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2016年8月

泉佐野市議 こくが祥司氏が亡くなった…

 毎日jp 訃報 国賀祥司さん 64歳=泉佐野市議/大阪
 国賀祥司さん 64歳(こくが・よしじ=泉佐野市議)23日、食道がんのため死去。通夜は25日午後7時、告別式は26日午後0時半、同市上町3の3の18の泉光殿・泉佐野パレード。自宅は同市長滝3262の15。喪主は妻綾子(あやこ)さん。1986年の市議選で初当選し、現在8期目だった。

 国賀さんは私が大学時代、泉佐野市で「関西新空港建設絶対反対!」を訴え、見事当選した中核派系の議員さんである。彼が当選した時、大学の教室に置かれていた置きビラは、いつものと違って「です、ます」調…表題も柔らかく、まるで民青同盟のビラかと思うほどであった。
 その選挙の際、選対で泉佐野市に居住していた活動家に対し「居住実態が無いにもかかわらず住民票を移し、不正選挙を行った」と大阪府警がでっち上げ逮捕を行った。あげくの果てに、その「証拠探し」と称して、国賀氏に投票された投票用紙を全て押収し、指紋採取までしようとした…この弾圧に対しては当然、怒りのビラがたたきつけられた。当時(今もか?)大阪府警は不祥事が相次いでいたため、「大阪府警は、真っ黒け!」というフレーズが書かれていた。

 その後も泉佐野では国賀議員と「泉州住民の会」がともに関西新空港反対闘争を粘り強く続けていった。と同時に、地元泉佐野の問題にも積極的に関わる「革命的議員」の一人であった。その証拠にこれまで一度も落選せず、8期目を迎えたところである。何年か前は空港依存で破綻した泉佐野市が「ゴミ収集有料化」を打ち出し、それに反対して勝利した。

 私が三里塚に再び「あるみさんズ」を持って行き出した頃、「三里塚勝手連」の方といっしょに気さくに話をしたことがある。ただ、「あるみさん」とは何ぞやと説明するため出した「鉄道むすめ」カードを、名刺と間違えて持って行かれたことがある(古いこのブログ記事にあるハズだ)…遺品を整理していたら、出て来るカモ知れない。

 革共同分裂時には、議員のほとんどは選挙対策もあって、中央派に行った。だからその後は三里塚でも離れた所で坐っているため、言葉を交わしたことはない。ただ、いつも畑の集会場でビシッとスーツを着て立っているのが印象的だった…

 議員であっても、すごく腰が低く、丁寧な人であったと聞く。

 それにしても食道がんで64歳の死は、やはり早すぎる…と、いうか、新左翼業界ではちゃんと闘っている人は「早死」して、幹部として責任ある地位にあるのに何も出来ない?ヤツが「長生き」したりしている…敵側も、国鉄分割民営化を強行し、三里塚二期工事や関西新空港建設に着手した中曽根康弘なんかは、まだ生きている…こりゃ~安部晋三も「長生き」するかもしれない(森喜朗という「老害」を得に書いたようなヤツも長生きしてるわな)…

 現在の立ち位置は違うものの、ご冥福をお祈りします。

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「標的の村」上映会

 高松で映画「標的の村」 の上映会をすることになりました。

 日にち:9月4日(日)

 場所:高松市男女共同参画センター3F第3会議室

 上映時間 ①10:30~ ②13:00~ ③15:00~

 料金 1000円(学生以下無料)

 託児あります…電話要予約8月30日までに

 お問合せ:自由席ユアサ 090-3181-4519

 ということであります。昨日今日、この宣伝のためのチラシ撒きを行ってきたのでゲソ…

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普通の人は簡単に引き金を引くことは出来ない

 「安保法制」の施行により、まず南スーダンPKO部隊への「駆けつけ警護」を行うための訓練が始まった…Yahooニュース(毎日新聞)より
 <自衛隊・駆けつけ警護>「引き金を引けるのか」訓練開始へ
 ◇隊員たちは自問、家族は「戦闘に巻き込まれないか」
 戦後1発の銃弾も撃っていない自衛隊が、安倍政権のもとで未知の領域へ踏み込む。国連平和維持活動(PKO)で南スーダンに派遣される陸上自衛隊に、安全保障関連法に基づく「駆け付け警護」が新たな任務として11月にも課され、訓練が始まる。隊員たちは「人に向けて引き金を引けるのか」と自問し、家族は「戦闘に巻き込まれるのでは」と不安を口にする。(以下略)

 ここで日本軍慰安婦問題の核心 (花伝社 林博史 2015年)のp316に「人間改造機関としての軍隊」という項目があり、そこに戦争における「人殺し」の心理学 (ちくま学芸文庫 デーブ グロスマン 2004年)から、こんな「研究」が引用されている。

 「アメリカでの研究ですが、アメリカの歩兵が敵に向かって銃を撃った割合が、第二次世界大戦でだいたい15~20%でした。多くの兵士は人を殺すことをためらって銃をそらしていました。また、負傷などいろいろな口実をつけて人を殺さないようにしていました。この結果に軍はショックをうけます。そこで訓練方法を変えて、朝鮮戦争では55%、ベトナム戦争では90%以上、イラク戦争では95%以上が人に向かって銃を撃つことができるようになりました。」
 とある…要するに、「普通の人」ならば、銃を渡されて敵を殺せといわれても、そう易々と引き金を引くことができるわけではない…ということである。

 では、訓練方法をどのように変えたのか?例えばイラク戦争の時は「殺せ、殺せ、砂漠のニガーを殺せ」「テロリストのくそ野郎で、全員死に値する」「一発撃つたび、一人を殺せ、アラブ人を一人、アジア人を一人」「女を殺せ、子どもを殺せ、殺せ、殺せ、全員殺せ」などと叫ばせながら訓練する。あるいはTVゲームで、敵がぱっと現れたらパンと撃つ…何も考えないで無意識に体が動くようにする。またTVゲームでは「人を殺した」という感覚がない…無感覚化の訓練を行う…といったところである。

 しかし二次大戦の時の米歩兵が、15~20%ぐらいしか敵に銃を向けていなかったとは驚きである。おそらく現代の自衛隊員では、もっと人を撃つことは出来ないだろう。そこで、「人に向かって銃を撃つ」ための特別な訓練が必要になるわけだ。

 果たしてどのような「訓練」になるのか…おそらくTVゲームを使った訓練が取り入れられるのではないかと思う。また、アメリカの「叫ばせる」訓練の言葉には、見ても分かるよう「ヘイトスピーチ」がふんだんに使われている。これは「ヘイトスピーチ」がそのまま、「人を殺す」ことの宣言であることを示している。

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「ヘリマネ」でハイパーインフレは起きないが…

 日銀が「マイナス金利」政策を取り、日本国債の金利もマイナスとなった今、国債をジャンジャン発行して、市中に金をばら蒔く「ヘリマネ(ヘリコプター・マネー)」が話題になっている。
 「ヘリマネ」の定義は、増税などにより政府に回収されることのないお金を人々に配る政策の総称と考えられている…具体的には「地域振興券」だとか、麻生政権の時にやった「定額給付金」(私はこれで「すのこタン。A4」 フルカラーをゲットした)なんかを、大々的にやろうというものだ…その他、国債が「マイナス金利」である今こそ、国債発行で新たなインフラ整備を行い、景気を刺激しようという意見も出てきている。
 たしかに、現在のデフレ状況を脱出するためには、冷え切った内需を拡大するため、民衆に金をまわすことは大切である。最低時給1000円、いや1500円は目指さないといけない。そのためには、例えば「公的な業務」で民間に委託されているもの、あるいは民営化されたものを「公営化」し、身分と賃金を公務員並みに安定化させることも必要だろう。そのために必要な経費を「赤字国債」で賄うという考えも当然出て来る。(本来は大企業や富裕層への増税で行うべきなのだが・・・)
 ま、こういった行為も「ヘリマネ」の一種として考えるとしよう…当然、赤字国債の発行高は増える。「財政規律」が保てなくなり、ズルズルと赤字国債が増え、やがては日本国債への信頼が低下し・・・ハイパーインフレに・・・
 は、ならないのである。というか、実は「ハイパーインフレ」には、国際会計基準で定める3年間で累積100%(年率約26%)の物価上昇、フィリップ・ケーガンによれば月率50%(年率13000%)がそれであるという「定義」がある。要するに、「いくらなんでもそこまではいかんだろう」・・・すなわち単なる「高インフレ」になる・・・というお話である。
 カーメン・M・ラインハート、ケネス・S・ロゴフ「国家は破滅する」によれば、1917年~94年の間でハイパーインフレになった事例が3例あげられており、一つはアルゼンチン1989年のインフレ率3079.5%、ブラジル1990年2947.7%、ドイツ1923年22,220,194,522.37%である。敗戦時1945年の日本は561.8%であったから、ケーガンによれば高インフレではあるが「ハイパーインフレ」ではない…ということになる。
 ただ、年率50%のインフレでも、庶民にとっては厳しい…だいたい物価のほうが給与所得よりも早く上がるし、年金などで生活する高齢者にとって、インフレは大敵だsign01
 だから「ヘリマネ」をやっても「高インフレ」になる前に止めるべきなのである。カネが天から降って来ても、供給力以上に降らせてはいけない(逆に現在は供給力が「過剰」だから、そこまで需要を喚起するところで止めておくのである)
 ところがそれがなかなか難しい…過去に高橋是清が積極財政をやった。1932年11月25日から、日銀による国債引き受けを始めたが、それに味をしめた軍部が軍拡・戦争に走りだす…当然「日銀の国債引き受け」も止められない止まらない状況になったのである。
 また、高橋積極財政は名目金利の上昇は見られなかった。なぜなら1932年に資本逃避防止法等が施行され、その規則によって内外金利裁定が機能しなくなったからである。
 ただし、国際金融市場では、日本国債はちゃんと金利が上昇していた。ロンドン市場において、四分利付英貨公債の金利は、1937年日中戦争勃発時に10%を突破、欧州大戦勃発時の39年9月には20%を越え、日独伊三国同盟が結成された40年9月には21%…日本国債はジャンク・ボンドに堕ちていたのである。

 日本国債の保有者の大半が日本国籍者(現状9割)だから大丈夫と言えるか?この4年間で年平均30兆円近く国債残高が増えている。この傾向が続くとして2020年にどうなるか簡単に計算してみると…
A:国債の残高1074兆円+増加額4×30兆円=1194兆円
B:日銀の保有残高317兆円+増加額4×80兆円=637兆円
B÷A≒55.3% となる。「東京オリンピック」の年には、国債残高の半分近くを中央銀行は保有していることになる・・・こんなことをして大丈夫と言えるのかsign02

 国債の残高は将来の高インフレや償還が危ぶまれてくるならば、国内債券の売り、国外資産の購入という形で債権価格の下落(金利の上昇)が起こり、新規の国債発行が難しくなる。現段階でとりあえず資金を移動しても安心という国はないので、このまま黒田日銀総裁と安部晋三に任していたらどうなるか分からない…日銀引き受けによる「悪性インフレーション」が起こるのである。ハイパーインフレではないが、これは恐ろしいvirgo

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高江で機動隊が新聞記者排除!

 高江では現在も攻防が続いている…その中で機動隊が琉球新報の記者を排除し、閉じ込めるというトンでもないことが起こった。報道もさせない…これが「同じ日本」の沖縄で行われている現実である。
琉球新報WEBより…
 機動隊が記者排除し閉じ込め 東村高江 弁護士「報道の自由侵害」 

 

【ヘリパッド取材班】東村と国頭村に広がる米軍北部訓練場の新たなヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)建設をめぐり、東村高江で抗議活動をする人たちを県道上で取材していた本紙記者が20日午前、機動隊に強制排除され、約15分間、隊員による人垣と車両の間に閉じ込められた。この間、工事車両の資材搬入などの現場に近づくことができず、取材機会が奪われた。沖縄タイムスの記者も同様に排除され、一時閉じ込められた。弁護士らは報道の自由の侵害と問題視している。

 朝から抗議行動をしていた市民ら約50人は、東村高江のN1地区ゲート前から南下し、工事車両の搬入を止めようと県道70号の高江橋の上に座り込んだ。午前10時25分、南側から約30人の機動隊員が近づき、座り込む人たちの腕や体をつかんで強制的に排除した。

 排除される際、本紙記者は機動隊員に腕章を示した上で「琉球新報だ」と訴えたが、解放されず、その後、閉じ込められた。現場にいた小口幸人弁護士は「記者排除は大問題だ。国家権力が、強制力を持って市民を排除する場から記者を排除して、報道させないのは、報道の自由の根幹部分の侵害だ。絶対に許してはいけない行為だ」とした。

 座り込みを排除した後、砂利を積んだ工事車両10台が警察車両に守られながら、ゲート内へ入っていった。

 強く抗議する
 普久原均琉球新報編集局長の話 本紙記者は琉球新報の腕章を身に着け、住民の抗議行動を記録するための正当な取材をしていた。現場には県民に伝えるべきことがあった。警察の妨害によって、その手段が奪われたことは大問題だ。警察官が記者を強制的に排除し、行動を制限した行為は報道の自由を侵害するもので、強く抗議する。

国家権力の横暴を許さず、しなやかに、したたかに闘ってゆこうvirgo

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経産省前テント撤去弾劾!落し前は必ずつけたる!

 本日未明、経産省前の「脱原発テント村」の強制撤去が執行された…MLで今日の真夜中に、「経産省前テントひろば」の日記が転送されてきた…その後午前4時前、「テント撤去が執行されている」という電話が支持者に入った旨、MLに流された…防備が手薄になる夜中~未明にかけて、国家権力・安倍政権は「テント撤去:に踏み切ったのだ!
 朝日新聞WEB…未明の強制執行「寝込みを襲うとは卑怯」脱原発テント

 東京・霞が関経済産業省の敷地に、国の原発政策に反対する市民グループが設置していた「脱原発テント」が21日未明、強制撤去された。立ち退きを命じた東京高裁判決が7月の最高裁決定で確定したことを受けて国側が申し立て、東京地裁の執行官が強制執行した。
 市民グループの代理人弁護士らによると、21日午前4時前に、執行官らが撤去作業を始めた。テントの中には当時、5人がいたという。執行官らはバリケードをつくって一角を封鎖し、約2時間で撤去を終えた。周辺には
強制執行の知らせを聞いた市民グループのメンバーらが集まり、「撤去すべきは、テントではなく原発だ」などと抗議の声を上げたという。
 撤去後に現場で記者会見したグループ代表の淵上太郎さん(74)は「日曜の寝込みを襲うとは卑劣だ。テントをなくすことはできても、私たちの
脱原発の意思と行動をなくすことは絶対にできない」と話した。今後も経産省前で座り込みなどの抗議を続けていくという。

レイバーネットでは、その後のインタビューも含め、書かれている
「われわれがテント!負けないで続ける!」…脱原発テント強制撤去される
 それは8月21日の未明、午前3時40分だった。5人の泊まり番のうち起きていたのは2人。そこに、裁判所執行官・経産省職員・警察の人間があらわれ「10分以内に私物をもって退去せよ」と通告した。すでに周辺の地下鉄出口3か所と周辺道路はバリケードで封鎖されていた。5人が退去すると「テント撤去」作業が開始され、約1時間で撤去が終わった。一部マスコミは事前に知らされていたようで、三脚をたてて撤去の様子を撮影していた。未明に電話やメールで知った支援者らが駆け付けたが、すでに作業は終わっていた。(後略)

 いつものことだが、権力は「不意打ち」という手を良く使う…在京メディアは「高江での暴挙」は取り上げなくても、さすがに「全国イシュー」となっている「脱原発」については取り上げざるを得ない…ここで仮に「撤去予定」を告知していれば、テント前に大勢・・・それこそ老若男女・・・がつめかけ、大騒ぎになっていた(テント撤去を実力阻止できた)であろう…夜中にこっそりやって来て、あたふたと撤去することは、逆に「敵」のほうにはなんら正義性がないことを示している。

 テントは撤去されたかもしれない…が、脱原発の運動はこれからも続く…伊方原発が「再稼働」されても、四電前の抗議行動は続けられる…単に「拠点」が1つ無くなっただけなのだ…だから、この落とし前は、必ずつけようではなイカsign03
「全ての原発、今すぐ廃炉!」

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高江19日決戦?山城博治さんメッセージ

 沖縄、高江では盆休みということで、工事関係はストップしているが、明日19日から工事を再開するようだ…これに向け、レイバーネットに掲載された山城博治さんのメッセージを紹介する。

高江の森を守れ!山城博治さんメッセージ

 皆様へ
高江の報告拡散お願い

昨日、防衛省・防衛局は8月14日~18日までの5日間お盆休みに入ることを発表。
これにともない代表、山城博治さんから、全国の皆さんへ、是非ご協力ください。と言う
以下のメッセージがあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

14日~18日は当番をたてて残りの皆さんは休もうと言う確認をさせていただきました。是非ご了承ください。
これから大事な事を発表させていただきます。8月19日金曜日、朝6時から大規模な抗議・阻止行動に入ろうと思います。
場所は、ここのベースの北部訓練場メインゲートで数百名の皆さんに結集をいただいて、
車列を並べてやってくるトラック、そして作業員の車列にむかって、抗議の行動をかまえ
たいと思います。
恐らく盆明けの休み以降、本格的にN1と言われている地域で2ヶ所のヘリパット工事が
はじまってくるでしょう。
そのことにあわせて、私達もしっかりかまえをつくって、抗議行動にはいろうと思います

19日以降どういう風なかたちにするかは、現地に集まった多くの関係者や、とりわけこ
この中心をになってもらっている基地の県内移設に反対する県民会議等の幹事会、あるいは国会議員団、県議団、市町村議員団、弁護団。多くの皆さんの知恵をかりながら、どういうかたちをもってすれば、最大限効果のある闘いがつくれるか。協議して、19日さら
なる行動提起をさせてもらおうと思います。
これまで守りいってんでしたけど、反転抗戦、工事を止める闘いに着手したい。
どうぞ皆さん、頑張ってまいりましょう。
全国の皆さん、この間、やられっぱなしでしたけど、出ましょう。うって出ましょう。
反転抗戦出てみましょう。
これまでも辺野古で水曜、木曜行動を入れて、沖縄県警、東京警視庁の暴力をはねのけて、ついに水曜日と木曜日は工事が出来ない状況をつくりだしてきました。
そして、火曜行動をいれよう。という矢先に、3月4日をむかえ、工事中止・中断の和解
になったところです。
これも、皆さんご存知のとおりです。
11月に水曜行動を入れ、1月に木曜行動を入れました。
3月には火曜行動を入れて、週の6日間のうち、3日間は工事中止に追い込む。
その闘いをしようという矢先に、政府の方が先におれて、和解にし、工事中止に追いこん
だところです。
必ずやれます。
どんな他姓な機動隊に見えても、全県民で力をあわせて、ここに500名。1000名座り込めば、勝てます。
われわれが、1000名座り込んで、500名の機動隊が出てきて、ゴボウ抜きするかも知れない。
しかし、そんな大乱闘。ありえない話です。
想像ができません。
今の安倍(政権)ならやるかも知れませんけど、その映像を見たら、日本中から、世界中
から来るでしょう。
高江に行こうぜ。
今こそ高江に一緒に座り込もうとなるでしょう。
その力をもちたいと思います。
是非、19日の金曜日、皆さん力をあわせて、ゲート前で座りこみましょう。
そして、森を破壊し、いよいよ、オスプレイの離発着帯に入ろうとする工事を具体的に、
止めて行く、私達の戦略を屈指した運動をつくっていこうじゃないですか。
是非、力をかしてください。
そのために、全県の皆さんは全国の皆さんに呼びかけます。
どうぞ、19日行動。あらためて、この高江の森の方に、ご結集ください。
そして、みんなの団結で、必ず勝とうじゃないか。
頑張って行きたいと思います。』
と、空かさず、山城博治さんと皆さんで「今こそ立ち上がろう」の歌と共に現地の仲間で
決意しました。

恐らく、19日、機動隊が阻止しに来るでしょう。
その時は、その場で行動を起こし、その後に、南部につながる隊列ができれば。

皆さま、どうぞ19日、朝6時から、高江に結集。宜しくお願いします。

目標地点。N1、N1裏、新川ダム、G、H。

19日、朝6時スタート予定地点。山の駅。

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京都鉄道博物館侵略(その3)

 さて、地上におりて「梅小路機関区」部分を見る…
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ちょうど、「SLスチーム号」運転時間であった…
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ず~っと立ちっぱなしで疲れたし、暑いので50系客車休憩所に行く…たしか前にも行ったなぁ~ 今回は機関車はおらず、50系客車のみ。
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C51-239
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ざっくり前から撮影…
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C55-1
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1080
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やっぱSLあっての、梅小路…なぜか後ろ向き…
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石炭の香りがするなぁと思ったら、C61-2でカマを炊いて煙を出していた!
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ひととおり扇形車庫の前を回ったら、また階段を昇ってSL第二検修庫を上から見学。
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で、ここからまた地上に降りて、「トワイライトプラザ」へ…そうです、「トワイライトエキスプレス」の車両が展示されているのです。
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EF65-1
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やはり「トワイライト」のエンブレムは、撮っておこう!
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オロネ24-4
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「日本海」大阪行きだぁ~
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かつての2等寝台…座席状況だが、立派なもんだ。
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EF58-150の面構えを見よ!
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トワイライト牽引機、EF81-103
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と、ここで「トワイライトプラザ」を後に、出口に向かう…屋根は2代目京都駅の一部だとか…
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扇形車庫の後を通過することに…
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こんなジオラマのほうが、赴きがあっていいなぁ~
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ハイ、またSLを屋根から見るコーナーでゲソ。
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SL運転台…複雑だ。
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出口は以前どおり、山陰本線旧二条駅駅舎を使用…
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展示物も以前と変わらず…
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なお、旧二条駅駅舎内には、ショップがある…一旦博物館を出ることになるが、ここも大勢の人が並んでいた…
とりあえず、「京都鉄道博物館侵略」は、成功でゲソ…
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帰りはバスに乗らず、梅小路公園の中を通って、京都駅まで歩いた…路面電車広場というのが整備されたいた。また、旧型の路面電車に乗車することも出来るのだが、今回もパス
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またヒマになったら、来ようか…

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京都鉄道博物館侵略(その2)

 では、博物館の2階に行ってみよう…ここは前身の大阪環状線弁天町駅にあった「交通科学館」のごとく、いろいろ体験できるコーナーなのだ。
 その前に、2階から俯瞰・・・
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あらためて、凄い人出だなぁ~
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各種新幹線鉄道が並ぶ…
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山陽新幹線のCTC制御版体験コーナー
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ダイヤグラム印刷機・・・こんなのがあったんだ!
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これは「列車を安全に走らせよう」という、レイアウト…子どもに列車制御をさせるらしい。
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運転シュミレーターも、大人気…
2階にはレストランもあるのだが、1時を過ぎても超満員…結局この日はほぼ昼飯ぬきとなった…あらかじめお弁当とか用意して、下のギャラリーみたいな所で食べるのが正解だろう。
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関西の電車コーナー…京都の路面電車さよなら運転のもの
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南海電鉄「こうや」号
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阪神、旧ジェットカーでゲソ…
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旧国鉄電車いろいろ・・・
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「新快速」マークでゲソ…
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その他サボ…
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昔の「三段寝台」…これに乗ったことはないが、ホント狭かったんだね。
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コンテナの中身って、こんなふうに積まれているのですね。
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貨物列車いろいろ・・・
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貨物特急「たから」のヘッドマーク
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実は新幹線より、貨物列車のほうが長い・・・という展示。
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鉄道ジオラマコーナー…というレイアウト展示。1時間毎に「アトラクション」と称して動かすのであるが、次回アトラクション見学者はもう「満席」で、外で並んでいた。
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これだけのものがあれば、大したものだ。
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「鉄道と文化」コーナーにある、昔のお茶のみ…私は右下のプラスチックのやつでお茶を飲んだ世代である・・・今はコンビニや自動販売機のペットボトルにその座を譲っている。
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鉄道模型やジオラマも、やっぱり「文化」なの…でもなぜディーゼルカーが脱線している?その他、DVDや書籍、鉄道推理モノなんかが展示されていた。
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昔の改札口の再現・・・
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現在の改札口…
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3階はギャラリーとなっている他、こんな「お食事場所」があった…おそらく普段は「会議室」に使われている部屋なのだろう。
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交通科学館時代からある、図書室…いろいろ閲覧できます。
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2階に下り、展望デッキへ…
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京都駅方面を望む・・・
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「スーパーはくと」と、新幹線でゲソ…
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もともとこの博物館…梅小路機関区の蒸気機関車館の隣を「再開発」してできたものである…よって「梅小路機関区」の扇形車庫も健在である・・・次回はそこに行ってみよう!

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京都鉄道博物館侵略(その1)

 昨日は京都、梅小路に新しくオープンした京都鉄道博物館 を侵略してきたのでゲソ…
 JR京都駅から、直行バスも出ている。バスを降りたら、沢山の人が並んでいた。さすがお盆で日曜日…
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とはいえ、フェリーの待ちじゃないから、案外すんなり入場できた。入場料は大人1200円
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C62-26
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クハ86-1・・・以前、弁天町の交通科学館に展示されていたヤツ
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そして0系新幹線…ここではカメラをあずけて「記念写真」が撮れるようになっている。
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マロネフ59-1
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中は、こんな感じ…立派ですなぁ~
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ナシ20(食堂車)の中で、手前で売っているお弁当を食べることができます。
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0系新幹線の中に入ることが出来る。
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いろいろ展示されています。
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座席がちょこっとしかないのが残念です。
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ナシの前には、DD54-33
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大阪環状線、クハ103系もいるぞ!
プロムナードだけで大分写真撮った…で、博物館の中へGO!
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SL230-223
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雷鳥、489-1
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月光 クハネ581-35
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そして500系新幹線…
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ブルトレのヘッドマーク
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とりあえず、順路に従って展示物を見て回る。
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日本発の鉄道…新橋駅の模型…
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こんなのがあったり…
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こんなのがあったり…戦前の鉄道全盛期のものですな。
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こんなの…101系電車があるので、高度経済成長期
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EF52-1
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新幹線100系でゲソ・・・
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貨物車と車掌車もあります。コンテナ特急「たから」のヘッドマーク
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連絡線の模型は、西日本なので宇高連絡線、高松駅のもの・・・
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昭和テイストの駅には・・・
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初のディーゼル特急、キハ81-3が鎮座
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DD51-756
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床下にもぐって、機器を観察できます。
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EF66-35
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その他、いろいろ展示物…集電機(パンタグラフ)ですな・・・
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トワイライトエキスプレス仕様、カニ24-12
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上を眺められます…
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「義経号」ですな…
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運転台をさわることが出来るコーナー…切り取った車両が、シュールですな。
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保線のやり方…人形にしたらもっとリアルだろう。
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信号施設の説明コーナーには、もちろんタブレットがある。
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その他、架線、土木構造物の説明のコーナーもある。なお、1階はなぜだか、足こぎトロッコの線路もあって、多くの人が順番を待っていた。
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では1階はこれぐらいにして、2階に行こうupwardright

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亡父の預金を移すのも大変だぁ~

 昨日、亡父の初盆ということで実家に帰っている…で、母と話している中、亡父が年金受け取り用に作っていた銀行口座の金を、母が光熱費等引き落としている銀行の口座に移したいという問題がでてきた。

 で、銀行行って聞いてみると、「死んだから、ハイ解約…お金が戻って来ますよ」ということにはならないようだ。(預金の「凍結」はしてくれた)

 ま、やったことがある人は知っているだろうが、「相続が伴う」ので、かなり面倒くさいことになる。
 最低必要なのは、「被相続者(亡父)」の、生まれてから死ぬまでの連続した戸籍謄本。
 そして、相続者全ての「同意」を示すための書類…住所と名前と、実印、および印鑑証明がいる。(戸籍謄本は、不動産の相続登記を行う場合も必要)

 戸籍謄本がいるのは、届けられた「相続人」が全てなのかどうか、金融機関で確認をとるためだろう。

 しかし父の場合、大阪市内で生まれ、結婚後に現住所に家を構えてから「転籍」をしている。したがって、現住所の役場では、「転籍後」の戸籍謄本までしか取れない。
 ということで、大阪市役所まで行って来た。なにぶん、戦前生まれだから、1880年(明治13年)に作製された、付箋だらけの戸籍謄本でないと、亡父の出生が辿れないのである。

まぁ、私のように「転籍」が近い人はいい…が、遠くから「転籍」した場合や「転籍」を繰り返した場合、あちこちの役所に行って(あるいは問い合わせて)戸籍謄本をそろえないとイカんわけだ。

あと困ったのは、母親が「実印」を作っていなかったこと…まぁ不動産とかは父の名義であるわけだから、実印が必要なかったのは仕方がない。もっとも今や実印でもネット通販で安価に早く作れるものだから、とりあえず母の実印は今日、注文した(私は父が亡くなってすぐ実印を作り、印鑑証明を作った)…土日はお役所はお休みなので、月曜日に印鑑登録に行かなければならない。

また、相続者多くしかもが離れて住んでいる場合、「同意」を示すための書類は1枚しかないから、郵便とかで「回覧」しないといけないわけだ。

と、まぁ「相続」に伴う手続きについて、簡単に書いてみたが、実はそんなに簡単ではないのである。

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「吉田・アチソン交換文書」と「サンフランシスコシステム」

 

 さて、ここまで書いてきた「基地権密約」と「指揮権密約」を担保しているのが、「吉田・アチソン交換公文」と「国連軍地位協定」である。「吉田・アチソン交換公文」というのは、サンフランシスコ講和条約締結後、米軍を日本に駐留しつづけるための「旧安保条約」が2国間で締結された後、その旧安保条約の「追加文書」として渡されたものであり、「この条約が発効したときに、もしもまだ国連が朝鮮で軍事行動をつづけていた場合は、日本が国連が、朝鮮の国連軍を以前と同じ方法で、同じ財政上の取り決めにもとづき、日本を通じて軍事支援することを可能にする」(英文からの矢部訳:p226)というのが核心部分であり、「朝鮮戦争の開始以来、占領体制のもとで日本がおこなってきた、そうした米軍への軍事支援を、日本が独立後もずっと継続する。その義務を負うとうのが、この『追加文書』のほんとうの意味だったのです!」(p128)と述べている。この文書は矢部訳の「国連軍」が「国連加盟の軍隊」に変更され、「朝鮮」という地域の限定を「不測の事態にそなえるため」わずかな修正(「極東条項の追加」とされる)を行い「吉田・アチソン交換公文」が誕生する。最終的には「日本は占領下で米軍(朝鮮国連軍)に対しておこなっていた戦争支援を、独立後もつづける法的義務を負わされてしまった」「現在の私たち日本人の日々の生活の基盤である日米の法的関係の本質が『占領体制の継続』よりもはるかに悪い、『占領下における戦時体制(=戦争協力体制)の継続』である」(p239)と結論づけている。S_000005


 「指揮権密約(統一指揮権)」は、これも日本ではほとんど知られていない「国連軍地位協定」にある。その第一条に関する議事録では「この協定の適用上、アメリカ合衆国政府は『統一指令部として行動するアメリカ合衆国政府』の資格においてのみ行動する。日本国における合衆国軍隊の地位は、
195198日にサンフランシスコ市で署名された、日本国とアメリカ合衆国とのあいだの安全保障条約にもとづいて行われるとりきめ〔行政協定〕によって定められる。」(p249)とある。ここからの説明はややこしくなるが、要するに「統一指揮権」を持つ「米軍A」との間で日本はあらゆる戦争協力を義務付けられているが、現実の協力は、巨大な既得権益を持つ「旧安保条約」で認められた「駐留米軍(米軍B)」に対して行われる構造となった。これが「吉田・アチソン交換公文」によって二重構造であり、戦争協力のみならず、日本軍(自衛隊)に対する「統一指揮権」にまで広がっていったわけである。
 
 ちなみにこの「吉田・アチソン交換公文」はダレスによって、新安保改定によっても影響をうけないよう米側の外交により、「①吉田・アチソン交換公文」は、「国連軍地位協定」が効力をもつあいだ、ひきつづき効力をもちつづける。②国連軍統一指令部のもとにある米軍の、日本における基地の使用や法的地位は、新安保条約にしたがってむすばれる取り決め〔=地位協定他〕によって決定される。」(p272)と日米で合意され、「朝鮮戦争が、平和条約をむすんで正式に終了しないかぎり、日本のアメリカに対する軍事面での完全隷属状態〔=「法的怪物」状態〕は永遠につづく」(p273)ということになったわけである。
 
 これがつい最近、誰の目にも見えるように現れたのが、昨年夏の安保関連法の強行採決である。「『日米安全保障協議委員会(2+2)』でアメリカとの軍事上の取り決めがすでに結ばれている以上、日本政府にとって国会の審議も、憲法をめぐる議論も、デモによって示された国民の民意も、本質的にほとんど意味をもたなかった。それらはどんな異常な手を使ってでも、無視し、乗りこえるべき対象でしかなかったのです。」(p286)と筆者は述べている。
 
 では、どうすればいいのか…「正体」が分かれは、それを止めればよい…というのが筆者の考えだ。
 
 日本近代史研究の権威であるジョン・ダワー氏は、日本の独立後も継続したこの異常なアメリカへの軍事従属体制を「サンフランシスコ・システム」と呼んでいる。ダワー氏は戦争の問題について「(日本にある米軍基地は)朝鮮戦争や、ベトナムやカンボジア、最近もイラク戦争などで使われた。これらの戦争は必ずしも正義とはいえないのに、日本はつねにアメリカに従い、意見をいうことすらできなかった。これでは将来、アメリカが世界で始める戦争に、日本は巻き込まれることになるでしょう(略)歴史家としてみると、これらのことはすべてサンフランシスコ・システムに期限があるのです」(「朝日新聞20121030日 p291」…ようするに「サンフランシスコ・システム」を終わらせることが大事であり、そのためには「アメリカと堂々と交渉できるようなきちんとした政権」を作ることが第一なことは言うまでもないが、そのためには「やはり徹底的に事実にこだわり、その事実にもとづいて議論したうえで、新しい国のあり方についての国民的合意を形成すること。そのために必要なことは、みずからの理念をただ声高に語るだけではなく、実際の現場を知る人の意見に、よく耳をかたむけることだと思います。」(p292)と矢部氏は述べている。
 
 その上で具体的に「フィリピンモデル」と「ドイツモデル」を「あとがき」の中で提案している。矢部氏は前著「日本はなぜ『基地』と『原発』をとめられないのか」の中で、「日本国憲法」は占領軍が作成したものであるが、その内容がとても良かったので、日本国民の中から「より良い憲法をつくろう」とする運動が起こらなかったということを書いている…前著は2014年だから、いわゆる「新9条論(9条に自衛隊…軍の保持を明記するとともに、個別的自衛権は認めるが、集団的自衛権は認めない…とするもの)」に近い意見を述べていた。フィリピンモデルはまさに「外国軍の存在は違憲」と明記することによって、「在日米軍の撤退」(仮に米軍が必要だとしても、「安保条約」や密約関係を清算してしまう)ことを目標としている。ただ、本書では「憲法改正」のやり方については、先人の残した「歴史」を尊重し、大幅な改変を伴わない「アメリカ型」の「修正条項追加」方式を提案している。
 
 ドイツモデルとは、要するに「朝鮮戦争を終わらせる」ことである。朝鮮戦争が今だ休戦状態で「朝鮮国連軍」が存在するから「サンフランシスコ・システム」が出来たのであるのだから、関係国がWin-Winの関係になるよう朝鮮戦争を終了させ、南北朝鮮の平和条約の締結、「連邦国家化」等を目指す外交努力を行うというものだ。
 
 いずれにしても「アメリカと堂々と交渉できるようなきちんとした政権」を作ることが前提となる…そのためには「革命的」に民衆と政治諸党派が変わらないといけない。「サンフランシスコ・システム」に乗っかったまま、それを強化すると同時に、民衆の不安・不満を「大日本帝国憲法」並みの力で抑える「改憲」を目指す安倍政権と、「サンフランシスコ・システム」とは何か理解できていない野党勢力の「改憲議論乗っかり」では、まさに「日本は戦争が出来る国」への一直線でしかないということを持って、この本の紹介を終わることにしよう。

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「朝鮮戦争」が全ての始まり…

さて、矢部宏冶氏の本の続きである…なぜかマッカーサーもダレスも「そんな可能性は無い」と信じて疑わなかった「北朝鮮の南進」が、1950625日に始まった。朝鮮戦争である。北朝鮮軍はソ連から戦車を供与されていたが、韓国軍は米国から戦車すら供与されておらず(山岳地の多い朝鮮半島では、戦車は有効に使えないと判断していたらしい)、加えて北朝鮮側の準備の周到さと引き換え、韓国側はほとんど「防御準備」をしていなかったことから、あっという前に北朝鮮軍に蹴散らされ、「釜山橋頭保」と呼ばれるところまで追いつめられる。7月7日、3度目の国連安全保障理事会決議により「国連軍」が結成され、北朝鮮軍と戦闘を行うことになる。(もちろん韓国を「軍事占領」していた連合国軍は韓国軍とともに参戦していたし、日本占領中の米軍も国連軍結成前に韓国に派兵されている。S_000005


しかし、前にも書いたように「国連軍構想」は米ソの思惑の違いから、頓挫していた。従ってこの時結成された「国連軍」は厳密な意味で「国連軍」とは言わない…研究者の中にはこの特別な国連軍を「朝鮮国連軍」と呼び、矢部氏の著書でも「朝鮮国連軍」という言葉が使われている。そして、この「朝鮮国連軍」は「国連旗」の使用が認められるとともに、指揮権は米軍がもつことになった。ここに日本を占領していた米軍は単なる「占領軍」ではなく「朝鮮国連軍」というものになったのだ。

 
 ここで前に書いたように、憲法9条2項により「非武装」化された日本は「国連(軍)」によって安全保障を担保することになっている。だから「朝鮮国連軍」には最大の協力をしなければならない…ここが矢部氏の指摘しているA:「史上最大の軍事力をもち、世界中に出撃して違法な先制攻撃をくり返す在日米軍」B:「いっさいの軍事力をもたないことを定めた日本国憲法9条2項」の共存という「ねじれ」の始まりとなる。
 
 当然、ここで米国防総省の対日政策…「政治と経済については日本とのあいだに『正常化協定』を結ぶが、軍事面では占領体制をそのまま継続する」(バターワース極東担当国務次官補からアチソン国務長官宛の報告書/1950年1月18日)(p152)にアメリカ側は舵をきることになる。対日講和を進めるためにやってきたダレスも当然、そのように動く…要は日本独立後も、米軍は日本のどこにでも自由に基地を配備(配備とは当然、軍事的整合性をもつものとして行われる)するとともに、将来日本が再軍備した場合の「指揮権」は米軍がもったままにする…という構造で、対日講和を進めるという路線である。
 
 しかし日本が独立した後も、外国の軍隊が駐留するということは、「ポツダム宣言」の「占領の目的が達成されたら、占領軍はただちに日本から撤退する」という項目に違反する。マッカーサーはあくまで「ポツダム宣言」に基づいて日本の占領政策を行っていたのであるが、独立後の日本にどうしたら米軍を残すことが出来るか、悩んでいたらしい…そこに知恵を与えたのがダレスである…国連憲章43条と106条を使うということである。43条は国連加盟国(日本は当時、国連には加盟していないが)と国連安保理が「国連軍」への兵力供出のための協定を結ぶ(この「協定」が完成しなかったから、正式な国連軍は今のところ存在しない)ことである。ではどのようなロジックをダレスは使ったのか?
 
「ところが現在、43条でさだめられた『特別協定』は実現しておりません。その場合、わが国をふくむ安全保障常任理事国・五ヵ国には、国連憲章106条によって『特別協定が効力を生じるまでのあいだ』にかぎり、『国際平和と安全のために必要な行動』を『国連に代わってとる』ことが認められております。」「日本は自国の国連加盟が実現し、くわえて43条の効力が発生するまでのあいだ、ポツダム宣言署名国〔=連合国〕を代表するアメリカとのあいだに『特別協定』に相当する協定をむすび、アメリカに軍事基地を提供する。国連軍構想が実際に動きだせば、それらの基地は国連軍の基地となる」(p166)というものである。
 
 すなわち「日本が『国連軍のようなアメリカ』とのあいだに特別協定のような二ヵ国協定〔旧安保条約〕をむすんで『国連軍基地のような米軍基地』を提供することにすればいい。それは国際法の上では合法です。」(p167)ということなのである。

 ということで、砂川判決第一審で示された「米軍の駐留は違憲」ということもクリアされてしまう。極端な話、日本国憲法施政下の日本にいる「国連軍」は「国連憲章」に定められた特別協定により駐留しているのであり、極端な話、その「国連軍」が「世界の平和と安定のために」核を使用したとしても、憲法9条を破ることにはならない…という理屈が成り立つ。もちろん砂川判決第一審の判断は、その理屈を根底からひっくり返すことになるため、判決の出た1959330日以降、アメリカ側の政治工作が始まり、同年1216日、計画通り最高裁で一審判決を破棄させるに成功した。なおこの時「国家の存立にかかわるような高度な政治性をもつ問題については、裁判所は憲法判断ができない」という、悪名高き「統治行為論」が判例として確立する。これによって「以後、日本政府がいくら重大な違憲行為をおこなっても、国民が裁判によってそれをストップさせることが不可能となり、日本国憲法は事実上、その機能を停止してしまうことになったのです。」(p175
 
 
 
 1953年に朝鮮戦争は「休戦」という形で終了するが、当然「戦争状態」は続いており「朝鮮国連軍」もまだ存在する…しかし在日米軍全てが「朝鮮国連軍」でないことは、彼らがベトナム戦争への軍事介入や、湾岸戦争、果てはアフガン戦争、イラク戦争に「参戦」したことからも明らかである。この構造を矢部氏と親しいあるTVディレクターは「米軍=国連軍」と思っていたのが、実は「米軍≠国連軍」だったわけですね…と表現しており、本書でも多用されている。
 
 さて日本の「反戦・平和」勢力は、自衛隊という軍隊が出来き「再軍備」が完成したにもかかわらず、憲法9条を盾に、上記の「アメリカの戦争」への直接参加を拒否することに「成功」していた…しかし小泉政権の時、アフガン戦争では「インド洋での洋上給油」、イラク戦争では「サマワにおける復興支援」として、事実上参戦している(実は「朝鮮戦争」でも「海上保安庁による機雷掃海」という形で、事実上参戦しており、「戦死者」も出している)…ただしこれらはいちいち国会で自衛隊派兵のための「特別措置法」を作り、無理くりやってきたものだ…2015919日に成立した「安保関連法」では、そのような面倒な手続きが無く、自衛隊が「米軍の指揮下」で参戦できるような仕組みを完成させた…ということになるわけである。

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高江でのテント強制撤去は、とりあえず阻止できたが…

 沖縄、高江でのヘリパッド建設のため、7月22日に反対する民衆を「本土」の機動隊が500名で襲い掛かり、それから約1週間過ぎて、「8月の5、6日あたりで再び攻防が始まる」との情報が流れていた。
 高江のヘリパッド建設強行に反対する沖縄県民…のみならず、本土からも大勢の人が、交通も不便な高江ヘリパッド建設現場に赴き、集会が行われた…そのまま集会参加者は高江に泊まり込み、6日の「テント撤去」を阻止した!
 チョイさんの沖縄日記高江・N1裏の座り込みテントの強制撤去を許さない―1000名以上が現地に結集、数百名が泊まり込んだ

 である。

 ホント、「民意」を選挙で示すことも大切だが、それを踏みにじって襲い掛かって来る国家権力・機動隊に対しては、やはり「実力闘争」が不可欠なのである。

 とはいえ、N1裏はどうもあまり「重要」ではなかったらしい…表側こそが資材搬入の本命だったのだ…目取真俊さんのブログ「海鳴りの島から」にはN1裏からの工事は困難。N1表からの砂利搬入阻止に全力を尽くすべきだ とある。
 N1の表側からの工事は土砂崩れや道幅の狭い場所があって難しく、見せかけにすぎない。そういう主張もあったが、現実はまったく違う。毎日ダンプカー14台分の砂利が着実に搬入されている。機動隊の配置状況を見ても、政府・沖縄防衛局はN1表側から工事を進めていく態勢を取っているし、工事は順調に進んでいるとみていい。(引用)

 目取真さんは、辺野古でのボーリング調査が開始される以前は、どちらかというと高江の阻止行動支援に入っていた人である…この指摘は重大だろう。

 あと、今回、もう「AFOかいなsign02」という「事件」が、高江の攻防の中で起こった…参議院選挙で東京から立候補し、音楽ステージのようなやり方でそれなりに支持を集めた三宅裕司氏が、どうゆうわけか安部首相のつれあい、安部明恵氏をこの日に「高江の現場」に呼び寄せたことである。
 まとめサイト安部明恵を帯同して高江に行った、三宅洋平と地元の人の会話

 もういちいち中身は書き記さないが、今や「沖縄」と「日本国政府(安部政権)」とは、もはや対話が成り立たない「非和解」」の関係になっていると言っていいだろう…政府は「沖縄県民によりそう」といいながら、ロクに説明もしないで「辺野古が唯一」と繰り返している。ここで「和解」といえば、政府が「辺野古見直し」「撤回と言うしかないのだ。
 高江のヘリパッド建設は、辺野古新基地建設とリンクしている…配備されたオスプレイが飛び交い(実際、建設された2か所のヘリパッドでは、夜中の10時、11時といった時間帯にオスプレイの飛行訓練が行われ、子どもが睡眠不足で学校に行けないということが起きている)…古くて使い勝手の悪い「普天間基地」の代替施設として、沖縄北部の辺野古に最新鋭の基地を作るとともに、北部訓練場の「使っていない場所」は返還してやるから、新しくヘリパッドを高江に作れ!と言っているのが米軍再編であり、日本政府のやり方なのだ。

 その「日本政府」の「代表」たる安部晋三のつれあいが、今まさにドンパチが起こるところに「(「標的の村」を見たから)高江の状況を知りたい」と言って、「中立的」に「見学」しても、何の意味も無い…知りたければ、沖縄の自民党県議とかのつてを使えばよいだけだ…そこに「安部政治をゆるさない」陣営のハズの三宅洋平氏を取り込んで現地に行くとは何事かsign03
 もっともこれで三宅洋平氏の立ち位置も鮮明になった…彼はおそらく「相手側へのリスペクト」やら様々な考えをもって、安部明恵氏を高江に連れて行ったのであろうが、完全に的を外している…非暴力の運動に向かって、機動隊を500名も動員している中で、「政府側」の人間をわざわざ運動の中に呼び込む感性自体が、おかしい。

 明恵氏に高江の実態をみてもらいたいのであれば、「平和」な時期にゆっくりと案内すればいい…そこで住民・市民の生の声を聴いてもらえばいい…ドンパチやっているだけで「敵」をこちら側に引き込む三宅氏の感性は、結局民衆に「あきらめて話し合いを…」というメッセージにしかならないのだから。

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戦後日本の接待矛盾がなぜ生まれたか?

日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか? の続きのレビュー…
 

矢部氏はこの本の序章で「日本社会に存在する大きなねじれ」としてA:「史上最大の軍事力をもち、世界中に出撃して違法な先制攻撃をくり返す在日米軍」B:「いっさいの軍事力をもたないことを定めた日本国憲法9条2項」の共存であると説いている。これが「戦後日本に存在する『絶対的な矛盾』」(p152小見出し)として存在しているわけだ。

 なぜこんな矛盾が存在するようになったか…これに大きくかかわったのが、日本を独立させると同時に、米軍基地は配備できる「安保条約」の締結に大きく…それのみならず、戦後「冷戦体制」で各国と次々に「反共軍事同盟」を結んでいった…ジョン・フォスター・ダレスである。本書の「主人公」と言っていい人物である。
 
 ダレスが何をしたか見てゆく前に、日本の「独立構想」と「安全保障」についてどんな方針があったか見てみよう。
 
①マッカーサー:日本の「非武装中立」+沖縄の「軍事要塞化」
 
②アメリカ国務省:NATOのような集団防衛条約
 
③アメリカ国防省:早期独立には絶対反対 ありえるとすれば軍事面での占領は継続する「部分講和」構想 (p141

 マッカーサーは日本を徹底的に非武装化し、東アジア…ウラジオストックからシンガポールまで…の「共産勢力」には沖縄に強力な空軍をおいておけば大丈夫だと楽観視していた。他方、国務省は日本の「再軍備」も前提とした「集団防衛」、国防省はせっかく「占領」した日本における軍事的有利さを手放したくない…と考えていたわけだ。
 
 マッカーサーの構想をもう少し詳しく見てみると、単なる「楽観論」ではなく、第二次大戦後の新しい国際平和を守る理念…国際連合による安全保障…を考えていたようだ。なぜならマッカーサーが日本で憲法草案の執筆に着手した19463月は、ロンドンで国連軍創設のための第1回会議が始まった日であり、マッカーサーが示した日本国憲法の基本原則には「すべての軍事力を放棄した日本の防衛は「いまや世界を動かしつつある崇高な理念にゆだねられる」と書かれていた」(p143)のである。9条2項はここから出ているし、日本国憲法前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という文言は、具体的には安全保障は「国連(軍)」によって保たれる…と解釈すべきだろう。

これはアメリカの戦争指導者、ルーズベルト大統領らの構想である。すなわち「連合国」を中心とした世界の枠組みで「戦争そのものを違法化」する。その枠食みを破る「平和に対する脅威」や「侵略行為」が存在するか安全保障理事会で決定し、存在した場合「暫定措置(国連憲章第40条)」「勧告(39条)」「非軍事的措置(41条)」で対処し、それでも状況が改善されない場合、国連軍などを使って軍事攻撃を行い(42条)袋だたきにすることで、平和が守られるというものである。ちなみに各国に認められている「自衛権」というのは「国連(軍)」が何らかの制裁措置・軍事行動を起こすまでの「つなぎ」の措置としてしか認められていない。
 
 では「国連軍構想」がなぜうまく行かなかったか?国連軍に必要な兵力は、国連加盟国と安保理がむすぶ「特別協定」にもとづいて提供され(43条)、その軍事行動は「五大国」の参謀総長をメンバーとする軍事参謀委員会(47条)のもと、安保理が決定する(46条)となっているわけだが、このうち43条「兵力の提供」に係わる「特別協定」が、米ソ間の基本構想の対立により、まったく進展しなかったからである。従って現在でも本当の意味での「国連軍」は存在しない。
 
 次に②のNATOのような集団防衛条約を結ぶことについて…これは①のマッカーサー案と真っ向から対立する。せっかく作った「日本国憲法」を早々に改正する必要があるし、対日講和条約をどうするか?というために来日したダレスも「アメリカがNATO諸国に対して持つような「兄弟愛」を、日本とのあいだに持つことは困難だと、かなり否定的だった」(p147)のであるが、1951年1月の大統領命令により、その実現に向けて努力することになる。
 
 しかしオーストラリアやニュージーランドは大戦中の記憶から(日本軍はオーストラリアの対岸、ニューギニアまで侵略に来た)、日本と同盟国になることを拒否。イギリスも自国が参加できないこの構想は拒否したため、このプランは実現しなかった。
 
 ただ、このプランの特徴として、メンバーの一員である日本が占領終結・独立後、再び侵略的にならないか?というフィリピン、オーストラリア、ニュージーランド等の近隣諸国の懸念に配慮したものだということが挙げられている。トルーマン大統領は「この取り決めは、外部からの侵略に共同で立ちむかうとともに、加盟国の一国、たとえば日本がふたたび侵略的になった場合は、その攻撃にも共同で立ちむかうという二重の目的をもつことになる」(1951年1月9日)と明言していた(p149)…この時期の日本の独立に向けた安全保障の構想には「日本のための安全保障」と、「日本に対する(周辺諸国の)安全保障」という、二つの側面を持っていたのである。だから「旧安保条約」に「日本軍の指揮権」にこだわり続けたのも「日本がふたたび軍事的脅威にならないよう、完全なコントロール下においておきたい」(p150)という目的もあったのだ。
 
 ③は、米軍基地が使えなくなる日本の独立、平和条約の締結には絶対反対という立場である。ちょうど「朝鮮戦争」の最中でもあり、戦争追行に占領地である日本の米軍基地(さらには日本の工業力がもつ補給基地、兵站基地としての役割)は絶対離したくなかったのであろう。当初は次のような「政治と経済については日本とのあいだに『正常化協定』を結ぶが、軍事面では占領体制をそのまま継続する」(バターワース極東担当国務次官補からアチソン国務長官宛の報告書/1950年1月18日)(p152)という基本方針が示されていたのである。
 
 ①も②もダメ…③で行こう…となった背景には、やはり1950年6月25日に勃発した「朝鮮戦争」の影響が大きい。ダレスもマッカーサーも「北朝鮮が南進して攻めて来ることなぞあり得ない」と確信しており(1949年から米軍は朝鮮半島に多数のスパイを送り込んでおり、情報として北の侵攻を予測する情報が数多く寄せられていたにもかかわらず…である。完全に「油断」していたわけだ)…侵攻した北朝鮮軍は一気に韓国側を釜山周辺まで追い詰めた。ここで持ちこたえられたのは、ひとえに日本が米軍の軍事・兵站基地になってその機能をフル回転させていたからである。

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日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか

 

日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないか」の続編…矢部宏冶氏の「日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか」を読んでみた。こちらは前著をさらに掘り下げ、日米間の「密約体系」…すなわち「対米従属性」の成立について、主に1952年の「サンフランシスコ条約による日本独立」と「日米安全保障条約(旧)」前後のアメリカで公開された公文書を元に、詳細に説明が成されているものである。(著者としてはなるべく理解しやすいよう、かいつまんだ書き方をしているのだが、結構難解である)S_000005_4


 また本書では日米安保の本質として①「基地権(米国が日本のどこにでも基地を配備できる)密約」の他、前著では著者も認識していなかった②「指揮権(いざ「戦争」の際には、日本の軍事力は米軍の指揮下に入る)密約」があり、後者を最終的に完成させたのが、「集団的自衛権の合憲化」と2015年の「安保法制の整備」であると説く…この②の部分だけで、表題の「日本はなぜ「戦争ができる国」になったのか」の答えが出てしまっているわけだ。
 
 また著者は「密約」を、1960年改定「日米安全保障条約」において文言上「双務的」「対等的」にしたものに、旧条約における在日米軍特権を残しておきたい日米両政府が、条約文書に現れない形で残したものか、旧安保条約でも、第二次世界大戦後の世界秩序や日本の占領・独立後の方針を定めた様々な条約や宣言等から「逸脱」するような在日米軍特権を残すために文書化出来ないものを残したものであると説く。別の言い方をすれば「見かけ」(アピアランス)と「実質」のちがいが、無数の密約を生み出した(p82小見出し)わtだから本書では「旧安保条約」で何がどう規定されたかという歴史と法や条約的位置づけ、さらに日米両政府の思惑の変遷から「密約」の成立に絞って書かれている。
 
 「指揮権密約」はアメリカ側の文書、19501027日に米軍(国防省)がつくった旧安保条約の原案にあり、その第14条「日本軍」に、次のように書かれている。

 ①この協定〔=旧安保条約〕が有効なあいだは、日本政府は陸軍・海軍・空軍は創設しない。ただし、それらの軍隊の兵力、形態、構成、軍備、その他組織的な特質に関して、アメリカ政府の助言と同意がともなった場合、さらには日本政府との協議にもとづくアメリカ政府の決定に、完全に従属する軍隊を創設する場合は例外とする。
 
 ②戦争または差しせまった戦争の脅威が生じたと米軍司令部が判断したときは、すべての日本の軍隊は、沿岸警備隊もふくめて、アメリカ政府によって任命された最高司令官の統一指揮権のもとにおかれる。

 ③日本軍が創設された場合、沿岸警備隊をふくむそのすべての組織は、日本国外で戦闘行為はできない。ただし、前期の〔アメリカ政府が任命した〕最高司令官の指揮による場合はその例外とする。p126127 ①②③と太字は矢部氏)

 いやぁ~この時は朝鮮戦争の真っただ中…米軍は確実に日本の「再軍備」を目指し、「統一指揮権」の下で一緒に…というか「日本軍」を配下に「戦争ができる国」にしようとしていたわけだ…もちろんこのような「原案」は当時の日本の憲法、世論、対外情勢等から「条約」には出来なかったわけだが、それを出来るようにしたのが「密約」だ…ということだ。現にその後、日本は再軍備し、冷戦終結後も「周辺事態法」「有事法制」整備を進め、ついには「集団的自衛権」を認めて「安保法制」を整備し、「米軍の指揮下の元で」戦争が出来る国になった…というわけである。
 
 
 
 ちなみに「指揮権」に関して、著者、矢部氏はこんなことを書いている…「私は何人か友人に、自衛隊の隊員がいます。そして、たとえひとりでも自衛隊に友人がいるかたは、現在の日本の自衛隊が「戦争になったら、米軍の指揮下にはいる」というような、なまやさしい状態ではないことは、よくご存じだと思います。

 そもそも現在の自衛隊には、独自の攻撃力があたえられておらず、哨戒機やイージス艦、掃海艇などの防御を中心とした編成しかされていない。「盾と矛」の関係といえば聞こえはいいが、けっして冗談ではなく、自衛隊がまもっているのは日本の国土ではなく「在日米軍と米軍基地」だ。それが自衛隊の現実の任務(ミッション)だと、かれらはいうのです。
 しかも自衛隊が使っている兵器は、ほぼアメリカ製で、コンピューター制御のものは、データ暗号もGPSもすべて米軍とリンクされている。「戦争になったら、米軍の指揮下にはいる」のではなく、「最初から米軍の指揮下でしか動けない」「アメリカと敵対関係になったら、もうなにもできない」もともとそのように設計されているのだというのです」(p125126
 もちろんこれはその通りで、自衛隊のもとである「警察予備隊」は朝鮮戦争で日本占領中の米軍が出ていった穴埋めとして作られたという経緯があるし、また最近では911同時多発テロの際、自衛隊が米軍基地を「防衛する」ということも起こっている。一方、日本が「帝国主義」として自立すること、東アジアにおける米軍の戦略変更の元、「島嶼防衛」は自衛隊の任務とされているため、現在の自衛隊が全く「米軍の指揮下でしか動けない」ということは無いのであろうが…しかし、北朝鮮が「ロケット」発射実験をする度、「破壊命令」が官邸から出ているが、実はこっそり「米軍に言われて」出ているのかも知れない…

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経産省前テント撤去…伊方再稼働は8月11日

 すでに皆さまはご存じであろうが、脱原発経産省前テント が、最高裁の上告棄却により撤去される見通しであるということだ。
「脱原発テント」強制撤去へ 約3800万円の支払い命令に団体側は...【画像集】 

 2011年9月から約5年間にわたって、経産省の敷地内に市民団体が設置している「脱原発テント」が強制撤去される見込みになった。
7月28日付けで最高裁が市民団体の上告を退けたためだ。テントは脱原発運動の象徴的な場所として知られており、団体側は、立ち退きを拒否する方針だ。今後、国の申し立てを受けて東京地裁が
強制執行するとみられる
 テントは2011年9月11日、経産省をデモ隊が包囲した際に、北側の歩道に面した敷地に設置された。それ以降は約60人の中核メンバーらが交代しながら24時間常駐し、国の原発政策を批判する看板を掲げている。団体側は、テント設置は憲法が保障する表現の自由だとし、国の提訴は意見表明の妨害を狙っており違法だと訴えていた。
8月2日、市民団体「経産省前テントひろば」の代表者の1人、淵上太郎さん(73)は、「司法のやったことで想定の範囲内だ。非暴力不服従の精神で最後まで戦う」と話していた。
判決では約5年間の敷地使用料と、年5%の遅延損害金の計約3800万円の
支払い命令も確定。すでに供託金として裁判所に支払っている500万円を除く分が代表メンバー2人に請求される見込みだが、淵上さんは「預金通帳には2人合わせて3000円しか残っていない。ない物は払えない」とコメントしている。

で、延期されていた伊方原発3号機の再稼働が、8月11日と報道されている。松山、高松でも「最後まで抵抗しよう!」「次につながる闘いを組もう」と取り組んでいるところであるが、いかんせん盆前で人が集まるか?という懸念もある。
 そこにテントの撤去をぶつけられたら…と思うと、ぞっとする。沖縄・高江で選挙後9時間後に機動隊を展開させ、工事着手強行をした安部政権である。11日の早朝にでも機動隊を動員し、東京地裁に強制撤去させることなぞ、わけがないことだろう。

 11日という日は、東日本大震災による原発事故が起こった日(実際の原発爆発は12日ではあるが)として、あちこちで月例の脱原発の取り組みが行われている日でもある。伊方でも「毎11日ゲート前行動」ということで、集まれる人が集まって「再稼働反対」をアピールし続けていた。
 その11日に、「伊方再稼働」と「テント撤去」が行われるとしたら…運動側に打撃を与えることが出来るという読みを、しないほうがオカシイ。(もっとも国家権力は「こざかしい」から、11日にやる見せかけて…何もやらないということも考えられるが)

 伊方の闘いと、経産省前での闘い…どちらも気をぬけない情勢になっている。

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東京では「野党共闘」の意味・意義が十分理解されていない

 さて、昨日行われた東京都知事選挙であるが、見事な「劇場型選挙」を演出した小池百合子氏の圧勝であった。下馬評では2位につけていた「野党統一候補」鳥越俊太郎氏も、自民党公認の増田 寛也氏に及ばず、3位であった。

 いや、もう街頭やマスコミの「イメージづくり」で小池氏が強すぎた…ゴチゴチの「自民党都連」から飛び出し「伏魔殿」のような東京都に立ち向かう「ジャンヌ・ダルク」というイメージに、皆さま勝てなかった…としかいいようがない。
 それにしても、なぜ鳥越氏が知名度に劣る増田氏にさえ勝てなかったか…その辺の総括が必要だろう。

 これもいろいろあるのだろうけれど、一つは東京では「野党共闘」の持つ意味・意義があまり浸透していなかったからではないか?というのが私の素直な考えである。何分、参議院選挙東京選挙区は6名も議員を出すことが出来る…地方の一人区で「自公を倒そう」とする気概が足りなかった…特に候補者や党指導部において…のではないかということだ。(もちろん今回の選挙でも「草の根」で鳥越候補を応援し、電話かけ等出来る限りのことをやった人には敬意を示すものではあるが)

一つは有力予定候補者であった、宇都宮健司氏が立候補表明をした時に「野党共闘で」と言わなかったことである。直前にタレントの石田純一氏が「野党統一候補なら、立候補しても良い」と表明…これは参議院選挙で「野党統一候補に投票しよう!」と言うアピールが本音であったのだが…舛添退陣後、反自公の「最有力候補」でもあり、知名度も過去に2回、知事選挙に出馬しているわけだからそれなりにある、加えて政策も細かいところまでかなり練り上げられている。この最重要人物が「野党統一候補で」と一言名言しておれば、仮に鳥越氏に最終的に一本化されたとしても、野党・市民も含めた話し合いの中でかなり良い政策が練られ、「イメージではなく政策論争」で選挙が行われたと思う。
 これは鳥越氏が出馬表明をして、いきなり「野党統一候補」として担ぎ上げた共産党・民進党にも責任がある。ネームバリューだけで、出馬当初はほとんど政策らしい政策も語れない人を「ハイ、統一候補です」と出されても、反自公の人たちは「はぁ?」と困るだけであったろう。

 「野党統一候補」「野党共闘」というのは、市民の側から出てきた運動である…ただ候補者の調整は「政党」がやらなければならない。が、あくまでも市民の声を聴きながら、じっくり時間をかけて行うものである。もちろん今回はその「時間」が無かったというハンデもある…一応公示日に立候補手続きを済ませると、それを取り消すことは出来ないため、公示後の一本化というのは不可能であるから…

 後は鳥越氏の選挙の「稚拙さ」だろうか…「小池劇場」を上回ることは難しかったとしても、本人が街頭に出て来る回数は少なく、短すぎた。またTVの討論番組にもでて来なかったと聞く。女性スキャンダルについても、記者会見等できちんと釈明するのではなく、「裁判」という形のみをとった…過去の「知名度」と「野党統一候補」の看板だけで「勝てる」と勘違いしていたのではないだろうか?
 また、「野党共闘」は「何か新しいことが起こる」期待感を、無党派層に持ち込まなければならない…その工夫もせず、やたら有名人士や野党の大物に期待しすぎたのではなかっただろうか。

 また、宇都宮氏に戻るが、この人、政策とかはいいのだが、どうも周辺で起こっている事態が見えず「突進」してしまうところがあるようだ。前回の都知事選挙の立候補過程もそうであったと聞いている。そこで「脱原発」を争点とする「細川・小泉連合」が出て来ると、「脱原発」の人たちがそっちにいっちゃったという「苦い経験」を、どうも忘れているらしい。

 とにかく、スウェーデン並の予算規模を持ち、なおかつ日本の顔である首都の長が、一見ソフトだが実は極右である小池氏に決まった…市民は彼女がこれから何を行い、何をなさないかをよく監視し、東京の「右傾化」を止める日常的な闘いを続けなければならない。

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