことではないですね。
のび太の話ですが…
のび太が本当に昼寝をしているのび太のままでってのは無理がありますよね(笑)
投稿: 平行四辺形 | 2016年3月16日 (水) 10時36分
あ、追記です。
「世の中を作るのは官僚でも資本主義でも共産主義でもなく、私も含め愚かな大衆です。」
というのは先ほどの連絡を取らなくなった友人に向けて言った台詞でもあります。
その友人は、「東大、阪大、京大あたりのレベルの学力がない人間は俗物と考えている」と言っており、それに対して返した言葉です。
崇高な目標や思想も、そこに心がなければダメじゃないかなぁ…
逆に能力が無くてもカリスマ性だけで世の中を振り回した某小泉政権のような例もあるしなぁ…
最後は「運」だったりもするのでしょうか?
投稿: 平行四辺形 | 2016年3月16日 (水) 12時21分
残酷なリンクを貼ります。何らかの設計主義(それは周囲を見ることで成し遂げられる)なしでは、その革命は血に沈むでしょう。のび太もジャイアンもいると思います。(マジヤバイ状況になると、ジャイアンがほかの街の不良の考えを見抜き、撃退する。)
http://red.ap.teacup.com/tamo2/1490.html
投稿: TAMO2 | 2016年3月16日 (水) 23時07分
TAMO2投手殿…パリ・コミューンの「失敗」は設計主義の不足ではなく、コミューン原則の一つにつながる「銀行の摂取」を行わなかったこと、パリという一つの都市で「完結」せざるを得なかったことだと思います…後者については、フランスのあちこちで「コミューンを支持しよう」という運動や、コミューン側からの宣伝も行われました(「宣伝行動」は、光州事件の時にも積極的に行われています)…前者については、経済担当者の認識不足そのもので、どうしようもなかったのでしょう…この辺は岩波新書「パリ・コミューン(桂 圭男)…多分絶版」に詳しいです。
投稿: あるみさん | 2016年3月19日 (土) 21時00分
共産主義社会が今の日本から自然に設計やしくみなしで達成されるなら
いわゆる活動家の存在意義は無いね
ほっといても庶民が自然に達成するんだから
現状を破壊しなければダメだというのは主義者の都合であって
庶民の幸せと関係ないことじゃないか
そもそも庶民に理想社会を構築できる力量があるなら
現状の社会からいくらでも大衆自身の力で改革できるということになる
旗旗の草加さまが前に書いた記事を紹介してたのをみてなるほどとおもった
●また、私たち夢想家は、「理想主義者」であっても、
決して「空想主義者」であってはならないと思います。
この点についてだけは、現実主義者の声に耳を傾けるべきです。
「みなさん、争いはやめて話し合いましょ~」と、
耳に聞こえのいい空論を唱ているだけではいけないと思います。
(何もしないより100倍いいが)
草加さまは運動のやり方に関しての提言だが
理想主義:計画上達成困難な問題を解決しないと到達できない目標を掲げる
空想主義:そもそも実現可能性の考察をまったく行っていない目標を掲げる
現実主義:現状から行動のステップを立案して達成できる目標を掲げる
汎用的に通用する感想だとおもいました
投稿: まとめちゃん | 2016年3月20日 (日) 15時29分
まとめちゃんへ…活動家のやる事は、「共産主義への道」を阻害するもの…「賃労働と資本」の関係や「資本の社会」そのものを打倒すこと、そのための行動に民衆を参加させること…あなたが「破壊」と言っていることです…を実行することです。そしてそのための道筋を、草加さんがきれいにまとめたものだと考えます。
投稿: あるみさん | 2016年3月20日 (日) 20時14分